出会いの話
目が覚めた時に見たのは、青く淡く光る天井だった。何処か神々しい光景と身体を包む柔い温もりに、もう一度目を閉じてしまいそうになる。しかし目を閉じかけた瞬間、バサバサと鳥の翼の様な音が頭上から聞こえてきて、ゆっくりと目を開く。
そして、赤い目と目が合った。
「……」
「おっ、目が覚めたっぽいぞ~。大丈夫かー?」
それは蝙蝠だった。
ただ普通の蝙蝠と違うのは、理性が感じられるその目と、口から放たれた人間の言葉。普通の蝙蝠は人間の言葉を喋らない。喋るとしたら蝙蝠の姿を偽った魔物ぐらいだ。
微睡んでいた意識が一気に覚醒し、私は勢いよく起き上がる。自分が今まで温かいと思っていたのはとろみのあるお湯のようで、匂いからするに薬湯。しかし、私は薬湯に入った覚えはないし、尚且つ服を脱いで全裸になったつもりもないし、そもそも水銀を飲んだからこうして起き上がれるはずがなかった。
なら、この魔物に連れてこられたのか?と恐怖で浴槽の中から這い出ようとした所、蝙蝠が慌てながら目の前に飛び出してきて、翼で頭をべしっと叩かれる。痛みに耐えながら浴槽の端へ身を縮ませると、蝙蝠は浴槽の端に止まって足でバンバン叩き出す。
「まだ治療が済んでないんだから浸かってろ!」
「で、でも」
「お前みたいな生娘食う気にもなれないから安心しろ」
「なっ」
思わず顔が熱を帯びてくる。確かにブサイクな生娘だけど魔物にまで言われるとむかついてくる。
でも事実だから何も言えず、浴槽に渋々浸かると蝙蝠は鼻を鳴らして満足そうに何処かへ飛んでいった。
「……なんなのよ一体……」
浴槽がある場所は天井と同じ素材で仕切られていて、浴槽以外にはタオルや石鹸の様な物がある程度だった。ただのお風呂場の様に思うのだけど、壁の素材がクリスタルの様に半透明なのが気になる。
今自分が浸かっている薬湯だってかなり珍しい薬草を使っているようだし、一体ここは何処なんだろうと考えながら全身が湯の中に浸かる様に体勢を変える。
今は、自分のことより姉さんたちが無事に街を抜け出せたかの方が心配だ。
「…姉さん」
ポツリと呟き、静かに息を止めて湯の中に頭も浸けるとガチャと扉の様な物が開く音が聞こえたかと思うと、凄まじい金属音が近くまで来て、いきなり身体が浮かび上がる。
突然の出来事に目を見開いて見れば、目の前に鈍色の鎧が見えた。上へ目線を向けていけばそこには、青い炎が見える。
その鎧には頭にあるはずの兜がなく、兜があるはずの場所からは青い炎が揺れていた。
思い当たるものは一つしかなかった。
「首なし騎士」
そう言った私を抱えながら騎士はお風呂場の端に移動し、私の身体に白いふかふかのタオルを被せてきた。そしてクリスタルで出来た扉を開き、暗い通路を歩き出す。外気の冷たさに身を震わせると、それに気づいたのか騎士は私を片腕に抱え直し、更にタオルをかけてくれた。
予想外の優しさに驚いていると、騎士は木製で出来た扉を開いた。全て木製で出来た部屋の中は家庭的な家具の配置で、テーブルの傍にいた人物が私へ駆け寄ってくる。
ここにいるはずがない人物がそこにはいた。思わず私は涙を堪えながら騎士の上から飛び降りる。すぐに駆け寄ってきた人に抱きしめられた。
「姉さんっ!」
「マニちゃん…っ!」
埃や木屑が髪や頬についていたりしたけれど、まさしく私の姉がそこにいた。
後ろの方ではホッとした顔の幼馴染もいる。二人が無事に生きていることに涙が止まらない。
二人して涙を流しながら抱き合っていると、後ろからそっと何かをかけられた。振り返れば、私の肩にローブのような服がかけられていて、片手に私が着ていた服を持った騎士が体を左右に動かして私の様子を窺っているように見えた。鎧から出た炎が若干赤くなっている。
