第11話 屈辱の扱い ミア・キュロス
肩を落としながら歩くミアの頭上に夕日の光が金色の矢のように大気を貫き突き刺さってくる。
シラベ先生の授業があったGクラスの敷地から人気のない山道を下っていくとようやく魔導騎士学院の校舎前まで出た。
魔導騎士学院の学生寮は、校舎の隣の広大な区画にあり、そこにはいくつもの豪奢な建物が立ち並んでいる。
この区画の最奥の今にも倒壊しそうなボロボロの三階建ての屋敷がGクラスに割り当てられた学生寮であり、これから魔導騎士学院でミア達の寝泊りする場所だ。
(ちゃんとコントロールできるようになったのに、発動すらできなかったの……)
あまりの悔しさに涙で鮮明な視界がぼやけてしまう。
先ほどシラベ先生の突き放したような言からも、かなり失望させたのは間違いない。ここで彼に見捨てられればミアは事実上破滅する。
(絶対に放校になるわけにはいかないのっ!)
ミアはキュロス家の当主――ベイル・キュロスの末の弟と下級貴族の娘の間に生まれた子。父は、兄であるベイル達には基本逆らえないような気弱で冴えない人だった。それでも、キュロス家の一員としてミアと母を養ってくれていた。
帝立魔導騎士学院と双璧を成す名門帝立――ローズ学園初等部での学園生活や、父や母との何気ない日々は退屈ではあったが、確かにミアは幸せを感じていたんだと思う。
その幸せの崩壊は、今でもはっきり覚えている。学園で初めて実施された魔法実習だ。当初ミアは他の生徒より早く魔法を発動し、キュロス家からも期待が集まっていた。
しかし、魔法のコントロールだけは何度やっても、上達はしなかったのだ。他の同世代の子達が次々に基礎的魔法を獲得していく中、ミアはいつまでたっても【火球】すらもまっすぐに飛ばすことができなかった。
魔法のコントロールが効かない。当時のミアにとってのこの欠点は些細なものに過ぎなかったが、キュロス家はそうは考えなかった。
門閥貴族の名家たるキュロス家は血統を最も尊いものとして重んじる。そして魔法、特に攻撃魔法は貴族の権威を裏付ける最も重視すべきたしなみの一つ。その攻撃魔法において、重要なファクターの一つであるコントロールが効かぬという事実を知ると、キュロス家はミアと母を排除にかかった。
おそらく、基礎魔法たる【火球】すらも碌に放てないという劣等の血をキュロスとして認めるわけにはいかない。そんなくだらない理由だったのだと思う。
ベイル・キュロスは、ミアと母を捨て一族に残るのか、一族と離縁するのかを迫られ、父は前者を選択してしまう。
結果、ミアと母は僅かな金銭を渡され、キュロス家を追い出される。キュロス家からの冷遇を恐れたのだろう。母方の実家は、ミアを教会に預けることを条件に母に戻ってくるよう提案するが、母はそれを固辞してしまう。そして、母とミアは完全に路頭に迷う。金銭など直ぐに尽きる。金銭の援助を申し込むが、キュロス家との面倒ごとを恐れて、誰も貸してはくれなかった。当然だ。尋常ではない経済力と武力と権力を有するキュロス家と面と向かってもめることは、ある意味破滅を意味したから。
当初、ミアとともに住み込みで帝都の豪商の家で家政婦として働くも、元々箱入りで身体が弱かった母は慣れない家事のストレスで身体を壊してしまう。母が苦しんでいるのは全てミアのせい。この時、ミアはただ自分の無力が情けなく、そして許せなかった。
住む家すらも失い母と道端で物乞いのような状態を数週間していたとき、予想もつかぬ者からミア達親子は手を差し伸べられる。
ロナルド・ローズ・アーカイブとアラン・クリューガーが通りかかったのだ。二人とは、ローズ学園初等部の同クラスだったこともあり、顔くらいは知っていた。
そうはいっても、ロナルドとアランは学園の人気ものであり、クラスでも常に中心人物。対してミアは地味であり、目立たない子。会話の一つすら交わしたことがなかった。だから初対面といっても過言ではあるまい。
ロナルド達の服装もその上品な雰囲気も昔の思い出の中のまま。それは、今の己のみすぼらしい姿とはあまりに対照的で、強烈な惨めさを感じていた。必死に他人を装うミアに、ロナルドは『君、同じクラスにいた子だね?』と念を押してきたのだ。このとき、なんて答えたのかをミアは覚えてはいないが、この日を境に母とミアはクリューガー公爵家に一時保護されることになる。
