第28話 変わった食事会
ハルトヴィヒ伯爵から、面倒なごたごたを回避するため、同行を提案される。断る理由もないので、その厚意を受けることにした。
そんなわけで、伯の馬車の横に並ぶように、私達の馬車を走らせることにしたわけだが、道中、将棋にずっと付き合わされた。まあ、確かに手持ち無沙汰であり、良い暇つぶしになったわけだが。
「グレイ、見えたぞ」
外で乗馬していたアクイドが馬車の中に軽快なステップで飛び乗ってくると、私にそう報告してくる。
「わかった」
馬車の中から出ると、遠方に巨大な城壁が視界一杯に広がっていた。
「ほう、あれが、帝国一の巨大商業都市――サザーランドか」
ストラヘイムが冒険者達の楽園だとするなら、サザーランドは商人達のユートピア。世界でも有数の商業都市であり、各国商業ギルドの長達が集まる中央商業ギルド議会館がある都市でもある。
元々、商業ギルドは、帝国から始まり、世界に広がった経緯がある。故に、ギルド本部は、未だ帝都にあるが、帝都に長期滞在することにつき、各国の商業ギルドの長達が難色を示したため、会議等はこのサザーランドで行うことが通例となっているらしい。
最近の手紙で、ライナはサザーランドに本部ごと移行することを画策しているが、帝国貴族出身の豪商達の猛反発により、中々上手く運ばないようだ。
いずれにせよ、このサザーランドが最重要拠点なことに異論はない。このサザーランドの街が戦場になれば、事実上の帝国の権威の失墜を意味する。少なくとも商業ギルドでの帝国の発言力は著しく減少する。
「うわー、でかいねぇ~」
「うむ、でかいのじゃ!」
馬車のカーテンの中から身を乗り出し、カルラとドラハチが歓声を上げる。
「グレイ様、着いたらまずどこに向かいますか?」
サテラが鞄から、羊皮紙とペンを取り出す。
「まずは、帝国遠征軍本陣での登録かな。そのあと、宿でもとろう」
今回の出兵命令は、帝国現皇帝――ゲオルグ・ローズ・アーカイブが各領地に発した命令。私達、外様の貴族は帝国遠征軍として組織化される。
敵前逃亡でもしない限り、この遠征軍の登録によって、私達の義務は事実上完遂される。よって、私達にとって、この登録が最も重要といっても差し支えない。
「承りました。人数分の宿を手配しておきます」
「頼む。面倒な手続きが済み次第、飯にしよう」
「ご随意に」
一礼すると、サテラは何やら書き留め始める。おそらく、サザーランドでの私達のこれからのスケジュールでも練っているのだろう。
「グレイといい、サテラの嬢ちゃんといい、近頃の餓鬼は、こんなのばっかか……」
アクイドのしょうもない感想を聞きながらも、私は遥か遠くに聳え立つサザーランドに視線を向けた。
帝国遠征軍本陣があるのは、サザーランド内城門に隣接する巨大な広場だった。
兵士数等の見分があり、結構な時間待たされている。
「何か、感じ悪いね」
「悪いのじゃ」
カルラとドラハチが、私達に向けられる悪意たっぷりの視線につき、悪態を吐く。
「放っておけ。どうせ何もできやしない」
それだけ伝えると、仮眠を取るべく瞼を閉じた。
「グレイ様、起きてください」
「ん? サテラか、宿は取れたのか?」
「はい。人数分確保いたしました」
サテラの奴、益々、仕事が早くなったな。
「ご苦労さん」
大きな欠伸をしつつも、背伸びをする。
「見分官がいらしています」
「了解」
馬車を出て、飛び降りると、一目で貴族とわかる悪趣味で派手な衣服を纏った黒髪の中年男性が形の良いどじょう髭を摘みながら佇んでいた。
「所属と人数を答えよ」
「ミラード領現当主名代、グレイ・ミラード。人数は一五六名です」
どじょう髭の男は、代表の私をジロジロと眺めていたが、小馬鹿にしたように、鼻で笑う。
「辺境の貧乏貴族は、失う貴族の誇りも矜持もなくて気楽なものだな」
「まったく同感だね」
あまりの適格な表現に、思わず相槌を打ってしまっていた。
確かに、少しでも恥という言葉を知っていれば、私のような一二歳の子供を当主の名代として戦争に送り出そうとは思うまい。
「小生意気な餓鬼だ」
そう吐き捨てると、どじょう髭の男は部下と思しき兵士達に、私達の戦団の見分を指示する。
「ミラード領、一五六名、確認が完了した。命令があるまで、大人しく待機しているように」