「私の服、ですか?」
そう言うと、騎士は身体を大きく動かして頷いた。そして私に服を渡すとそのまま部屋を出て行ってしまった。入れ替わるようにして今さっき私の頭を叩いた蝙蝠が部屋の中に入ってくる。
「まだ事情がわかってないようだから喋れないアイツの代わりに説明しにきたぜー」
「あっ今さっきの蝙蝠」
「蝙蝠じゃねぇ!ちゃんと『コウ』って名前があるんだからそう呼んでくれよ」
拗ねた口調で自分の事をコウと呼んだ蝙蝠は、木製の机に降り立つと「とりあえず座って話そうぜー」と机を小さな足で叩く。戸惑う私に姉さんはニコリと微笑んで男性陣に見えないように服を着せてくれた。
服も着ていつもどおりになると、姉さんの隣の椅子に座る。幼馴染は姉さんと反対側の椅子に座り、蝙蝠をつついている。それを嫌そうに躱しながら蝙蝠は話始めた。
「まず自己紹介からな。オレの名前はコウ。今さっきの首なし騎士に育てられた魔物だ。んで、首なし騎士は…まぁ名前は言わなくていいか。お前たちの街で恐れられてる騎士と同じ存在な」
「じゃ、じゃあ貴方はあの御伽噺に出てくる殺されたっていう魔物?死んでるはずじゃあ…」
「まぁ死にかけたってのは事実だなー。治るのに10年ぐらいかかったし」
「生きてたのね…じゃあ、話に出てきた少女っていうのわ」
「騎士の唯一の肉親さ。簡単に言えば、領主の息子に存在がバレて殺されかけたオレを騎士が助けてくれて、街の人の助けで家族と一緒にこの城に移り住んだってのが真実~」
「首がなくなっても動いてるのはどうして?」
「オレもよくわかんねぇし実際見たわけじゃないんだけど、妹ちゃん…あぁあいつの妹ね、妹ちゃんが言ってた限りだと処刑の時に使われた剣のせいじゃないかなって。あいつ自身、自分がやった罪を自覚してて大人しく処刑されたらしいからな。葬式の時にいきなり炎纏ってひょこっと起き上がって、本人が一番驚いてたぐらいだぞ」
あの話は事実だったようだ。細かい部分が違っているけれど、あの御伽噺は大昔に本当にあった出来事だったらしい。それならあの花嫁の風習は本当なのだろうか。コウはまだ話を続ける。
「んで街の人達がオレ達が困らないようにって、物と一緒に時々ここに来てくれるようになったんだ。最初はオレ達の親代わりをしてくれてた人。同情してくれてな、ずっと死ぬまでオレ達の心配をしてくれてた。次は妹ちゃんの姉さんになっててくれた人で、旦那さんと一緒にこの部屋を作ってくれたんだ。3人目は騎士の幼馴染で、住み込みで働く!って言っといて半年ぐらいで帰っちゃったけど、あいつの事が好きだったんだろうな~。すげぇアピールしまくってたけど玉砕してたな!アハハ」
思い出して笑っているのか、身体を震わせながらコウはずっと話を続ける。私達は黙って聞くことぐらいしか出来なかった。
「それから五十年ぐらい経ったぐらいだっけかな?妙に若い娘さんが来るようになったのわ。食料を買いに知り合いの店に夜中に行ってたら、貴方の花嫁になりにきましたって妹ちゃんぐらいの年の子が言ってきたんだよ。訳も分からず連れて帰って事情を聞けば、そうしないと街を壊すでしょって震えながら言ってきてさ。あ~変な解釈されてるってなって、事情説明を含めて一旦連れて帰って別の街で両親と連絡を取れるようにしてあげてたのさ」
「じゃあ、街の人達の勘違いであんな風習が…?」
「そゆこと。まぁ仕方ないよーオレ達の詳しい事情を知ってる人なんて、その時にゃ既に極一部だったからね。たぶん今この事実知ってる人はいつも食料を売ってくれる一族の人間だけじゃね?」
