第ニ章 第六話 真実
桜は、散々泣いた後、小笠原から
「白神、12時にもう一回ここに来てくれ」
と言われた。
小笠原から振られた直後、一体何を話すつもりなんだろう?
今日の会議の間中、桜は色んな人から「どうした?」、「目、赤いけど大丈夫?」などなど、心配されたが、なんとか苦笑いで乗り越えた。
桜は、会議が終わり、部屋に戻ると、ベッドに入り寝るふりをした。
そして、12時になると部屋からこっそり抜け出した。
「おお、来たか」
桜が浜辺に行くと、既に小笠原がいた。
「そうだな。なんだかこうして向き合っていると恥ずかしいな」
小笠原は恥ずかしさを隠すかのようにカリカリと頭を掻いた。
「なあ、桜、せっかくこんなに綺麗な夜空が頭の上にあるんだ。寝転がって話さないか」
桜は小笠原の提案にコクリと頷いた。
桜と小笠原は、隣同士に寝転がった。
小笠原の息づかいが聞こえてくる。
桜は、星空に向かって手を伸ばす。
手を伸ばすとすぐに届きそうなのに、本当はとても、とても遠い所に星はあるんだよね。
すぐ傍にいるのに遠い存在。
私にとって先輩は星と同じなんだな。
桜がそんな風に黄昏れていると小笠原が話し始めた。
「白神さん、僕はね、君が思っているほど強い人間じゃ無いよ。本当は、弱くて、弱くて、どうしようもなく情けない人間なんだよ」
そう語る小笠原の表情はどこか悲しげで、本当に、どこか遠い、遠い存在のように思えた。
そんなことない。
そんなこと無いです先輩。
桜はそう思ったが、言葉にして言うことは出来なかった。
「僕にも中学校1年生の夏から2年生の春までは付き合っていたんだ」
「え?それじゃ、なんで・・・?」
この時私が小笠原先輩に発した言葉は余りにも無神経だったと私は後悔している。
「死んだんだ」
「え?」
私は、ザクリと心臓を剔られるような感じがした。
死んだ?
そんな・・・。
私、なんて事を・・。
桜は思わず唇に両手を当てた。
小笠原は、そんな桜の気持ちを察したかのように
「良いんだ。もう、終わった事だ」
「でも・・・・・」
「僕はね、白神さん。そんな出来事があったからこそ今の僕がいるって思えるんだ。僕の彼女はね、『未来 雪』っていうんだ。彼女とはいつも近くの席でさ、結構話す機会が多かったんだな。でも、彼女は誰とも仲良くしようとは思わなかった。いつも話掛けると笑顔で返してくれるんだけど、どこか人と一定の距離以上近づこうとしない感じがしたんだ」
「それは、何でですか?」
「うん。それは、最もな疑問だ。ある日、彼女が休んだ時があった。その時、担任の先生から彼女と仲のいい人が連絡帳を届けてくれないかということになった」
「それで、誰か手を挙げたんですか?」
小笠原は首を横に振った。
「いや、一人も手を挙げなかったんだ。彼女は決していじめられていた訳でも嫌われていたわけでも無いんだ。寧ろ、性格はとても心優しくて、虫一匹も殺せないようなやつだったんだ。ただ、さっきも言ったように、彼女はどんなに人から近づかれても一定の距離以上は近付かせなかった。そこで、席が近くて彼女と一番話をしている時間が長い僕が選ばれた。仕方なく僕は先生に教えてもらって、彼女の家に行ったんだ。そしたら・・・」
小笠原はギリリと唇を噛み締める。
「そしたら、彼女の母親が出て来たんだ。とても優しそうな母親だったよ。連絡帳を渡したら『あら、あの子にお友達が出来たのね。分かったわ。雪ちゃんに渡しておくわ。ありがとうね』ってとても嬉しそうに家に戻っていったよ」
そう言う小笠原の顔はどこか遠い目をしていたような気がした。
「その雪さんって学校に戻ってきたの?」
