第20話 九歳の事情
それから、再度夏が到来し、私は九歳となる。
ミラード領に戻った私は、サガミ商会の経営とトート村の経営、《古の森》の探索と修行に精をだしていた。
まずは、サガミ商会から。
ライナの紹介で、私達の商会となる屋敷と店舗を安価で購入した。
商会の屋敷は、ストラヘイムの郊外にある四階建ての大きな建物である。ミラード家よりも一回り大きいのは、皮肉としか言いようがない。少なくとも、今の私達一〇人には明らかに過剰なスペースであり、主に一階しか使っていない。
店舗の方は、大通り沿いにある三階建て、レンガ造りのおしゃれな建物。立地条件や建物が豪華であるせいか、サガミ商会の屋敷よりも高価であるらしい。
もっとも、料理店を営むにしてもメニューが何一つ決定していない。メニューが完成したら、直ぐにでも開店する予定だったのだが、途中、調味料の開発に熱中してしまい、結局、開店は約半年後になってしまった。
私達が開発した調味料は次の四つ。
ジレスから仕入れたソイ(大豆)とリーソ(米)から、味噌と醤油、酢を開発した。当初、これらは簡単に作れると思っていたのだが、予想に反し、私が知るものと同レベルに至るまで、数か月もかかってしまう。この手の専門外のことは、知識だけではどうしようもない。特に酢は、酵母を作るのにかなりの苦労を要した。
最後の一つが、大豆から抽出したサラダ油、村でとれた卵、酢により作ったマヨネーズ。
料理として出すメニューは、単純な肉と野菜を入れた味噌や醤油味の鍋物や、醤油味の焼肉、野菜と一角猪の味噌炒め、サラダのマヨネーズ和えのような単純なものとなった。
もっとも、地球では質素な料理でも、これらの調味料は日本人の血と努力の結晶といっても過言ではない。結構な値段を取ったのに、病みつきになるものが続出し、冒険者や商人で溢れかえることになる。
結果、約一〇人では、これ以上の料理屋の継続は不可能と判断。人を雇い、店の営業は彼らに任せて、我らは食品の開発に専念することが、つい先日決定した。
まあ、あのカルラでさえも、半年間の営業経験を経て、礼儀作法も著しく向上し、今では人気の看板娘となっている。とはいえ、店を閉め、客が帰ると我儘な少女に回帰するようであるが。
ともかく、ようやくこれで、具体的なメニューの開発に取り掛かれるというものだ。
サガミ商会の本来の目的――文明の利器の開発については、あの時計以来、従事してはいない。この人数で多方面に手を出せば、色々キャパオーバーになるのは目に見えているし、何より、ルロイが現在、時計造りに追われていて、とてもじゃないが、商品の開発に手が回らないからだ。
次が、トート村の経営だ。
急務だった防衛については、モスを隊長とする守衛隊が正式に組織され、護衛の任に就く。防衛力向上のためには、守衛隊は専業の常備職であるのが相応しい。
この専業の常備職を設置するためには、トート村の経営方針を一八〇度変更しなければならない。即ち、寄せ集めのような個人中心の兼業組織から、一つのまとまりと組織性を重視した専門職組織へ変革する。
守衛隊は、そのための第一歩。村から一定の給与を支給される代わりに、彼らは戦闘や治安維持等、村の防衛に関して生じるあらゆる問題の解決に従事してもらう。
この守衛隊の初任務は、村の改造である。
守衛隊の隊員全員に、土魔法を取得させる。そして、村の周囲に土魔法で深い壕を掘り、さらに村を覆うように、高い塀を設置する。さらに、物見やぐらを作り、外の様子を逐一観察できるようにした。
最大の勢力であった小鬼の集落が壊滅した結果、今まで抑圧されていた犬人や豚頭共の一族の力が増し、トート村は数度の襲撃を受ける。
もっとも、高い塀と、周囲を覆う堀は、魔物の侵入を拒み、その隙に物見やぐらからの魔法と弓により、たちまち殲滅できた。
村の改造が落ち着いてからは、ひたすら戦闘訓練に従事させる。ストラヘイムを拠点とするシーザーに掛け合って、彼の仲間の一人を教官として招く。それなりに技術は向上してきているらしいし、数年後が楽しみである。
また、守衛隊については、新たなメンバーの補充があった。ゴブリンに攫われ、トート村での生活を選択した翼や羽を有する妖精族の女性や少年達である。
ただ飯食らいは、本人のためにはならない。そこで、彼女達には積極的に村の復興に参画させた。元々、根が真面目であったせいか、どんな小さな仕事にも真剣に取り組む彼女達に、村人も次第に打ち解けていったのだ。
そして、丁度、一週間ほど前、彼女達の方から村を守りたいとの進言を受け、許可をしたのである。
元々、彼女達は、成長率が他の人間達とは段違いだったし、トート村守衛隊の主戦力となっていくことだろう。
