人形の目覚め
眩しい
僕の目が覚めて初めて抱いた言葉はそれだった。天井についた照明がとても明るく、目を開くのがつらかったので、自分の置かれている状況を把握するのに、多少の時間を要した。
「よかった、ちゃんと起動したみたい。」
急に自分の視界に、優しそうな女性が入った。青く透き通る眼は自分の目が開いていることを確認しているようだった。
「体は動かせるのかい?」
今度は男性の声がした。どうやら自分が寝ている台の横には、女性と男性の二人がいるようだ。男性の姿を確認するために首を動かすと、細く身長の高い、これまた優しそうな男が立っていた。
「大丈夫そうだわ。起き上がることはできる?
ゆっくりと体を起こしてみて。」
僕は小さく頷いた後、言われたとおりに体を起こし、台に座るような体勢になった。長い間眠っていたようにぼんやりしているのに、体は不思議と、軽く、すんなり動いた。
「おお! そのまま立ち上がって。」
僕はすっと立ち上がった。
「やったわ!! ついに成し遂げたのね!!!」
「何とか今日までに間に合ってよかった。」
男女の二人は自分が立ち上がったのを見て、小躍りした。
「これまで本当に長かったけど、続けて研究してきてよかったわ!」
「これも全部セレーヌのおかげだね!」
「あなた…」
「セレーヌ…」
二人は浮かれ、感慨に浸り、見つめあうと僕がいることも忘れて二人だけの世界を創り始めていた。ここで初めて周囲を見渡すと、怪しい器具がたくさん置いてある工房のような部屋にいることが分かった。
なぜこのような場所で僕は寝ていたのだろうか?
ここはどこなのだろうか?
そもそも、この二人は誰なのだろうか?
一人で考えてみてもわかるはずがないので、話しかけづらい雰囲気を纏っているそこのカップルに尋ねてみることにした。
「あのぉ、すいません、あなた方はいったい何者なのですか?」
自分の口から聞き慣れない声が出ると、部屋の中はしんと静まり返った。二人はひどく驚いた表情で自分のことを見つめた。
突如訪れた沈黙に息が詰まる。
何かまずいことを言ってしまったかもしれない。
言葉遣いが少しおかしかったのかもしれない。
しかし、自分の知識的欲求、いま置かれている状況を知りたいという意思を抑えることができなかった。
「えーと、あと、ここはどこなのでしょうか?
なぜ、僕はこんなところにいるのでしょう?」
身を寄せ合っていた二人は、ゆっくりと離れると自分の質問に答えてくれた。
「想像以上ね…。
私は、セレーヌ、こっちは、ギルバードよ。
それと、ここは私たちの研究室。」
「初めまして、こんにちは、私はギルバード・マクスウェルだ、ギルと呼んでくれ。
私たちは、君の親のようなものだよ。」
「親のようなもの?」
その言葉がやけに引っかかった。
「ええ、私たちがあなたを作ったのよ、お母さんと呼んでくれてもかまわないわ、フフ。」
セレーヌという女性は嬉しそうに笑った。
「作った??」
それは、あれなのだろうか、比喩のような、暗喩的な、メタファーなのだろうか。
つまり、この二人は夫婦で、僕はこの夫婦の子供ということなのだろうか?
しかし、親のようなもの、正真正銘の親ではないのか?
「今度は、私からも質問をいいかい?」
「あ、ええ。」
少し混乱しているとギルバードを名乗る男性が尋ねてきた。
「君には、名前があるのかい?