「ああ、戻って来たよ。いつも通り変わらなかったよ。その日の放課後だったかな?彼女の方から一緒に帰らない?って声を掛けてきたんだ。びっくりしたよ。いつも一人で帰っている彼女が誰かと一緒に帰ろうなんて。ましてやその相手が僕だなんて思いもしなかったよ」
「一緒に帰ったんですか?」
「もちろんだよ。帰っているときに昨日のお礼を言われたんだ。『有り難う』って。彼女の笑顔を見ると周りの景色が変わるんだ。カラフルになるんだ。彼女の表情、仕草の一つ一つが輝いて見えるんだ。ああ、これが恋なんだなって思った。思い返したらこれが僕の初恋だったよ。で、気付いたら彼女に告白していたんだ」
ズキと桜の心が痛む。
小笠原先輩の初恋の人。
「告白・・・ですか?」
「ああ、自分でも驚いたよ。告白するなんて。それまで一切恋愛なんかには1ミリも興味も無かったくせに」
「彼女はなんて答えたんですか?」
「彼女の顔は悲しそうでいて嬉しそうな顔をしていたよ。彼女の言った言葉は今でも覚えているよ。『私も小笠原君の事好きです。気持ちはとても、とても嬉しいです。でも、私と付き合ったら多分あなたは私と付き合ったことを後悔をすると思います』って言ったから僕は聞いたんだ。どういうことだ?って。そしたら、彼女は『私はある病気を患っていて体が弱いんです。だから、小笠原君と一緒にデートに行くこともあまり出来ませんし、家からあまり出ることが出来ません。それでもあなたは私を好きでいてくれますか?』
その頃の僕は無鉄砲で彼女の抱えている病気とやらがそんなに深刻なことだとは思わなかった。だから、余り深く考えずに君の事を絶対大事にするからって言ってしまったんだ。そこから彼女と僕は付き合い始めたんだけれど・・・・・」
は、横目で小笠原の顔を見た。
小笠原は懐かしむような、しかし、悲しそうな目をしていた。
今夜の小笠原先輩は色んな顔をするなぁ。
桜はちょっぴり嬉しかった。
「彼女の言ったとおり二人で出かけることは殆ど無かった。それでも、僕はとても嬉しかった。彼女の家に行くときは絶対にお土産を持って行くんだ。主にお菓子とか果物とかが多かったかな。彼女にしっかり栄養をつけて欲しくてね。それでも、幸せはそんなに長くは続かなかったんだ」
「1年の時の12月だったかな。学校の昼休みの時に彼女の母親から雪の様態がおかしい。っていうメールが来たんだ。その時の彼女の母親の声色が緊迫感でピリピリしていたから午後の授業も忘れて、彼女がいる病院に向かったよ。それだけ僕にとって彼女は大切な存在だったんだ。病室にはベッドの上で点滴をされている彼女のがいてさ、僕、そんなに彼女の病気が深刻なものだなんて思わなくってさ、病室にいる彼女を見たとき悔しくって悔しくって、本当は彼女の事全然分かってい無かったんだって思ったよ。自分の無力感、屈辱、情けなさ、僕は彼女と別れようとしたよ。そんな状況から逃げたくってね。でも、逃げることは出来なかった。それだけ彼女の事が大切だったんだ。自分にとって雪はかけがえのない存在だったんだって感じたよ。そこから自分でも分かるほど僕は変わったよ。それまでは困難や壁から逃げて いたんだ。でも、その時僕は、彼女とちゃんと向き合いたいって思ったよ。向き合わなかったら絶対にこの後ずっと後悔するって直感で感じたんだ。 だから、僕は、雪のお母さんに彼女の病気の事を聞いたり、なるべく彼女と一緒の時間を過ごそうとしたよ。彼女はとても幸せそうだったよ」
小笠原はそこまで話すと少し口を噤んだ。
桜は、そこまで小笠原の話を聞くと、目が熱くなっていることに気付いた。
服の袖で目を拭うと、拭った部分が濡れていた。
私、泣いている?
何でだろう?
桜は、耳を澄ますと、ズズッと鼻を啜る音が聞こえた。
もしかして、小笠原先輩も泣いているんだろうか?
私に出来ることは何かあるのだろうか?