数日間、暮らした後、クリューガー家の当主――ホルス・クリューガーはミアを執務室へ呼び出し、次のように告げた。
『私は無能と無駄を嫌悪する。慈善行為などするつもりは更々ないのだ。通常なら何の価値もない君ら親子など放置しておくのが道理。だが、喜べ。君には私の評価を覆すだけの才があった』
何でも魔力検査の結果、ミアは通常人の数十倍の魔力を含有していることが判明したらしい。
そしてホルス・クリューガーは、ある条件を飲めばミアの母の病気の治療費と療養費を肩代わりする旨を申し出てくる。
その条件とは魔導騎士学院を卒業し、帝国正規軍へと入隊すること。この条件が叶えば、母の治療費と療養費は全て免除。対して条件が不成立となるのが決定的となったときは、ミアは多額の借金を負い、母ともにあの惨めで冷たい路上に放り出される。
要するに、ミアが魔導騎士学院を退学になれば、母の死は確定的となるのだ。
だから、ミアはクリューガー家に住み込み、ロナルドやアランと共に毎日懸命に魔法の修行に精進した。
遂に、魔導騎士学院の受験が始まる。受験についてはロナルド達と散々研究をしたし、ミアはコントロールに関係がない身体強化の魔法は他人より上手く使える。基本、魔導騎士学院は実力本位。合格の自信はあった。
世間ではキュロス家が中心となり大騒ぎとなっているようだが、既にミアはキュロス家とは絶縁状態だ。大して関係があるとは思えなかった。
緊張する気持ち抑え、魔導騎士学院の学科試験の受験場へ行くと奇妙な少年と出会う。
全生徒が必死に最後のあがきをしているとき、その少年は頬杖をついて外を見ていた。
ここの受験生は全員、この魔導騎士学院の受験に人生をかけている。だから、彼のあまりの余裕なその姿に、強烈な疑問と納得のいかなさを覚え、『あなた、随分、余裕なの』と尋ねていた。
『どうだろう』とのみ答える彼の言葉からも、他の受験生のような切迫した雰囲気は微塵も感じられない。合格するつもりがなく魔導学院を受験する者はそうは多くない。だから、彼の第一印象は、変わった少年程度だった。
その評価が明確に変わったのは、受験後に著しく興奮したロナルドとアランの二人から彼のことを繰り返し聞かされたからだ。
その金髪の少年は試験でロナルドとアラン達を導き、合格に導いたらしい。それだけではない。受験の短い間に、いくつかの魔法の改良版をロナルド達に教授したというのだ。
それだけの実力があれば別に魔導騎士学院など卒業しなくても、就職には困るまい。むしろ、どの勢力も必死に確保しようとするはず。
だから、合格発表の際、彼がSクラスの教授であると知り、妙な納得をしていたのだ。
呪術の存在を疑うほど、キュロスの名はとことんまでミアの足を引っ張ってくれた。先のアンデッド襲撃件で、よりにもよってベイル・キュロスが敵と共謀していたことが判明してしまったのだ。事実上、キュロス家の爵位は剥奪。平民へと成り下がる。
それだけなら別にいい。貴族出身であったことでメリットを受けたことなど数えるほどしかなかったから。
ことの本質は、ミアが帝国の裏切り者の一族というレッテルを張られてしまったことにある。
同胞だったはずの門閥貴族達が特に苛烈に煽ってくれたおかげで、先の戦争で親類を失った者達から帝国中の憎しみを受けることとなってしまった。キュロスの名を持つ者は、今や街を歩くだけで罵声を浴びせられ、石を投げつけられることすらある。
ミアはキュロス家である認知度は大していない。だが、あのクラス発表でミアの本名が開示されてしまっている。
ミアが寮の敷地に入ると、一斉に視線が集中し、次々に侮蔑の言葉が耳に入ってきた。
「ほら、あの子、裏切者の――」
「ああ、あの似非勇者とグルになって祖国を貶めた屑野郎の家系か! 今まで散々好き放題してきやがって! どの面してここにいやがるっ!」
「いい気なもんだよな。政府も爵位の剥奪だけじゃなくて、全財産没収でもすればいいのに!」
勝手なことを! ミア達親子がどんな目にあっていたかも知らないくせに!!
