閑話 我儘娘のお見合い
「先生……」
午前中の授業終了後、死にそうな顔のテレサから声を掛けられる。
「ふむ、どうかしたか?」
いつも陽気なテレサにしては珍しく塞ぎこんでいるな。
「今から少し時間ある?」
「ああ、構わんぞ」
椅子に座ろうとするが、
「ここじゃ、ちょっと……」
要するに皆に聞かれたくはない話ってところか。
「了解だ」
テレサの手を取り、サガミ商会第二食堂まで転移する。
第二食堂は、商会の裏に設置されたテラスを大幅に改築したものであり、真夏にはかなり混雑しているが、いかんせん、この寒空で外で食べたいという酔狂もいない。だから、冬季はこの第二食堂は休止中となっている。
「暫し、待て。昼食を持ってくる」
「う、うん」
私は一階の第一食堂まで階段を下りて行った。
昼食を食べながら、テレサが口を開くのを待っていると、遂にぽつりぽつりと話始めた。
「ほう。例のお見合いの日取りが決まったか」
「うん」
いつも快活なテレサがここまで沈んでいるのだ。気乗りがしないのは間違いあるまい。
理由は、例のテレサの初めての見合い相手ってやつか。
「伯爵殿や母上殿には話したのか?」
首を左右に振るテレサ。
「なぜ?」
「だって、あいつに負けた気がするし……」
そんな一文の得にもならぬ意地を張ってどうする。子供の思考回路にはおっさんはとてもついていけぬ。
「なら、今から話して断ればいいだろう? 正直、お前の我儘など今更過ぎて大して困りはすまいよ」
「でも、お母様が、私が断ったら御姉様に話を持っていくって。御姉様に迷惑かけたくないし」
「御姉様? お前って確か、一人娘じゃなかったか?」
「あーうん、私の従姉の御姉様。昔からよく一緒に遊んでくれたの」
「なーるほど、で? お見合い受けたくないんじゃないのか? 今更姉を気遣ってどうする?」
「そうなんだけど……」
どうにもはっきりしないな。いつもは自己主張は強く、ある意味生徒たちの中では一番わかりやすいのだが。
「じゃあ、お見合いを受けてからきっぱり断ればよかろう。所詮お見合い、婚約ではない。お前の母上殿もお見合いに出る事を望んでいるだけで、婚約や添い遂げることまでは期待してはおるまいよ」
そもそも、お見合いはその判断をするための場所だしな。
「そうだけど……」
どうにも煮え切らないな。やはり、思春期の子供の恋愛相談など私には荷が重すぎる。
「もし、嫌な相手なら断ればいい。私からもお前の意思を尊重するように、伯爵殿に進言しといてやる」
「でも――」
何かを言いかけるが、右手をプラプラ振ると、
「安心しろ。悪いようにはしない。お前はいつものようにやりたいようにすればいいさ。それより、早く食ってしまえ。午後の授業に遅れるぞ」
「私ってそんなに我儘?」
頬を膨らませて不満を口にするテレサに、
「猪突猛進なのは否めまいな。親御さんからも普段から同様の苦言を呈されているのではないのか?」
「ぶー」
口を尖らせるテレサに深い深いため息を吐く。もっと淑女としてふるまって欲しいものだ。外見は良いのだし、振舞いさえ直せば引く手あまただろうに。
私は非難の意思表示をしてくるテレサをガン無視し、寒空の中、すっかり冷めたスープを喉に通した。
◇◆◇◆◇◆
本日は帝都の三区にある屋敷を訪れている。
伝統的に第三区は、地方豪族たちの勢力が強く、地方豪族たちの居住区やパーティー会場及び、下級役人や上民、平民の居住区が連なっている。
(ここか)
四階建ての煉瓦造りの屋敷。この地区では相当な豪邸だ。これが、マクバーン辺境伯たち有力豪族が共同所有する寄合所たる【紫廊庵】なのだろう。
屋敷に入ると、玄関口でハルトヴィヒ伯爵の部下であるブライが出迎えてくれた。
「わざわざ、済みませんね。グレイの旦那。奥方様がどうしても乗り気でやんしてね」
数日前に突然、所定の日にこの屋敷までくるよう懇願の手紙を受けた。
どうにも、ハルトヴィヒ伯爵らしからぬ丁寧な手紙の内容に、若干困惑していたんだが、奥方からの手紙だったわけだ。
「いえ、構いませんよ」
ハルトヴィヒ伯爵には散々世話になっている。貴族のパーティーに足を運ぶくらい朝飯前だ。
「では会場に案内いたしやす」
ブライの後に続き、二階への階段を上がっていく。
ブライが扉を開けて、部屋に入る。
部屋はドーム状の施設となっていた。そして部屋の中にいる無数の人。
ハルトヴィヒ伯爵とその奥方、テレサ、今の私と背丈が変わらぬ水色のドレスの小柄な少女、その他20人近くはいると思う。皆、煌びやかな正装を着用しているので、パーティーとの認識は誤ってはいないと思う。
それにしても、この面子の半分以上は商取引であったことがある。ハルトヴィヒ伯爵家の親戚のかなりの割合が出席しているようだな。
(グレイ卿、よく来てくれた)
部屋の中心にいたハルトヴィヒ伯爵が、私に近づき肩を叩きつつも耳元で小声で囁く。
(ええ、招待いただきありがとうございます。それよりこれは何の行事です?)
