第64話 生徒たちの決意
魔導学院第一寮 ミアの自室
まるで雑巾絞りのごとく、心を捩じり上げられるかのような強烈な不快感のみが断続的に襲ってきており、結局一睡すらできなかった。
(大丈夫なの。先生なら絶対、エイトを戻せるはずなの!)
もう何度目かになる慰めの希望を口にし、己に言い聞かせる。
S1とS2クラスの決勝戦。遅れてきたエイトが、審判の女性を短剣で刺して、取り押さえようと先生たちが包囲する中、シラベ先生が現れる。
そして数回会話を交わした途端、エイトは異形へと変貌してしまった。
闘技場でのシラベ先生とエイトの会話に、天から降ってきた魔神生誕の言葉、さらにはこうしてミアたち生徒が寮内に押し込められているという事実。それらを冷静に分析すれば、ミアのこの希望的観測が誤っているのはもはや明らかだ。そうでなければ、ミア達はとっくの昔にエイトに会わせてもらっているはずだから。
(エイト……)
もうエイトに二度と会えない。そんな悪夢に近い事を考えただけで、なんとも得ない感情が湧き上がり、涙が溢れて止まらなくなる。
毛布に包まって必死で涙を我慢しようとするが、悔しさと悲しさが込み上げて来てミアは声を殺して泣いた。
心地よいはずの早朝の小鳥の囀りが、今日は鬱陶しい雑音にしか聞こえない。既に辺りは明るくなっている。いつもなら、学院へ向かう用意をしているところだ。
だが、昨晩寮の自室での待機を命じられており、トイレ等の必要最小限の理由でしか出る事は原則許されていない。
突然、叩かれる扉。ベッドから跳ね上がり、部屋の入口を勢いよく開ける。
扉の前には、目をはらしたレベッカ先生が立っており、直ぐに講堂へ来るように、指示を出してくる。
もう、誤魔化しはきかない。先生の様子からも、きっと、ミアが予想しているよりも、現実はずっと残酷で救いのないものなんだと思う。
講堂に入ると、室内は予想していた以上に騒がしかった。その不安そうな顔つきから察するに、昨日の件について同じクラス者達と話し合ってでもいるのだろう。
どうやら、講堂にはAクラスとSクラスの両者が集められているようだ。数が多いので説明する組みを二つに分けたんだと思う。
S1とS2クラスとも、既にミア以外の全員は席についていた。
ミアは確保してあるテレサの隣の席に座って、斜め前のクリフをチラリと盗み見る。クリフは、案の定、すっかり、抜け殻のようになってしまっている。
クリフはエイトにシラベ先生が仮面を割られて、その素顔を一目見てからというものすっかり気が動転し、過呼吸で医務室へ運びこまれてしまっていた。
そして同じ強烈なショックを受けていたのが、テレサだと思う。やはり、クリフと同様、そのことに関しては一言も語らなかった。
もっとも、それは――。
ミアがある結論に行きついたとき、ジーク先生とライオット・ベルンシュタイン学院長、そして軍務卿ホルス・クリューガーが教室内に入ってきた。
「親父までなんでっ!?」
アランが席を勢いよく立ち上がると、皆、当然に覚えている疑問を叫ぶ。
アランの存在すらも無視し、三人は教壇に立つ。
そして――。
「昨日の事件はお主らもわかるじゃろう。お主たちには知る権利と義務がある」
「爺、御託はいい。早く話してくれ」
静まり返る中、ロナルドが、足裏で床を叩きながら、苛立ち気にジーク先生に迫る。こんな余裕のないロナルドを見たのは、初めてかもしれない。
ジーク先生は大きく息を吐き出し、
「エイトは賊に無理やり魔王化され、シラベ教授により解放され、息を引き取った」
悪夢に等しい宣言をする。一瞬で鳥籠のごとく騒めく室内。
(駄目なの……)
予想はしていた。してはいたけど、改めて過酷な現実を受け入れられるのかはまた別問題だ。
切り傷をナイフで抉られるかのような痛みが心に走る。それは皆も同じ、主にSクラスのメンバーから聞こえてくるすすり泣く声をバックミュージックに、胸を押さえて必死に感情の激流を押さえていると、
「シラベ教授? もういい加減、誤魔化すのは止めたらどうです? 昨日の件で僕も含めて幾人かは、気付いている。彼は元サテラの主人、グレイと言う名ではないのですか? 僕は試験場で彼女から、彼がそう呼ばれるのを見ましたよ」
