第37話 不快なちゃぶ台返し
中央の屋敷は五階建てのレンガ造りの大豪邸だった。
等間隔で植えられた植木や、草花等、庭はよく手入れされており、建物も幾何学模様の装飾がなされており、かなり腕の良い職人によることが伺われた。
扉を開き建物の中に足を踏み入れる。
「っ!?」
肌に纏わり付く水中に潜ったかのような独特な不快感。
咄嗟に振り返り、
「お前達、気を付け――」
注意を促すが背後にあったはずの扉は消失していた。残されたのは、前を歩いていたテオと隣にいたルチア。
「領主殿、これは?」
テオが、面食らったように周囲をキョロキョロと見渡しながら疑問を口にする。
「どうやら、私が最も嫌悪するような状況になったようだな」
そう。これは私の最悪の予感が見事に的中してしまったことと同義だ。
「み、皆は!?」
ルチアが不安に堪えないという目つきで、背後から私に抱き着きながら問いかけてくる。
「この領域の外だろうさ。おそらく彼らは心配いらん。むしろ、囚われたのは私達の方だ」
眼球を動かし、部屋の中を見渡す。
屋敷の内部は広く、想定していた以上に薄暗い。いくつかのランプの光が、鏡のごときピカピカに磨かれた石床と、その上に敷かれた王国の紋章を象った真っ赤な絨毯を映し出している。ところどころにある柱の絢爛な装飾も、全てが薄気味の悪さを著しく助長させていた。
念のため、円環領域で解析してみる。
「やはりか」
この屋敷の外の一切の解析が不能となっている。
しかも――。
「くるぞ」
注意を喚起し、階段の前に佇む数体の存在に視線を固定した。
「ひっ!」
ルチアが小さく悲鳴を上げ、テオが無言で身構える。
筋骨隆々の真っ赤な肌に、背には蝙蝠の羽、頭部には長い二本の角。その顔は、鉄の仮面を装着しているので判然としないが、きっと中は伝承でよく出てくる鬼か悪魔という外見なのだろう。
「領主殿、あれは?」
「このふざけた領域を作り出した奴の悪趣味な創作物だろうさ」
その原料くらい十二分に予想がつくがな。おそらく、この地自体が巨大な工場ないし実験施設だったのだろう。
「領主殿、おさがりを!」
私とルチアを庇うかのように、テオが前面に出ようとする。
「ここからは、私が全て処理をする。テオ、お前は当面、ルチアの保護に専念しろ」
敵は平均Dの能力値がある。今のテオでは撃破は無理だろう。
それに、これまでは、アムルゼス王国とラドルとの戦争だった。だからこそ、私は可能な限り自ら手を下さず、裏方へと回ったのだ。
しかし、このバケモノ共は別。これは私の勘だが、あの者共はおそらくこの世界の理に反していよう。つまり、私の同郷者共が原因とみてよい。
十中八九、アークロイの砦の軍を操っていた黒幕が、私達の襲撃を受け、劣勢とみるやいなや、ちゃぶ台をひっくり返そうとしているのだ。ならば、テオ達に任せる理由などもはや消失している。
何より、あのバケモノ共が何からできているかを鑑みれば、テオに任せるのは聊か酷というものなのだ。
「しかし――」
口を開きかけるテオを右手で制し、私は仮面のバケモノ共の背後の階段の上に視線を上げる。
階段の定位置に設置されている薄暗いランプの光が、真っ赤な絨毯の敷かれた階段の上で、けったいなポージングをとっている鎧姿の奇人を照らしていた。
「で、お前は?」
「イヒッ! 私はブル将軍の副官――ザップちゃんでぇぇぇーすゥ!! なんちってぇ~」
恍惚の表情で天を仰ぎながらも、首だけこちらに向けると、ニタァと顔を醜悪に歪ませる。
額から伸びる二つの大きな角に、耳元まで伸びる大きな口とギザギザの尖った牙、ギョロッとした真っ赤に血走った二つの瞳など、どの角度から見ても、人間とは言い難い。
「ブル将軍の副官……」
テオは何度か噛みしめるように反芻していたが、
「ま、まさか!!」
電撃の直撃でも受けたかのように、仮面の怪物達をマジマジと眺め見る。そして、その顔を悪鬼のごとき形相に変える。
どうやら気付いたな。とても常識でありえない現象のはずなのに察しのいい奴だ。
「兄様?」
恐る恐る疑問の言葉を口にするルチアに、テオは出口を持たぬ怒りを全身に閉じ込めたかのように、その全身を小刻みに揺らすのみで返答しない。
「領主殿、ここは俺がやる! いや、俺がやらねばならん!!」
「……お前の気持ちは理解できる。だが、今のお前では力不足だ。ルチアを守れ」
無常な言葉をテオに叩きつけ、私は一歩前にでる。
「ヒヒッ、美味そうな肉ですねぇ。特に君とその白髪の女は柔らかそうで美食家の私の琴線が著しく刺激されますぅ!!」
両手を大きく広げ、やはり不自然で奇抜なポージングをすると、ヒステリックな声を張り上げて、
「これも、なんちってぇ~?」
不自然に顔だけ私の方を向けてくる。
狙ってやっているなら悪趣味だし、素ならただのサイコ野郎。まあ、あんまり差はないかもだけど。
どの道、そろそろ、私も我慢するのに飽きてきたところだ。この哀れな人形には、私のこの激情を受け止めてもらうとしよう。
「不快なゴミめ」
抑えがたい憤怒の言葉を契機に、【爆糸】を発動する。
真っ赤な光の線が横凪に振るわれ、一斉に起爆する。