衝撃の事実に私は血の気が引いていく気がした。勘違いから更に事実を曲げられて伝えられていたことに愕然とした。
「んで、ここ200年くらいか。花嫁っていう娘が来なくなったのわ。最初はようやく変な風習がなくなったかーってのんびり城で暮らしてたんだけどさ、あの晩、食料を買いに来たらなんかやけに街中騒がしくてさ。なんだなんだって二人して来てみれば、そこの姉ちゃんと兄ちゃんが青い顔でオレ達に近づいてきてな?まぁ一通り事情を聞いたわけさ」
コウはそう言って机の上に置いてあった木の器の中の木の実を一つ取る。そして器用に足でパキっと半分に折ると、私に半分渡してきた。おずおずと木の実を受け取ると、ニンマリ笑って残りの半分をポリポリ食べ始める。私も木の実を少しずつ囓る。ほのかな甘味が体に心地いい。
「助けてくれって言われたからさ、久しぶりに騎士魂が疼いたんだろうさ。急いで馬を走らせてみればアンタが水銀飲んで死にかけてた。その姿がなんていうか…昔のオレみたいでな、二人して我を忘れてアンタを助けようとあの薬湯に浸けてたわけさ。あの薬湯は人間の身体に入った毒素を抽出してくれる。後で鏡でも見てきな」
一通り説明し終えて疲れたのか、トテトテと私の方へ近づいてきて手の平に乗ってくる。そのまま身を小さくすると数秒後に寝息が聞こえてきた。寝るの早いと思いながら私はコウの最後の言葉に首を傾げた。
「姉さん、最後の鏡でも見てきなってどういうことかわかる?」
姉さんに尋ねると、姉さんが珍しく目を見開いて驚き、次の瞬間笑い始めた。何事?と更に疑問符を増やせば、幼馴染が近くの鏡を持ってきて私の目の前に持ってきた。
次の瞬間、鏡に映った自分の姿に私はなんとも言えない声を発した。なぜなら、鏡に映っていたのは今までの私ではなかったからだ。薬品の影響で色の落ちた髪は元の金色を取り戻し、そばかすやシミだらけだった肌はまるで赤子の様に柔らかく白い。瞳も明るさを取り戻しはっきりと蒼い。慌てて服を引っ張り、自分の身体を見てみれば今までに薬品や暴力などで傷ついた様子など全くない身体になっていた。
治るとは思えない程酷い身体だったのに、信じられない気持ちでいっぱいになる私を姉はそっと横から抱きしめる。その頬には静かに涙が流れていた。
「あの騎士様には一生頭が上がりそうにないわ、わたし」
「…私もだわ」
見ず知らずの私達を疑いもせず助けてくれたあの人達に、私達は感謝しきれない程の恩が出来てしまった。それからしばらく私達三人は話合い、人数分のお茶を持ってきた首なし騎士にある提案をした。
私達三人をしばらくの間、雑用係として泊めてもらえないかと。恩は働きで返すからと。
最初は全力で手を横に振って否定していた首なし騎士だったけれど、何度も何度も説得されていく内にようやく無いはずの頭を縦に振った。後から目覚めその事を聞いたコウは「久しぶりの客人だー!」と大喜びだった。
それから2ヶ月、私達は今も首なし騎士が住んでいる宝石の城で働いている。
この城は不思議なことに殆ど青い宝石のような素材で出来ていた。一部木造の部分もあるけれどそこは後から増築した場所らしく、宝石の部分は首なし騎士が人間として暮らしていた頃より前に既にここにあったんだそうだ。
姉はあの時に渡した薬のおかげで病気も快調の方向に進み、病弱だった身体は徐々に女性らしく健康的になっている。元々女神のようだった姉が更に綺麗になって、幼馴染は嬉しそうだった。もちろん私も嬉しい。