「まあまあ、もう少しの辛抱でしょ。どの道ゴキブリクラスなら直ぐに退学になるし」
宥めるかのような黒髪の少年の言葉に、奥歯を砕けるほど噛み締める。ミアが退学になることは、母の死に直結するのだ。この発言だけは絶対に許せない。
故に、足は自然に立ち止まり、発した声の源を睨みつけてしまっていた。
「裏切者の子が、睨んでるよ!」
「早くあのぼろ屋敷へ行けよ!!」
後頭部に衝撃が走り、目の前に火花が散る。頭部に生じた鈍い痛みに右手で触れるとヌメッとした生暖かで真っ赤な液体が付着する。足元を見ると、地面に転がる石。
わかっていた。今この帝国でキュロスの名を知れば、どこへいても同様の目に合うことくらい。それでもこんな苦労知らずの卑怯者だけには負けたくはなかったのだ。
だから――。
「だから薄汚い目で見るんじゃねぇ!!」
「国賊がっ!」
「卑怯者の一族めっ!!」
さらに一斉に放たれる石礫。身体強化の魔法を使用しなければ、ミアの筋力はそう高くはない。この石礫を全て避けるのはさすがに不可能。それでも、打ちのめされるだけの自分など到底、我慢ならなかった。
石礫がミアに届く寸前、それらは不自然にも空中で全て停止し、地面へと落下する。
「ミア、大丈夫か?」
気が付くとミアを庇うように佇む仮面の少年。
「先生……」
シラベ先生はミアの頭を優しく撫でると、取り囲んでいる生徒をグルリと見渡す。
「誰だ、お前!?」
短髪の少年が眉を顰めて激高すると詰め寄ってくる。
「ば、馬鹿、昨日檀上の隅に座っていただろう。その人、教授だぞ!?」
慌てて隣の少年の一人がその肩を掴んで制止した。
「それより、今の石どうやって防いだの?」
ボソッと呟く女子生徒の声に、
「まさか、詠唱破棄?」
「マジか、初めてみた!」
忽ち、周囲は好奇心の言葉で埋め尽くされる。
「ふむ、まさかここがギャーピー煩い下品な猿山だとは思わなかった。ミア子女、君は今後、私が寮まで送り迎えしよう」
先生は一同の様子を眺めながら肩を竦めて大きなため息を吐くとミアの手を引きスタスタと歩き出す。
「待ちたまえ!」
生徒達をかき分け金色の髪をオールバックにした青年が姿を見せ、
「シラベ先生、今の発言は看過し得ませんぞ!」
声を張り上げる。
「君は?」
煩わし気に肩越しに振り返るシラベ先生。
「私はAクラスの担任――レノックス・ラフラリス。それより、生徒達への暴言、撤回願おうか!」
「はあ? 同じ生徒に石を投げつけるような下品な獣は、猿で十分でしょう? 違いますか?」
シラベ先生の侮蔑の言葉に、険悪化する周囲の雰囲気。金髪の教授レノックスは顔を顰めると、
「シラベ先生の言は真実ですか?」
生徒達に疑問を投げかける。
「嘘でーす。その子が勝手に転んだだけですよぉ」
長い金色の髪を掻き上げながらも、目のきつい少女が断言する。
「ほら、私の生徒はそう言っています。貴方、偽りを述べるとは教授として恥ずかしくないのですか!?」
「下らん連中だ」
先生は初めて、そう嫌悪たっぷりな言葉吐き捨てて、寮まで歩き出す。
一斉に紡がれる罵声など無視し、先生とミアはGクラスの寮へと向かう。
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