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少年哲学  作者: 東雲 流水
第一期:十六迄の独白・皮肉哲学
3/19

3.

**********


 主観と客観の二人が、僕の中にいるようです。

 どうやらこれは、思春期の人に多い症状(?)らしいですが、なんにせよ僕が僕として、確かに考えたことなので、ここに記します。

 僕は、例えばとあるAという物事を見るとき、まず主観でAに対するBという対処を考えます。

 次に、無意識の内に客観的に、僕1.の、自分とが乖離(かいり)したような自我が、僕という2.の人物を見ているような感覚なり、Cという違う対処法を思いつきます。

 そして同時に、Bという対処を考えた自分が、何というんでしょう、馬鹿というか、格好つけているというか、そんな風に見えてくるんです。

 でも、そこで僕の感じる客観的視点は、真の意味では客観ではないんです。何故なら、その客観視している僕2.は、僕1.という自我性格を知っているからです。

 客観は、他人から見る印象だから客観なんです。

 そこまで自覚しているのに、どうしても主観の次に客観してしまいます。挙句、客観した後に『こう考えている自分は、自らのベースを知っていることで満足しようとしているのではないか』、という自己嫌悪をするんです。

 心理的に、自分を客観していることは格好いいなどと思っていないか。

 毎回、主観で見て次に客観視、自己嫌悪をしています。病的なのです。ですが、自覚はしています。

 しかし、この自覚ですら、自分を正当化しているんじゃないか、と思うんです。結局は無限ループ、終わらない螺旋階段を降りている気分です。

 這い上がれない無限階段は、どこまで続くのでしょう。


**********

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