次の農耕牧畜についてもすこぶる順調だった。
村人総出で、田畑を耕し、ソイ(大豆)を植えた上で、ウル(羊)を放牧した。
ウルの羊毛を刈取り、さらに、その乳と酢から、チーズを作り出す。それらをジレスに売却し、その代金のほとんどを村として貯蓄し、一部で他の食糧を買い込む。
春になって、ライ麦を植えると、驚くほど、順調に育つ。以前のおよそ、七、八倍もの収穫量らしく、五割を持ってかれてもかなりの量を確保できるようだ。これなら、十分な量を貯蓄し、余りを金銭へと変えることも可能と思われる。
ちなみに、小鬼に攫われていた人間の女性達は、意外にもごく一部を除いては、トート村の残留を希望してきた。彼女達の心境については正直よくわからない。だが、もう一度、全てをリセットして人生をやり直したい。そんな複雑な心持なのかもしれない。
ともあれ、トート村の経営はすこぶる順調であり、私としても、大規模畜産農業経営の十分なデータが取れ、ほくほくといったところだ。
次が、《古の森》の探索と修行について。
《古の森》をさ迷い、魔石や貴重なドロップアイテムを得て、新たな魔法を獲得する。
夜には、MPを一定の低値になるまで、自身に回復魔法をかけて、眠ることを繰り返す。結果私のステータスは著しく上昇した。
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〇グレイ・ミラード
ステータス
・HP:D(12/100%)
・MP:B(9/100%)
・筋力:D(34/100%)
・耐久力:D-(13/100%)
・魔力:B(3/100%)
・魔力耐久力:D(44/100%)
・俊敏力:D+(4/100%)
・運:D+(1/100%)
・ドロップ:D+(57/100%)
・知力:ΛΦΨ
・成長率:ΛΦΨ
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魔力とMPは遂にBとなった。筋力や耐久力については、案の定、大して伸びなかった。
私と同じ操作により、魔力とMPはサテラ、ジュド、カルラがE+、その他の者達も平均E-まで上昇している。
ジュド達には上位までの魔法は全員覚えさせた。これならよほどのことがない限り、敗北はしないだろう。
私も最上位までの火、水、土、風の基礎属性魔法と、光魔法や闇魔法などのいくつかの特位魔法を覚える。
ちなみに、回復系はこの中で、聖属性に分類されるらしい。まあ、あくまで、この世界の魔法師達が分類しているにすぎず、どこまで正確であるかは疑問の残るところではあるわけだが。
今は商業ギルドに呼び出され、ジュド、カルラと共にストラヘイム商館の応接室にいる。
何でも、『手押しポンプ』と『時計』の特許料の話だとか。一三歳までは基盤固めを重視している私としては、今はトート村の実験的経営や、料理店の経営の方が遥かに重要な関心事であり、今の今まで、完全に頭から抜けていた。
「お待たせいたしました。グレイ殿」
太い身体を揺らしながら、ストラヘイム館長――イコセ・ジャーモが姿を現し、一礼すると私の前の席に座る。
「どうも、イコセさん。ストラヘイム支部長の就任おめでとうございます」
「いえ、これも、グレイ殿のおかげです。あの『時計』は私達ギルドに莫大な利益を生み出しましたし、ライナ総長も会いたがっていましたよ」
ライナ元支部長は、今商業ギルドの総長として帝都に滞在することが多いらしく、何度か、帝都への誘いの手紙をイコセから受け取っている。忙しいなりに、元気にやっているようだ。
「ええ、僕も一度帝都に行ってみたいですし、一三歳になったら、直ぐにでも向かうつもりです」
「それがよろしいでしょう。グレイ殿は、より大きな舞台に上がるべきだ」
いつも思うが、この人の私の評価は少々高すぎるような気がする。有難いことではあるのだが。
「多大な評価恐れ入ります。それでお話というのは?」
「まずこれが、『手押しポンプ』と『時計』の特許料の収益書です」
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〇特許料――グレイ・ミラード
・手押しポンプ:3000215122G
・時計:15300940006G
合計:18301155128G
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「結構な額になりましたね」
一八三億か。手押しポンプは、サテラのための思い付きだったし、時計は今後の私の研究や商売を上手く進めるためのもの。正直、自由になる金が多少できればいい程度にしか考えていなかった。まさか、これほど儲かるとはな……。
