第30話 聖女邂逅
ジークと午後九時にサザーランドの南城門広場ミラード家テントで落ち合うことを約束したあと、アクイド達を促し、帰路に就こうとするが、
「グレイ、そなたは少し待て」
戦場を改造するのに、いくつか物資を仕入れねばならんし、我らには時間がない。可能な限りはやく行動に移したいのだ。
「陛下、私も多忙ながら――」
「ついてこい」
有無を言わせず、歩き出す皇帝に、大きな溜息を吐くと、アクイド達に仕入れる物資のリストを渡し、サテラ達とともに調達するよう指示する。
アクイド達は、最後まで私を一人にするのに難色を示したが、私を害せるようなレベルの者が襲来したのなら、アクイド達が何人いようと意味もない。押し切って先に帰らせた。
北地区の隅にある、他の建物とは一線を画した大きな屋敷に案内され、お茶と菓子を振舞われる。
私の正面には、皇帝ゲオルグと銀髪の美しい少女が座しており、背後には、ずらりと、従者と思しきメイドや執事が並んでいた。
「余の娘――リリノア・ローズ・アーカイブだ。どうだ、こやつの母に似て美しいだろ?」
「そのようですね」
眼球だけを、銀髪の少女に向ける。華奢 な細い体躯に、雪のような真っ白な肌、艶やかな長い銀髪の前髪は綺麗に切りそろえられ、後ろでお団子にしている。誰がどう見ても美女であり、あと四、五年もすれば、求婚者が殺到しそうな容姿をしている
「私をここに呼んだ理由をお聞かせください」
「お前も、せっかちな奴だな。そのせかせかした生き方、疲れねぇか?」
言葉使いが最初にあったようなフランクなものに変わっている。これがこの人の素というわけだ。
「今がどういう時なのかは、陛下が一番よくご存じのはずですが?」
「うん。そうだな。お前の言う通りだ。ところで、お前、一度、俺の誘い、断っただろう?」
まったく、話題を唐突に変えてきやがる。この会話が脈絡もなしにコロコロ飛ぶのは本当に勘弁して欲しいものだ。
「仰っている意味が分かりません。もっと具体的なご発言をお願いいたします」
「ライナに手紙を書かせたんだがな」
「ああ、そんなこともありましたね」
そういやライナから会って欲しい人がいるとの手紙をもらったことがあったな。私に利があるとは思えなかったから、丁重に断ったが、この皇帝だったわけだ。心底どうでもいい内容だな。
「そこでだ、不敬罪に処されたくなくば、事が落ち着くまで、娘の護衛を頼む」
「「はあ!? 」」
私と銀髪の少女――リリノアの素っ頓狂な声が見事に重なった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私はまだ子供ですよ!」
中身はともかく、今の私の外観は一二歳の子供だ。どこの世界に、自分の可愛い娘の護衛を子供に任せる阿呆がいる? それに、それほど大切な娘をもうじきアンデッドの軍勢の襲撃に会うであろう場所に連れてくるのだ。面倒な理由があるに決まっている。
「しらばっくれるなよ。マクバーンから、お前の力は聞いている。なんでも、賊十数人を半殺しの目に遭わせたそうじゃないか?」
あの昼行燈、あれだけ、他言無用だと念を押したのに、よりにもよってこの変態皇帝に話したのか。
約半年前、マクバーン辺境伯の商談のため伯の領地へ向かう道中、盗賊に襲われている馬車に遭遇したので助けた。通常なら話はここで終わりだが、最悪なことに、その馬車の主が辺境伯の身内だったわけだ。
「父上、私は、もう子供ではありません。外出など、一人で大丈夫と言ったはずですわ!」
両手の掌でテーブルを叩くリリノアに、皇帝は深いため息を吐くと、
「パパも、リリー一人での外出は許可しないと言ったはずだよ」
そう断言する。それにしても皇帝がパパって、違和感ありまくりだろ。
「そんな横暴なっ!!」
「横暴でもいいさ。リリーをもし一人で外出させてみなさい。ママを始め、一族郎党にブチ殺されるわ!」
泣きそうな顔で、立ち上がり、そう絶叫する皇帝に、背後の老執事が首を大きく振る。なんか、この爺さん、窶れ具合といい、この変人親子のせいで、相当、苦労してそうだな。
「そんなの知ったことではありませんわ! 私は一人で街へ出ます。いかなる者の同行も拒否いたします」
「そうか、リリーは、本気なんだね?」
「ええ!」
皇帝は、にぃと悪質な笑みを顔に一面に浮かべる。
「なら、勇者――ユキヒロに護衛を頼むしかないかな」
「なっ!?」
信じられない者を見るかのように、リリノアは頬をヒクヒクさせながら、父であるゲオルグ皇帝の顔を凝視する。
「彼なら二つ返事でOKしてもらえるだろうし。それとも、キュロス公の長男にしようか?二人ともこのサザーランドに来ているし、パパはどちらでも構わないよ」