桜は一生懸命考えてみたが、雀の涙も出なかった。
桜は、小笠原に恋をしていたときとは違う胸の痛みを感じていた。
なんだろう?
この気持ちは・・・・・
苦しい。
とても切なくて、痛くて、悲しい気持ちが込み上げてくる。
「好きだったんだ。あんなに人を好きになった事は無いから。だから・・・だから・・・この世から居なくなるって分かっていても居なくなって欲しくなかった。雪が病院で息を引き取るとき僕の耳元で言ったんだ。『君と会えて良かった。ありがとう』って。それがずっとずっと自分の心の中で響いてるんだ。それから数日くらい経った後に雪の母親から電話があったんだ。『雪の部屋に来てくれ』って。そしたら、雪が自分が死んだ後にコレを僕に渡してくれって手紙を受取っていたんだ」
小笠原は、ポケットから一通の手紙を取り出した。
手紙は、女の子らしくピンクと白を基調とした可愛らしいデザインをしていた。
小笠原は何も無言で桜に渡した。
桜は手紙を受取って開いた。
手紙の中の文字は、彼女(雪)そのものを表しているかのように、細く、可愛らしくも、しっかりとした良い形をした字体で、病気で弱々しい彼女の体、愛嬌があり、可愛らしい顔見た目、弱気で周りを気にしてしまう反面、思いやりがあり、心優しかった彼女の全てがそこにあるかのように思えた。
「小笠原君。多分、君がこの手紙を読んでいるときは私はもう、この世にいないと思う。小笠原君、隠しててごめんね。私、学校では誰も友達を作らないようにしてた。だって、皆を傷付けてしまうから。私は病気でもう長いこと生きていられないって分かっていたから仲良くなってしまうとその人達を皆傷付けてしまうことになる。それだったら、一層のこと、そんなの最初から作らなければ良いって思っていたんだ。でも、小笠原君が時々話しかけてきてくれて本当は嬉しかったんだ。でも、だれも傷付けたくなかったから自分から話掛けることは出来なかったんだ。でも、君から『好きです』って言われてとても嬉しかった。
私があの時『君は後悔するよ』って言った時、君は、『後悔しない。絶対に大切にする』って言われて私、とても、とても嬉しかった。その時、私『ああ、私、この人のこと好きなんだな。この人とずっと一緒にいたいな』って思ったの。だから、私、小笠原君と付き合おうって思ったんだ。そこからはとても幸せだった。多分、小笠原君には一杯迷惑を掛けたよね。病院に入院してからも私が患っている病気の病名を一生懸命調べてくれたり、いつもお土産に果物を持ってきてくれたり、その日あった良いことを話してくれたり。でも、小笠原君は実は無理しているんじゃないのか、本当は私と別れたいんじゃないのかって思い始めたの。そんなこと本当は無いのにね。本当のことを言うとね、私、小笠原君に憧れていたんだ。外で一杯運動できて、私の知らないことも沢山知っていて・・・・。私にとって小笠原君はヒーローみたいな存在だったんだよ。私に映る小笠原君はどんなだったのかな?私ね、小笠原君に会えて本当に良かったよ。ありがとう。これからもずっと誰かのヒーローでいてね」
読み終えると、スッと何かが私の中に流れ込んできた。
それは、決して嫌なモノではなく、心が浄化されるような、キラキラとした、綺麗なものだ。
「白神さん・・・・・・そら・・・・」
桜は手紙を自分の胸に置いて空を見上げた。
空には、キラキラと光る宝石の間を流れ星が幾千もの筋となって現れては消えて、現れては消えてを繰り返していた。
心の中でポッと光が灯される音がした。
温かい。
「雪、雪、雪」
小笠原は星空を見上げながら、いらなくなったテッィシュみたいに顔をしわくちゃにしてかつての恋人の名前を呼び続けていた。
そこには、桜の憧れている小笠原先輩はいなかった。
そこにいるのは、かつて恋仲だった人間の名を叫び続けるか弱く、情けない男の姿があるだけだった。
桜は、そんな豹変して号泣し続ける小笠原の姿を呆然と眺め続けることしか出来なかった。
小笠原先輩は十字架を背負っていたのかもしれない。
雪さんの時のように、自分は誰かのヒーローにならなくてはいけないと思って、勉強も部活も運動も何でも人より何十倍も頑張って誰かの役に立っていたいと思っていたのかもしれない。
冒険部を設立したのも、誰かの役に立って、自分は誰かのヒーローになりたいという使命感があったからなのではないのだろうか。
先輩が好きなギャルゲーも、もしかしたら雪さんの死が関係しているのかもしれない。
自分がしっかりしていないせいで雪が死んでしまったという罪悪感。
彼女を殺したのは自分だ。
もう、こんな思いをするのは嫌だ。
こんな風に人を苦しませるくらいならもう、誰とも付き合わない方がマシだ。
だから小笠原先輩は仮想の中で恋人を作ってそんな罪悪感を消そうとしていたのかもしれない。
先輩は、私に人を好きになることは大切な事なんだって、モノクロだった世界からカラフルな世界に私を連れて行ってくれた。そう、光を当てて本当に自分の生きたい道に導いてくれた。
だから、今度は私が先輩に光を当てて先輩を導く番なんだ!
