犬とカナリア
窓の向こうで鳥が鳴いた。
でも姿は見えなかった。
僕は急に子守唄を歌いたくなって、隣で書きものをする彼に話しかける。
「ねえ」
「……何だよ」
と、彼は迷惑そうに言った。三十分くらい前からほとんど途切れず書き続けているルーズリーフは、まだ半分しか埋まっていない。それが心底気に入らないみたいだった。
「子守唄の最初ってどんなだっけ?」
「それは今聞かなきゃいけねえことか?」
「当たり前じゃないか。僕は、今、歌いたいんだから。明日答えをもらっても、今の僕は満足しないでしょ」
彼は深々と溜め息を吐く。不機嫌がひしひしと伝わって来るので、僕もむっとした。
「別にそれ書くのをやめろって言ってるわけじゃないんだからさ。コイビトのちょっとした疑問に答えるくらいいいだろ」
大体、今日だって僕を招いたのは彼の方なのだ。なのに、まだできてない、なんて言われて三時間も待たされている僕の身にもなってほしい。恨めしい気持ちが伝わったのか、彼はちょっと眉をひそめる。
それでも性懲りもなく言うのだ。
「お前、もう喋んなよ」
「ええ? 何それ、ひどくない?」
「うるさい黙れ」
こんこん、と彼の中指が机をたたく。集中できない時の彼の癖。
「眠いんだよ、話しかけるな」
矛盾した言葉を吐き捨てる、その声は確かに眠そうだった。胡坐を掻く彼の横には音質の良くない安物のCDプレーヤー。僕の視線に気づいて彼がうなる。
「お前、うざいよ」
「は?」
ホント、彼のこういう暴言はいつも唐突で理不尽で理解できない。僕らって結構相思相愛だったはずなんだけど。
「僕の片思いだったの、実は」
「何がだよ」
意味わかんねえ、とつぶやきながらガシガシと頭を掻きむしる彼は何だか犬みたいだ。それも雑種の……いや、違うな。何だろう。何かもっとこう、野生の。ああそうだ。
「ヤマイヌっぽいんだね」
「うるっせえよ。この鳥野郎」
口悪いなあ。何なの、鳥って。疲れてるの?
おかげで思い出したけど。
「カナリアだね、歌うの」
子守唄。ちょっと口ずさんだら頭をおさえられた。
「歌うな、寝かける」
でも寝るとは言わないんだね。
彼は悔しそうに顔を歪めた。
「寝れねえよ。気持ち良くて、眠いのに、聴けって命令してくるからな、お前の音は。拷問だ。すっげえ我が侭」
「ほめてるの? けなしてるの?」
「むかついてんだよ。それにコトバ乗せなきゃなんねえ俺の身にもなれよ」
目の前に突きだされた紙はびっしり文字で覆われていた。
「これで歌え。俺は寝る」
「え、寝ちゃうの? 自分が呼んでおいて?」
「それ渡すために呼んだんだよ。子守唄でもなんでも好きなモン歌えよ。けど『好きに』歌うな」
「は?」
「言っただろうが。お前が本気で歌うと、寝れねえ」
大きなあくび。ヤマイヌみたい。荒んで見える彼の中から、なのに出てくるのはきれいな言葉ばかりだ。月の光とか、愛とか、そんなの。
でも犬の口じゃ歌うことはできないから、彼はそれを僕に押しつけて言う。
「うたえよ」
まったく、どっちが我が侭なんだと思いながら、僕は今日も静かに歌い出すのだ。
彼の言葉を、子守唄のように、そっと。




