第51話 圧倒 カイ・ローダス
(この人、本当に人か?)
カイ・ローダスはもう何度目かになる自問をした。
断続的に襲ってくる怪物。それらを青髪の女性シルフィは、右手の剣により細切れにしている。
カイにはシルフィの剣技どころか、近づいた角の生えた怪物がブロック状に分解される程度にしか認識できない。そして、今も手に持つ刀身が透明の長剣。あんな美しい剣は初めて見た。
止めは、今もニルスの頭の上にチョコンと座り、歓声を送っている存在である。
「ふれーふれー、マーマ、頑張れ頑張れ、マーマ!」
可愛らしい声で、小さな羽をパタパタさせている円らな瞳の小さなトカゲ。
シルフィは、『我の眷属だから心配いらん。弱いお前達の護衛だ』と一方的に告げると、この小さなドラゴンを出現させ、カイ達を守らせている。
外見は完璧に愛玩動物なのだ。当初は、いくらドラゴンの形状をしているとはいえ、こんな小さな生物が戦えるのかとも思っていた。
しかし、接近した巨大な角の怪物を口から吐き出す炎で一撃のもと塵も残さず炎滅させたのを視界に入れ、この小さな生物が超越種たるドラゴンであるとしみじみ実感したのだった。
「おい、チビドラ、応援はありがたいがその気の抜けたセリフ、どうにかならんのか。
それにママはやめろ、ママは!」
「えーなんで? だってパパとママの魂の一部で作られたのがボクだよ~。それってパパとママの子供ってことでしょー?」
「全く違うわ! 定義的にも主は眷属。それに、そんな妄言、もし主殿に知られてみろ。どんな嫌味をいわれることか……くれぐれも主殿には内密にせよ」
「ふーん、変なのー」
「辛抱たまらん!」
小首を傾げるチビドラを視界にいれた脇のロゼが遂に堪えられなくなり、その豊満な胸の中にチビドラを抱きしめた。
ロゼの顔は紅潮し、息は荒くなっている。こいつにこんな特殊な性癖があったのか。カミングアウトした同僚にげんなりしながらも、思考を元に戻す。
カイ達は、現在、頭から角の生えた怪物を滅しながら、ひたすらこの異国の建物の奥へ奥へと進んでいる。
リーマン上級士官のあの豹変にこの摩訶不思議な空間。きっと遠征軍の全体はかなり前から怪物共の腹の中にいたのかもしれない。
そう理解すれば、近年の上級士官以上の異常行動の理由も説明がつく。そして、この怪物達も元は――。
「舐めやがって!」
意に反し口から搾り出た憤怒の言葉に、皆ぎょっとして視線を向けてくる。
「お前の予想はある意味正答だ」
「ならばこの怪物達は?」
「お前達の仲間である王国兵も多分に含まれている」
やはりか……この人はこの非常識な現象に詳しいようだ。ならば、是非とも聞きたいことがあったのだ。その返答によっては今後の指針を180度変える必要がでてくる。
「今の王国は、現在、あのような怪物に支配されているのですね?」
他人が聞けば正気を疑うレベルの質問。だが、あの小さな領主殿の言葉は、カイの両肩にずしりとのしかかり、一つの結論を導きだしていた。
「状況だけを見れば、そう考えるのが自然。違うか?」
「そうですね」
だったとすればいつから? このラドル遠征は、近年の領土拡大の傾向からすれば、大して奇異なものではない。だとすると、そもそも、領土拡大が始まった当初から?
いや、流石にそれは――。
「時間はたっぷりある。祖国の行く末や、今後の身の振り方など後でじっくり考えればいいさ。
それとそろそろ到着のようだ」
引き戸の扉を開けると、巨大な空間が広がっていた。
「君らが、【青髭】のいう侵入者かーい?」
最奥に座す目が線の様に細い黒髪の美少年が瞼を開けると尋ねてくる。
「そうなるな」
シルフィは不適な笑みを浮かべて即答する。
「僕は羅生門筆頭旗頭――鬼童丸。短い間とは思うけどよろしくね」
座ったまま仰々しく一礼すると、立ち上がり、腰から一振りの異国の剣を抜く。
「いいぞ。とっととやろう」
シルフィも透明な剣の先を黒髪の少年――鬼童丸に向ける。
「ん? 君、人間じゃないね?」
片目を開けて、足の先から頭の先まで舐るように眺め見る。
「その視線、著しく不快だ。止めな」
鬼童丸の不躾な視線に、シルフィが嫌悪に顔を顰める。
「その身体、見たところ構造は人間の女に似ているけど、強度が別格だ。この世界の超常者ってところかな?」
「だとしたら?」
シルフィのいつになく苛立った声に、鬼童丸はニンマリ笑みを浮かべる。
「いやね、君は今、【青髭】のやっている悪趣味な実験に使えるかもしれない。そう思ったところなのさ」
「悪趣味な実験?」
尋ねるシルフィの声からは、いつの間にか苛立ちすらも消失していた。
「最高強度の器の作成だよ。まったく、我らの憑依対象の材料が、下等生物のみという制約すらなければ、人間牧場などという面倒なことなどしなくて済むのに」
「……」
表情に加えて、口すら閉ざしたシルフィなど歯牙にもかけず、鬼童丸は独白を続ける。
「憑依には下等生物の血が必要。しかも、魂の恐怖や憎悪といった特定の感情を呼び起こさねば最適な器はできない。煩わしいことこの上ない」
この一連の鬼童丸の言葉と、この非常識な世界に、今までのいきさつを総合考慮すれば、朧げにだがその実験とやらの全貌は見えてくる。