「一、十、百、千、万、一〇万、百万、千万、一億、一〇億、百億……一八三億。えーと、私達の村の皆の一年分の食糧が一〇〇万Gだったから、それの……」
「一万八〇〇〇倍だっ!!」
ジュドがそう絶叫し、カルラも真っ白に石化してしまう。
あれから、ジュド達には、十分な教育を施しており、簡単な計算などマスターしている。特にジュドは根っからの真面目体質のせいか、寝る間も惜しんで、勉学に励んでいた。私の生徒の中でもトップクラスに有望な奴だ。
「はは、即座に、金額の具体的な大きさに気づける。それだけで、十分、有望株です。それに、グレイ殿以上にライナ総長は稼いでおいでですよ」
「大将以上!? バケモノですか!」
「バケモノ、そうかもしれませんな。私達ギルドの資産は、世界のどの国よりも大きく強大だ。君は見所がある。グレイ殿の元で修行し、研鑚しなさい。そうすれば、きっといつか、私達やグレイ殿と同じ風景が見られますよ」
「大将達と同じ風景……」
恍惚に顔を染めるジュド。ジュドもカルラも、頭は良いが、猪突猛進の所があるのは、否めない。あまり、煽らないで欲しいのが本心だ。
「兄ちゃんばかりずるいっ! あたいは!?」
ぷくーと、頬を膨らませるカルラ。
「お前は医者を目指すんじゃなかったのか?」
「そうだけど……」
昨年のトート村での一件から、カルラは人の怪我や病気を治すことに興味を持つようになった。少しずつ基本は教えているし、興味があるせいか、それなりに筋はいい。
もし、カルラの技術と知識が一定のレベルに達したら、テストをする予定だ。無論、無茶苦茶の難関にするが、仮に、それに合格すれば、その苦難の打破に相応しい合格祝いを送るつもりでいる。
「あ、そうそう、これが、ライナ総長からの手紙です」
また、帝都に遊びにくるよう懇願の手紙だろうか。どうやら、柄にもなくホームシックにかかってしまっているようだ。
「ありがとうございます。それでは拝見させてもらいます」
案の定、内容は、あって欲しい人がいるから、帝都に来て欲しいという内容だった。
今は目立つのは控えたい。商業ギルドのTOPと親しい付き合いをしている貧乏貴族の子供。これほど違和感がある組み合わせもあるまい。あとで、丁重に断りの手紙を出しておくことにする。
「それでは僕らはこれで」
「ええ」
挨拶をして、仮面をつけて部屋の外にでる。仮面は、最近目立つようになり、着けたものだ。名前も、シラベ・サガミと名乗っている。
ストラヘイムの教会の置時計の鐘が、三時の音を鳴らす。これは、ライナの求めに応じて私が設計した鐘と時刻を連動した時計だ。
あの時計の開発により、この帝国、いや世界の生活は一新された。
まずは、この世界の人間族の共通の宗教――聖光教の中央教会が、時計を採用する旨を宣言する。
帝国を始めとする世界各国もそれに賛同し、時計は瞬く間のうちに世界中へと広がった。
もちろん、これらは全てライナを中心とした商業ギルドの面々の力によりなされたものであり、結果、世界は時を刻む機能を手に入れたのだ。
もっとも、まだ時計が導入されているのは公共機関や、金のある豪商、高位貴族のみであり、庶民にまで普及したわけではない。元より、時の概念が日常となるまでには時間がかかる。少なくとも、時計が日常の一つとして欠かせなくなるのは、あと数年は先のことだろう。
「ルロイさん、お久しぶりです」
「おう、グレイか」
「新時計の開発、どうです?」
「順調じゃ。というか、もう時計の開発は少々飽きてきたぞ」
だろうな。ルロイは最近、商業ギルドに頼まれ、時計の開発しかしていないらしいし。
「では、そろそろ、僕らの商会に入って頂けますね?」
「無論じゃ。儂もまた、あの魂が沸騰する創造に従事したい」
ルロイが、商会に入れば、ようやく止まっていた商品開発の道が開く。これからは、軽い発明ラッシュとなることだろう。
「契約関係など詳しい話は後にしましょう。今度は、これなんて作ってみません?」
ルロイに設計図を渡す。
「透明の板――ガラス……」
文化や科学の発展を支えるうえで、基本的で、かつ、重要な素材――ガラスの開発。化学実験するにも、ガラスがなければ始まらない。
ガラスの製法は、そこまで難しくはない。
花崗岩などの風化で生じる珪砂、トロナ鉱石から分離される重曹、石灰石だ。
この世界の鉱山の採掘目的は、金、銀、銅、鉄であり、他の珪砂、石灰石、トロナ鉱石、石炭さえも売り物にならない鉱物として大量に廃棄されているらしい。
トロナ鉱石に、石炭を熱したコークスを加えて加熱すれば、重曹も得られる。ほら、ガラスの出来上がりだ。