リリノアは、悪事を企む御代官様のような皇帝を、悔しそうに奥歯をギリギリと噛み締めながらも、睨みつけていたが、
「この子でいいですわ」
そんな迷惑な発言をする。
「待った。私の意思は――」
「ぼさっとしてないで、行きますわよ」
リリノアは怒りを顔一面に張り付かせながら、私の袖を掴むと、部屋を出ていく。
リリノアは、屋敷を出ると、グルリと振り返り私と向き合い、
「リリノア・ローズ・アーカイブですわ」
私に右手を差し出してくる。
「グレイ・ミラードだ。よろしく」
私も内心で、面倒ごとを押し付けてきた皇帝を罵倒しながらも、渋々、握り返した。
「グレイ、次はあそこですわっ!」
ブスッとふくれっ面をしていたのは、最初だけ。直ぐに、水を得た魚のように、はしゃぎまくる。
今は子守などしている場合ではない。ただでさえ、夜は徹夜での作業になりそうだし、今のうち十分な睡眠はとっておきたかったのだが。
「リリノア、今日は次の店で最後にしよう」
「リリーでいいっていいましたわ」
両手を腰にあてて、ぷくーと頬を膨らませる。
「はいはい、リリー、これでいいかい?」
「いいですわ」
真っ白な顔をトマトのように真っ赤にさせつつも、リリノアはそっぽを向いて頷く。
リリノアのこの屈託のない笑顔から察するに、もしかして、皇帝から今のこの国の現状につき碌に聞かされてすらないのかもしれない。言葉は選ぶべきだな。
「私は今忙しいし、本日は次の店で、最後にしよう。その代わり、仕事が片付き次第、何時間でも付き合ってやるよ」
「ホントですの!?」
「ああ、誓おう」
人差し指を向けると、リリノアも人差し指を向けてくる。相互の指を絡ませて、何度か振る。
この帝国における子供間の約束の手段の一つだ。日本でいう指切りげんまんのようなもの。
「この商品はルロイ氏が設計を手掛けたルロイモデルの一つです」
やたら愛想のいい店員に勧められ、リリノアは、女性用の時計を装着する。
「随分と軽いですわね」
「新モデルは、軽量化を図っておりますので。さらに、それは、自動巻き式でして、腕に装着するだけで、ゼンマイを巻き上げてくれる種類の時計です。値段は、六〇〇万Gですが、見合った価値は十分にあります」
軽量化済の自動巻式の時計か。最新式だな。これで、六〇〇万Gなら今の情勢を鑑みれば、かなり安い方だ。流石は、ライナの商会の本店ってところだろうか。
「もう少し安い時計はありませんの?」
「ならば、ルロイ氏の直弟子であるパーズ氏が設計したモデルはどうでしょう? これなら、一〇八万Gですし、お手頃な値段となっております」
「一〇万G以内で購入できる時計は、ありますの?」
各国の公共機関にはほぼいきわたったが、悔しいが、一〇万Gで購入できるほどまだ時計は一般に広まってはいない。
「少々、お待ちください」
案の定、店員は暫し、当惑の表情をしていたが、弾かれたように、絵柄の入った冊子を捲り始める。
「ならばこれなんていかがでしょう?」
女の店員は爽やかな笑顔で、見開きのページを私達に示してくる。
この形状、見覚えがある。私が最初に設計した機械式腕時計だ。
「これは最初にできた時計のモデルでして、時計記念四周年記念フェアの対象商品です。先着五〇〇名様のみに、九八〇〇〇Gで限定販売する予定の企画となります。本来、整理券を配るのは明日からですが、お嬢様にも事情がおありの御様子。もし、ご購入していただけるなら、特別にこの度、整理券を配らせていただきます」
「そ、それは、どのくらいで手元に届きますの!?」
身を乗り出すリリノアの鬼気迫る様子からも、単なる物欲以外の事情がありそうだ。
「完全予約制で発注後に製造が開始されますので、四か月内にはどうにか」
「四か月……」
リリノアは、気落ちしたように両肩を落とすと、
「ごめんなさい。それでは意味がありませんわ」
そう呟き、ペコリと頭を下げた。
店員に妙な励ましの言葉をかけられながらも、私達は店を出た。
「その時計、直ぐに、手に入れなければならない理由でもあるのか?」
「再来月、お姉様の結婚式ですの。時計は、お姉様が以前から欲しいと仰っていましたし」
「わからんな、皇族ならその手の献上品は引く手数多だろう?」
自己の商会の商品を皇族が使用していれば、それだけでブランドになる。むしろ、無償でいいから使用して欲しいと懇願してくるはずだ。
「皇族は、正当な商取引以外、いかなる特別扱いも贈与も受けない。それがお父様の基本方針です」
特定の商売人と国のTOPが繋がれば、それは著しい不公平を量産する結果となる。同時にその不公平は、商売人達の企業努力を、政治的なものに限定しかねず、国の技術は、明らかに衰退していく。