坊ちゃん刈りの少年が、ロナルドに、その後、アリアに視線を移しながら、声を張り上げていた。
彼はAクラスのオドー・ウサン。サテラの恋慕につき公に宣言したアランのライバルの一人。
オドーの口からグレイと言う名が紡がれた途端、ビクッと一瞬身を震わせるクリフ、アクア、テレサの三人。アリアは、会話には混じるつもりはないというアピールだろう。姿勢を正したまま、瞼を閉じてしまっていた。
そして、サテラというと――。
「グレイ様は!?」
焦燥たっぷりの叫び声を上げていた。きっと話すら聞いておらず、オドーの口にしたグレイという名に反応しただけなのだろう。普段憎たらしいほど冷静な彼女らしからぬ取り乱した姿に、部屋中に当惑が広がる中、
「あ奴は……」
ジーク先生は苦虫を嚙み潰したような顔で、口ごもる。
「うむ。では、お望み通り、グレイ・イネス・ナヴァロについて説明しよう」
「ホルスっ!」
一歩前に出るホルス軍務卿の右肩を掴み、ライオット学院長が制止の声を上げるが……。
「ライオット、彼のいう通り。現状を鑑みれば、もう誤魔化すのも限界だ。彼らはこれからの帝国を背負うものとして彼が育てた人材。この帝国の今を知る権利くらいは十分にある」
「だが、それは――」
「構わない。学園長、包み隠さず教えて欲しい」
ロナルドの岩壁を貫くような鋭い目に、学院長はホルス軍務卿の肩から手を離し、口を堅く噤む。
「シラベ教授の本名は、グレイ・イネス・ナヴァロ。彼は元々、辺境の一豪族ミラード家の三男に過ぎなかった」
草木が揺れるがごとく騒めく室内。そして視線は全て同じミラード家のアクアとクリフに注がれていく。
クリフは何とも言えない表情で下唇を噛み締め、アクアは神妙な顔でホルス軍務卿を凝視する。
「彼が世界に初めて認識されたのは、祖国を襲ったあの未曾有の災厄、アンデッド襲撃事件だ。彼は僅か12歳でミラード家の名代として出兵し、見事解決してみせた」
「それは彼一人の手で――いえ、愚問だったね」
ロナルドのこの言葉はある意味、極めて急所を得ている。この数年、散々、非常識を見せられ続けてきたのだし、今更アンデッドごときにあの人が、後れを取るとはこの場の誰も思っちゃいまい。
「アンデッド襲撃事件解決の功績により、男爵の地位とイネス・ナヴァロの名、ラドルの領地を陛下から賜る」
「ちょ、ちょっと待てよ、じゃあ、俺達と大して違わねぇ年齢でラドルをあそこまで発展させたってのか?」
強さだけならまだ納得がいく。だが、シルフィ先生に授業の実習で連れて行ってもらったあのラドルの街並み、あれはまるで別世界。あの光景をミアと同世代の者が作り上げる。それがどうしても噛み合わない。
「そうだ。当時ラドルを占領していたアムルゼス王国軍を、ラドルの民兵を指揮して撃退。
以降、ラドルの復興に尽力を尽くす。まだまだあるぞ。数年前のスライム事件では覚醒した魔王二体を単騎で屠っている。まさに、彼はこの帝国が生んだ傑物だ」
ホルス軍務卿はそこまで熱く語ると、ピタッと言葉を切り、今まで浮かべていた薄ら笑いを消失させた。
「多忙な軍務卿がここにいるのも、シラベ、いえ、グレイ教授を取り巻く事態が急変した。そういうことなんだね?」
ロナルドの疑問にホルス軍務卿は顎を引くと、
「グレイ・イネス・ナヴァロ伯爵は、スルト教頭とレノックス教授殺害の容疑で司法省から逮捕状が出ている。それを受けて臨時教授会により、彼の教授職の罷免が決定した」
淡々と悪夢に近い事項を答える。
シラベ先生の功績を話した直後でのこの罷免の話。そして、軍務卿のグレイ教授を語る際の狂信的といっても過言ではない態度から鑑みれば、とてもこのような暴挙を黙ってみていられるとは思えない。それがこのとき、ミアには妙にひっかかっていた。
「親父たちは、このタイミングであの人が本気でやったと思ってんのかよ?」
アランの激しい怒声に、ホルス軍務卿は大きな溜息を吐いて、侮蔑の表情を浮かべて、
「阿呆、あの効率主義の塊のような彼がそんな非生産的な行為を行うわけあるまい。もちろん、馬鹿どもによる偽計に決まっている」
そう予想通りの事項を断言する。
