そもそもなぜ無双&ざまあが受けるようになったのだろう?
さて、なろうでは無双とざまあが作品の人気の理由だと思います。
とはいえ、ボトムズの主人公が”異能生存体”と呼ばれて主人公補正としてモブだと死ぬような状況でも基本主人公は死なないというのはアニメや小説、漫画などの昔からのお約束だったと思います。
ドラゴンボールでは途中で悟空含めて仲間が何人も死んでますけど、あの世界は人が簡単に生き返る世界ですから死というのが主人公たちにとっては軽い世界ですしね。
そして基本的に戦闘などがメインの作品の主人公というのはというのは最強で前向きという感じが多いと思います。
しかし、社会現象的に人気になった作品で主人公が前向きでない主人公の作品があります。
”ガンダム”と”エヴァンゲリオン”ですね。
ガンダムの主人公アムロもエヴァンゲリオンの主人公シンジも最初は戦いたくて戦ってるわけではなく成り行きでそうなってしまっただけ、だから逃げ出したりもするけど結局はもどって周りのいうことを聞いて戦うと言う感じですね。
最もガンダムに比べてエヴァンゲリオンの大人たちのほうがより身勝手な感じはしますけど。
で、ガンダムやエヴァンゲリオンがヒットした理由ってやりたくないことをやらされてる視聴者には社会の被害者のアムロやシンジに対して同情的共感があったということはあるんじゃないかなと。
でもセイラやララア、アスカやレイと言ったヒロインとなんだかんだで仲良くしていてうらやまけしからんというものもあったのでしょう。
エヴァンゲリオンは声を当ててるのが当時の大人気声優さんであれば余計にでしょうね。
無論ロボットプロレス的な使徒との戦闘の迫力が好きな人やいろいろな謎や伏線を追うのが好きな人もいたでしょう。
エヴァンゲリオンがヒットした90年代はタカラの勇者シリーズの人気がいまいち伸びなかったり、魔神英雄伝ワタルやNG騎士ラムネ&40、覇王大系リューナイトといった明るく前向きな熱血主人公作品もあきられつつあった時代で、一方、宇宙の騎士テッカマンブレードや機動戦士Vガンダムのような悲劇的作品も救いがなさすぎるといまいち受けないという微妙な状態だったように思います。
美少女戦士セーラームーンはかなり人気でしたし、ポケットモンスターや名探偵コナンの放映開始も実はこの頃なのですけど、コナンはどんだけ息長いんだ……。
ともかくそういったほかの作品に比べるとエヴァのシンジは共感をいだきやすいとともに、その行動に納得できない人も多かったのでしょうね。
最も劇場版の話をテレビで放映していたら最初から最悪の駄作の刻印を刻まれていたかもしれませんが。
テレビ版の最終回は”おめでとう”というセリフから、何らかの救いがあるように見えていたのですけ、それが劇場版が放映されてみれば実際は救いも何もなかったわけでそれがエヴァンゲリオンブームを終わらせたわけですし。
だからこそ逆行転生のエヴァンゲリオンの二次創作は大量に作られその中でもスーパーシンジと言われるような使徒もネルフの大人たちも皆殺しにしていくことでザマアできる無双の碇シンジというキャラが生まれてそういった作品を読んで胸をスカっとさせる人が多かったような気がします。
もしくはアスカやレイと甘々な恋愛をさせるとかですね。
で、そういうお話というのは現在でもなろうのいわゆるテンプレにも引き継がれているのかなと思いますね。
それ以前の二次創作は「ポーの一族」に対してのパロディ二次創作である「ポルの一族」のようなホモ的なシモネタを含んだいわゆる”やおい”コンテンつが主で、『月刊 OUT』や『ファンロード』のような雑誌ではキャプテン翼・聖闘士星矢・天空戦記シュラトなどのパロディマンガや葉書による読者投稿の二次創作がかなり人気でしたが、やはりそれもどっかホモ的なシモネタが含まれていたように思います。
それを大きく変えたのはエヴァンゲリオンなのかなという感じがするのですね。
ただもともとエヴァンゲリオンは好きなんだけど内容自体には不満が多い、そういう作品だからこそ二次創作のネタとして最適だったような気がします。
元々が最強&ザマア、たとえば魔法科高校の劣等生を二次創作したくなるかというとあんまりそんな感じはしませんし、二次創作界隈があまり盛り上がらなくなってるのも当然かも知れませんね。