とまぁ、これは自明の理なわけだが、人間は欲望深き動物だ。実際に実行できるかはまた別の話といえる。あの変人皇帝、中々どうしてやり手ではあるらしい。
「あの一〇万Gも小遣いってやつか?」
「お姉様の婚約が決まった一年前から、ずっとためてましたの」
こればかりは、私も皇帝の方針に賛同だ。まだ世の中の厳しさを知らぬ子供に必要以上の金銭を渡せば、まず浪費癖がつく。帝国でも有数の貧乏貴族のミラード家でも、義母共の贅沢により、幾人もの領民が犠牲となっているのだ。皇族レベルでそれをやられては、国家という組織は間違いなく崩壊する。
「リリー、私についての一切を秘密にできるか?」
あまり、家庭の事情に踏み込むのはよろしくない。それは重々承知している。
だが同時に子供が自身で、何かを成そうとしているときに、背中を押してやるのも大人の務め。私はそう思っている。
「グレイの秘密?」
キョトンとした顔で小首を傾げるリリノアに、右手を差し伸べる。
「そうだ。姉に時計を贈りたいのだろう? ならば、秘密を守る限り、私がその機会をくれてやる」
もっとも、与えるのはあくまで機会に過ぎない。無事に成し遂げられるかはリリノアの努力次第だ。
少しの間、私の顔をマジマジと凝視していたが、眉の辺りに決意の色を浮かべ、
「誓いますわ!」
そう叫び、私の手を取った。
◇◆◇◆◇◆
裏路地にリリノアを連れて行き、周囲に人がいないのを確認し、ストラヘイムのサガミ商会、第一研究所の休憩室に転移する。
「え? え? ここは?」
混乱の極致であるリリノアの疑問をガン無視し、部屋の隅の大きなテーブルで、サガミ商会新商品――紅茶を飲んでいる小柄な髭面の男まで歩いていく。
「グレイ、お主がこんな真昼間から、しかも、そんなちんちくりんを連れてくるとは珍しいのぉ」
「私も暇ではありませんし、用がなければ来ませんよ」
興味深そうに、そんなしょうもない感想を口にするルロイの傍まで行くと、その正面に座る。リリノアも、躊躇いがちにも私にならい、その横に座った。
「さて、どんな用かの?」
長い顎鬚を摩りながら、興味深そうに、リリノアの観察を開始しつつも、疑問を口にしてくる。
「この娘に時計の作成を教授してもらいたい。期限は一か月。失敗した分を含め、材料は私の方で出します。教授の報酬はその娘の持つ一〇万Gでどうです?」
一斉にざわつく室内。今のルロイの多忙さと、現在得ている報酬の大きさを鑑みれば、あまりにも馬鹿げた条件だし、当然だろう。
ルロイは、顎に手を当て考え込んでいたが、
「雇い主の命だ。従おう」
片側の口角を上げるとそう返答する。
「そうですか、感謝します」
よかった。この御仁だけは、対価では決して動かせない。ルロイにとって、リリノアに対する教授に、自己の現在の報酬と同等以上の価値を見出したのだろう。
「お前さん、名前は?」
「リリーですわ。よろしくお願いいたします」
ペコリと頭を下げるリリーに、ルロイは鋭い視線を向ける。
「儂がお前さんの依頼を受けたのは、あくまで、グレイの頼みじゃったからだ。今のお前さんに、儂らを一歩でも動かす価値はない。それはわかるな?」
「は、はい」
ごくっと喉を鳴らし、大きく頷くリリノア。
「ならば精々あがいてその評価、覆してみよ!」
「はい!」
ルロイは満足そうに頷くと、席を立ちあがり歩き出すが、肩越しに振り返ると、
「おい、何をボサッとしているっ! ついてこんかっ!」
そう怒鳴りつけた。
「はいっ!」
リリノアは、不安そうな顔で何度も私を見ながらも、ルロイの後についていく。
ルロイは言葉や態度は悪いが面倒見の良い男だ。任せて大丈夫だろう。
さて、私にはアンデッド殲滅という目的がある。
私の真にやりたい研究には、科学技術の発展は不可欠。サザーランドは経済規模的にみて、今後の私達の活動の中心となる地。あそこが消滅すれば、私の目的達成は数年、下手をすれば十数年単位で遅れる結果となろう。もうこれ以上、私は時間を無駄に使いたくはない。サザーランドを陥落させるわけにはいかないのだ。
この場所なら、アンデッド殲滅についての小道具も作り放題だし、リリノアの護衛という皇帝の依頼も遂行できる。どの道、他者の足の引っ張り合いを日常とするような、あんな貴族共が跳梁する魔窟では本音で語り合えない。当面の私の行動の拠点にするには、ここが最良だろう。
問題は、アクイド達に転移をどう説明するかだが、まあ今更かもしれん。それに、アクイド達は、信頼に値する者達だ。私が口止めをすれば、他言することはなかろう。
「私も動くか」
私も席から腰を上げると、サザーランドへ転移する。
お読みいただきありがとうございます。