第49話 メシアか主君か
テオが地面を蹴って後方へ避けると、馬頭の大木の様に太い右腕をもって振り下ろされた槌が、床に突き刺さった。
左腕を横薙ぎにすることにより、生じた爆風を吹き飛ばす。
逆に踏み込み馬頭の懐に入ると、左拳をその腹部へ渾身の力で突き出した。
鈍い骨を軋ませる感触。固く握った右拳で連撃を加えようとするが、激烈な悪寒が生じ、身を床に屈ませると、槌がテオの顔面スレスレを過ぎ去っていく。
その槌の纏う大気の乱流により、僅かにバランスを崩すが、逆にその強風を利用し独楽のように空中で回転させ、遠心力のたっぷり乗った右回し蹴りをその頭部へぶちかます。
馬頭は鼻から血を吹き出し身体を仰け反らせるが、両目が紅に染まり、振り上げた左拳を振り下ろしてくる。テオの身体は戦車と正面衝突したかのような途轍もない速度でぶっ飛び壁に叩きつけられた。
全身がバラバラになりそうな激痛の中、響きを上げながら突進してくる馬頭が視界に入る。
必死で立ち上がろうとするなか、数十もの紅の光線が断続的に馬頭に殺到した。
馬頭は無造作に槌を振るうと、その光線は全て細かな粒子となって霧散してしまう。
震える脚に必死に指示を出し、緑の草で織られた床を蹴り、数回転がると起き上り、態勢を整える。
「なんだぁ? この程度か? テッシンの身内ならば、もう少しやると思っておったんじゃがなぁ」
心底残念そうに巨大な槌をまるで棒切れのように振り回し、肩に担ぐ馬頭。
「テオ! このままでは勝てない。一度引くぞ!」
納得は到底いかないが、相手の力量は圧倒的に上。このまま戦闘継続しても敗北しかない。
一旦、戻り態勢を整えて――。
「させるわけないじゃろ」
馬頭の身体が消える。咄嗟に周囲を見渡すが、
「後ろだ! テオ!」
次の瞬間、視界が地面と天井とを数回空転し、壁へと激突する。
息ができず、次いで背骨に杭が打ち込まれたような激痛が襲ってきた。
こんな場所で寝ていれば、それこそ待つのは死。だから力を振り絞って、立ち上がろうとする。
そこにあったのは、丸太のような左手でカロジェロの頸部を締め上げる馬頭の姿。
「あのなぁ、勝利の道筋が思い描けんのに、逃げてどうする?」
馬頭は鼻で笑うとカロジェロをまるで塵でも放るかのように投げ捨てる。
カロジェロの身体は壁をぶち抜き、草の床を数回バウンドしてようやく停止した。
「お主らはつまらん。今まで何を学んできた?」
失望をたっぷり含んだ息を吐き、馬頭は槌の柄でトントンと肩を叩き始めた。
「それとも、お主らの将が間抜けなだけか。まあ、【青髭】ごときに捕らわれる程度だ。たかが知れてるがの」
その言葉を耳にし、耐えられない怒りが心臓で唸る。
「今、なんと言った?」
そして、口から飛び出る怨嗟の声。
「なんだ、耳まで遠くなったか? お主らの将の小僧が愚かだと言ったのだ。この羅生門の攻略に、お主らのような雛にもなれぬ出来損ない共を投入するところなど特にな」
内臓が震えるほどの狂気にも似た憤怒に獣のような唸り声を上げていた。
「俺達が、勝手にしているだけだ!」
「それを許す状況を作り出している時点で同じこと。将としては失格もいいところよ」
「黙れ!」
立ち上がり、構えをとろうとするが、奴の姿が掻き消え、馬頭に後髪を掴まれ叩きつけられた。
「弱者には何も為せぬ。
己の家族を傷つけられても、己の友を殺されても、己の生涯の連れ添いを犯されても、そして、己の主を辱められても反駁一つ、返すことはできぬのだ」
「そんなことは――わかっている!」
「いんや、お主らは微塵も理解しとらんよ。なにせ、お主らには戦人として決定的に欠けているものがあるからの」
「己が弱い。それくらい自覚している!」
昔はともかく、超人的な領主殿はもちろん、一見華奢なシルフィ殿にさえ、今のテオでは太刀打ちができないのだから。
「……」
さも呆れ果てたというように、馬頭は首を左右に振ると――。
「お主、心の底でお主らの将が助けに来てくれる。そう思ってやしないか?」
当初、頭が真っ白になるも、その言葉の意味を頭が理解した途端、全身の血液が頭部に集中し、視界が赤く染まっていく。
「ふ――ざけるなっ!!」
喉が張り裂けんばかりの怒声を吐き出していた。
「違うのか?」
「当たり前だっ!! どこまで、我らを愚弄すれば――」
「ならなぜ怒る?」
テオの怒りを多分に含んだ反論の言葉は、そんな疑問に遮られた。
「な……に?」
「儂の取るに足らぬ戯言なら、聞き流せばよいじゃろう? 違うか?」
「……違う。そんなはずはない。俺は……」
「なんだ、無自覚か。余計、質が悪いの。一つはっきりさせとこ。
お前達にとってあの小僧は、救世主か、それとも生涯仕えるべき主、どっちじゃ?」
考えたこともなかった。領主殿はテオ達ラドルの地獄の日々を終わらせてくれた救世主にも違いなかったのだから。
「いいか。救世主と主君は両立し得るようで、決して交わらん類のものじゃ」
「俺達は……」
「なるほど、テッシンが危惧するわけじゃ。もう一度だけ問うぞ。お前らは今まで何を学んできた?」
その馬頭の問いかけは、テオに纏わりつき、雁字搦めに拘束していく。
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