第36話 まさかの邂逅 ダイマー・マグワイアー
「せめてグーちゃんが大きくなるまで、一緒にいさせてよぉ」
アンナ・マグワイアーは、悲壮感溢れる声で、父に縋りつく。
「できるはずがないだろう」
困り果てたように、父であるダイマー・マグワイアーは首を左右に振った。
ダイマーとて、グレイは待ちに待った男子の孫。可愛くないといったら嘘になる。そんな目に入れても痛くない孫をミラード家に預けなければならなかったのには訳がある。
当時、マグワイアー家は家督を巡って二つに割れていたのだ。
一つは、現当主たるバルト・マグワイアーを推す勢力。
バルト夫婦には、二人の子供がいるが、いずれも女子であり、次期当主は男子でならねばならぬという基準を満たさない。妾でもとればいいのだが、バルトは帝国では珍しい極度の愛妻家であり、妾を断固として拒否。結果、外から貴族の家督承継にあぶれた者を迎え入れることになるはずだった。そう。娘のアンナがグレイを出産するまでは。
元より、他の貴族に支配されるのを嫌うのは、どの領地でも同じだ。当然のごとく、グレイを推す声が出る。
ここで、グレイに魔法の才能があれば、ことは上手く収まったのかもしれない。だが、彼には魔法の才能がなかった。
この帝国では、魔法の才能がないものは、原則家督は継げない。無論、これは国が定めた法や規則ではなく慣習の域を超えないもの。だが、この慣習存外侮れぬ。特に地方の豪族達にとってはだ。
家督争いで、子供達が争うところだけは、見たくはない。だから、グレイをミラード家に預けた。
「グレイのことは忘れ、見合いでもしなさい」
案の定、泣き崩れる最愛の娘。グレイがミラード家に預けられてから毎日の事であるが、特に最近ひどくなった。その最も大きな理由は、ミラード家の奥方――ウァレリア・ミラードの黒い噂。なんでも、ウァレリアは、ミラード家現当主――ライス・ミラードを傀儡にし、圧政を敷いているらしい。ミラード領の主領地であるミラージュで、情報を収集した結果、現在、グレイは使用人とともに混じって食事をしている。そんな噂まで耳にする始末だ。グレイが今、どんな扱いを受けているかなど自明の理だろう。
ライス・ミラード、決して悪人ではないが、善人でもない。自身の妻も御せぬとは、なんとも情けない男だ。
ともあれ、可愛い孫をあの汚物のような家に預けてはおけない。何より、アンナは最近寝込むことが多くなった。本当なら、直ぐにでも彼女の願いを叶えてやりたいのが正直なところだが、そうは上手くいかない。
実のところ、ダイマーとて、グレイを引き取ろうと、幾度となくライス・ミラードに掛け合った。怒鳴りつけてやった時もあったし、巨額の対価を支払う旨の提案さえしたが、ライスは首を縦に振らなかった。
帝国法では、既にグレイはミラード家。今更、ダイマーが何を言おうと、その事実だけは覆ることはない。
チャンスは、一三歳となり、グレイがミラード家を出たときだが、あのライスの頑なな姿からも願いが叶うことは難しいだろう。
そして転機は訪れる。
北部から突如出現したアンデッドの群れ。たちまち、十数か所の都市と森を飲み込み、数百倍に膨れ上がり、現在南下してきている。この祖国滅亡の危機に、マグワイアー家にも出兵のお達しが来た。
ダイマーは既に、現役を退いた身だ。しかし、今、ようやく、バルトも領主の役目に慣れてきて、補佐する事項も大分減ってきたのだ。ここで、戦死でもしてみろ。マグワイアー家には、次期当主がいない以上、中央の門閥貴族に乗っ取られる危険性さえある。それだけは避けたい。故に、ダイマーが出兵する以外に選択肢などなかった。
サザーランドに到着し、待機していたとき、白昼から幽鬼にでも出くわしたかのような顔で、家臣の数人が首を傾げているのに気づく。
