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犬草


いぬくさ【犬草】該当項目なし。




 少し北寄りの街道を歩いていると、青々とした道草が目立つようになってきた。

 今までは、草と言えば立ち枯れをした枯れ草か、棘の生えたサボテンか、短くて堅い草だけだったのに、青々とした光景が広がっている。この辺りは、水と風のエレメントの宝庫である北海に近くなっている。だから、東方辺境にありながら、四元素のバランスが取れているのだなと、感心しながら歩いていると――


 犬の首が生えていた。


 それを目の当たりにし、私は固まる。

 なんだこれは。

 しばらくの間、意味が分からず思考停止し、埋まっている犬を眺めていたが、それが悲しげに「くぅーん」と鳴き声を上げたのを機に、ようやく私は思考を再開する。

 なぜ、犬が埋まっているのかは分からない。

 けれど、こんな有様は、あまりにも可哀想だ。

 だから、犬を助けよう。

 そう考えて少し小走りに犬に近寄ろうとしたら「危ない!」と声がして、横からドンと突き飛ばされた。

 気が付けば、私は宙を舞っていた。

 どうしたものかと逡巡していると、地面が近くなってまた衝撃が走り、もんどり打って転がっている間に、頭をガンと打ってしまった。

「だ、大丈夫か!」

 そんな声を聞きながら、私は大切な商売道具――頭部を抱えてゴロゴロと転がる。

 痛かった。

 本当に、痛かったのだ。

 だから――。

 しばらくの間、私は痛みにのたうち、転げ回っていた。

 頭の芯から響いてくる鈍痛は、あまりにも耐えがたいものがあって、私は恥も外聞もなく、痛みを発散する為に転げ回った。

 そうして。

 かなり長い間、転がっている内に、ようやく痛みが引いてきたので、私はなんとか立ち上がる。

 そして。

 眼鏡を直しながら、私は、私を唐突に突き飛ばした人物を初めて見た。それは、私よりも少し幼い少女だった。粗末な服を着て、杖を持ち、大きな角笛を首から掛けた――牧人の格好をした少女が私を見下ろしていた。

「いやぁ、危ないところだったなぁ」

 少女はトトキと名乗った。

 見た目の通り、牧人をしているという。この近くには、それなりの規模の街があって、そこの家畜の放牧を、一手に引き受けているのだという。

 私は自己紹介をすると、この犬を助ける為に手を貸して欲しいとトトキに訴えた。

 すると彼女は、キョトンとした顔をしてから、何か納得したような顔をして、次に腹を抱えて笑い出した。

「アレは犬じゃない。そういう植物なんだ」

 今度は、私がキョトンとした顔をする番だった。

 詳しい話を聞いてみると――

 この辺りでは、犬草という草が繁茂しているのだという。

 それは生きた犬の頭を持つ草で、芽が出た時はチューリップによく似ているが、蕾が花開くと、中から犬の頭が出てきて、それが次第に肥大化し、その頃には地上に出ている部分は犬頭を残して枯れてしまうので、今私が見たような、犬が首だけ残したような姿になるのだ。

 そんな話を聞かされて――。

 私は、ぼんやりとだが思い出した。

 この世の中には、珍しい動物や植物という物が存在する。特異な環境に適応するため、特異な性質や姿を持つ物。前史文明とか古代帝国などによって人工的に生み出された物。あるいは現在進行形で、品種改良されている物など、その出自は様々だけれど、特異な――創造主の正気を疑いたくなるような生き物は、意外と沢山存在する。

 そんな珍しい生き物の中に、一つの特異なカテゴリが存在する。

 動植物、などと呼ばれている動物にも植物にも分類できない特殊な生物群だ。

 これは、植物と動物の特性を兼ね備えた生き物で、有名なところでは南方より輸入されている『木綿』と呼ばれる優秀な糸を生み出すという、地より生える羊・バロメッツ。これは羊を実らす不可思議な植物だ。他にも、冬になると落葉し、それが鮭となるナナカマドの木、赤子を実らす桃の木、意志を持ち、獣を縛り首にする柳など、様々な動植物が知られている。

 恐らく犬草も、そうした動植物の一種なのだろうと、私は理解した。

「しかも、結構凶暴なんだよねぇ。手を出したら噛み千切られるくらいにさ。こいつらは、そうして近づく小動物、例えば兎なんかを襲っては、殺して、バラバラにして、養分にしているから」

 私は、自身の手と犬草を見比べた。

 すると、犬草はワンと大きな声で私達を威嚇する。その犬歯は鋭く、黄色く、汚れていた。噛まれたら、狂犬病にでもなりそうだ。そういう事をトトキに話すと「そうかもね」と言って笑った。

