第38話 傀儡からの解放
四階――大会議室前。
数十もの仮面の鬼が湧いてきたが、それを私は【爆糸】により一撃のもとで爆砕し、上へと目指す。
そして遂に四階の大広間へと至る。部屋は真っ赤な絨毯が敷き詰められ、中央には巨大な円卓が静置していた。
その円卓の席の一つで、踏ん反り返っている頬肉が旺盛な顔の男。あれが、アムルゼス王国北方遠征軍将軍――ブル・ハウンドだろう。
そして、ブルの隣の席には病的にやせ細った青髪の男が座っていた。痩せた男の頬はこけ、目には大きなクマができており、その細い目で興味深そうに私達を観察している。
「ふー、どう見ても子供――」
「黙れ」
いくつもの紅の糸が、四方八方から青髪の男に殺到し、衝突と同時に無数の爆発を引き起こす。
「グルルルルッ!」
ブルは獣のごとき唸り声を上げつつも、四つん這いになって私を威嚇する。
木っ端微塵に吹き飛んだ円卓の傍で、上着のポケットに両手を突っ込みながらも、微笑を失わず眺めてくる青髪の男。
「あれが防がれた?」
テオが喉奥から焦燥たっぷりの言葉を振り絞る。
そりゃあ、無傷だろうさ。この産毛が逆立つような独特な悪寒。全力で相対すべきゴミだ。
しかし、今はこんなゴミよりも先に私にはやらねばならぬことがある。
今も真っ赤に血走った両眼で、私を睥睨してくるブルに視線を固定し、
「全力でこい。私が送ってやる」
掌を上にし、右手の先を折り曲げて数回、手招きをする。
青髪の男がパチンと指を鳴らす。
グシュッ! ゴシャッ! グギョッ!
骨が砕かれ、肉の潰れる音とともに、ブルはゆっくりと変貌していく。
体毛が生え、耳が頭の上に移動し、犬歯が伸びる。
「ぶるるるるああぁぁ!!!」
咆哮を轟かせ、四つ足で床、次いで近くのテーブルの上を蹴り、器用にも天井に跳躍し、私に向けて弾丸のように一直線で急降下し、私の左頸部へとその鋭い犬歯を突き立ててくる。
私は《風操術》により、大気を操作しブルの全身の拘束を試みる。
「私が今お前に望むのは、そんな獣のごとき所業ではない」
私の左の首筋数センチ手前で空中に浮遊しているブルにつき大気を操作し、そのまま左の壁に吹き飛ばす。
ダンプカーにでも轢かれたような途轍もない速度でぶっ飛び、壁に叩きつけられたブルは、壁からズルリと滑り落ちるも、四つん這い状態のままで私への威嚇を再開する。
「哀れな傀儡よ。お前は今、人かそれともバケモノか?」
既に怪物化しているのだ。語り掛けてもきっと無駄だろう。私とて、ザップの最後のあの表情を見るまでは、外道の傀儡など問答無用で挽肉にする以外の選択肢は考慮にいれていなかった。
しかし、あのザップの最後の表情は、今もこうして攻め込んできた敵国の兵に頼んだものとはとても思えなかったのだ。まるで、私がブルを解放することを確信したかのように、安堵した表情で塵となっていった。
私は本当にどうかしている。どうしてもあのザップの期待を裏切りたくはない。そう思ってしまっていたのだから。
「私がラドル軍の将として、計画を立案し、お前の部下達、数千を殺した。今も副官のザップ君を殺してきたところだ。加えていうと、エーテとかいう将軍を屠ったのも私だ」
案の定、ブルの表情はピクリとも動かない。
「どうだ? 同僚が、ライバルが、部下が殺され悔しいか? それとも、悲憤の気持ちすら、その低俗なミイラ野郎に食い尽くされてしまったか?」
トッシュから聞くところによれば、冷酷なところはあったが、ブル将軍とやらは本来、勇猛で極めて優秀な軍人だったようだ。
ならば、将兵を無駄に失ったこの状況だけは、絶対許せないことのはず。
「……」
ピクッと頬肉が動くが、四つん這いのまま重心を低くし、私に向けて跳躍してくる。
「まだ足りぬか……」
【風操術】によりブルの四肢を捕縛し、天井へ放り投げる。