もっとも、この世界の鉱物が地球と同じ作用をするかは不明だから、ジレスから試作の必要量だけ、購入した。
もし、上手く行けば、金、銀、銅、鉄を採取しつくして廃坑となり、カスのような値段となった鉱山自体をいくつか買い占めようと思う。私の資産ならそれも可能だろうし。
「ええ、透明ですので、窓や食器等にも用いられます。生活事情は一変するでしょう」
「……常々思っておったが、お主、どこからこの知識を?」
「思い付きですよ。だから、ルロイさんに試作品を作ってもらってるのです」
「まっ、構わんか。早速作らせてもらおう」
部屋の奥に向かうルロイの背に軽く礼をすると私達も工房を後にした。
◇◆◇◆◇◆
「グレイ、本当に帝都に一緒に来ないの?」
厨房で、使用人達と食事をしていると、アクアがいつもの疑問を投げかけてくる。
ちなみに、ストラヘイムの修行から帰宅後、私が厨房で使用人達と食べていると知ると、これ幸いとばかりに、アクアも私達と厨房で食べるようになった。
アクアは、見事、この度、帝立魔導騎士学院に合格した。クリフに続き、アクアもだ。義母は飛び上がらんばかりに喜んでいた。そんなこんなで、明日、アクアは帝都に旅立つ。
最近、アクアは口を開くとこの話題ばかり。最後の説得といったところだろう。
「姉様、ありがとうございます。でも、帝都の物価は高いと聞きます。僕一人を養う財力はこのミラード家にはありませんよ」
私の返答に、ほっとしたような雰囲気が立ち込める。
「それはお父様に掛け合ってなんとかするわ。だから、ね?」
あの義母やリンダのような汚物を目にしなくて済むのは、確かに魅力的だが、下手に父に借りを作り、将来、私のミラード家からの離脱を認めないと主張されても甚だ厄介だ。
確かに、義母とリンダは、私に対し、頻繁に嫌がらせを敢行してきた。
掃除や洗濯を私にさせ、少しでも汚れがあると、大激怒し、洗い直せと命じてくる。児童には、明らかに危険な薪割りや、夜間の見回りを命じてきた。
しかし、あんな義母やリンダに叱咤されようが、私にとって馬の耳に念仏だし、掃除や洗濯、薪割りは他の使用人達とのコミュニケーションが取れるようになり、かえって助かったくらいだ。屋敷周辺の夜間の見回りは、九歳の子供なら怖がるのだろうが、生憎、私の中身は、大人であり、こんなもの怖くもなんともない。
つまり、義母やリンダのするようなしょうもない嫌がらせなど、眼中にないのだ。それよりも、将来、外国へ亡命などということにならないようにする算段を講じる方が遥かに重要といえる。
「ありがたい提案ですが、どの道、僕は一三歳になり、ミラード家を出たら、帝都を訪れるつもりですし、それまで待つことにします」
「坊ちゃん、本当に一三歳になったら、この領地を出るつもりか?」
ダムが濃厚な不安を顔一面に張り付かせながら、決まりきったことを尋ねてくる。
「まあね、元よりそういう約束だし」
「私も学園を卒業と同時に、帝都で就職するつもり。それなら私も賛成かな」
アクアも私がこの地を出ることに賛同してくれている。というか、最近頻繁に、¨こんな場所にグレイはいちゃダメ¨、と顔を会わせる度に告げられている。
「アクアお嬢様か、グレイ坊ちゃんがこの地を継げばいいのに」
ボソッと、呟く使用人の一人に、アクアはため息を吐き出し、セバスチャンが無言の非難の視線を向ける。
「ごめんね、これは貴族の掟のようなものなの。この地はクリフ兄さんか、リンダ姉さんが継ぐことになるんだと思うわ」
その乾いた上辺だけの笑みは、既にアクアがこの地の未来を諦めてしまったことを強く連想させた。おそらく、今、アクアは救う対象を私のみに限定しているんだと思う。
正義感の強いアクアが、その選択に辿り着くまで、どのような葛藤があったかは不明だが、並大抵なことではないはず。それほど、この帝国の掟という闇は深いのだと思う。
「姉様も無理して身体を壊さないようにしてください」
アクアには散々世話になった。これは心からの私の言葉だ。
「ありがとう。でも、辛くなったらすぐに帝都に来ること。それだけはお姉ちゃんと約束して」
「はい」
アクアは席から立ち上がると、私を抱きしめる。身体を小刻みに震わせていることから察するに、泣いているんだと思う。それは別れの悲しみか、それともこの故郷に何も為せぬ悔しさからか。いや、両方からかもしれない。
アクアは次の日、帝都に向けて出立した。クリフのときは、ミラージュの村長と村役十数人だけに過ぎなかったのに、アクアはミラージュ中の村民に見送られる。少なからず、この地でアクアは、村民達のために奔走してきた。その結果の差だと思われる。
お読みいただきありがとうございます。