 その笑顔はとても素朴で、魅力的で、私は、なんとなく彼女の事が気に入った。

 私は少しだけ気安い調子で『この草は、直接、獲物を食べたりしないのか』と聞いてみたところ、「こいつら植物だからね。直接は食べないよ。バラバラにして埋めて養分にするだけ」と、トトキは答えてくれる。

 とんでもない植物もあったものだと呆れていると、トトキは丘の方に移動して「こっちに来なよ」と私を呼ぶ。

 のこのこと、呼ばれて見てみれば、丘の下には沢山の犬草が生えていた。百とまでは行かないが、二十か三十は堅いだろう。

 一匹が、私達を見るなりに『ワンワン』と威嚇を始める。すると、他の犬草もつられて『ワンワン』と鳴き始める。やがて始まる大合唱。

 私は、あまりの五月蠅さにげんなりした。

 犬草は、犬が埋められているように見える動植物であるから、見ていてあまり気持ちの良い物ではない。

 そんな気持ちの良くない動植物が、見渡す限り生えているのだから、流石に食傷気味になる。

 だが、そんな私に気付いていないのか、トトキは誇らしげに「これはね。あたしが植えたんだ」と、とんでもない事を告白する。

 なぜ、こんな動植物を。

 私が尋ねると、トトキは誇らしげに語ってくれた。

「犬草はさ。よく育った奴だと、良質な牧羊犬になるんだよ。この間、あたしは牧羊犬を無くしちゃったからね。こうやって新しいのを作るのさ」

 所変われば品変わるというけれど、この辺りでは、こんな変な方法を使って犬を栽培するのか。

 少し感心して、しばらくトトキの話を聞いていた。

 そして、すぐに後悔を始めた。

 トトキの話は、長かったからだ。

「いやー、大変だったな。そもそもさ、犬草の苗を手に入れるのが一仕事なんだよ。いや、大冒険って言った方がいいな。まずねぇ、苗を手に入れるときはラシナシの、あ、ラシナシってのは私達牧人の守護神なんだけど、そのガソクが……」

 苦労話と自慢話、それに牧人としての専門的な話が入り交じって、長い上に分かりにくい。それを彼女は楽しそうに話す。

 まるで、久しぶりに会った知人と話すように、それは楽しそうに話すのだ。

 普段の私なら、そうした話に付き合う事も苦ではない。

 だが、今の私は長旅で疲れていて、少しばかり怪我をしている。その上、日も暮れ始めている。

 近くに、街があるのなら、まず旅装を解きたい。

 そういう心境だ――と、トトキに告げると、彼女は「……そっか。それは、まあ、当然だよねぇ」と、素直に納得して、街への詳しい道順や、お勧めの宿などを教えてくれた。

「じゃあ、夜にね。夜に、この話の続きをさ。話してあげるから」

 そう約束をして、私達は別れた。



 街に着いた時には、すっかり日が落ちかけていた。

 閉まりかけていた街の正門に滑り込み、規定の通行料を支払って、私はトトキに紹介された、宿屋に向かう。

 その後ろで『ドゴン』という、正門の閉まる音がした。

 そういえば――。

 トトキは、夜に話の続きをしようと言っていた。だが、門が閉まっては街に入る事は出来ない。彼女は、どうやって私と話をするつもりだったのだろう。

 そんな事を考えながら、私はトトキから紹介された宿に入り、格安ながらも良い感じの個室を取り、旅装を解いて、食堂に向かった。

 出されたのは、美味しそうで温かな食事。

 それを食べながら、私は女将と雑談をした。当たり障りのない適当な会話。その中で、私は何となく、トトキと犬草の話をした。

 すると。

 女将の目に恐怖の色が浮かんだ。

 一体何だと、問いただしてみると、彼女はトトキと犬草についての話を始めた。それはなんとも恐ろしい、思わず、食事の手を止めてしまうような話だった。

「犬草なんて草、存在しません。確かに、この地方には、そういう不思議な草花の伝承はありますけれど、それを実際に目にした人なんていません」

 なら、トトキの犬草はなんなのだ。

 私が尋ねると、女将は怯えるような顔つきで答えた。

「あれは…………本物の犬です。生きたまま、牧人によって埋められてしまった犬です。あの牧人は、狂っているのです」

 その言葉に、私は呆気に取られる。

 そうして、呆然としている私に、女将はトトキが狂った経緯を教えてくれた。

 元々、トトキには相棒と呼べる牧羊犬が居た。名はソバルという雄の犬で、二人は、牧人と牧羊犬という関係ながら、兄妹のように信頼し合う仲だったという。

 だが、ある日、ソバルは死んでしまった。

 放牧中の出来事だったので、詳しい事情は女将も、街の人も、トトキ以外の誰も知らないが、恐らくは何らかの怪物に襲われて、家畜やトトキを守って死んだのだろうと、街の人々は噂をした。