幼馴染と姉は二人で城の掃除を担当した。私は料理と城の庭木や花園の整備担当だ。まともに料理が作れるのが私ぐらいしかいなかったし、草や木に関しては薬屋の知識が役に立つからだ。
食事はどうしてるんだと聞いた時。
「食材をそのままかじったり焼いたりするぐらいだぜー」
と答えたコウを本で地面に叩き落としたのがなんだか懐かしい。
あれから街の様子はどうなったのか分からない。聞こうとも思わない。だって忙しすぎるんだもの。
庭は荒れ放題、食事はまさかの丸かじり。部屋は埃だらけ、倉庫なんてボロボロな書物ばっかりで「ゴミ屋敷か!」と叫んでしまいたくなるほど汚かったからだ。城の見た目は綺麗なのに中身が伴っていないなんておかしいでしょと思ったけれど、首なし騎士もコウも一度も掃除や料理なんてやったことないと答えたもんだからどうしようもない。
だから、姉さんと幼馴染は分担して広い城の中を毎日毎日掃除している。私も時々手伝うけれど、全然片付かない。
そんな生活が続いていたある日の事だった。私はいつもどおり日が昇る前の時刻に目を覚まし、ランプをつけて花園の植木達の枝を選別していた時だった。鋏の音しか響いていなかった庭に、ガシャンガシャンと鉄と鉄がぶつかり合うよう音が聞こえてきた。
聴き慣れた音の方向を振り向いてみれば、この時間帯にはまだ目を覚ましていないと思っていた首なし騎士が庭と城の間にある通路を歩いているところだった。鎧が動くたびによくあの音が鳴るけれど、いつもどこにいるか分かり易いなと少し目で追っていると向こうもこっちに気づいたのか、首元から出てくる青い炎が一瞬黄色くなり、駆け足気味にこちらに向かってきた。その様子に思わず笑みを浮かべてしまう。
この2ヶ月でわかった事は、首なし騎士は男性だったこと。感情が首元の炎の色で分かること。寝る時以外は鎧を脱がないこと。読書家ということ。昼寝が好きなこと。
見た目と食事が必要ないという点を除けば、彼はとても普通な人だと気づいた。
「おはようございます。朝早くからお出かけですか?」
私の傍に来てうろうろしている彼に片手を差し出しながらそう言うと、彼は私の手を取って掌に指で文字を書きはじめる。
彼は喋れない代わりに筆談をして自分の意思を伝えてくれる。紙に書くことが多いのだけれど、この方法を教えると彼はこの方法で話をしだした。
冷たい鎧の手が繊細に私の掌の上で動いていく。
『今大丈夫ですか』
「ええ大丈夫ですよ。もう剪定も済みましたし…あっでも朝食の仕込が」
『直に終わりますから』
「急ぎの用件ですか?わかりました」
続けて用件を聞こうとした私より先に、彼は私の手を引っ張ってどこかに歩き出した。
本当に急ぎの用件なのか、有無を言わさず連れて行かれ、私はどこに連れて行かれるのだろうかと少し不安に思った。しかしそれは杞憂だった。
連れて行かれたのは彼の愛馬のところだった。大きな鎧姿の騎士より遥かに巨大な紫色の馬で、額には青い角が生えている。知性を感じさせる赤い瞳で私達を見つけると、ペコリと丁寧にお辞儀をしてくれた。コウが拾った魔物らしく、知性はあるものの発声器官が無いから人の言葉は喋れないらしい。どんな荒れた道でも堂々と進んでいく様は、王者の風格を感じさせるくらいに凛々しい馬だ。
いつもなら専用の小屋で何もつけずにのんびり過ごしているはずだけど、今日は既に鞍が嵌められている。後ろにはかなり豪華な塗装がされた荷馬車までくっつけている。
「何処かにお買い物ですか?」
聞いてはみたものの、首なし騎士は私の手を繋いだまま無言で荷馬車に乗り込む。一度手を離し、荷馬車に乗せてあった毛布を敷いてからそこに私を座らせる。なすがまま座った私の隣に座り、愛馬に合図を送ってからようやく返事がきた。