「どうしたのだ?」
「見間違いだとは思いますが、先ほど、聖女様にお目にかかったのです」
「そうか、聖女殿下がのぅ……この度の戦は、まさに祖国の危機。大方、士気高揚のため、一時的に陛下がお呼びになったのだろう」
聖女――リリノア・ローズ・アーカイブ皇女殿下、中位の聖属性の魔法と回復魔法を使用できる帝国でも数少ない御方。
確かに、皇族のリリノア殿下に対する溺愛っぷりは有名であり、こんな危険な戦場に連れてくるのは奇妙極まりない。
しかし、この度は祖国の滅亡の危機。門閥貴族から地方豪族まで聖女殿下は絶大な人気がある。士気高揚の観点から陛下がお連れになったのかもしれない。それに、一時的とはいえ、聖女殿下が危険な戦場に赴けば、皇族がこの度の戦に身を切っているパフォーマンスにもなるし、妥当といえば妥当な選択か。
「それが……聖女様の隣にいたのが、グレイ様だったんです」
「はあ!?」
あまりに唐突な孫の名前に、頓狂な声が口から吐き出される。
「いえ、多分見間違いです。あれから数年もたっていますし、何より、グレイ様がここにいるはずがありませんから」
「当たり前じゃ」
グレイはミラード家にいる。こんな時期に戦場になる場所にいるはずがない。
そう思っていた。しかし、事態はダイマーの予想斜め上を爆走する。
遠征軍のテントには、既に諸侯が集まっていた。皆、あのアンデッドを操っている黒幕の存在についての噂の真偽について話し合っているようだった。
(アンデッドを操る者の存在か。おいそれと信じたくはない話ではあるな)
仮に、アンデッドが一つの意思で操られているなら、その脅威度は一気に膨れ上がる。
それに、あの勇猛で名高いランペルツ将軍がたかがアンデッドとの闘いで、戦死されたのもおかしな話なのだ。
まさに、自身の尻に火が付いた状態だ。それは、その真偽が気になりもするだろう。
「ダイマー卿、お久しぶりですね」
「こ、これはマクバーン辺境伯、ご無沙汰しております」
唐突なマグワイアー家の寄り親の登場に、意に反し声が上擦る。
「ダイマー卿はこの度の遠征、どう思われますかな」
「どうと申されますと?」
「もちろん、巷で噂の件ですよ」
「アンデッドを指揮するものがいるなど、悪い冗談だと思いたいですな」
「同感です。……ですが、仮にもしもそれが真実なら、不運なのはこの事件を仕組んだ輩なのかもしれませんよ」
さもおかしそうにマクバーン辺境伯はカラカラと笑うと、ハルトヴィヒ伯爵と大賢者ジークフリード・グランブルがテントの中に入ってきた。
「何じゃ、あの悪魔はまだ来ておらんのか」
ジーク殿は、席に着くと怫然とした表情で、忙しなく人差し指でテーブルを叩く。
「そのようですな。卿は今、聖女殿下と良いご関係のようですからな。無理もありますまい」
悪魔? 良い関係? 婚約者か何かだろうか。しかし、聖女殿下は、まだ一四歳のはず。浮いた話をするには少々早いと思うのだが。
「娘という婚約者がいるのに、困ったお人だ」
「お主、あの悪魔に自分の娘を娶らせる気か?」
信じられない者でもみるかのように、頬を引き攣らせつつも尋ねるジーク殿。
「ええ、彼は全てにおいて卓越していますから。彼なら、愛娘とマクバーン家を安心して任せられます」
「お主も存外狂っとるの」
薄気味の悪い笑みを浮かべながらも、肩を竦めるマクバーン辺境伯に、腕を組むと瞼を固く瞑るジーク殿。
「そろそろ、来たようだぞ」
ハルトヴィヒ伯爵の言葉にテントの入り口に視線を向けると、
「グレイっ! お前、グレイか!?」
そこには、可愛い孫の姿があったのだ。
