19.
感情の暴風雨の中で。
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感情に任せて書いたものほど、俺の場合は強い力を持つらしい。
本人は淡々と書きたい派であるが、あまりにも負の感情が高まったり悲しみの渦中にいたり、あるいは失望の最中にある時ほど、その感情は文体に現れる。
それが悪いことではない、と言われたが、しかし語彙と表現力が著しく低下するというデメリットがあるため、俺はあまり好きではなかった。そもそも、感情に任せて書いたものなど読めたものではない。支離滅裂な文章を読んで理解できる者は、ほとんどいないだろう。
しかし心を打つ、という点ではどうだろう。前作(18.)で俺は『創作で世界を変えよう』と書いたが、感情を前に出した文章は影響力がある。何も考えずに綴った文章が、その人の心を表すことはままあることだ。俺の思想が万人受けするとは思っていないが、それでも感情的な演説風に書けば、それは淡白な文体よりは共感、あるいは批判など、形はどうであれ反応があることは増えると思う。
俺はその場その場での空気のミスマッチがあまり好きではない。例えば淡々と続けていた文章をいきなり感情的にする、あるいはその逆のことである。
あるいは、主観の時は前者、客観の時は後者で使い分けるべきだろうか。実際、このエッセイはほとんどをつらつらと書いている。自己を客観視できているようでとても落ち着く。逆に小説では感情的に書く。思っていることを全て登場人物に代弁させるつもりで書く。そちらの方がメッセージ性を強く含められる。
それも一つの技法だろう。形がどうであれ、人に自分の考えを伝えられるのはいいことである。
それが主観的であれ客観的であれ、自己があってそれを外に出すということには変わりない。感情的であるかそうでないかは方法の一つである。
何にせよ、俺は作品全てを通じて色々なメッセージを伝えたい。これからは書き分けを意識してみようと思う。
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