『敷地内ではあるんですが、少し遠いとこに行きます』
「遠いところ……」
『見せたいモノがあります』
不思議に思いながらも、ゆらゆらと不安そうに揺れる炎を見て私は縦に頷いていた。ほのかに優しい炎に変わるのを見て微笑み返すと、のんびりと揺れを感じながら私達は目的の場所へと向かう。朝焼けが眩しくなってきた頃、ようやくその目的地に到着したのか、彼の愛馬がゆっくりと停車した。
「ここはどこでしょう」
そこは宝石の城と同じ素材の鉱石らしきものが、まるで樹木の様に地面から生えている場所だった。よく見るとその鉱石がある場所だけ地面が変色している。首なし騎士の後を追って荷馬車から降りると、彼は鉱石の森に入っていってしまう。慌てて彼を追いかけると、奥に進むにつれて鉱石の色が濃くなっていることに気づく。その綺麗さに見とれて、彼が既に止まっているのに気づかずその背にぶつかってしまった。
『大丈夫ですか』
「す、すみません。前を見てませ……」
反動で後ろに倒れてしまった私は、立つのを手伝ってくれた首なし騎士の後ろに大きな柩があることに気づいた。こんな場所に柩?と驚く私に、彼は悩む仕草をした後ゆっくりと横にずれた。
鉱石で作られた柩の中には大量の花に埋もれて眠る、一人の老婆の姿があった。皺だらけの小さな手を胸の上に重ね、幸せそうに微笑んで眠っている。不思議なのは、花はどれも枯れているのに彼女は今も生きているかのように血色が良い。胸や首や鼻が動いていないから亡くなっているのは確かだ。
『私の妹です。もう亡くなって200年以上経ちます』
首なし騎士はそう言うと、柩の上から彼女を丁寧に撫でる。優しい橙色の炎がゆっくりと深い青に変わっていく。まるで懐かしい思い出に涙しているようだ。私は黙って彼の次の言葉を待った。
『この場所は妹のお気に入りでした。よくここに来ては三人で隠れんぼをしていました』
「……」
『妹の体が不自由になってからはピクニックをしました。今まで出来なかった分を埋め合わせるように』
妹さんとの思い出を語る彼の指は、いつもより震えていた。幸せだった頃の思い出は嫌な思い出を思い出すきっかけになる。それでも私は止めようとは思わなかった。彼がこうやって語ってくれているのにも理由があるからだと思えて仕方がなかったから。
『ここに柩を置いたのも妹が安らかに眠れるようにと願ってのことです。でも柩の中の妹は変わることなく眠り続けています。原因は分かりません』
そこで一度指を止めると、彼は静かに妹さんを見つめて、もう一度私の手に指を添える。
『お願いがあります』
「…なんでしょう?」
『妹を、空に還すのを手伝っていただけませんか』
たぶん前から考えていたんでしょう。ずっと柩の中で眠る妹を天国に送る方法を。でも今まで実行に移すことが出来なかった。どうしても踏ん切りがつかなかったんだと思う。だって、普段は燃え盛っている炎がまるで蝋燭の火のように小さくなっているのだから。とても苦しい決断を言葉にするのは相当な覚悟がいる事を私はよく知っている。彼の震える手を両手で包み、私は優しく微笑んだ。
「私でよろしければ」
そう答えると、彼の火が徐々に元の大きさまで戻る。ありがとうと手を握り返され、彼は一度荷物を取りに荷馬車へと戻っていった。私はその間に妹さんの柩を開き、枯れた花を全て取り出していく。
綺麗に整えると冷たく熱を持たない皺だらけの手にそっと触れ、彼らの大切な妹さんが静かに眠れるようにと祈りを捧げた。
