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正義がねじ曲がる瞬間が、僕の周りでは連続的に続いています。
多数決、と言うのでしょうか。数の暴力、と言うのでしょうか。
僕が見る『彼ら』は、どうやら人数が多い方が正義だと思っているようです。言うなれば、『数の正義』です。言い換えれば、ここがこの正義の、僕が最も嫌う部分ですが、『持論がない、周りに流される正義』です。
それは政治でいうところの『与党』でしょうか。確かに僕たちは社会不適合者という不名誉な称号を持ち、自覚すらしていますが、それでも信ずるべき正義が正義でなくなり、更にそれが世界から見て間違ったものであれば、僕たちは革命を起こさなければなりません。
僕を含めた数人は、現代にある一つの現象を撤廃したいがために、こうして自分勝手な思想を振りかざしています。自らが信ずる正義を貫こうとしています。
しかし、その正義も、見る人から見れば間違った正義なのでしょう。ですが、今一度考えてみてください。
『数の多さ』という具体的な強さを持ちながら、『個人たち』という抽象性ばかりを持った、さながら烏合の衆のような正義よりは、各々が持ち、信じようとして集まった正義の方が正しいのではないでしょうか。
我々は自らが、各々が信じる思想を振りかざします。彼らはそれを数と、己に都合のいい『常識』という言葉で叩こうとしますが、決して僕たちは折れる気はありません。自分の主義主張を押し付けるのは我ながら勝手だと思います。しかし、革命を起こした先人たちは、自分たちの正義と同じものを集めて、世界を変えました。
更に言えばそれは、『何となく』の集まりよりも大きく世界を動かし、大きく世界を変えるもとになるのでしょう。
僕たちは今日も周りの正義を崩そうとし、そして自らの正義を誤ろうとしています。
『何となく』の正義を、僕は嫌って、ただ自分が信ずる、一本骨のある正義のみを貫こうとしています。
仮に彼らの『数の正義』が、持論を持ち始めたら、僕はそれに対し、喜んで対立して、討論したいと思っています。
周りに流されるような正義は、人様に振りかざせるようなものではなく、ですが社会においては嫌味なほど力を持ちます。それを嫌い、反発するのが社会不適合者だと言うのなら、僕たちはやはり、どこまでいっても社会不適合者なんでしょう。
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