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第四十一話 『今、ここで伝えなければ消えてしまう、大切なもの』 7. 卑怯者

 

 

 ニセ陸竜王を振り切り、濃霧のようなインプの大群を蹴散らして進む礼也の表情は、焦りの色にまみれていた。

 楓に渡した時計は、何もせずとも位置情報を発信し続けてはいた。

 しかし、情報が入り乱れ混雑する現状においては、それらの中から必要な情報を選別するのは至難の業だった。

 礼也が眉を寄せる。

 別れ際に見せた楓の表情が、自分を拒否しているように見えたからだった。

 発信ボタンさえ起動すれば極めて強い信号を受け取ることができるが、それすらも楓が拒んでいるように礼也の目には映った。

 自分に迷惑をかけたくないがために楓がそうするだろうことは、容易に想像できた。

 その楓がSOSを求めているのならば、よほどのことなのだろう。

 何をさておいても、駆けつけなければならなかった。

 ようやく受信した楓からの救難信号であったが、そこは索敵範囲の端から端に相当する場所だった。

 人の気配がないことを確認した上で、建物を破壊しながら最短距離で向かう。

 それでも間に合うかどうかわからなかった。

 忍に照会を求めたところ、そこには数万ものインプの群が集結しつつあるということだった。

 海と陸地に挟まれた僻地の埠頭には、他に逃げ場所はない。

 焦りが嫌な汗となって身体中を蹂躙していた。

 眉間に力を込め、キッと前だけを見据える。

『間に合え、間に合え……』

 祈りにも似た叫びを繰り返しながら。

 ひたすら目的地を目指し、ようやくその尻尾が見え出した頃、礼也の前に立ちふさがったのは白くぶ厚い壁だった。

「くそったれ!」

 その時だった。

 付近で大爆発が起きたのは。それが目指すべき場所のすぐそばであることを知る。

 緊急シグナルが激しく点滅し始め、自分が目的地にたどり着いたことを確認した。

 灼熱の体躯を真っ赤に燃やし、数百メートルを一気に突き抜ける陸竜王。

 それでも一度に駆逐したのは全体の微々たるものだった。

 楓達のいる地点に到達するのが優先だと考え、進むだけの道筋を確保する。それは産業道路に跋扈する異形の集団を一掃する結果となった。

 埠頭で倉庫を見つけ、そこに多くの人達が避難しているだろうことを察する礼也。

 すでに目的地の数十メートル手前にまで、インプの軍勢は到達していた。

 ローラーで急旋回をかけ、四方の敵を睨みつける。

 際限なく湧き上がる雲霞のような敵を、これ以上進ませずに、すべて平らげなければならなかった。

 一つ一つは問題にならないほど脆弱だった。

 だが数が多すぎる上、先までのニセモノとの激闘で疲弊しきっていた礼也にとっては、激しい苦痛をともなう連戦となった。

「く……」

 精神力が途切れかけ、それを気つけの拳で引き戻す礼也。

 口内を切り、血を吐き出して、ギラつくまなざしを標的へと叩きつけた。

 瞬く間に陸上を平定し、残るは海からの軍団だけとなった。

 周囲数百メートルに渡って敵の気配が途絶えたことを確認してから、決して得意ではない海中にダイブし、殲滅に向かう陸竜王。

 死にもの狂いで白色の海竜王軍団を叩き潰し、ようやく倉庫の前へと降り立ったのである。


 満身創痍の楓らが倉庫にたどり着いた時、そこは新たな脅威の場へと成り果てていた。

 一体とはいえ、自分達よりはるかに巨大なその姿を目の当たりにした人々は、また恐怖の底へと突き落とされる。

 ただそれまでと違うのは、白ではなく土と緑の色をそれがまとっていたことだった。

 敵か味方かが判別できず、怯えた目で陸竜王を見上げる善良で無力な市民達。

 幼い子供達にとって、陸竜王の生々しい迫力は恐怖の対象でしかなかった。

「あ、あ、あ……」

 腰を抜かして動くこともままならない輩達に対し、楓は一人落ち着き払った様子だった。

 肩を貸してくれていた深谷の手をほどき、数歩前に出る。

「君……」

「大丈夫です」

 見つめ合う楓と陸竜王。

 そこに安全を確信した邪魔者が、満を持して割り込んできた。

 例の議員だった。

「ほら見ろ、私の言ったとおりだ」

 楓の行動を観察しながら、陸竜王が無害だとわかった途端に調子づく。

「あれは味方だ。私を助けに来てくれた。私の言うとおりだった」

 しかし陸竜王は彼には一瞥すらせず、楓に向けた両眼をキラリと光らせると、また来た道を引き返していった。

 慌てて引きとめようと試みる、地域の有力者。

「おい、私はここだ。どこへいく。貴様、どこの所属だ」

 恥知らずの声は虚しく波の音にかき消されていった。

「まったく、どういうつもりだ」

「今のロボット、あんたが呼んだのか」

「ん」他の避難者に問われ、胡散臭い笑顔で彼が応答する。「そうだ。予想以上に遅れたからもう間に合わないかと思ってしまったが、無事間に合ってよかった。みんなが助かってよかった。遅れたことについては、後からよく言っておこう」