もしよかったら、教えてくれないか?」
「名前…」
そうだ、僕の名前は…
あれ…
なんだっけ…
思い出せない…
「やっぱり、名前は無いのかな。」
「そうみたいね。」
名前がないなんて有り得ない。
この世界に名前がないものなんて無い。
僕にも名前があるはずなんだ。
誰かが名付けてくれた大切な名前が…
「だいぶ動揺しているようだね。
とりあえず、いったん落ち着いて私たちの話を聞いてくれないかな。」
そうだ、まずはリラックスだ。
この人たちの話を聞けば、何か思い出すかもしれない。
「ああ、すいません、取り乱してしまいました。
僕自身のことについて、もっと詳しく教えてください。」
「そうね、あまりショックを受けないようにね。
単刀直入に言うとね、あなたは人形なの。
私たちが作ったね。」
え、人形…
僕が人形…
言葉が出なかった。
だってこんなに体が動かせるし、考えて、話すこともできるのに…
僕は、この時初めて自分の体を見下ろした。なぜ今まで気づかなかったのか、自分の体は何も身に着けておらず、裸だった。しかし、羞恥の気持ちを感じる暇はなかった。
自分の肌には継ぎ接ぎの部分は全くなく、人間のそれと全く変わりない。この体が人形なことが信じられない。
「君が名前を思い出せないのも、記憶喪失のような状態になっているのも、今ここで初めて目覚め、生まれたからだよ。」
確かに、その通りだった。自分自身についての記憶が全くないのだ。
「あなたの体は、ここでは珍しい魔法道具でできているのよ。
あなたが今持っている基本的な知識も私たちが作ったものなのよ。
だからこうやって、会話することができるの。」
少し呆然としながら話を聞いていた。
二人の言っていることは事実なのだろう、僕は人形なのだ。
「そうなんですか…
僕は人形なんですか…」
「まぁ、安心しなさい、人形でも悪いことはないわ。むしろ良いことだらけ。
あなたは私が作ったんだから、まさに作り物のように、とーってもきれいよ。
私が保証するわ。」
「そうだね、人形でも気にすることはないよ。
どこから見ても、私たちと同じようにしか見えないからね。」
「そうですか、そうですよね。」
人形であることは、あまり気にしなくていいのかな。
二人が明るく話しかけてくれるのを聞いて、元気になったような気がする。
「お!今初めて笑ったね!」
「え!」
僕は笑ったのかな、無意識だった。
「よし、楽しくなってきたところで、まずは服を着てもらおうかしら。」
「そうだね、これが服だよ。」
「あ、ありがとうございます。」
ギルバードさんから、畳んである黒い服が手渡された。
柔らかな感触が手に伝わる。触っただけでわかる、高い服だ。
「一人で着れるかしら?
手伝ったほうがいい?」
「大丈夫です。多分一人で着れます。」
手に持っている服を両手で持って広げた。
思った以上に大きな服だった。
黒くきれいなワンピースのようなものには、エプロンのような白い服がついていた。
白いフリルのようなものが、スカートのようなものに付いていて、とてもかわいらしい服だった。
そう、まるでメイド服のような服だった…
いや、これはメイド服だ。
紛れもないメイド服だ、メイド服以外の何物でもない。
「あのぉ、これはメイド服なのではないでしょうか。」
「そうよ、あなたにはお嬢様のメイドとして働いてもらいたいなと思っているの。
やっぱり手伝ってあげましょうか?」
「え!いやそういうことではなく…」
「あ!わかったわ。
やっぱり、人形とはいえ、乙女なのね。
ほら、ギル、さっさとこの部屋から出てあげなさい。
恥ずかしがっているじゃない。」
「あー、ごめん気づかなかったよ。
じゃあ、僕は外で待ってるね。」
「違うんです!!」
自然と声を張り上げてしまった。乙女なんかじゃない。
後ろを振り向きかけていたギルバードさんは驚いた様子でまたこちらを見た。
「僕は、男です!!!」
「「え!」」
「メイド服なんて、着れません!!!」
そう僕は男だ。だって一人称が僕じゃないか。
僕っ娘などではない。
「でも…」
二人は困ったように顔を合わせた後、こちらを見て、視線を下に向けた。
どこを見ているのだろうか?
「でも、あなたにはその…
男性として重要なものが…」
「重要なもの?」
なんですか、それは。
度胸ですか?
男は度胸ですか?
僕には度胸が無いとそう言いたいのですか?
「えーと、少し言いにくいんだけどね。」
それとも、男はやっぱりお金とか言うのか。
そりゃ、今は無一文だが、なんて現実的なんだ。
お金がなくとも、男気があればいいだろう。養っていける。
いや、無理か。
まぁ、なんだ、結局男として重要なものはアレだろう。
アレさえあれば自分が男だと証明できるだろう。
「君には、○○○がついていないよ。」
「え!」
やにわに、自分の股間を見下ろした。
そこにはつるつるの肌があった。
何の突起もない滑らかな、天衣無縫の肌。
「ええーーーーー!!!!!」
初めての絶叫。
この日、僕はこの世界で目覚め、例にもれず、大きな産声を上げた。
それでも、やっぱり僕は男です。