瞬きをする間もなく仮面のバケモノ共十数匹は粉々の破片にまで分解し、床にハラハラと落ちていく。
「あの数を……一瞬で?」
呆けたような表情で言葉を絞り出すテオ。
「あんれぇ?」
ポカーンとした顔で頓狂な声を上げるザップの頭部、両腕両足を根元から、【爆糸】により切断、起爆し、破砕する。
「クズがっ!」
唾を石床に吐くと、腰から小剣を抜き、ザップの元までゆっくり階段を上っていく。
私が一歩一歩、階段を踏みしめるたびに、まるでビデオの巻き戻しのごとく回復していくザップ。
――両腕の骨が、血液が、筋肉が、皮膚が修復する。
――両足の骨が、血液が、筋肉が、皮膚が修復する。
――そして、脳を始めとする頭部と筋肉と血液が修復していく。
「そうだな、この感情を認めよう」
今や五体満足になりつつあるザップの傍まで辿り着くと、その口腔内に小剣を突き刺した。
「ぐぎぃ!!」
「此度は、この世界での初めての近代的戦争になる予定だったのだ。そのために無数の血が流れた。万にも及ぶ人の数だぞ? 家族も入れれば、それ以上の不幸を世界にばら撒いたのだ。その人類の血の成果を、こんな意味不明な茶番で台無しにしやがって」
小剣を捻じり上げる。生理的嫌悪のする音が部屋中に木霊していく。
「ぐかっ!」
「聞いているか? 聞いてるよなぁ? ええ!? 私はな、心の底から憤っているのだ!」
踏みつぶされた雨蛙のように、ピクピク痙攣するザップに突き立てた剣に中位魔法【雷撃】を発動し雷を纏わせる。
「ぶべべべべべべっ!」
バチバチと雷が走り抜け、肉の焼ける不快な匂いが嗅覚を刺激する。
「ぎょぇぇぇべぐぎ!!」
悲鳴を上げつつも、ザップはその右手の鋭い爪で私の心臓を一突きにしようとするが、無数の紅の糸により、あっさり阻まれる。
私は、ザップの全身を【爆糸】の紅の糸により雁字搦めに拘束し、空中へ持ち上げる。
「いいか、耳をかっぽじってよく聞け。今からそちらに行く。泣き叫ぼうが、許しを懇願しようが無駄だ。お前にはとびっきりの絶望のみをくれてやる」
その宣言を最後に【爆糸】により、ザップの体躯 を粉々に爆砕する。
「感……ブル……将……も」
はっとして振り返るが、上半身の一部だけとなったザップがサラサラの塵となって風化していくのが視界に入る。
(くそっ! 胸糞が悪いっ!!)
そのザップの最後のあまりにやすらかな顔は、どう仕様もない苛立ちを私に与えていた。
「領主殿、あの仮面の者達は俺達の同胞なのか?」
テオの言葉に、息をのむルチア。これはイレギュラー。言い換えれば、私の同郷がしでかした不祥事に近い。どこまで話すべきか。
「なぜそう思う?」
「あの仮面の者達の右腕にあったタトゥー、あれはラドル兵の証」
テオは右腕をまくり、炎の揺らめきのような印の入れ墨を私に示す。もう、誤魔化す意義などないな。
「そうだ。あの仮面の者達とザップとかいう王国軍の将兵もこの領域を作った奴に改造でもされたんだろう」
「そんなの人間にできるはずがないっ! グレイ殿も兄様もどうかしてるよ!」
ルチアが即座に私の言を否定する。
もっとも、目の中に色濃くうつろう絶望の色は、ルチア自身がそれを真実であると認めていることを容易に想起させていた。
「できるんだよ」
「どうしてそう言い切れるの!?」
「最近の帝国のアンデッド襲撃が、人為的なものだったからだ。奴らの同類ならそんな非現実的な所業も可能だろうさ」
「……」
ルチアの顔から急速に血の気が引いていき、よろめくと遂に己の身体を支えきれなくなり、両膝を床に突く。そして、静かにその小さな身体を震わせていた。
「私も戦う!」
泣き明かした後、右の袖で涙を拭うとルチアは立ち上がり、そんな無理に決まっている事実を宣言する。
「ここからは私の領分だ。お前達はただ見届ければいいさ」
「いやだっ!!」
「いやだと言われてもな。お前達二人では彼らを解放するのは不可能だぞ」
「解放……元に戻すことは不可能。そういうことか?」
テオが苦渋に塗れた表情で、既にわかりきったことを尋ねてくる。
「元に戻すも何も、彼らは既に死んでいる」
円環領域は、彼らの解析結果を、『異能により他者の魂と肉体を鬼に変化し、天然の鬼を憑依させて作られた鬼人』と表記していた。仮にも魂までも鬼に変化するのだ。まず本人は生きてはいまい。
それに、こんな解析結果などなくても、人は、いや、生者はあんな塵に帰るような滅び方はしない。あれは単に死人が土に返った。それだけなのだから。
「ならば、同胞達を眠らせてやるのは俺の使命。こればかりは、仮令領主殿といえども譲ることはできぬ」
「そうだよ。私もやる!」
面倒なことだ。テオはともかく、ルチアは真の意味で己の発言の意味を理解してはいまい。今は気持ちがハイになっているからこそとれる発言だ。
「甘えるな! 今のお前達二人には、仲間を弔ってやる力すらない。それを自覚しろ!!」
残酷極まりない言葉を最後に、私は二人に背を向け、
「だから、今はその眼でしっかりとこの顛末を見届けるのだ。それが彼らに対する唯一の救いとなる」
二階の階段を上り始めた。
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