 その虚言に、楓が軽蔑のまなざしを向ける。

「あなたは、そんなことを言えるような立場なんですか。助けてもらっておいて、お礼も言わないで」

「あん」失礼な物言いに若干ムッとしつつも、政治家としての笑顔を取り繕う。「礼など言う必要はない。彼らは当然のことをしたまでだ。救援要請を受け、市民を助けるのは彼らの義務だ。仕事だ。むしろ職務怠慢で、彼らの方が私達にわびを入れなければならないところだ。もっと早く来れたはずなのに、連絡のミスなのかどうか知らんが、もう少しで取り返しのつかないことになるところだった。奴らにとっては所詮人ごとなのだろうが、現実に危機に直面する者にとっては死活問題だということがわかっておらんのだろう。さすがにここまでお粗末な対応は看過できん。人の命を何だと思っている。厳重に注意するつもりだ」

「だったら、これからもみんなを助けてくれるよう、今すぐあのロボットに頼んでください」

 その何の期待も見せない楓の懇願に、裸の権力者の心がわずかに気圧される。

「……ああ、いいとも」

 楓は目の前の彼らの姿に、世の中を悪くする人間という礼也の言葉を思い返していた。


「君は本当にメガルの人間なのか」

 楓が顔を向けると、息子と抱き合う深谷が立っていた。

「いえ、違います」横を向き、楓が静かに告げる。「嘘をつきました。ああでも言わなければ納得していただけないと思って」

「あのバケモノ達のことを知っているというのは」

「それも嘘です。すみません。偉そうに言ってしまって」

「やはりそうだったのか。君は最初から死ぬつもりで。……だから私を巻き添えにしまいとして」

「それは違います。助けが来ることはわかっていました。私だけがそれを知っていた。だから動けた。それだけです。自分でもズルい人間だと思います」

 それを素直に受け取れずに、彼が目を伏せた。

「本当はずっとこわくてたまらなかった。逃げ出したかった。今思い返しても、こわくて足が震えてくる。この子が見ていなかったら、きっとここにいる彼らと同じことをしていたと思う。本当の私は、口先だけの臆病者だ。情けないよ」

 息子の頭にボンと手のひらを重ね、深谷が自嘲気味に笑った。

「そんなことはありません。あなたは勇敢だと思います。あなたの息子さんも。でも私は違う。信じていると口で言っておきながら、本当は助けが来ないかもしれないと疑っていました。必ず来てくれると信じていなければ、命がけで助けに来てくれる人に対して失礼ですよね。どうせ助からないと諦めているような人間に、助けてもらう資格なんてないはずです。だから私は。卑怯者なんです……」

 楓が下を向く。

 それを眺め、深谷がほっとした表情になって空を見上げた。

「桐嶋さん。君はさっき、この世界に正義はなくなったと言ったな」

「……はい」

「そんなことはない。私はそれを知っている。正義はここにある」

「!」

 はっとなって顔を向ける楓。

 それを嬉しそうに眺め、深谷が熱いまなざしを差し向けた。

「あの時、君が名乗り出てくれた時、心の底から嬉しかった。救われたという気持ちもあったが、それ以上に、そういう人間がいてくれたことがなにより嬉しかった。見返りなど何も求めるつもりもなかったのに、報われたと思ったんだ。君の尊い行為のおかげで」

「……」

「あの時、君は黙ってやりすごすこともできた。いや、むしろそうすべきだった。おそらくは私のせいで段取りに狂いが生じてしまったはずだろう。それを責めもせず、君は自ら危険を買って出た。私を、そしてここにいるみんなを助けるために。君こそが私達にとっての正義の味方だ」

