第12話 ゴブリン襲撃事件勃発
私の意識は、深くて暗い闇の中を漂っていた。そこは、冷たいけれど、どこか懐かしい、そんな場所。
そんな一筋の光すら差し込まない闇に僅かなノイズが混じる。そのノイズは、次第にそして、ゆっくり、大きくなっている。
揺さぶられる身体に、重い瞼を開けると喧噪や劈くような怒号が鼓膜を震わせる。
上半身を起こし、何度か頭を振ると、隣には焦燥溢れた表情のサテラが座っていた。状況から察するに、彼女が私を起こしてくれたのだろう。
「これ、何の騒ぎ?」
「ついさっき、小鬼が再度襲ってきたらしいです」
このタイミングでの小鬼の襲撃か。それは、混乱の極致だろうな。
平均能力値が、F+のセバスチャンなら、小鬼の撃退など朝飯前だろう。ここまで大騒ぎになるはずもない。とすれば、答えは一つか。
「セバスチャンはいないんだね?」
「はい。あの悪い人達を連行していきました」
あの年寄会とかいう司祭の老婆共か。なんとも最悪なタイミングではないか。これでは、また、山神の怒りなどという世迷言を叫ぶ奴が現れかねんな。
立ち上がり、サテラの頭をそっと撫でる。
サテラは、真っ青な顔で全身を小刻みに震わせていた。
そうだな。最近、麻痺してしまってはいるが、子供にとって魔物とは恐怖の対象のはず。彼女のこの怯えも十分すぎる程、理由がある。
「サテラ、大丈夫、少し目を閉じていなさい」
素直に目を瞑るサテラの頭を撫でながらも、彼女をストラヘイムの私の宿の部屋まで転移する。
さて、せっかく癒したのに、また怪我人が多数でたのでは、目も当てられない。
屈伸運動をするが、驚くほど身体が軽い。頭もスッキリしているし、体調は万全のようだし、とっとと駆除しよう。
名主の屋敷を出ると、続々と庭に集まっている村人達。
よほど恐ろしいのだろう。皆、野ねずみのように縮こまり、真っ青に血の気の引いた顔で怯えている。
「聖人様、お目覚めになられましたか!」
名主が歓喜に塗れた表情で立ち上がると、一同から縋るような視線を向けられる。
まったく、己の尻に火がついている現状で、子供の私に期待してどうする。バリケードを設置するなど、震える前にやることがあるだろうに。
「小鬼共は?」
奴らの所在を尋ねる。
「村門の前ですじゃ。数十匹にも及ぶ大軍です」
円環領域で村全体の状況分析を開始する。
村をぐるりと取り囲む無数の小鬼共。数は……いや、数十匹どころか百はいるぞ。雑兵小鬼の強さの平均ステータスは、G+であり、魔法を使える個体もいない。大した強さではないが、数が多いし、小鬼隊長とかいう平均Fの小鬼も混ざっている。
確かにジュド達は一般の人間にしてはやるが、百を超える小鬼共相手では明らかにキャパオーバーだろう。現に、既に数匹は漏れてこの村内に入っているし。
ここも時間の問題だろうな。例え私が殲滅に動きだしても、確実に数匹は漏れる。彼らには、自分の身くらい自分で守ってもらう。
「男達は家の付近の家具の一切をこの広場の周囲に運べ。女達は、弓と槍の用意だ。
バリケードごしに、近づいてきた小鬼を射殺せ。雑兵小鬼なら当たれば死ぬだろう」
「で、ですが儂らは、戦闘の経験など――」
「死にたくなくば、四の五の言う前にやれ!!」
消え入りそうな声で、そんな阿呆な反論をしてくる名主に激高し、私は村門へと疾走する。
村の中心の大通りを走り抜けると、遠方に村を包囲するゴブリン共の軍勢が視界に入った。
小型の魔物とはいえ、百を超えればそれなりに圧巻だ。そのゴブリン共と血を流しながらも、懸命に戦う青年達。その勇気は認めるが、大軍に無策で挑むほど愚かなことはない。あの手の単細胞の敵には、本来、もっと適する戦術というものが存在するのだ。
遂に頭から血を流しがらも、膝をつくジュドと取り囲む無数の小鬼共。
ようやく、魔法の射程範囲に入ったので、右手の掌を奴らに向け、【鎌鼬】を発動する。
「ギィ?」
ジュドにボロボロの剣を振り下ろす小鬼の右腕が根元から切断され、地面へ落下する。
噴水のように噴き出る自身の血液をキョトンした顔で眺めている小鬼の全身に無数の亀裂が入る。そして、その亀裂はその小鬼を中心に同心円状に伝搬していく。密集していた七匹の小鬼の身体がずれると、肉片となって地面へバラまかれる。
惨状を目にし、ジュド達から、一目散で後退する小鬼共。私はジュド達の傍へ到達し、小鬼共を睥睨し、牽制する。
「馬鹿者! 大軍に隊列を組んで立ち向かってどうする!」
「す、すまねぇ、大将、お、俺……」
ジュドの目の中にうつろう絶望の色は、どうしょうもなく私をざわつかせた。
「ついさっき、カルラが奴らに攫われたんです!」