戻ってきた首なし騎士が行きに使った毛布を妹さんの体にかけると、自分の首元の火を一部取り出して毛布に移す。首なし騎士の火は徐々に毛布を燃やし、ちりちりと油の燃える匂いが漂ってくる。私達はそれをじっと眺め、彼女が風になって溶けていくのを黙って見送った。
『ありがとう。妹も貴方に見送られて喜んでいると思います』
帰り道、またお礼を言ってくる彼に私は首を振った。
「お礼なんていりません。私はただお供させていただいただけですよ」
『それでも、貴方がいなければ私は妹を見送れませんでした』
『一人ではどうしても躊躇ってしまって…』と切なそうに言う彼に、私は当初の疑問をぶつけることにした。
「そういえば何故私なのですか?他に姉や義兄もいますし、特にコウを呼ばなくてよかったのですか?」
そう質問すると、何故か周りの景色に視線を飛ばしたり、両手を膝の上で遊ばせたりし始める。不思議に思った私が首を傾げていると、青かった炎が徐々に黄色になり遂にはボフンッと煙を立てて真っ赤になってしまった。初めての反応にどんな感情表現なの?どれに当てはまるの?と今までの反応を振り返っていると、首なし騎士は黙ったまま私の左肩に寄りかかり、わざわざ篭手を外して素の右手で私の左手を握ってきた。
初めて触れる首なし騎士の素手は予想以上にスベスベで温かった。というか温すぎて若干汗をかいていた。……緊張している?
「あの、何か不都合な事を聞いてしまいましたか」
握っている手とは逆の手で全力否定された。だったら何なんだと思っていると、もう一つの篭手も取って何度か息を吸う動作をして、私の手の甲に文字を書き始めた。
『妹からの遺言だったのですが』
「はい」
『火葬する時は、その、こ…』
「こ?」
『…好意を寄せる人と、一緒に見送って欲しい、と…』
好意。好意。……好意???
思わず頭の中でその部分だけが強調された。言い終えた彼は何度も両手を握ったり開いたりを繰り返している。炎は完全に真っ赤だ。流石にこんな反応をされて察せない程私は鈍くない。
「確認してもいいですか?」
『はい』
「好意というのは友愛的な意味でですか、恋愛的な意味ですか」
何秒か硬直した後、彼はゆっくりと『後者です』と答える。そして私の手を恭しく手に取り、本来顔があれば唇がある辺りまで持ち上げた。その行為で私の頭は彼が私を恋愛対象として見ていることを認識し、本当に手に口付けをもらったのではないかと思うぐらい、手に熱が篭ってくる。今の私は彼の真っ赤な炎と同じぐらい顔が赤いだろう。
「あっあのっその…本当に」
『伝えるつもりはなかったのですが、今朝の貴方を見て我慢出来ませんでした』
今朝の私?枝の剪定をしている時に発見して、他愛もない話をしただけだ。自分では特に変わった事はしていない。しかし彼にとっては違うらしい。体を大きく横に振って否定している。
『今朝の貴方は私が来ているのに気づいて、じっと私を見ていました』
「はい、見てました」
『その時です。私にはあの時ランプに照らされた貴方が、まるで妖精の様に見えたんです』
まさか私が妖精に例えられるとは思わなかった。きょとんとする私に更に彼は言葉をかける。
『ランプの柔らかな灯が貴方を輝かせていたので、暗がりでもはっきりと分かりました。後ろの樹の緑が貴方の綺麗な髪を際立たせ、蒼い瞳が私の姿を真っ直ぐ見つめている。それだけで動いてるのかどうか怪しい心臓が一瞬止まりました』
だからあの時首元の炎が黄色に変わっていたのかと、バクバクと激しい鼓動を打つ心臓を落ち着かせていると、彼は今まで我慢していたことを吐き出すようにどんどん書く速度が上がってくる。
