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自分の理解の及ばないものこそ、他人はすごいと感じるものです。
例えば、小学生が大学の数学を見てすごいと思うのは、その数学に至るまでの過程を知らない、その根源は自分の現段階の知識では理解できないものだからこそ、すごいと思うのです。
その小学生は当時どれだけすごいと思っても、中学、高校と進むにつれ何となく大学の数式を理解できるようになっていきますでしょう。そうなれば、彼の「すごい」と感じた感情は、段々薄れていきます。
しかし、それは慣れとはまた少し違います。
ただ、理解が追いついてくるだけです。
運動部が文化部をすごいと感じるように。
文化部が運動部をすごいと感じるように。
意外とやってみたら訳ないことでさえ、人は自分のできないことに敏感です。勉強や技術では、特に。
そして他人がすごいと感じたら、次は何をするか。褒めるんです。「できる人」が潰れるくらい、圧死するくらい、褒めるんです。無意識なのか意識的なのかは個人で違えども、褒め讃えることは、その人を潰すことに他なりません。
まだ妬まれる方がマシなんです。
褒めるのはある種の妬みに近いです。ですが、それとはまた遠くもあります。
近くて遠い、類似しているがそうでもない。
しかし、その重みは妬みより数段違う。
人はそうやって、自分ができないことを褒めて、潰していくんです。出る杭を叩くとは、頭の出た杭を叩いて、潰しているだけです。
見てください、自分の周りを。
今までに何本の杭を、潰し殺しましたか?
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