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少年哲学  作者: 東雲 流水
第一期:十六迄の独白・皮肉哲学
4/19

4.

**********


 クオリアなんて、と何回思ったことでしょう。

 クオリアとは、要するに主観と客観は違うんじゃないかという考えのことです。

 主観と客観は交わらない、他人の考えは理解できず、自らの考えは理解されない。僕はどんなに外道な人よりも、どんなに猟奇的な人間よりも、まずこの事実に腹を立てています。

 相手の考えを理解できないなら、想像することならできます。が、それは厳密には客観ではない。主観を基にした客観でしかない。

 それでも、と僕は言いたいです。

 他人が怒るのには理由がある。他人が泣くのには理由がある。同様に、他人が僕を嫌うのには理由がある。

 それらを僕はいつも考えています。それは決して確かことではないし、どんなに根拠となるような材料があっても、永遠に答えを出せない数式を、僕は解いています。でも、僕が知る人は、ほとんどがそれを考えようとしません。

 ただ批判的なコメントと、主観だけに頼ったものさしだけで何かを見ているです。彼らの大前提は、『俺の言うことが正義だ』でしょうか。

 自分の信念を曲げない点では、評価しましょう。いいえ、ほとんど無意識にやっていることなので、評価するだけ無駄でしょうか。

 ともあれ、自我という柱と、他人という柱は、主観と客観の板を支え、二つを近づけないようにしているんです。

 僕は言いたい。

 想像してみてほしいと。


**********

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