第16話 到底戦いとは呼べぬ茶番
シーザーの振り下ろした剣を、蛇鬼はバックステップで易々と躱すと、壁に立てかけてあった大鉈を手に取り肩に担ぐ。
私は、奴の動きに若干の違和感を覚えながらも、中位の水系魔法――【水荊】を数回、重ねて発動する。
大気中に出現した無数の水の棘は、一気に高速で、蛇鬼に殺到する。
「温いわ!!」
蛇鬼が、大鉈を無造作に振り抜くと、水の棘は全て水滴となり、霧散する。
やはりか。今の奴の動きにつき、目で追うのがやっとだった。この動体視力は、今の私の現状のステータスの状態での予測とぴったり合致している。だからこそ、おかしいのだ。今私は、小鬼と相対している。ならば、【小鬼殺し】の称号の効果により、全能力値は上昇しているはず。ならば、動体視力も上昇していなければ、道理にあわない。
つまり、【小鬼殺し】の称号の効果は享受できていない。そう考えるべきだ。
戦いの中で称号を発現させるのは、骨が折れるな。というか、そこまで遊ぶ必要もあるまい。私は慎重派なのだ。
この度は危険を冒す必要はない。なにせ、丁度よく、切れ味が抜群の剣がいるからな。少々、扱いが難しいのが玉に瑕だが、目の前の単細胞程度なら、どうにでもなる。
私は、構えを解く。先ほどの動作で、こいつの底は見えた。もはや、イレギュラーでもおきなければ負ける要素は何もない。
「おい、木偶、お前には先に謝っておく」
「今更、命乞いをしても無駄だ。貴様らは、固くて不味そうだからな。ひき肉にして眷属共の餌にしてやる」
闘争中にまで食欲を優先させるか。今まで碌な奴らと戦ってこなかったのだろうが、あまりに哀れすぎるな。
私は、円環領域で、この部屋の広さと構造をミリ単位で把握する。
「元来、弱者をいたぶる趣味は私にはない。だが、中途半端に力があるお前も悪いのだぞ」
【火柱】を部屋の定位置に、出現させ、その炎の柱と柱を【風壁】により、カバーしていく。これで全ての用意は整った。
あとは、私の手足次第。
「シーザー、好きに戦え」
どの道、今日知り合ったばかりのシーザーと信頼関係も糞もない。シーザーには精々、私の剣としての役割を担ってもらう。
「好きに戦えって、お前……」
ちらりと、私に困惑の視線を送ってくるシーザーを平然とスルーする。どうせ、私の意図など、嫌というほど直ぐに理解することになる。
数十の【火球】を空に出現させ、蛇鬼に一斉射出した。
◇◆◇◆◇◆
いくつもの【火球】が、次々に蛇鬼の皮膚に衝突すると弾け飛ぶ。
「無駄だと言うとろうがっ!!」
激高する蛇鬼のすぐ脇を【水荊】による水の棘が鞭のように駆け抜ける。
「どこを狙って――」
水の棘は、【火柱】に衝突し、蒸発。熱い蒸気が周囲に立ち込める。
「ぬ!?」
真っ白な蒸気により視界が遮られ、戸惑いの声を上げる蛇鬼。
「シーザー、三歩だ」
それだけ叫ぶと、【水弾】の水圧により、シーザーの背中を蛇鬼に向けて押してやる。
「うぉ!?」
素っ頓狂なシーザーの声。まったく、その程度で動じるな。しっかり、私の剣の役目を演じてもらいたい。
「ぐがぁ!!」
見込み通り、シーザーが、蛇鬼の背後から奴の左腕を切り落としたのを、円環領域で確認する。
「下郎共がぁっ!!」
咆哮し、右腕に持つ大鉈を振るい蒸気を吹き飛ばす。煙から現れたその顔は、まさに悪鬼のごとく歪んでいた。
「無駄だ」
いくつもの【火柱】に、水の棘が衝突し、大量の蒸気が発生し、忽ち視界は遮られる。
炎の柱と【風壁】の風の壁により、蒸気は大量に貯まり、充満する。そう簡単に、蒸気は振り払えない。おまけに――。
【岩弾】を発動し、蛇鬼の四方から、細かく小さな岩を断続的に放ち、奴の触覚と聴覚をかく乱する。
もう、シーザーも察しがついたろうし、何歩か叫ぶ必要もなかろう。
【水弾】の水圧により、再度、シーザーの背を押してやる。
「ぐごっ!」
左前方から迫ったシーザーにより大腿部から切断され、バランスを崩し、蛇鬼は顔面から地面へ衝突する。
さて、そろそろ締めだ。
