第55話 鬼神顕現 アクイド
髪の青年リーマン・シャルドネが自害してから、さめざめと泣くニルスをカイとロゼに任せて、ルチアから事情を聴取する。
シルケで書類整理をしていたルチアはグレイが捕縛された情報を聞いていてもたってもいられず、アークロイへの一時避難の指示を無視し、調査を開始した。
シルケ上空に浮かぶ城の直下を歩き回っていたら、鬼に攫われ、この座敷牢まで連行される。
そこには首に赤い色の紐を巻かれたグレイがいた。リーマン・シャルドネが、ルチアに無理矢理化け物の卵を食わせようとして、グレイが結界系の魔法を使い、同時にその体が弾け飛んだ。
そこにアクイド達が来たというわけだ。
ルチアの話が終わり、シルフィは目頭を押さえて大きなため息を吐くと、指を鳴らす。
瞬時にルチアにかけられた防御結界がガラス破砕音に似た音とともに、粉々に解除される。
「ルチアとか言ったな。今後は勝手な行動は慎むように」
そう穏やかに告げると、ルチアの頭を軽く数回掌で叩く。
「はい」
ジワッと目尻に涙を浮かべ、大きく頷く。そして、今も意識が戻らぬグレイに駆け寄ると抱きしめる。
「主殿は保護したし、一度、シルケの砦へ帰るぞ」
シルフィの言葉に皆、無言の同意を示す。
「シルフィ殿、奥の小部屋に女性が一人、囚われているようだ」
最下層の調査を終了したテオが、報告をする。調査といってもこの部屋の出入り口は二つ。
一つはもちろんアクイド達が下ってきた石の回廊。もう一つは、その対面にあるあの大きな扉。その先には、長い石の通路が繋がっていた。
「女性?」
「若い黒髪の女性だ」
シルフィは眉を顰め顎に手を当てていたが、
「その女は私に任せろ。お前達は帰還の用意を……」
そう指示を出そうとする。
刹那――。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
建物が揺れ傾くような地響きが上がり、その振動は次第に立っていられないほどのものに変わっていく。
「この揺れ……空間自体が歪んでやがる。原因はあれか……」
シルフィは、丁度、テオが出てきた部屋の奥に鋭い眼光を向ける。
その視線の先からは、濃密な紫の霧が濁流のように漏れ出してきていた。
そして――。
コツーン! コツーン!
奥の石の通路から聞こえる靴音。その音は、次第にこの部屋に近づいてきている。
(なんなんだ、あれは!?)
その内心の疑問の言葉とは相反し、アクイドははっきりと本能で理解していた。
この全身を巨大な両手で握りつぶされているがごとき凄まじいプレッシャー。いくら、グレイから超常の力を譲り受けようと、あれには絶対に勝てない。その事実を!
「グレイを連れて、ここから離脱するっ!」
シルフィはグレイを担ぐと、左指を鳴らし、いつもの冷静な声色で指示を出す。忽ち、この城に侵入したときと同様、青色の被膜がアクイド達をすっぽり包む。
「ダメだ。ダメだなぁ。許可しねぇよ」
透き通るような少女の声。直後、青色の被膜は脆い泡のように弾け飛ぶ。
「やはり……」
諦めにも似たシルフィの呟き。冗談じゃない。あんなのシルフィかグレイでもなければ、相対することなど不可能。
次の指示を仰ぐべく、
「シルフィ――っ!?」
隣のシルフィに口を開こうとするが、言葉に詰まる。その扉の向こうへ固定された顔に色濃く張り付いてたのは、強者たる彼女には最もふさわしくない感情だったのだから。
「ぼさっとするな! まもなく、この領域は消滅する。ハッチ、お前、飛空系の能力を持っているな?」
床、壁、天井には大きな亀裂が入っており、地鳴りと振動は時間が経つごとに大きくなっていた。
「ええ」
「ならば、グレイと共に地上へいき、この地を全力で離れよ!」
頷くハッチにグレイを渡す。
「シルフィさんは?」
「我はあれの足止めだ。自信はないが、かかっているのは主殿の身の安全。精々、気張るとしよう」
シルフィは右手に握った剣の先を扉の先へと向ける。
足音と焼け付くような圧迫感が次第に大きくなり、そして――扉は引かれた。
「うぁ……」
部屋に入ってきたのは、十代後半くらいだろうか。膝まで伸ばした黒髪の女性だった。
ぱっちりとした瞳や小柄で華奢な身体から察するに、一見、とても強いようには見えない。
しかし、全身に陽炎のごとくまとわりつく紅の靄は石の壁、天井、入ってきた金属の扉さえもサラサラとした砂に変えている。
何より、飢えた大型肉食獣と同じ檻に入れられたような戦慄が、全身を暴れまわっていた。
「……」
必死に言葉を紡ごうとするが、喉の奥から出たのはヒューヒューという乾いた呼吸音のみ。
「中々、食いごたえがありそうな家畜共のようだなぁ」
少女はアクイド達をグルリと見回すと、下唇をペロッと舐める。
「ん? いくつか変なのが混じっているのかぁ」
紅に染まった目を細めてシルフィ、ハッチ、カマーをマジマジと観察を開始する。
「器は人ではないが、それと極めて類似の生物。中身は――くふっ!」
途端に顔を狂喜に変えて、堰を切ったように笑いだす。
呆気にとられているアクイド達など眼中にないのか、右手の掌を額に当てて、噴飯し続ける黒髪の少女。
「いいねぇ。その肉体と魂、どんな味がするんだろうなぁ。まずは、その肉体から味見するとしよう」
舌なめずりをすると、右手に握られている物体を口へと運ぶ。
「くっ!?」
片膝を付くシルフィ。噴水の様に噴き出る真っ赤な鮮血に、
「ママ!」
「御姉様!」
チビドラとロゼが悲鳴を上げて、彼女に駆け寄る。
ギチッ! ニチィッ!
