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クオリアなんて、と何回思ったことでしょう。
クオリアとは、要するに主観と客観は違うんじゃないかという考えのことです。
主観と客観は交わらない、他人の考えは理解できず、自らの考えは理解されない。僕はどんなに外道な人よりも、どんなに猟奇的な人間よりも、まずこの事実に腹を立てています。
相手の考えを理解できないなら、想像することならできます。が、それは厳密には客観ではない。主観を基にした客観でしかない。
それでも、と僕は言いたいです。
他人が怒るのには理由がある。他人が泣くのには理由がある。同様に、他人が僕を嫌うのには理由がある。
それらを僕はいつも考えています。それは決して確かことではないし、どんなに根拠となるような材料があっても、永遠に答えを出せない数式を、僕は解いています。でも、僕が知る人は、ほとんどがそれを考えようとしません。
ただ批判的なコメントと、主観だけに頼ったものさしだけで何かを見ているです。彼らの大前提は、『俺の言うことが正義だ』でしょうか。
自分の信念を曲げない点では、評価しましょう。いいえ、ほとんど無意識にやっていることなので、評価するだけ無駄でしょうか。
ともあれ、自我という柱と、他人という柱は、主観と客観の板を支え、二つを近づけないようにしているんです。
僕は言いたい。
想像してみてほしいと。
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