「なら、なぜ黙ってみている!?」
「愚息よ。もっと頭を使って考えてみろ。今、彼をこの学院から排除したら一体どうなる?」
今シラベ先生が排除されれば、門閥貴族は資格の欠格を理由に領地であるラドルの収奪を図るだろう。しかし、それをラドルが認めるとはとても思わない。まさか――。
「内乱が起きるの!?」
声を張り上げていた。
ミアの言葉にニィと口端を釣り上げるホルス軍務卿。ミアにも彼らがやろうとしていることが薄っすらと気が付いた。そしてそれは他の生徒たちも同じ。急速に血の気が引いていく。
「シラベ先生を学院からあえて追放し、内乱を起こすつもりか!?」
鬼気迫ったロナルドの疑問に、皆が息を飲む。そんな中、ホルス軍務卿は大きく顎を引き、
「その通りですよ、殿下。此度、エイトがボンクラどものつまらぬ欲望の犠牲になって、彼はようやくこの国の表舞台に立つ決心をしてくれた。そいういうことです」
両腕を広げて吟遊詩人が英雄の奮起を謳うかのように叫ぶ。
「内乱が起きればそれこそ無数の帝国民の命が失われるぞっ!?」
鬼気迫る様相のロナルドの怒鳴り声に、
「ええ、ですが内乱以外でも無能な領主の領地では今も現在進行形で莫大な数の死者がでていますよ。これが続くとすれば、それこそ内乱での死者など足元にすら及ばないものとなる」
軍務卿はさも当然とでもいうようにそう返答する。
「人の命はそんな単純な数のみで論じていいものではないっ!」
「ごもっともです。ロナルド殿下、もしこれが平時なら貴方の言の方がよほど正しいのでしょう。ですがね。いかんせん、この帝国は病み過ぎた。今、一部の馬鹿どもが己の領地で何を行っているのか、貴方はご存じか?」
一瞬垣間見せたホルス軍務卿の激情に、皆が息を飲む中、
「知らない。だから教えて欲しい」
ロナルドは強い動揺を押さえつけるかのように、喉から震える声を絞り出す。
「己の領民を使った魔法実験です。既に、元ラドル人、数百人が犠牲になっている。あのボンクラども、何、とち狂ったか知りませんがね、対ラドル戦での主力戦力に使おうとしているらしいですな」
今度のざわめきは今までとは比ではなかった。無理もない。ラドルが帝国に併合された以上、元ラドル人も立派な帝国人。その旧ラドル人に対するこのタイミングでの領主による魔導実験。それはエイトのあの変貌と強い関連があるはずだから。そして、それは自身の母国の同胞が決して犯してはならならぬ禁忌に手を染めている事に等しい。
「そいつらがエイトをあんな姿に変えちまったのか?」
今まで沈黙を守っていた背筋が凍り付くようなプルートの疑問の声に、部屋内の喧噪は途端に小さくなってしまう。
「十中八九な。一度変えられれば、二度と生きて人には戻れんと思った方がいい」
「そうか……」
それ以外、プルートは俯いたまま両手を握り、口を閉ざしてしまう。
「許さない……絶対に許さない! よくも、あんなに優しかったエイトちゃんを!!」
ボロボロと涙を流しながら、立ち上がるテレサに、
「そうだな。よりにもよって己の領民を玩具に使うなど、それは駄目だ。許しちゃなんねぇ。
なぁ、お前らもそう思うだろ?」
アランも再度席を立ちあがって、グルリと見渡しながら同意を求める。
「本来守るべき無辜の領民を犠牲にするような外道に統治者の資格はない。僕も今回に限り、粛清は致し方ないと思う」
まさかのロナルドの同意に、
「非道は正すべし!」
「そうだ! もういい加減、この国は利権まみれの奴らから解放されるべきだっ!」
次々に奮起の声が上がる。驚いた事にこの声はSクラスだけではなく、門閥貴族派の子息子女の多いAクラスの生徒からも上がっていた。
数年前なら皆、領民の生死に大した動揺はしなかっただろう。可哀そうだな、その程度の他人事の認識過ぎなかったと思う。そして、それは例え同じクラスの学生が犠牲になっても同じだったはず。
今も教室を震わせている声は、この学院で様々なことを学び、己で考える力を得て、真に国のためになるとはどういうことかを、各人考えるようになったから。何より、心を同じくした同志が外道の玩具となって命を落とした。それが狂わんばかりに許せないから!