ブルは回転したまま背中から天井に激突し、屋敷を大きく震わせる。その建物を揺るがす地鳴りのごとき振動に、背後のルチアから小さな悲鳴が漏れた。
重力に従い地面に落下し、飛び跳ねると私から距離をとり、頭から血を流しながらも唸り声を上げる。
「そこのワンちゃんは既にワタクシの作品。今更、どんな刺激をしても返答などとてもとても、とてもとてもとてもとてもとても――でーきましぇーん」
青髪の男は、得意げにそう宣言してくる。
わかっているさ。あのザップの最後を目にするまで、この私もそう思っていたからな。
「お前のしたこと、全て改めて思い返してみろよ。
占領地の民を蔑ろにし、飢え死にさせようとした。その上、攫いその悪趣味なミイラの供物とする。これだけ見ても、お前は統治の責務を与えられたものとして最大の禁忌を冒している」
威嚇の声にぐもったような音が混じり出す。
「しかもだ。十分な調査もせず、出兵を命じ屍の山を築く。本来、密な連携が必要なはずのキャメロットのエーテ軍とは反目を理由に交流すらしなかった。お前は部下を犬死させたのだ」
「ぐがぐぉ……」
ブルは苦悶の声を上げ、己の犬と化した顔をガリガリと引っ掻き始める。
鋭利な爪が皮膚を突き破り、夥しいほどの鮮血が赤色の絨毯をさらに濃い赤色に染め上げる。
「……」
初めて顔から笑みを消し、ブルを凝視する青髪の男。
「お前は将として失格だ」
「ぶるるがぁっ!!」
大粒の涙を流して、絶叫するとブルは初めてよろめきながらも二本足で立ち上がる。
血圧が上昇したせいだろうか。顔は真っ赤に充血し、左目は血走り、右目に関してはグルグルと回っている。とてもじゃないが、立っていられるような状態には見えない。
なのにブルは一歩一歩進んでいく。
「んなアホな……」
青髪の男が、仰天したような声を短く口の中で発する。
「剣をとれ。そして思い出せ! お前はアムルゼス王国北方遠征軍将軍――ブル・ハウンドのはずだ! せめて、最後の将としてのケジメを己の手で取ってみせろ!」
「ぐぶぐぶぶ……」
まるで、壊れたラジオのノイズ音のごとき声がブル将軍の口から吐き出される。
同時に、機械のようにぎこちなく、右手が腰の長剣の柄へと向かい、握り、抜き放つ。
「ぶるるるあぁぁぁ!!」
奇声を発し、剣を掲げて私に歩き出す。一歩一歩進む度、鼻や耳から血が流れだす。皮膚に亀裂が生じ、それらは全身に渡る。血液が床を真っ赤に染め上げてのブルは、私に向けて足を止めやしなかった。
……
…………
………………
遂に、私の元まできたブルは皮膚がドロドロに溶け、満身創痍。
なのに――。
「我は、アムルゼス王国北方遠征軍将軍――ブル・ハウンド。貴殿の心遣いに感謝する!!」
ニィと口角を上げて、渾身の力で振り下ろしてくる。
私は右手の小剣の柄を握り直し、フラフラとゆっくり迫る剣を弾き、その首を跳ねる。
サラサラの砂となって、崩れ落ちるブルを見下ろし、テオもルチアも口を開かない。
ただ、憎悪の表情で青髪の男を睥睨するだけ。彼女達にもこのクソッタレな事件の概要の予測がついているのだろう。
「すんばらしいっ!! ワンちゃんが自我を取り戻すとはぁっ!!」
恍惚に顔を染め青髪の男は大げさに両手を広げて歓喜に震える。
わざとか、それとも素なのか知らぬが、こいつの一挙手一投足、全てができの悪い三文芝居を見せられているようで、どうにも気に障る。
「死ね」
吐き捨てると、【爆糸】を全力で青髪の男に放つ。
死を運ぶ数十にも及ぶ紅の糸が、四方八方から青髪の男に次々に衝突し、爆発を引き起こす。
「とんでもない威力ですねぇ。この空間内でなければぁ、燃やされていたかもしれませんねぇー」
軟体動物のように器用にもくねくねと全身を曲げて、青髪の男はへんてこなポーズをとる。
