第28話 授業――政治論
聖暦905年6月7日(金曜日) 午前7時
三週間が経過した。
あの一件以来生徒達がクエストに真剣に取り組むようになる。私の【伝説の教師】の効果を把握したのだろう。遅かれ早かれ知られるとは思っていたしそれを修行の一環に組み込んでもいた。だが流石にこれは聊か早すぎだ。想像以上に私の生徒達は優秀なのかもしれん。
同時に、魔法の修行の一環なのだろう。彼らの老朽化した学生寮を自主的に修繕し始めているらしい。良い傾向だと思われる。
午前中の一般教養の授業は、やはり魔法の授業と比較し、温度差が激しいのは否めないが、それでも前よりはずっと真剣に耳を傾けるようになった。
現在、政治論について教授しているところだ。
「このように経済の形態には色々あるが、大きく封建社会的経済と資本主義的経済の二つがある。
前者は現在の帝国がとる体制に近い。要するに、最高権力者である皇帝が各領主に土地を分け与え、領主が年貢である税を皇帝の名で領民から徴収するシステムだ」
「そうだ! 我ら帝国貴族は、陛下から賜った領地を健全かつ最良に統治することが最良の使命。それこそが、結果的にも領民たちのためになるっ!」
クリフが自信満々に、私の言葉に注釈をつける。そして、ミアやテレサを始め、プルートでさえも、クリフの言に異論はないようだ。これが、この世界の政治経済学の一般常識という奴なのかもしれない。
「いや、この世界は既に商業ギルドの存在により、商品経済に舵を取っているよ。しかも、貨幣経済も発展しているから、きっと、封建主義的経済は直に崩壊し、資本主義経済へ移行すると思う」
エイトが私にも意外な異論を唱えた。
「はんっ! この帝国の体制が変わるとでもいうのかい?」
「うん。近い将来、変わると思う」
「君は――」
激高するクリフを右手で制し、
「ふむ、エイト、君はなぜ、そう思うのかね?」
「だって、あまりにストラヘイムの発展が早すぎるもの。地方からでてきて商売する人が増えてるそうだし……」
資本主義経済の成立に必要なのは、商品経済の発展と、資本家と労働者の誕生だ。
商業ギルドの存在により、商業経済の発展と資本家の存在の土壌はすでにある。あとは、労働力さえ確保されれば、資本主義経済は成立する。
ここで、封建主義的経済は、あくまで領地とは農地と同義。税である年貢の徴取が重視される経済。もっと簡潔にいえば、年貢の徴取と人民支配以外どうでもいい経済体制だ。故に、領主の許可なく農地を捨てることは許されていない。帝国内に関所がある理由も、本来農民たちの逃亡を防ぐための制度だろうしな。
ただし、商品経済が著しく発展すると、労働力も当然に必要となり、資本家達は安価な労働力を求めて、農地にも積極的に募集を掛けていく。農地で国家から一生こき使われるより、よほど儲かる仕事だ。こうして、領民たちは農作業から、商業の世界へと足を踏み入れていくのである。
現在の帝国でも、厳格だった制度はかなり緩和され、責任を持って各農地を守る農家が一戸いればよいことになっている。兄弟姉妹すべてが従事する必要はなくなっているのだ。
まだ大部分が農作業に従事しているが、それはまだこの帝国での農業技術が低いからに過ぎない。農業技術が向上していけば、農業における労働力は過剰となり、商業の世界へと雪崩れ込んでくるようになることだろう。そうなれば、確実に経済は自由資本主義へと移行していく。
「ふむ、そうなるとこの帝国の政治はどう変革すべきだと思うかね?」
「……」
エイトは一度周囲をグルリと見回すと、顎を引き、口を堅く閉じる。
そうか。お前にも聞こえるか。この先、確実に起こるこの帝国での崩壊の足音が。
門閥貴族共による圧政の矛盾と軋轢、商業ギルドという無情で実力本位の資本という新たな権力の台頭。加えて、トート村やラドル等での科学技術の急速な発展によるGDPの急激な上昇を見れば、よほどの間抜けな領主でもなければ、自分もその恩恵に預かりたいと思うのは道理。
私のちっぽけな意思などに関わらず、農民階級だった個人の富の爆発が帝国各地で起きる。各個人が富と知恵をつけていけば、もう封建制度など維持していける道理はない。私はただ、最後の背中を少しだけ押してやるだけでよいのだ。それがこの授業の意義だと個人的には思っている。
「いいかよく聞け。この帝国の封建制は間もなく崩壊する」
息を飲む生徒達。
「先生、貴方の今の発言は、我ら貴族制度の否定に繋がりかねない重大な背信行為ですよっ!」
「そういわれても事実だしな。それに、私は、貴族による国家統治には反対の立場だし、その批難は的外れもいい所だぞ」
「なっ!?」
まさか、こんなきり返しをされるとは思ってもいなかったのか、口をパクパクさせるクリフ。他の生徒達も微妙な顔をしている。この帝国では、貴族という支配権力が全てを決定してきた。全て他者任せで思考停止するのは、実に楽な現実逃避だし、至極当然の反応かもしれない。
「別に私は貴族という階級そのものの存在を否定しているのはではない。貴族という個人から国家権力を剥奪すべき。そう言っているに過ぎない」
「そ、それは貴族制度の否定と同じことだっ!」
「ああ、貴族制度が、貴族のみが国政の実権を握るという点からすれば、そうなのだろうさ」
私は何も貴族制度の全廃をしろと主張しているのではない。ただ、貴族という政治、経済的な人的優遇を合理的な限度で排除できる構造があればよい。
それでも、人は伝統と格式を求めるものだ。就職や結婚は遥かにしやすいだろうし、十分なプレミアムは付与されると個人的には考えている。
「先生、僕は貴方を教師として認めている。でも、これだけは納得がいかないし、譲れない!」
席を立ち上がると両手で机を叩き、クリフは宣言してくる。
「そんなの当たり前だろう」
「はぁ?」
よほど私の言葉が意外だったのか、素っ頓狂な声を上げるクリフに、他の生徒達も眉を顰めた。
「これは授業だぞ。宗教の布教活動や政治的な洗脳活動ではない。あくまで事実や知識を教え広めるための場所。私の言葉が正しいかどうかは君ら自らで考え選びなさい」
それは決して楽な道ではない。自らの固定概念との葛藤は常にあるだろう。だが、それでも彼らが悔いのない道を選び取れると、私は信じている。
「では、これで午前中の授業は終了とする。各自、しっかり、昼食を食べてから魔法の授業に臨むように」
私は終了の宣言をすると教室を後にした。
いつも読んでくださってありがとうございます!
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これも読者の皆様のおかげです。心から感謝いたします。
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