「リーマンに何をしたのっ!!?」
ニルスが今にも泣き出しそうな顔で、鬼童丸に激しい語調を浴びせる。
「リーマン? 申し訳ないけどー、実験動物の名など一々覚えちゃいないよ」
眉を顰める姿から察するに、本当に知らないのだろう。
「今、【青髭】と名乗っている肉体の持ち主だ!」
吐き気がする思いから、怒鳴っていた。
「ああ、【青髭】の目に留まったあの哀れな下等生物君か。
なんでも術の効果を最大限にするためには、宿主の理性は不要らしくてねぇ。最初は泣き喚いていたけど、同種の人間を殺していくうちに、ゆっくりじっくりと壊れていったよぉ」
「そ……んな」
床に崩れ落ち泣き出すニルスを抱きしめ、鬼童丸を睥睨するロゼ。
「哀れという割に随分楽しそうじゃないか?」
シルフィの静かな問に、
「それはもう、下等生物同士の裏切りと屈辱の舞踊は娯楽としては楽しめたよぉ。
互いの恋人を人質にとり、下等生物の親友同士を殺し合わせたのは中々、滑稽で面白かったかなぁ。特に勝者の女が既に鬼の腹の中だと知ったときのあの間抜けな顔っ! おっかしかったなぁー」
声を上げて笑いだす鬼童丸。
こいつは、心の底から狂っている。だが、同時にカイは少しだけ安心もしていた。こんな奴らが仮に人間ならば、カイは人という生き物を心底信じられなくなっていただろうから。
「黙れ」
シルフィの瞳に明確な殺意の色が宿り、刹那、鬼童丸の全身が青色の炎に包まれる。
「いきなり、ひどいじゃないかぁー」
陽気な声に連動するかのように、鬼童丸の瞳が紅に染まり、青色の炎が四散する。
右手でパタパタと異国の衣服についた煤を払うと、シルフィを眺め――。
「どうしたのぉ? 怒ったのぉ? 変なの。君も僕らと同じく人間ではない。ゴミムシがどうなろうと知ったことじゃないはずでしょ?」
「一緒にするな」
「うん、それもそうだね。劣等世界の現住生物ごときが、僕らの趣向を理解できるはずもないかぁ」
「ああ、微塵もできねぇよ」
「じゃあ、これ以上の話し合いは無駄だね。では本題だ。僕達は強力な人間の器を求めている。【青髭】が人間に感情のスパイスを付けての【鬼憑依】を試みてはいるけど、今のところ失敗続き。というかさ、下等生物に期待するだけ無駄ってものだよねぇ。
だから、君に協力してもらいたいのさ」
「……」
無言のシルフィにピクニックでも行くかのような気軽さで、鬼童丸は説明を続ける。
「君には人間の男と交配し、子供を産んでもらう。その赤子は人間の血も引くし、君という強靭な魂と肉体の特徴も保有するサラブレッド。その生物を【鬼憑依】させれば完成ってわけ。なあ、いい案だろぉ?」
ケラケラと笑う鬼童丸に、
「ママ、ボク、こいつ気持ちが悪い。やっちゃって」
チビドラがロゼの胸に顔を押し付けながらも、そう懇願する。
「そうだな」
シルフィは徐に、左手を上げる。
「どうしたのぉ? どうせ君には選択肢などないんだし、精々楽しんだら――へ? それ?」
シルフィの右手に持つ剣先から床に伝う真っ赤な液体と、左に握る赤色の物体を視界に入れ、鬼童丸は大きく目を見開く。
「ほら、返すぞ」
シルフィが真っ赤に濡れた物体を鬼童丸に投げる。
「ぼ、僕の耳ぃ!!」
抉り取られた左耳のあった場所を抑えて絶叫を上げる鬼童丸をシルフィはまるで羽虫でも見るかのように無表情で眺めるのみ。
「劣等生物がぁ!!」
怨嗟の声を上げる鬼童丸の額に二つの角が天に向けて伸長し、口から鋭い犬歯が伸びる。
あれが、奴の本来の姿なのだろう。
「レアものだから飼育してやろうとも思ったが、気が変わった! 貴様は鬼共にとことんまで嬲らせた後、バラバラにして鬼共の餌にしてやる!」
負け犬の遠吠えのような捨て台詞を吐き、鬼童丸は剣を上段に構えようとするが……
「あ?」
しかし、シルフィの左手に握られている今も脈動している肉塊に頬を引きつらせ、顎を引く。
奴の胸には、ぽっかりと大きく穴が開いており、そこから噴水のような血飛沫がまき散らされていた。
「ぎぃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫を上げる鬼童丸に、
「それは――」
「返すぜ?」
シルフィは無造作で、その心臓を放り投げる。
「よ、よせぇっ!!」
鬼童丸が右手を伸ばすが、心臓は空中で粉々に分解される。
血肉が土砂降りのように頭上に降り注ぐ中、シルフィは透明な剣を鞘に戻すと、鬼童丸の身体はサラサラの砂となり、崩れ落ちてしまった。
「カッコイイ! 素敵です、お姉様!」
ロゼがチビドラを胸に抱きながらも、顔を恍惚に染める。お姉様ってお前なぁ。外見上は絶対、お前の方が年上だぞ。
「先に進むぞ」
不機嫌さを隠しもせずにスタスタと先に進むシルフィに、
「お姉様、怒ってる?」
「そだねー、多分――」
チビドラが口を開こうとするが、シルフィから据わりきった目で睨まれ再度ロゼの胸の中に隠れる。
「早くしろ、置いていくぞ」
シルフィの罵声にカイ・ローダス達もその後に続く。
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