(ああ、やはり、知らされておらなんだか……)
ハルトヴィヒ伯爵の視線の先には微笑を浮かべて佇む長身の女性。あれが伯爵の奥方だ。
視線が合うと、恭しく頭を下げてくる。
伯爵はあの奥方だけには頭が上がらない。中々の御仁だ。
(なんか、嫌な予感しかしないんだが)
『あーあ、この先の欝展開が儂にも読めてきましたわ』
ムラの僅かな呆れと強烈な不快感を含んだ声が頭の中で反芻する。
(お前、それってどういう――)
「あんたがグレイ?」
水色ドレスの少女が私に近づくと目を細めてマジマジと私の観察を開始する。
「そうだけど」
この子はまだ一度も目にしたことがないが、整った顔の造形や雰囲気など、どこかテレサにイメージが似ている。おそらくテレサの従姉か何かだろうか。
「ふーん、強そうに見えないわね。というか女子みたい」
腰に両手を当てて、そんな不躾な評価を口にする。
「それはどうも」
容姿についてのこの手の評価は日常茶飯事。すっかり慣れてしまった。
「叔父様たちの推薦する男の子って聞いたから、どんな野獣のような奴が来るのかと思ったけど、結構真面じゃん。いいんじゃない。優しいあの子にピッタリよ。それに本人も随分乗り気みたいだしぃ」
そんな意味不明な発言をしつつも、水色ドレスの少女はテレサに半眼を向ける。
テレサはドレスのスカートの裾を握りしめ、真っ赤なトマトのように全身を紅潮させつつも、俯いたまま視線を床に固定させていた。
はて、テレサとは仮面のないこの姿でも一度会っている。今更、恥ずかしがるような関係ではあるまいに。というか最後は泣かせてしまったわけだが。
ほどなくパーティーが開始される。
私も会場にいるハルトヴィヒ家の出席者に一通り、挨拶をした。幾人かは既知のビジネスパートナーであり、世間話をしただけであった。
「では、あとは若い人に任せましょう」
奥方のそんな有難迷惑な提案で、テレサと屋敷のテラスに追い立てられてしまう。
若いというなら、あの水色ドレスの少女も該当すると思うんだがね。まあ、これ以上ややこしくならないことには賛成だ。
「久しぶり」
実際はつい先日会ったばかりだがな。
「う、うん」
テレサは自らの両手を絡ませ忙しなく動かしているだけで、頑なに私と視線を合わせようとしない。
あまり怒り心頭な様子でもないし、一先ずは良好な人間関係を築けているようだ。まあ、彼女の怒りのポイントは私には予測不能だ。また同じ轍を踏むとも限らんわけだが。
「……」
「……」
まいったな。話すことがない。世間話をしようにも、『学校生活はどう?』と聞くわけにもいくまい。私の演技は筋金入りの大根だ。演じれば、まず確実に襤褸がでよう。
「ねぇ」
注がれたカップの中のサガミ商会の目玉商品珈琲をちびちびと飲んでいると、テレサが口を開いた。
「ん?」
「ごめんなさい」
「何が?」
相変わらず脈絡がない会話をする娘だ。日頃から主語と述語をきちんと述べるよう言い聞かせているのだが。
「引っ叩いたこと」
ああ、そういえば、そんなこともあったな。ずっとテレサたちの教師として関わってきたから、そんな確執すっかり忘れていた。
「別にいいさ。君なりの理由があったんだろ?」
「うん」
小さく顎を引くテレサ。普段の破天荒娘を知っているせいか、こうもしおらしいとどうにも調子が狂う。
「なら、謝る必要はないさ。僕も謝らないし」
何せ、なぜテレサが怒ったのかさえも不明なわけだしな。
「何それ? 変なの」
私の発言に、クスクスと笑うテレサ。ようやく彼女らしくなってきたようだ。
ようやく打ち解けてきた彼女に私も日常の他愛もない話に話題を移していく。