 戸惑う楓に、彼が満面の笑みで頷いてみせた。

「違います……。……私は、そんなのじゃない……」視界がぼやけ出す。「私は……、ただの卑怯者です……」

「お姉ちゃん」

 振り返ると、洋一とほのかが泣きながら飛び込んでくるのが見えた。

 そこでようやく自分達が死の際から生還したことを思い出す。

「洋一、ほのか……」

「これ、いつまで押していればいいの」

 礼也から受け取った腕時計を、洋一が握り締めていた。

 砕けるように楓が腰を落とす。

 途端に感情が込み上げ、唇を震わせながら二人を強く抱きしめた。

「よかった、よかったね……」

「痛いよ」

「いたい、いた~い」

「よかった、本当に……」

「あのロボットは悪者じゃないよね」

 洋一の言葉にはっとなる楓。

 すぐに満足そうに笑ってみせた。

「大丈夫。礼也君は礼也君だから。いこうか」

 立ち上がり、洋一とほのかを連れて、楓がその場を後にしようとする。

 それに深谷が待ったをかけた。

「おい、君、ここから離れるつもりか」

「ここは危険ですから、他の場所を探した方がいいと思います」

「ここにいればまたさっきのロボットが来てくれるだろう。あの人が呼んでくれる」

 他人を信じて疑わない平和な集団に、楓が少しだけくさびを刺し込む。

「もう彼らは来ない」

「は……」

 歩き出した楓の背中を、残された多くの人間の目が見守っていた。

 きつねにつままれたような表情で権力者に振り返る市民達。

「おい、あんた、本当にさっきのロボットはまた来てくれるんだろうな」

「本当にここにいれば安全なんだろうな」

「本当にあんたが呼んだんだろうな」

「当たり前だ。君達に嘘を言う理由があるか」

「じゃあ、なんで何も言わないでいっちまったんだ」

「もう一度呼んでみてくれよ」

「それは……」

 虚言者の声がそこで途切れる。

 置き去りにされた人々は、一人、また一人と、楓達の後を追って歩き出した。

 子供を抱きしめて泣き喚く母親や、優しい父親、老人達までもが続く。泣きながら歩き出す者もいた。

「どこへいくつもりだ」

 深谷に呼び止められ、楓が足を止める。

「私達は家族のところへいきます」

「そうか。気をつけてな」

「はい」振り向きもせずに続ける。「あの人達は正しいのかもしれない。こんな状況では、足手まといになる人間は真っ先に切り捨てられるべきだから。……でも彼らが守りたいのは、きっとそんなものじゃない。私は、信じています……」

 それが誰に向けられたものなのか、深谷にはわからなかった。

「お姉ちゃん、あげる」

 先の少女が差し出した飴を笑顔で受け取る楓。

「ありがとう」

 少女に手を振り、その家族に頭を下げて、集団とは別の方角へと楓達は向かった。


 光輔は突如出現したニセモノの海竜王と対峙していた。

 数え切れないインプの軍勢を駆逐し、疲労が蓄積した状態でさらなるミッションへと突入する。

 何よりキツかったのは、祐作らとの意見の食い違いによるモチベーションの低下だった。

 注意力を欠き続け、みずきからのSOSすらも見逃してしまっていた。

 一瞬の気の迷いが、勝敗を分ける。

 気がついた時には、眼前にぬらりと光を放つ鈍銀の切先が迫っていた。


 別の場所では、みずきや茂樹達がインプの群に追いつめられようとしていた。

 夕季の言葉を信じて学校に向かう途中で群と遭遇し、駅側へと追いやられたのである。

 そこに他の市民達もいたが、武装兵の姿はどこにもなかった。

「ちきしょう! 全部メガルのせいだ!」

 祐作の吐き捨てた声を茂樹が否定する。

「違う。メガルだけのせいじゃない。それをみんなであんなふうに非難したりして。なんとか光輔達と連絡をとって、謝って、助けに来てもらうんだ」

「もう何言ったって手遅れだろ。今さらあいつらが助けに来るわけない。俺達はみんなここで死ぬんだ……」

「てめえ、いい加減にしろ!」

 祐作につかみかかる茂樹。

 それをみずきの声が制した。

「来るよ」

 二人が振り返る。

 みずきは濁りのないまなざしを、空の彼方へと向けていた。

「誰が。誰が来てくれるんだよ。光輔に連絡しても無視されたんだろ。古閑さんだって、あのケガじゃ無理だ。誰も来ねえよ」

「おまえがあんなこと言ったからだろ」

「だって本当のことだろ」

「だからってなあ」

「きっと来てくれるよ」

 二人の言い争いを止めるようにみずきが呟く。

「来るわけねえだろ!」

「来てくれる。必ず」

 それは祈りにも似たものだった。

 インプの包囲網がじりじりと距離を縮めながら目の前に迫る。

 それらが横一線に切り裂かれ飛び散る様を、みずき達は信じられないものを見るように眺めていた。

 見つめるまなざしに背を向け、立ちはだかるすべての敵に対して、白銀の翼を従える勇者が布告を叩きつけた。



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