そう尊大に命じ、どじょう髭の男は次の戦団の方に向けて去っていく。
それから、広場の片隅にミラード領の旗を立て、テントを張り、宿に移動するよう指示する。
テントに残ったのは、私とアクイド、副団長のゼムのみ。当然のごとく、私がテントに残ったことにつき、サテラ達から猛反発されたが、命令という形で押し通した。
貴族の相手は、サテラ達には荷が重い。というか私でなければ話になるまい。少々、厄介な接待もしなくてはならなくなったし、私がテントに残るのは、必要不可欠なわけだ。
「俺達でよかったのか?」
アクイドが、野菜を剥く手を休めると、そんな実に下らぬ質問をぶつけてくる。
「愚問だな。そんなことより、手を動かせ」
今晩の献立は風牛のすき焼き。ハルトヴィヒ伯爵殿から、風牛の肉一塊の提供を受けたので、それを調理し振舞うはめになってしまった。あの御仁の強引さは、どうにかして欲しいものだ。
正直、鍋に入れる野菜の種類が物足りないのは否めない。というより、豆腐もしらたきも、白菜もないのだ。真っ当なすき焼きなどでは断じてない。美食家でもあるハルトヴィヒ伯爵殿がこのすき焼きモドキで、満足するかは不明だが、そもそも、帝国でも有数な弱小貴族の三男坊に過剰な期待をしてもらっても困る。
ようやく、野菜を切り終えたので、肝心の鍋の用意に取り掛かる。
大きな釜と炭火でプチ囲炉裏を作り、その上に金網を置く。そして、その金網の上に、水を入れた鍋を置き、湯を沸かし始める。
その湯の中に、砂糖、水、醤油などのサガミ商会が開発した調味料により味付けを行い、野菜と風牛の肉をぶち込み、後は完成を待つだけだ。
「ほう、いい匂いがするではないか。のう、マクバーン?」
全身に傷のある金髪の巨漢の男が、複数の連れを引き連れて、テントに入ってくると、そんな感嘆の声を上げつつも、背後の形のよい髭を生やした長身の紳士に同意を求める。
「ああ、そうですね。グレイ君、今宵はご馳走になります」
その紳士を一目見て、アクイドとゼムが凍り付く。
「御無沙汰しております。マクバーン辺境伯殿」
仕立てのよい緑色の上下の衣服に、皮のブーツ。そして、右肩のみを覆う赤色の布を羽織る姿は、私達凡人には決して持ちえない気品のようなものを感じる。
彼は、帝国でもトップクラスの武力と経済力を有する地方豪族の雄、シグマ・マクバーン辺境伯だ。
「中々、美味そうだな。これは期待が持てそうだ」
背後から、二メートルを超す美丈夫が姿を見せると、椅子にドカッと腰を下ろす。
尊大だが、全く嫌味が感じられない物腰に、鬣のような長い金色の髪。質素なはずの衣服も彼が身に纏うと妙に様になっていた。
両伯が連れてくるくらいだ、おそらくは帝国でもかなりの地位を有する御仁なんだろう。
まあ、どこの誰だろうと、私にとっては、同じ客人に過ぎない。私はできうる最高の料理を振舞うだけ。何も変わりはしない。
「では、好きな席についてください」
「お主らも座れ。今宵はくだらんしがらみはなしだ」
「……」
美丈夫の有無を言わせぬ言葉に、顔を見合わせながらも、両伯と美丈夫の付き人達も腰を下ろす。
「アクイド、ゼム、客人に器と箸を」
客人達が、プチ囲炉裏を囲むように座るのを確認し、アクイドとゼムに溶き卵の入った器と箸を渡すように指示する。
すき焼きをスプーンやフォークで食べるなど、この料理を愚弄している。郷に入っては郷に従え。すき焼きはやはり、箸なのである。
行き渡ったのを確認し、今も私の背後で、ボーと突っ立っているアクイドとゼムを振り返り、
「何をボサッとしている。お前らも座れ」
いくつかある囲炉裏の一つの席に腰を下ろすように指示する。
「い、いや、しかし――」
アクイドが拒絶の意を示し、他の付き人達も私に非難の視線を向けてくる。
「いいから座れ」
おそらく、傭兵を同席させることに拒否感でも覚えているんだろうが、鍋は皆で食べてこそ意義がある。ホストは私だ。今宵は私の指示に従ってもらおう。
「グレイ卿は、一度言い出したら聞かんぞ。拒絶しても無意味じゃよ」
「それは――」
金髪の美丈夫の付き人らしき煌びやかな装飾をした黒髪の青年が、反論を口にしようとする。