効かぬか。さっきからこの青髪の男の解析にノイズが混じりステータスは判然としないが、さきほどの『この空間内でなければ、燃やされていたかもしれない』との台詞。少なくともこの領域内では、奴はある種の絶対性を有するのだろうさ。
だとすると、この空間自体を破壊する必要があるな。
【氷の大竜ケートス】、【爆糸】、【風操術】の威力が魔力と正比例するといっても、所詮、上位魔法。破壊力では四つの伝説の魔法には遠く及ばない。
つまり、こいつに対する勝利条件は、どうやって伝説級の魔法を奴にぶつけるかだ。
「お前の所属は? あの片眼鏡の男の仲間か?」
別にこんな奴の所在などに興味はないが、時間潰しくらいにはなるだろう。
私は【風操術】により自身の周囲に空気の壁を作り、音を遮断した上で詠唱をひっそりと開始する。
「片眼鏡ぇ? まったく存じ上げませんねぇー」
一々腹が立つ話し方をする奴だ。だが、偽りを述べているようにも見えない。本当に知らぬようだな。少なくとも仲間ではないと理解すべきか。
「我が領主殿は、貴様は何者かを聞いている! さっさと答えよ!」
よし、その調子で気をそらすべく話を繋いでくれ。
「随分と威勢のよいモルモットですねぇ。ですが、まあいいでしょう」
青髪の男は、踵を揃えると右手を前に左手を背中に添え、仰々しく会釈をし、
「ワタシはぁー、【英雄楽土】の青髭。どうぞ、良しな~に」
口上を述べる。
「なぜ、こんなひどいことをするの!?」
ルチアが目尻に涙を貯めながらも声を荒げた。
「ひどいことですかぁ?」
青髭は、キョトンと小首を傾げる。どうやら本気でわかっちゃいないようだ。
「皆を、怪物にしたことよ!!」
「ああ、この地の原住民に対する鬼化のことですねぇー」
合点がいったと、左手の掌に右拳を置き、その顔を醜く歪めると、
「至高の鬼の器作成のためですかねぇ」
弾むように返答する。
「至高の……鬼の器?」
「はいな。それこそがこの私の至上にして、最大の渇望。そしてぇ、そのエッセンスこそがぁ――人の心なのですねぇ!」
両手を広げて青髭は天を仰ぎ、そう声高々に宣言する。
「人の心だと?」
尋ねるテオの声が僅かに震えていた。
「人の心とは前頭葉が処理するただの記号ではなく、魂の発露にして術に対する最高の起爆剤!」
青髭は顎に手を当て、得々と説明し、床を軽快なステップで飛び跳ねる。
「強力な鬼の魂の器たりえる強靭な肉体作成の最も大きな要素は――対象となる人間の精神の強さ! しかもぉ、その強い精神を有する人間を特定の感情を抱かせたまま鬼化することで、強力な鬼の魂に相応しい肉体強度を確保し得るのですぅ!!」
「「……」」
歩きまわりながらも、意味不明な妄想を垂れ流す青髭にテオの顔が憤怒に染まっていく。ルチアも目尻に涙を溜めて青髭を睨みつける。
そんなテオやルチアなど歯牙にもかけず、青髭は宣い続ける。
「先ほどのワンちゃんもこの劣等世界の人間としては、上質な魂を保有しておりました。
ワンちゃんに特定の感情を呼び起こすのは非常に苦労しましたよぉ」
ブル将軍にしたことも大方予想がつく。手あたり次第にアンデッド化する無節操なクソ外道の次は、他者を鬼化する頭のおかしいサイコ野郎か。とことんまで同郷の世界の顔に泥を塗ってくれる奴らだ。
「何をしたの!?」
激高するルチアに、青髭は醜悪に顔を歪めてカラカラと笑う。
「色々試しましたが、美味しい美味しい肉料理を振るまったら落ちてくれましたねぇ」
「肉料理……まさか」
どうやら二人にも思い当たったのか、急速に血の気が引いていた。
「ええ、そうです。あのワンちゃん、赤子のようにみっともなく泣いていましたよぉ」
顔を恍惚に染め、己の身体を抱きしめる変態野郎。
断言してやる。こいつはここできっちり殺さねばならんゴミだ。