すっかり、彼女と話し込んでしまった。
会話とはいっても、ほとんどがテレサの話を頷き聞いていただけだったが、それでも彼女とこれほど長く突っ込んだ話をしたのは初めてだった。
テレサは、一旦口を噤むと私の顔をマジマジと観察してくる。
「ん? どうした?」
「君って絶対この会の目的わかっていないでしょう?」
「伯爵殿の主催する身内のパーティーじゃないの? まあ、僕のような部外者も呼んでいただき大変光栄というものです。はい」
サガミ商会とハルトヴィヒ伯爵家は、重要なビジネスパートナーだ。だから、これは本心からの言葉だ。
「やっぱり、そんなことだろうと思った」
私の当たり障りない返答に、半眼で私を見ていたが、瞼を閉じて大きなため息を吐くテレサ。
「その人間失格者に対するような態度は若干、傷つくんだけど?」
そんな心にもないことを言ってみたりする。
「はいはい、君はそれでいいんだと思う。君の唐変木さはよくわかったし、それに一々腹を立ててたらこちらが持たないわ」
「ひどいいわれようだな」
「当然よ」
テレサは立ち上がる。そろそろお開きというところだろう。私も椅子から腰を上げると、彼女が正面から私を見据えていた。
「どうかした?」
テレサの私を見つめる生真面目な一点の曇りもなさそうな顔に、思わず尋ねかける。
「私が魔導学院を卒業したら、グレイ、君に伝えたいことがあるの」
「別に今すぐにでも聞くよ?」
「それはだめ。きっと今のままじゃあ、私の望みは叶わないことがよく分かったから」
「そうか。なら、君の卒業を待つよ」
動機は不明だが、テレサは魔導学院の卒業に何かを見出したのかもしれない。
もしかしたら、彼女にも新しい将来の夢や目標のようなものが見つかったのかもしれぬ。それは一教師として嬉しく誇らしいことだ。
「ありがとう。私、頑張るよ。精一杯頑張るから」
「うん、期待してる」
私ができるのはただ彼女達生徒を見守り、応援してやることだけだ。
「あのね、グレイ、最近御姉様に教わった御まじないがあるの。試していいかな?」
テレサは両手を後ろで握ると、悪戯っぽく微笑んだ。この姿は普段の絶好調のテレサだ。大方新たな悪戯でも思いついたか。
「いいよ」
「じゃあ、目を閉じて、いいというまで絶対に開けないでね」
「なぜだい?」
「いいから」
いつになく強引な彼女に、肩を竦めると瞼を閉じる。
大方、占いか何かだろう。女子はその手の儀式が好きそうだしな。まあ、そのくらいいくらでも付き合ってやるさ。
「……」
テレサがゴクッと息をのむのが気配で分かった。
私の両肩にテレサの両手が置かれ、次の瞬間、唇に生じる柔らかな感触。
「っ!?」
その独特で甘い感触に私の灰色の脳は一時的に緊急停止し、指先一つ動かせなくなる。ただテレサと約束を守るべく私は瞼を閉じ続けた。
真っ白になった頭の中、彼女が離れる気配がする。
「もう開けていいよ」
言われるがままに瞼を開けると、熟したリンゴのように顔を紅潮させたテレサが視界に入る。
「……」
状況が読み込めず、茫然と突っ立っていると、
「これでお相子よ。じゃあ、約束忘れないでね」
逃げるようにテラスから飛び出してしまうテレサ。
『この世の理不尽を恨みたい!』
咽び泣くムラの声が頭の中に反響する中、私は彼女の後姿をただ黙って見送っていたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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