表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少年哲学  作者: 東雲 流水
第二期:十六からの自己分析哲学
19/19

19.

感情の暴風雨の中で。

**********


 感情に任せて書いたものほど、俺の場合は強い力を持つらしい。

 本人は淡々と書きたい派であるが、あまりにも負の感情が高まったり悲しみの渦中にいたり、あるいは失望の最中にある時ほど、その感情は文体に現れる。

 それが悪いことではない、と言われたが、しかし語彙と表現力が著しく低下するというデメリットがあるため、俺はあまり好きではなかった。そもそも、感情に任せて書いたものなど読めたものではない。支離滅裂な文章を読んで理解できる者は、ほとんどいないだろう。

 しかし心を打つ、という点ではどうだろう。前作(18.)で俺は『創作で世界を変えよう』と書いたが、感情を前に出した文章は影響力がある。何も考えずに綴った文章が、その人の心を表すことはままあることだ。俺の思想が万人受けするとは思っていないが、それでも感情的な演説風に書けば、それは淡白な文体よりは共感、あるいは批判など、形はどうであれ反応があることは増えると思う。

 俺はその場その場での空気のミスマッチがあまり好きではない。例えば淡々と続けていた文章をいきなり感情的にする、あるいはその逆のことである。

 あるいは、主観の時は前者、客観の時は後者で使い分けるべきだろうか。実際、このエッセイはほとんどをつらつらと書いている。自己を客観視できているようでとても落ち着く。逆に小説では感情的に書く。思っていることを全て登場人物に代弁させるつもりで書く。そちらの方がメッセージ性を強く含められる。

 それも一つの技法だろう。形がどうであれ、人に自分の考えを伝えられるのはいいことである。

 それが主観的であれ客観的であれ、自己があってそれを外に出すということには変わりない。感情的であるかそうでないかは方法の一つである。

 何にせよ、俺は作品全てを通じて色々なメッセージを伝えたい。これからは書き分けを意識してみようと思う。


**********

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