【鎌鼬】を全力解放する。蒸気を一瞬で吹き飛ばすほどの風の刃が、蛇鬼の全身に冗談とは思えぬ数の傷を刻む。
「ぐがあっ!」
仮にペーパーナイフ程度の威力だったとしても、全身をくまなく切り刻めば、想像を絶する痛みだ。
痛みに悶える蛇鬼に向けて、再度、シーザーを押してやる。
シーザーの長剣が、袈裟懸けに、振り下ろされ、緑色の血をシャワーのように噴出しながらも、蛇鬼は仰向けに倒れる。
蛇鬼に、残されているのは、胴体と頭部と右腕だけ。チェックだな。
「お前にもう少し、知恵があれば、多少はてこずっていたろうよ」
自らよりも格下だと思っていた相手に、何もできず、一切の抗いを許されぬ死。喜べよ。お前にとっては、最低な死……そう思ってやることにしてやる。
剣を片手に、十分に警戒しながらも蛇鬼に近づくシーザーに、中位、風系魔法【風鎧】を重ね掛けする。蛇鬼相手には大した効果もないが、シーザーならそれでも上手く利用するだろう。
十分な距離を近付いたシーザーは、蛇鬼に向けて、長剣を振り上げる。
『許さぬ』
ぞっとするような怨嗟の声が鼓膜を震わせる。
それは、瞬きをする間。蛇鬼が緑色の瘴気に包まれた。
――バキ! グシャ! ベゴッ!
生理的嫌悪のする音が部屋中に響き渡る。
「シーザー、まずい! 直ちに殺せ!」
全身を駆け巡るとびっきりの悪寒に、鳥肌がプツプツと生じていた。
「了――」
シーザーの言葉は最後まで続かず、私のすぐ脇を何かが高速で通りすぎていく。
それが、シーザーだと脳が理解したとき、私の正面には五体満足で佇む緑色の鬼。
黒かった髪と瞳も緑色に染まり、爪と牙が鋭く長く伸び、体格は一回り大きくなっている。見た目は、まさに、御伽噺に出てくる鬼だ。
解析をするが――。
―――――――――――――――
〇蛇鬼
ステータス
・HP:C(――/100%)
・MP:C-(――/100%)
・筋力:B-(――/100%)
・耐久力:C+(――/100%)
・魔力:C-(――/100%)
・魔力耐久力:B(――/100%)
・俊敏力:C+(――/100%)
・運:C+(――/100%)
・知力:C-(――/100%)
〇種族:ゴブリンロード
〇称号:ゴブリン族の英雄王
――――――――――――――――
まずいな。力の差があり過ぎる。これでは、背を向ければ瞬殺されそうだ。しかも、剣たるシーザーはさっきの不意打ちで、ピクリともしない。【風鎧】をかけているから、一応、生きてはいようが、戦闘からは排除しておくべきだろう。
「下等生物共が、王たる余に歯向かう愚行、十分に思い知らせてくれる」
蛇鬼の姿が消えると、私の身体は地面に叩きつけられていた。
そして、目を血走らせながらも、私を踏みつける蛇鬼。ミシミシと骨が軋む音とともに、全身に耐えがたい激痛が走る。
いきなり絶対絶命かよ。だいたい、ピンチにこうも容易く覚醒するとは、少年漫画も真っ青のご都合主義だな。まったくもって、反吐が出る。
まあ、いい。どの道、この下種に背を向けるなど今の私にできそうもない。というか、このような闘争の基礎も知らん小物にこの私が敗北するなどありえない。
私の魔力と筋力では奴を傷つけることはできない。そして、それは仮にシーザーが戦闘に復帰したとしても同じだろう。小手先では、どうやっても勝利は難しい。
ふん、なら称号――【小鬼殺し】が使用可能となればいいのだろう? 簡単なことさ。少なくともこの場から逃げ帰るよりかはずっと。
左目を閉じ、思考を一時的に心の中に潜り込ませる。
私の前にはいくつもの紐がある。その紐同士は雁字搦めに絡み合い、とっかかりすら掴めない。その紐を一つずつ、一つずつ、紐解いていく。
それは時にして0コンマ数秒にすぎまい。ようやく紐が解け、前方には眩く光る球体。
それに手を触れると――。
『称号――【小鬼殺し】の完全開放に成功いたしました』
そんな機械的な女の声が脳に反響する。
不意に全身の痛みが消失する。
私を踏みつける蛇鬼の右足首を掴み、起き上がる。
「なっ!?」
驚愕の声を上げる蛇鬼の身体を渾身の力で地面へ叩きつけた。
ドゴォォッ!!