 兎も角。

 どんな事情があるにしても、ソバルが死んだのは間違いないらしい。

 それは、残骸となったソバルを目撃した街の巡視が証言をしている。

 彼によると、トトキは残骸となったソバルを集めて、しばらく保管をしていた。

 が、ある日、彼女は兄のように慕っていた牧羊犬の残骸を見晴らしの良い丘に――埋めたという。

 最初、巡視は埋葬したのだと思っていた。そう、思い込んでいた。当たり前だ、犬を地面に埋める事に、他に何の意味があるだろう。

 だが、ある日、トトキは巡視に尋ねた。

「ねーねー。ソバルの芽って、いつ出るかな?」

 街の古老が語るところによれば、この地方には『犬草』と呼ばれる、不可思議な植物の伝承があるのだという。埋めた牧羊犬から草花が生えて、新しい牧羊犬が実るという、動植物の伝説が確かにあった。

 トトキは、それに縋ったのだ。

 異種の壁を越えて兄と慕っていた犬が死んだ事で、トトキは自分を保つために、犬草の伝承に縋り付いた。埋めたソバルから、新しいソバルが生まれてくるのだと、そう思い込む事で精神を保とうとした。

 だが、当たり前のようにソバルの芽は出なかった。

 幾らトトキが待ち続けても、生えるのは雑草だけだった。だが、そんな雑草にトトキは狂喜した。これでソバルが生き返ると騒いだ。やがて、雑草が枯れると絶望した。ソバルが枯れてしまったと騒いだ。そんな事を、何年か繰り返し続けた。

 そうして歳を重ねるごとに、トトキの精神は徐々に破綻していき、やがて――

「街の犬を攫い、埋めだしたのです」

 街を徘徊し、犬を見つければ、攫って埋めるようになった。

 街の人々は恐怖した。

 発狂した牧人は異常な身体能力を発揮して、屋根の上を飛び回っては、犬を街から連れ去るのだ。それは兎に角、恐ろしいのだと女将は私に訴えた。

「アレは見ればわかりますよ。闇夜を駆けるように牧人は疾走するんです。私は一度、アレが犬を攫うのを見た。その時、アレは笑うのです。楽しそうに笑うのですよ。その声は、今でも耳に焼き付いています」

 トトキは、街の人々に強い恐怖を植え付けた。

 けれど、中には恐怖に負けぬ人々もいたという。牧人の友人であった街の巡視を初め、勇気ある若者達が自警団を組織し、牧人を捕らえようとした。

 だが、それは失敗に終わった。

 発狂した牧人は異様な目端の良さと身体能力を発揮して、自警団を翻弄した。ならば、犬の救出をと、自警団は犬が埋められている平原に向かったが、それはトトキの逆鱗に触れたようで、彼女は魔物の如き力を発揮し、こてんぱんにのされたという。

 だから、この街には、一匹として犬がいない。

 新しく、犬を飼うことも許可されない。

 こうして、街から犬がいなくなって。

 ようやく元通りになったのだ。

 女将は、そう話を結んだ。

 気が付けば。

 私の夕食はすっかり冷えていた。



 その夜。

 ベッドで高いびきをかいていると、窓をドンドンと叩く音がする。何事かと、身を起こしたら「約束だからね。来たよ」と、窓の外にトトキが張り付いていた。

 恐怖から、私は悲鳴を上げそうになるも、自らの口を塞いだ。

 トトキは、街の自警団を壊滅させた牧人――否、魔物だ。

 悲鳴を上げて助けを求めて、事態が好転するとも思えない。助けに来た人がやられて、私も酷い目に遭うのがオチだ。

 だから、私は、理性で恐怖をねじ伏せて、トトキを興奮させないように、ゆっくりと彼女を向かい入れた。

「それじゃ、話の続きだよ。あたしと、あたしを愛してくれた唯一の男、ソバルの物語を――」

 更なる狂気の一端に触れて、私は目眩がした。

 犬草と、それに執着する牧人の闇は途方もなく深い――




いぬくさ【犬草】東部辺境に伝えられている動植物。▽犬が頭部だけ残して埋められているような形態を取る、動物の特性を持つ植物。地面の下では犬の胴体が形成されており、生長すると良質な牧羊犬となるという。▽伝説伝承の類い。もはや東部辺境の一地域に伝承が遺るのみで、その実在は確認されていない。

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