到底信じがたいことだが、グレイは、ライス・ミラードの名代としてこの戦場に出兵したらしい。どこの世界に、己の一二歳の子供を将にして出兵させる卑怯者がいる? ライスめ、落ちるところまで落ちたか……。
同情の視線が集中する中、グレイは静かにこの度のアンデッド掃討作戦の概要の説明を開始する。
グレイの説明は、落とし穴にアンデッド共を誘導して落とす。まさに子供が考えそうな稚拙で単純なもの。
案の定、諸侯から猛烈な非難が湧き上がるが、まるで周囲でブンブン飛び回る蠅をあしらうがごとく、難なく払い除けてしまう。
その思考遊びを楽しむようなグレイの姿に、次第に皆も強制的に引き込まれていく。
そのせいか、本事件において達成すべきいくつかの条件が見えてきた。
一、現在帝国は弱体化しており、これ以上、損害を出すわけにはいかないこと。
二、虎視眈々と帝国を狙っているアムルゼス王国やエスターズ聖教国に、帝国の底力を見せつける必要があること。
三、この事件の首謀者を見つけ出し、排除すること。
この三つを同時に満たさねば、帝国は滅びる。何とも分の悪い戦いだ。
だが、改めて考えれば、これらの条件は十分すぎるほど理にかなっていた。
既に帝国の国力は著しく減退している。仮にこの戦いに勝利しても、大規模な復興が待っている。仮にこの戦で諸侯の三分の一以上が犠牲になれば、復興どころではない。他国からの脅威に備えるのさえも不可能に近くなる。
とすればどうなる? 他の小国はさておき、隣国の大国であるアムルゼス王国とエスターズ聖教国が、弱り切った帝国をそのままにしておくものか! きっと大軍を率いて攻めてくる。それに対抗するだけの力は、アンデッド共で傷ついた帝国にはない。
さらに、この度、奇跡が起きて、大した犠牲もなく両国の封じ込めに成功したとしても、この事件の首謀者が生きていれば、同様の危機は繰り返される。
この三つを同時に解決。それしか我が祖国は、生き延びる術がない。
「それは、いる、そう言っているに等しいではないか!!」
悲鳴のような諸侯の声。無理もない。グレイは、祖国を滅ぼそうとする悪魔のような存在がよりにもよって我ら帝国軍の中にいると言い放ったのだから。そして、それはこの遠征軍の中にもその賊がいる可能性を示唆するもの。なのに、なぜ、グレイは、こうもあっさり、この場で作戦を口にしたのだろう。
「ええ、だからこそ、私は本作戦の概要は皇帝陛下にしか話していません。ここで話したのも、ほんの一部に過ぎない。情報をお伝えするのを限ったのは、公平性確保の観点からの陛下の意思です」
「そうか陛下は我らを信じたいのだな」
賢者ジークの言葉に、陛下の意思は漠然とだが予想がついた。
もし、情報を伝える人物を限れば、それは優遇と冷遇を生み、お互いへの疑心を皆に植え付ける。これはリスクの反面、一定の利益も享受しえる。
即ち、その疑心はお互いの牽制となり、賊の動きも封じ込めることができるということ。さらに、その黒幕の存在が明るみに出れば、この疑心は解除されるから、このリスク自体、永久に続くものではない。
それでも、陛下は例え一時といえ、家臣が疑い合うことを良しとしなかったのだろう。
「まったく甘い人ですよ。ですがねぇ、生憎、私は陛下ほど優しくはない。
数万の命を犠牲にした薄汚い鼠が、この場にいるならそれもよし。あの御前会議の中にいるならそれもまた一興。精々滑稽なピエロとして踊ってもらいましょう」
グレイは一度言葉を切ると、
「その罪科は、きっちり利子をつけて支払わせてやる」
その様相を一変させる。
悪鬼のごとく歪んだ薄ら笑いに、真っ赤に染め上がった紅の瞳、何より――腹をすかせた猛獣と同じ檻に閉じ込められたごとき尋常ではない圧迫感。その圧倒的でかつ、破壊的なイメージに、氷を裸足で踏んだような寒さが、背骨を突き抜ける。
