第四十話 『カタストロフィ』 OP
『君が望んだ世界にベリアルはいる』
それはもはや記憶にすら存在しない、アザゼルの顔に酷似していた。
穏やかな微笑を差し向ける見知らぬ顔が抱きしめるように口にする。
『ベリアルは君達の中にいる。その喉首に刃物をつきつけ、愛する者の心臓を貫けと命令する。拒めば死あるのみ。死の後、その愛する者に同じことを強要する。最後の一人になるまでそれは続けられる。そして最後に残った者だけが、次のベリアルとなる。そこから逃れる方法は一つだけ。断ち切る方法も一つだけ。すべての者が一斉に自らの心臓を貫くことだけ』
そしてアザゼルは、夕季にナイフを差し向けるのだった。
『君が望んだ未来に……』
「!」
うたたねから目覚めると、心配そうに覗き込む忍の顔があった。
顔中が汗にまみれていることに気づき、夕季がはっとなる。
「どうしたの。うなされてたみたいだけど」
気遣う忍をちらと見やり、夕季は困惑したように眉を寄せた。
それがどことなく、既視感をともなう感覚に酷似していたからである。
ふいに脳裏をよぎる不安と憂慮。
そして記憶。
この世界の未来とは……
「別に。ちょっと変な夢を見ただけ。最近ちょくちょく見る」
渡されたタオルで顔を拭く夕季を眺め、忍がふっと気を抜く。それから物憂げな様子で付け加えた。
「ふうん、夕季もか。あたしも最近よく変な夢見るんだけどね」
「……」タオルでシャツの中を拭きつつも、忍から目をそらさずにいた。「お姉ちゃんも」
「うん。笑っちゃうんだけどね。まあ、別にどうでもいいけど」自嘲気味に笑い、安心したように続けた。「どんな夢見たの」
忍の顔をじっと見据える夕季。一拍置いてから、それを口にした。
「死ぬ夢」
「!」
凍りつく忍の顔を目の当たりにし、夕季はそれ以上何も言うことができなくなった。
時計は六時六分六秒を示していた。
雅の姿が見えると、駅の前から光輔が大げさに手を振って呼び寄せた。
「雅、遅いよ」
駆け足で追いつき、やや息を切らせながら雅が笑顔を向ける。
「ごめんごめん、遅くなっちゃって」
「何やってんだよ。次の電車に乗り遅れると、また二十分待ちだよ」
「ごめんね。時間がないのにね」目を伏せて吐息をもらした。「……もう」
「え」
切符を買いながら光輔が振り返る。
すると雅は取り繕うように笑みを光輔に差し向けた。
「何でもないです。今日はいっぱい思い出作ろうね」
「何言ってんの。動物園に行くだけなのに。また急にさ。なんで動物園なの」
「うん、なんとなく。動物園なんて子供の頃以来だもんね。よ~し、今日は気合入れて思い出作るぞ」
「なんでそんなに気合入ってんの」階段を駆け上がりながら、不思議そうに雅を眺める。「思い出なんて作ろうと思って作るものじゃないじゃんか。別に今日じゃなくたって……。セーフ!」
ぎりぎりで車両に飛び乗り、座席の確保にかかった光輔を、雅は真顔で見つめていた。
「そういえば昔みんなでいったよな。りょうちゃんとか綾さんとかもいて楽しかったな。ゾウが臭くてさ、綾さん、鼻がいいから、オエエ~って。……俺は怖くてそこらじゅうで泣いてたのなんか思い出した」
「そうだったよね……」
列車に揺られながら二人が窓の外を眺める。
先の物言いとは別に、光輔はわくわくした様子でせわしなく外の風景を眺めていた。
対照的に、いつになく物静かな雅。
「最近、みんなお兄ちゃんのことあまり口にしなくなったよね」
何気なくそう呟いた雅に、光輔は景色を眺めたままそれに受け答えた。
「俺はいつだって思ってるよ。りょうちゃんのこと忘れた日なんて一日もない」
「ありがと、光ちゃん」雅が嬉しそうに笑った。「でも、それでいいんだよね。死んだ人のことは自然と忘れていくものだもの。死んだ人の話をするよりも、生きている人達の話をした方がいいに決まってる」
「俺はそうは思わないけど」
「わかってる。もう何も言わないで」
それは光輔には届かないほどのかすかな囁きだった。
それから無表情で遠くを見つめる。
「わかってるから……」
第五部、ベリアル編の開始となります。
ごちゃごちゃと入り組んでいるため、わかりづらく、伝わりにくいかもしれません。矛盾している部分もいろいろなので、途中での変更が多いことをご了承ください。