肉を咀嚼する音。今も噛みちぎっている左腕、シルフィのものなのだろうか? 彼女の腕にしてはやけに小柄過ぎるような気がする。
「美味ぃぃぃぃっ!!」
口を真っ赤に汚しながら、顔を上に向けて咆哮する少女。
「素晴らしいぞ。お前達は最高の――」
シルフィを中心に蒼炎が竜巻のごとき天へと巻き上がり、黒髪の女性をも飲み込み吹き荒れる。
「うぉっ!」
アクイド達に襲い掛かる高温の熱風から炎を操作し、皆を守護し身構える。
青色の炎から姿を見せるのは、グレイと大差ない年の青髪の少女。短いズボンに同じく短い上着など、目のやり場に困るような著しく肌の露出した衣装を身に纏い、猛禽類のごとき鋭い視線を黒髪の少女に向けていた。
「シルフィさん……なのか?」
状況からみて、彼女には違いないのだろう。だが、容姿はおろか、背丈、骨格すらもまさに別人に代わっている。第一、以前の彼女は妙齢の女性だったのだ。あれではグレイと大差ないお子様ではないか。
「みてわからんかっ!」
心底不機嫌そうに、青髪の少女は吐き捨てる。
「ああ、だから尋ねているんだが……」
アクイドの思いは皆の共通認識だったらしく、皆、うんうんと何度も頷いていた。
「あれがママの本来の姿だよ。前のナイスバディーなお姉ちゃんの姿は、ママが成りたかった理想の姿を幻術で作りだしていたんだよねぇー」
「なぜに、そんな面倒なことを?」
チビドラの無邪気で罪のない説明に、すかさずそんなどうでもいい疑問を口にするジュド。
目の前では人食いのバケモノが今もシルフィの左腕を咀嚼しているんだ。本来発狂してもおかしくはない事態のはず。現にカイやロゼ達は震えて腰を抜かしてしまっている。
ジュドのこの冷静さは多分、グレイという非常識の塊のような存在と共に生活することにより、かなり異常事態に対する耐性ができてしまっているのだと思われる。
「えーと、ママね、その姿が嫌いなんだぁー。それはねぇ――」
「チビドラぁー」
ギヌロと横目で射抜かれ、チビドラは首を竦めるとロゼの胸の隙間に退避する。
「よくわからん術を使うようだが、この姿ならば、全力を出せる。【覚者】となり、極限まで昇華した我の力、存分にその身に刻んでやる」
シルフィは剣を構え、重心を低くし、犬歯をむき出しにする。
「はー、威勢のいい肉ちゃんじゃねぇかよ。お前の左腕、濃厚な魔力がまじりあっていて舌が蕩けそうな美味さだったぜぇ」
「それはどうも」
「うん、そうだな。再生能力もあるようだし、お前だけは、俺の弁当用に生かしておいてやるよ」
「我は適度にやりあったら戻る。お前達は一足早く帰還せよ」
シルフィはもはや、黒髪の少女の会話には取り合わず、右手だけを向けてくる。
再度、アクイド達は青色被膜に覆われた。
「阿呆、大切な馳走、逃すはずがなかろう」
黒髪の少女は右手を無造作に付き出すと、ゆっくりと握りしめていく。
ミシミシミシッ!
青色の被膜は軋み音を上げて僅かに歪むが、今回は弾けなかった。
「ほう、中々の強度の結界じゃねぇの。この俺様が破れねぇとはなぁ。いいぜ、いいぜぇ、お前、マジで気に入ったぁ!!」
黒髪の少女とシルフィの姿が掻き消え、立っていられないほどの爆風が吹き荒れる。
「いいか、直ぐにこの地を離れ、主殿の指示を仰げ!! こ奴は主殿でなければ滅せられんっ!」
暴風の中、シルフィのその声を最後に、青色の被膜はアクイド達を乗せたまま地面を突き破り、落下していった。
◇◆◇◆◇◆
アクイド達は床を破壊しながら地面に向けて掘り進んでいき、遂に異国の城を抜ける。
途轍もない落下感と忽ち近づく地面に鳥肌がプツプツと立つ。
悲鳴を上げる暇もなく、青色の被膜は急に速度を落としていき、次第にゆっくりとしたものになる。
ハッチの全身に浮かぶ無数の血管と滝のように流れ出る汗から察するに、速度を落としたのはハッチの能力か何かだろう。
「直ぐに、転移をっ!」
ハッチの裏返った叫び声に、弾かれたようにジュドが転移を展開する。
遥か上空に浮かぶ異国の城が粉々に破壊され、塵となって消えていく。
吹き荒れた強風により、視界が開ける。
「ママっ!!」
チビドラの焦燥溢れた声。そこには、全身から血を流しながら、空中で黒髪の少女に頸部を掴まれているシルフィがいたのだった。
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