「……」
誰も何も口にしない。いや、できない。瞬き一つせずに、ひたすら眼前にいる尋常ではない怪物を凝視している他なかった。
グレイが口元に触れつつも、普段の無害な様相に回帰し、ようやく諸侯達も、大きくも深い息を付く。
ジーク様や、マクバーン辺境伯がグレイの作戦に賛同の意を示すが、そんなもの誰もまともに耳を傾けていやしまい。信用性云々ではない、皆、魂からあの怪物の言が真実だと理解していたのだ。
グレイがお供の者を引き連れテントを去り、ジーク様、マクバーン辺境伯、ハルトヴィヒ伯爵が次いで退出し、ようやくこのイカレ切った会議は終了を迎える。
隣の諸侯の一人が、テーブルに置かれた水を勢いよく飲み干す。
「ダイマー卿、あの方は、本当に貴方の……御孫さんなのですかな?」
「はあ……」
どうにか、そう頷く。
可愛い孫の姿を見誤ったりはしない。あれがグレイなのは間違いない。
しかし、あの小さき身に宿る狂気性は純真無垢だった我が孫の面影すらない。あれではまるで別人に等しい。この相反する矛盾した説明不能な感覚に、ダイマー自身も混乱の極致だったのだ。
「彼はミラード家の名代。ミラード領では、既に彼が家督を継ぐと決定しているということか?」
一人の領主が口元に手を当てつつも、そう独り言ちる。
「何を馬鹿な! 貴公も見たでしょう! あのような辺境の貧乏領主で彼が収まる器だと本気で考えておられるのか!?」
「それには同意します。第一、一地方豪族が陛下に上申奉り、しかも、この度の戦争の情報を共有するなど前代未聞です。陛下御自身が彼に絶大な信頼を置いているのは明らかでしょう」
マクバーン辺境伯は陛下の遠い親戚筋、ハルトヴィヒ伯爵は、元は門閥貴族出身。純粋な意味での地方豪族ではない。御二人以外で、陛下とこの度の戦争の情報を共有するなど確かにあり得ぬことだろう。
「この帝国も重要な転換期に来ている。そういうことでしょうかねぇ」
良くも悪くもこの帝国が変わる。それはほぼ確定事項だろう。
それが、滅びなのか、栄光なのかはわからない。唯一つ言えることは――。
「我ら地方豪族の中から生まれた英雄……」
誰かがボソリと呟く。それは、波のようにテント中に広がっていく。
勇者――ユキヒロの後見人は、門閥貴族の首魁――キュロス公。ユキヒロの力は、魔法師の大隊すらも軽く屠れるもの。現に、マクバーン辺境伯に次ぐ権勢を持つと謳われていた地方豪族――ザルツブルク辺境伯は、キュロス公との間の鉱山をめぐる争いで紛争となり、ユキヒロ率いる軍により滅ぼされてしまった。
このザルツブルク辺境伯追討の事実をもって、キュロス公は事実上この帝国で随一の権勢を有するに至る。これは、門閥貴族の勢力が増大することと同義。かのマクバーン辺境伯やハルトヴィヒ伯爵さえも、経済的にも、武力的にも後塵を拝していたことは否定しきれない。
そんな中での突如として帝国に出現した怪物級の存在。門閥貴族の圧政からの離脱を願う諸侯からすれば、それは最大にして最高の旗印にもなろう。
「止めていただきたい。グレイはまだ一二歳。若輩者にすぎませぬ」
それでも――たとえ別人のように変わってしまっていたとしても、グレイはダイマーの大切な孫なのだ。
あれから何度もグレイと別れた日の夢を見る。屋敷を出るときのあの子の不安に彩られた泣きそうな顔。それでも、あの子は私達のくだらない柵を守るために、自ら進んでミラード家に旅立っていった。
そうだ。これは神が卑怯で愚かなダイマーに強いた最後の使命なのかもしれない。
――今度こそ、守ってみせる。この命に代えても!
ダイマーは、奥歯を割れんばかりに、噛み締め、そう誓ったのだ。
お読みいただきありがとうございます。