『私が近づくと貴方は嬉しそうに頬を染めて微笑んできました。正直に白状しますが、その顔が愛らしくて、心臓に剣を突きたてられたのではないかと錯覚する程衝撃的でした。勢いのままに抱きしめてしまいそうになったので、気分を落ち着かせる為に変な動きをしてたぐらいです』
「そもそも私そんな顔してましたか!?」
『してました。しかも今回だけじゃありません。一昨日の昼の食事を作っている時は、私が調理場を離れようとしたら少し拗ねたような顔をしてました。先週の中頃に外出から帰ってきた時なんて、満面の笑みで私の手を握って「おかえりなさい」って言ったんですよ。あの時ばかりは顔がなくて良かったと心の底から思いました。絶対に男としてやばい顔をしていた自信があります』
「ほぁぁぁぁ…っ!」
私の心臓の方が止まりそうな言葉の連発に耐え切れず、彼の指から逃れようと手を動かそうとする。しかし彼は今までの鬱憤を晴らすかの如く私の手首を掴み、怒涛の勢いで手の平に言葉を綴り続ける。
『私がアナタの事が好きだと自覚する前にも色々ありましたよ。お姉さんに向ける笑顔を私にも見せてくれるようになったり、お義兄さんやお姉さんには言わないちょっとした我が儘を言ってくれる様になったり、悩みを一番に私に打ち明けてくれるようになったりとか』
「他にもあるんですか!」
『これ以上言ったら私も思い出して茹だりそうなので、最後にこれだけは言わせてください』
そして彼が私の手に書いた言葉は、ささやかな感謝の言葉だった。
『私を人として見てくれてありがとうございます』
言い終わった彼は、これ以上言うことは無いと私の手をゆっくりと放そうとする。名残惜しそうに指が離れる瞬間、私はこの手を離してはいけないと逆に彼の手を勢いよく掴んだ。驚いて揺れる炎を見て、彼は自分の想いをぶつけてそれで終わりにする気だったのだと理解する。
返答を聞かずに自分の想いだけぶつけた人に、私は少しだけヒントをあげることにした。
「あのですね、そもそも私は触れられるのが苦手です」
いきなりの発言に首なし騎士の炎がゆっくりと傾く。
「薬品の影響で肌がかなり荒れていたので、接触は避けるようにしていたんです。それが治った今でも癖として残っていて、姉や義兄相手でも握手するのは躊躇います」
ゆらゆらと揺れている青い炎が考え込むように少し垂れる。これでもまだ足りないのかと、私はヤケクソ気味に最後のヒントを言った。
「そもそも指文字で会話する方法を言いだしたのは私の方からです。紙や土でも良いのに、手でも出来ますよって言ったのは私です。手を自分から差し出すのは貴方が相手だからです」
ここまで言って気づかなければ小っ恥ずかしい言葉を言わなければいけないか?と内心覚悟を決めていたけれど、彼の首元の炎が徐々に青から黄色、そして赤に変化していくのを見て理解してもらえた事にホッと胸を撫で下ろす。そして
「今もこうやって貴方に触れているのは、私がこうしたいからですよ」
恥ずかしいのでだいぶ遠まわしの言葉になってしまったけれど、私も貴方と同じ気持ちですよと伝えると、彼は微動だにしなくなった。城に戻ってきても私の手を掴んだまま彫像の様に動かない彼に、「仕方ないな~」とでも言うように振り返った彼の愛馬が鎧を鼻先で小突く。
その瞬間、彼の首元から出る炎が一瞬で紫色になり爆発して消えた。
まさかの反応に思わず小突いた本人?本馬?も驚いて、ヒンッ!?という変な鳴き声を上げた。私も驚いて掴まれている手を揺すってみるけれど、一向に反応が返ってこない。助けを呼ぼうにも掴まれた手が離れず、どうすればいいのか分からなくなった私は、私達を探しに来た姉夫婦が発見してくれるまで呆然とし続けていた。