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少年哲学  作者: 東雲 流水
第一期:十六迄の独白・皮肉哲学
1/19

1.

**********


 嫌いなものは全人類です。

 なんて書くと、僕が地球にいる全人類が嫌いだと言っているようですが、実際その通りです。より正確に言うならば、人間という種族が嫌いなのです。

 先に誤解を解きますが、あくまで読者の方々の、性格や見た目などを否定しているわけではなく、ただただ、僕は「人間」というものが嫌いなのです。

 自分を含めた全人類が嫌いなのです。

 僕はまだ十代の若造です。世間なんてもちろん知りません。ですが、いずれにせよ今、この持論が変わることはありません。

 蹴落とし蹴落とされ、理不尽はこれが普通だと言わんばかりにまかり通り、不自由の杭が僕の四肢を打っているのです。そして、なんだそんなことか、とここで言える方々のことを、僕はどうしても、どうしても理解することができません。

 知らないでしょう。自由な翼に力が入らず、地面で手を伸ばす亡者に引きずり落とされる気分を。

 知らないでしょう。背中いっぱいに広がる、地面と亡者の手の冷たさを。

 知らないでしょう。周りの考えと自らの考えが、真っ向から対立しあったときの不利さを。

 四肢に亡者の手がかかり、やがてそれは僕を地に落とし、そのまま地中に引きずり込むでしょう。彼らは、自分と似た同族を引き込んでいるわけではなく、ただ自らの安らぎのためだけに引き込んでいるのです。

 こいつは俺と同じだ、こいつは俺と同じだ。

 そんな無言の言葉が聞こえるのです。いつも、いつも。

 隣に誰かいればいい。そんな考えがあるんだと、僕は思っています。上を見ず、隣か、下を見る。そしてみんな、「できる奴はできるんだ」という諦観で物事を見ているんです。

 僕はそうでありたくない。ただ上を見ようとしていました。ですが、無意識ながらも下を見てしまう。首が疲れた、石が落ちている、なんていう、どうでもいい言い訳や理由で。

 僕が「人間」という種族を嫌うようになったのは、きっとこれに気づいてからでしょう。今は、当時よりその気持ちは強くなっています。

 ただ、これは思春期特有のものだと言う人もいます。自分で言うのもあれですが、感受性の高さからくるものである、と言われたことがあります。

 それは、言い返せば「年月が経てばなくなるものだ」と言われたわけです。感受性は年とともに鈍っていくそうです。さながら、買ってから一度も研いだことのない、包丁のように。

 そうなってくれることを、僕自身は望んでいます。

 感受性が鈍くなれば、生きやすくなる。僕は一切の根拠もなく、そう信じています。ですが、感受性が失われれば、よい作品が思いつかなくなるというデメリットもあります。

 それでもいいです。この生きにくい世の中を、見つめたくはないんです。


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