「内乱が避けられないなら、今は帝国政府に協力しよう」
「でも、流石に戦うのはなぁ……中には親兄弟と闘う事になる奴もいるんじゃね?」
一人の何気ない一言に、静まり返る室内。
「もちろん、戦う必要はないさ。というより、半端な僕らが参戦してもどうせ足手まといになるだけだ。僕らがやるのは、血統貴族連盟への説得による切り崩し。それなら、僕らにも可能なはずだ」
「賛成だな。説得が成功して敵がいなくなれば、奴らの内乱も水泡に帰す。その上で愚行の首謀者のみを粛正すれば、事は極めて穏便に済むし、犠牲も最大限抑えられる。おい、そうだろう、プルート!」
ボンヤリした表情で見上げるプルートに、アランは口端を上げると、
「お前、いつまでそんなしけた面ぁしているつもりだっ!? それこそ、エイトに笑われんぞっ!」
頭から大声を浴びせかける。
完全に色が消失していたプルートの両眼に、ゆっくりいつもの熱が戻ってくる。
「う、うるせえっ!」
プルートも立ち上がってミア達の前の机に腰を下ろすと、
「お前ら、これはエイトの弔い合戦だ! 色々、思うところはあるだろう。だが、今は前に進もうぜ。それが俺たちらしい!」
クリフも大きく息を吐き出すと、
「ああ、そうだね」
立ち上がり、小さく頷く。
「わかってるの」
ミアも今も流れる涙を拭いて立ち上がって叫ぶ。
「わたくしも、頑張るよぉ。ほら、わたくしお父様の関係でおじ様たちに知り合い多いしぃ」
いつもの快活な笑顔で答えるテレサ。
皆、空元気なのはわかっている。それでも、ただ今は前に進む。それが正解のような気がしていたのだ。
「正直いうと、陛下とグレイの双方から生徒たちは今回の内乱への一切の不関与を厳命されておったんじゃ」
「爺、それは――」
反論を口にしようとするロナルドを右手で制し、ぐるりとミア達生徒を眺めまわすと、
「わかっておる。今のお主らにはきっとこれは必要なことなのじゃろう。好きにせぃ、ただし、説得には儂ら学院の指定する者も同席する事が条件じゃ。それで構わんの?」
ミア達にとって最良ともいえる提案をしてくれた。
「十分だっ!」
「ジーク老、困りますよ。勝手なことを約束されては――」
「いや、ライオット、これはこれでいいさ」
学院長の苦言を無理やり押さえつけ、軍務卿は伝えたい事は伝えと言わんばかりに普段のニヒルな笑みを浮かべると退出してしまう。
学院長たちは、肩を竦めると席に座るように指示をだしてきたのだった。
遂にグレイの正体が明らかになりました。これで、帝国内乱編の始まりです。そのあと、過去編を書き、その後、最終章となります。最終章はあまり長くならずに、読者の皆さんが納得のいくよう終わらせるつもりです。それではまた来週!
★『身体は児童、中身はおっさんの成り上がり冒険記』の三巻が発売されます。是非、手に取っていただければ嬉しいです。