「それに今宵は無礼講。事前に卿からそう説明がなされておったはずじゃ。それに不満がある者はここから立ち去るがよかろう。それとも、お主ら、この儂の面子を潰すつもりか?」
ハルトヴィヒ伯爵殿の笑みが三割増しとなり、額に太い青筋が張る。
「そのようなことは」
黒髪の青年は、以降口を閉じてしまう。
「その箸というもので摘まんで、鍋の中身を掬い、その溶いた卵に付けてから、食べてください。では、いただきます!」
合掌すると、鍋から肉を取り、溶き卵の入った器に、入れると口に含む。
口いっぱいに広がる何とも言えない風牛肉のとろけるような食感に、甘辛い出汁と卵の味が混じり合い絶妙な味わいを実現していた。
「実に興味深い」
金髪の美丈夫が、慣れない手つきで、箸で肉を掴み、卵に付けて口に入れる。
「っ!!?」
目をカッと見開き、指先一つ動かず、硬直化していたが、直ぐに、先ほどの優雅な態度とは対照的に、鍋から肉を掴むと卵に付けて、口の中に放り込む。
呆気にとられたように、自身の主人を眺めていたが、黒髪の青年達も習い、口に入れると、やはり、フリーズし、無言で取り憑かれたように黙々と食べ始める。
ほどなくして、全ての囲炉裏において、あれだけあった鍋の具は綺麗さっぱり、私達の腹の中に収まってしまった。
今は、まったりと膨れた腹を休ませるべく、冷たい水を飲んでいる。
「美味かった。礼をいう」
「いえ、お粗末様でした」
「粗末? この神のごとき食べ物がか?」
私が軽く頭を下げると、金髪の美丈夫は奇妙な顔をし、周囲の取り巻き達は顔を僅かに顰めた。
しまったな。日本人の美徳たる謙虚の精神は、大抵、理解などされやしない。
どう誤解を解こうかと思案していると、
「社交辞令ですよ」
マクバーン辺境伯から、そんな有難い助言が飛ぶ。
「そうか。そんな気遣い不要だぞ、グレイ」
「肝に銘じておきます」
再度、軽く頭を下げると、金髪の美丈夫は、私の顔をまじまじと眺め、
「振舞い一つとっても、とても、ロナルドと同じ年とは思えぬな」
意味不明な感想を述べる。
「ロナルド様も、年齢を鑑みれば、聡明な御方です。グレイ卿は聊か特別かと。儂も卿をただの子供とは思ってはおりませぬ」
ハルトヴィヒ伯爵殿が、『様』付けで呼ぶ存在か。正直、悪寒しかしないな。
「そこの単純馬鹿に、今度ばかりは、同感ですな。彼は我が帝国が生んだ怪物。おそらく、貴方の現在の彼の印象すらも過小評価のそしりを免れますまい」
無茶苦茶いう人達だ。私をどこかのふしぎ発見生物のように言うのは止めて欲しいものだな。
特に、アクイド、ゼム、お前ら何頷いている!
「グレイ、明日の御前会議に貴公も参加せよ」
「はい?」
美丈夫の言葉に、裏返った声で、聞き返す。別に私だけではない。金髪の美丈夫の付き人達も同様に、目を丸くしていた。当たり前だ。御前会議は、皇帝――ゲオルグ・ローズ・アーカイブ臨席のもとで、帝国正規軍、遠征軍の両者の幹部が集まる軍事における最高意思決定会議。無論、軍事に優れる両伯は兎も角、ミラード家のような貧乏弱小貴族が参加できる会議では断じてない。
「いやいや、ご冗談を。私の兵は、たった百数十人にすぎません」
「俺は本気だぞ」
「いくら何でも、そんな無茶苦茶、認められるはずがありませんよ。ねえ、皆さん?」
「……」
同意を認めるべく、付き人達を眺めまわすが、あからさまに全員から視線を逸らされる。
おいっ、さっきまでの威勢はどこにいったよ!? 反対くらいしろ!
「そんな場所に私が出席しなければならない理由をお聞かせ願いたい」
「決まっている。面白いからだ」
「……」
頬が痙攣する。この時ばかりは、そんな無様な自身を責める気はさらさら起きなかった。だってそうだろう。どこの世界に祖国の存亡の危機の中、面白いで重要な会議出席メンバーの決定をする奴がいる?
「そなたでもそんな顔をするのだな。実に興味深い」
「まったくです。グレイ君のその姿を見れただけでも、この提案は無駄ではなかったのでは?」
「まったくじゃ」
好き勝手放題言いやがる。常識外れ共め。
「貴方達は……」
この最悪ともいえる面子への反論の無意味さを熟知している他の同席者から、例外なく同情の視線をもらいながらも、私はやけくそ気味に、冷たい水を喉に流し込んだ。
お読みいただきありがとうございます。