ジュドの友人の女が泣きべそをかきつつも、最悪の報告をしてくる。
小鬼が、人間の女を攫う目的か。食料か、繁殖か。いずれにしてもろくなものではあるまい。早く救出せねば、手遅れになる。
「カルラは私が連れ帰る。お前達は、一旦、名主の家まで戻り、そこで障害物をつくって、弓で応戦せよ」
「弓で? でもそんなの、一度でも突破されたら……」
「突破されそうになったら、長槍で、応戦するんだな。仮に突破されたら、死ぬ気で殺せ。今、お前達が生き残るにはそれしかない」
この手の籠城は、火の矢を使われたらお終いだが、ざっと見たところ、今村に攻め込んできている小鬼共に火矢を使える者も、火炎系の魔法を扱える者もいないようだ。しかも、子供並みの背丈しかない小鬼共では、バリケードの撤去はもちろん、それを這い上がるのにもかなりの労力を要する。ならば、その隙に長槍で突き刺せば、勝利はともかく、負けはすまい。
まっ、小鬼共にイレギュラーがあれば、その限りではないが、それを言っても始まらない。
ジュドは下唇を噛み締め俯いていたが、顔を上げ、
「大将、カルラを頼みます! お前ら、名主様のところへいくぞ!」
そう、叫ぶと皆を促し名主宅まで駆けていく。
さーて、これで思う存分、やりたいようにやれるな。時間もないし、とっとと殺すとしよう。
「ギイイイィィ!!」
間合いをとりながらも、私を包囲する一〇匹程の小鬼の群れ。奴らの及び腰の姿からは、一応、危機感を感じられる程度の知能はあるらしい。
もっとも――
「無駄だがね」
「【火柱】」
私が言霊を紡ぐやいなや、半径数メートルにも及ぶ炎の柱が正面の三匹の小鬼の真上に降りていく。嗅覚を刺激する肉の焼けこげる匂いと、ジュという蒸発音。残されるは、サラサラと重力に従いゆっくり落下する塵。
次いで、両手を伸ばし、【火球】もぶちかます。
一メートル程もある炎の紅の球体は、回転しつつも小鬼目掛けて驀進し、その身を一瞬で蒸発させる。
「グギィ!!」
恐怖のたっぷり含まれた絶叫を上げて、私を取り囲んでいた小鬼共は一斉に逃亡を図る。
先頭をひた走る小鬼に、巨大な大剣が横薙ぎに振るわれ、見事に胴体から真っ二つとなった。
「ニゲルナ! ニゲレバコロス」
それは、二メートルを優に超える巨体の鬼。あれが、小鬼隊長とかいうレアな魔物だ。
小鬼隊長が、大剣の剣先を私に向けると、逃げかかっていた小鬼共は渋々、再度私にボロボロで武骨な武器を向けてくる。
「ほう、人語を理解するか」
それは実に都合がいいな。
「ニンゲン、ウンガナカッタナ、オデニハ、マホウはキカナイ」
勝ち誇ったように、小鬼隊長はそう宣言する。
「なら試すことにしよう」
私は【火柱】の照準を小鬼隊長の両腕にセットする。
奴の魔法防御を司る魔力耐久力は、F+。確かに、少し前の私なら多少、分が悪かったかもしれん。
だが、つい最近、私の魔力はE+へと昇格した。魔力耐久力F+など問題にすらならならない。
「イカナルマホウモ、ワガ、ツヨキヒフヲ、キズツケルコトハ――」
自慢げに宣う奴の言葉を待たずに、【火柱】を発動した。
瞬時に、火柱がその両腕を根元から炭化させてしまう。
「グオッ!? オ、オデノ、ウデッ!!?」
間髪入れずに、地面に両膝を付き、苦しみ悶える小鬼隊長。
みたところ、こいつはゴブリン共の中では幹部クラス。こいつを使って、奴らの巣まで案内させることにしよう。
だが――。
「ふむ、他はいらんな。全て殺処分だ」
「グギイイッ!!」
私の言葉が通じているのかもしれん。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うゴブリン共。
私は、円環領域で逃亡を図るゴブリン共の全てをLock Onし、【鎌鼬】を発動する。
キィーン!
耳障りな切り裂き音。刹那、百を超えるゴブリン共にいくつもの基線が走り、粉々の破片となって、ドシャッと地面へ叩きつけられる。
「……」
地面に今も両膝をつき、息絶えたゴブリン共の死骸を茫然と眺めている小鬼隊長。その全身は小刻みに震えていた。
私は奴にゆっくりと近づくと、
「さあ、デカブツ。ゲームをしよう。三〇数えるまで私は追わない。精々、私から逃げきってみせよ」
その耳元で、そう囁く。
「ギガッ!!」
もはや、人語を話すことすら止め、僅かに生き残った小鬼共を吹き飛ばし、小鬼隊長は奇声を上げつつも、一目散で森内へ逃げていく。
円環領域を全開にし、今も必死の逃亡劇を演じる小鬼隊長をLockし、後を追う。
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