桜は号泣している小笠原に駆け寄って両手で小笠原の左手を握った。
「先輩!」
桜は、ピリッと花火が弾けるかのような声で小笠原を呼んだ。
「白神さん」
小笠原の顔には、失望、絶望、悲哀、嘆き、喪失感、あらゆる負の感情が溢れだしていた。
こんなの私の知っている先輩じゃない。
桜は、胸から込み上げてくる悔しさにも怒りにも似た感情を吐き出すかのように小笠原に向かって訴えるかのような声で
「駄目です。先輩。そんなの、私の知っている先輩ではありません。私の知っている先輩は格好良くて、勉強も出来て、運動も出来て、ギャルゲーも大好きで、思いやりがあって、優しくて、それでも、ちょっぴりドジな所があって、私は、そんな先輩のことが好きなんです」
小笠原は真っ直ぐな桜の言葉をフッと鼻であしらって
「そんなの、偽りの僕でしかないよ。本当の僕は過去を引きずっている無力で情けない男だよ」
「そんなことないですっ」
桜は小笠原の左手を握っている両手を一層強める。
「私にとって先輩はヒーローなんです。つまんない日々に光を照らして私の行きたい道に導いてくれた天使のような人なんです。だから、だから、私、手を差し伸べてくれた先輩に恩返しがしたいんです。先輩のヒーローに私はなりたいんです」
そう言い終わると、桜はふうふうと息を切らしていた。
先ほどまで曇っていた目が、真っ青な青空のように澄んだ目に変わっていた。
小笠原はまたフッと笑ったが、その笑いは貶すような笑いではなく、新しい自分に気付いて、蛹のからとなった自分を捨てるかのように吹っ切れたような笑い方だった。
「有り難う白神さん。ヒーローか。僕は、白神さんのヒーローになれたのか。そっか、雪が僕にとってのヒーローだったように、彼女にとって僕がヒーローだったように、僕はまた誰かのヒーローになれたって事か。それで、僕は君に助けられた。」
そう言う小笠原に桜はニッコリと微笑み返して見せた。
「うん、私にとって先輩はヒーローなんですよ。今までも、そして、これからもずっと、ずっと」
小笠原は、目を細めてそっとで桜の人形のように小さい体を抱きしめた。
そっか、こうやって自分のしている事が誰かの為になるんだ。人を想うって、何かを一生懸命するってそういうことなんだ。
自分が熱中していること、夢中になっていることはまた誰かの「熱」や「夢」を作ってその人の道を照らしてくれるんだ。それが正解かどうかは分からない。本当は間違っているのかもしれない。そもそも正解さえも無いのかもしれない。だけど、自分の為にやっているその情熱はいつか誰かの熱に火を付けるかもしれないんだ。
私は今あるこの心の火をずっと、ずっと大切にしていこう。
小笠原先輩が私の心に火を付けてくれたように私も誰かの心に火を付けることが出来るようになるその日まで。