「貴様には、人の心はないのか?」
テオの喉の奥から搾り出す怨嗟の声に、青髭はさもおかしそうに甲高い笑い声を上げる。
「もちろん、ありますよぉ。だからこそ、求めるんじゃないですかねぇ?」
「貴様は――」
テオがさらなる憤激の言葉を紡ぐのと
(――汝の使命を解き放たん)
私の詠唱の完了は同時だった。
よくやったぞ。テオ、ルチア。お前達のおかげで、この茶番を終わらせる目算がたった。
「【劫火】」
私の言霊に答えるように、前方に生じる尋常ではない数の立体魔法陣。
魔法陣を形成している魔法式が、まるで私の意思を表徴するかのように、剥がれると青髭を高速で取り囲む。
「んむ!? うえっ!?」
青髭は初めての強い焦燥を含有した疑問の声をあげるも、時既に遅し。魔法式により、青髭はすっぽりと包含されてしまった。
「テオ、ルチア、直ちにここから離脱するぞ!」
私は【至高の盾】を幾重にも発動しながら、ルチアを左腕で抱え、右手でテオの上着を掴むと、全力で床を蹴り、一階へ向けて疾駆する。
丁度一階へと降り立ったとき、天井が紅に染まる。その天から生じた紅蓮の津波が発動者の私すらも呑み込み灰塵にせんと迸った。
刹那、世界は真っ白に染め上げられる。
……
…………
………………
大穴の開いた天井から、差し込む月明り、どうやらこのふざけた世界は綺麗さっぱり消滅したらしい。
そして宙に浮遊する青髭が、親の仇に向けるかのような血走った瞳で私を見下ろしていた。
「随分、消費したようじゃないか? 今のお前からは大した力も感じないぞ」
既に青髭の両足と左腕は根元から焼き切れ、顔も半分は焼け焦げており、ゾンビの様になっている。しかも、外見だけではない。先刻までの言い表しようのない圧迫感は跡形もなく消失してしまっている。
予想通り、あの空間が奴の能力を底上げしていた原因だったのだろう。
「――」
青髭は私の言には答えず、悪鬼の形相で私を見下ろすのみ。
「どうだ? 余裕ぶっこいて己の醜い性癖をみっともなく宣った挙句、その下等な原住民にあっさりぼろ雑巾にされた気分は? ほーら、聞いてやるからさぁ、もう一度同じご高説を唱えてみろよぉ?」
調子に乗らせてから、奈落へ叩き落とす。やはり、外道の処理はこうでなくてはならん。実に愉快。
「領主殿、すごいドヤ顔ですぞ」
「うん、なんか生き生きしてるね」
背後からの心底呆れたかのような雑音を平然とスルーし、
「もうこの屋敷から外に出れるはずだ。全軍捕虜を連れ、シルケまで一時退却せよ」
指示を与え、私は今も空中に浮遊している間抜けを見上げる。
「大丈夫なの?」
「誰にものを言っている? 私の闘争の邪魔だ。早く行け」
ルチアが私の前に来ると、身をかがめ、軽く唇を押し付けてきた。
とっさのことで、唖然としている私とテオを尻目に、
「グレイ、絶対に無事に帰ってきてね」
その言葉を最後にルチアは建物の玄関を蹴破り、外へ駆けていく。
「ご無事で、領主殿」
肩を竦め、テオも一礼すると、ルチアの後を追って姿を消す。
「そろそろ終わりにしようか。お馬鹿さん」
「殺す……」
「あーん?」
左耳に右手を置く。
「ぐちゃぐちゃの挽肉にしてやりますねぇ! まずは、あのあの白髪娘の肉を貴様に、食わせましょうかっ!!」
恥辱で顔を茹蛸のように赤く、無数の青筋を漲らせている青髭は実に滑稽だ。
「あははっ、やってみろ」
私は片目を閉じ、円環領域を全力開放し、【鳥籠】の構築に全精神を集中していく。
相変わらず解析にはノイズが混じっており判然としないが、あのふざけた空間を破った今、こいつには先ほどの万能性はない。
それに、今回の【鳥籠】は特別製。十二分な効果は見込めるはずだ。
青髭は最後のあがきを開始し、私も茶番の幕引きを図る。
お読みいただきありがとうございます。