地面に無数の裂け目が入り、巨大なクレーターができあがる。
「がはっ!!」
奴の右足首を掴んだまま、血反吐を吐く蛇鬼の身体を持ち上げ、さらに、叩きつける。
何度も、何度も、何度も――私は叩きつけ続けた。
十数回の地面への殴打の後、蛇鬼は全身の力を脱力させる。
その足首は明後日の方向に捻じれ曲がり、顔の鼻は潰れ緑色の血液が勢いよく噴出していた。
「ぎ、ぎざま――」
何か口にしようとしていたが、私は構わず壁に投げつける。
クルクルと高速回転しつつも、壁に顔面から衝突し、グシャと肉の潰れる音が部屋中に反響する。
地面を蹴り、跳躍、一回転し、天井へ着地する。そして、天井を全力で蹴り上げ、蛇鬼へと突進し、その陥没した顔面に、渾身の右ストレートを叩き込む。
間髪入れずに、左ストレートに、アッパー――奴の全身をくまなく壊し続けた。
私の前には、ぼろ雑巾のように地面に転がる蛇鬼がいた。
両手両足は折れ曲がり、顔は潰れ、精悍な顔は見る影もない。
「ゆ……で」
「悪いが、何を言っているのかわからない」
ふん、わかる必要もないがね。
私は無造作に右手の掌を奴に向ける。
「グガッ!!!」
私を見上げる顔一面に濃厚な恐怖が浮かび上がる。
必死で抵抗を試みる蛇鬼に私は、最後の言葉を掛けることにした。
「運がわるかったな」
あのまま死んでいたら、こいつも幾分救われたのかもしれん。
「グギィ!!!」
私は、【鬼殺界】を発動し、世界は大口を開け、蛇鬼を絶望の底へと飲み込んだ。
◇◆◇◆◇◆
????――蛇鬼
蛇鬼が目を覚ますと、そこは四方を赤色のタイルに囲まれた部屋だった。
気配のする部屋の中心に視線を向けるが――。
「ひっ!!?」
小さな悲鳴が口から漏れ出る。
そこには、無数の粒子がうごめく人型の塊があった。
これは、おそらく、蛇鬼の小鬼としての本能。まるでこの世のあらゆる悪意をより集め凝集させたような姿に、とびっきりの不安が嘔吐のように何度も襲い掛かってくる。
「おっ! そうだよ。それが、君らの真っ当な反応ってやつさ」
白色の悪意の塊は、うんうんと満足そうに何度も頷く。
「き、貴様は……」
躊躇がちに尋ねると、白色の塊は、ニンマリと笑みを浮かべる。
「僕? 僕は水先人さ」
「ふざけるなっ!」
「益々、いいねぇ、その恐怖のたっぷり入ったリアクション。ポイント高いよ。あいつの後だと特にね」
初めて、白色の塊は、不快そうに口端をへの字に曲げる。
「答えろっ!!」
あらんかぎりの声を張り上げる。
「あんな人の皮を被ったバケモノに目を付けられるとは、存外君も運がない。助けてやりたいのは山々だけどさ、これはルールだからね」
「何を……言っている?」
カラカラに乾いた喉でどうにか疑問の言葉を絞りだす。
「僕は水先人、それ以上でも以下でもない。
これから、君は無限の死の螺旋への旅に出る。それは終わることがない永久の牢獄」
「余を元の場所へ戻せっ!!」
激高するも、両足首に鈍い痛みが走り、恐る恐る顎を引いていくと――。
「っ!!!?」
心臓を直接鷲掴みにされたかのごとき、強烈な嫌悪感。床の真っ赤なタイルからは、無数の人間の子供の上半身が生えており、蛇鬼に纏わりつこうとしていた。
「彼らに連れてってもらいなさいな。では、良い旅を」
「い、い、いやだぁっ!!」
その懸命な抵抗を嘲笑うかのように、真っ赤な血の涙を流す無数の子供達は、クスクス笑いながら、蛇鬼に次々にしがみ付き、床に引きずり込んでいく。
「余は、余は――!!」
とびっきりの恐怖と絶望、そして、僅かな後悔のもと、蛇鬼の意識は、冷たい床に食いつくされていく。
お読みいただきありがとうございます。




