渇いた地
かわいたち【渇いた地】東部辺境に偏在する生産性のない土地の総称。▽火と地のエレメントが強く、環境に適応した一部の生き物を除き、生命が全く存在しない。
無人の荒野を歩いていると、襤褸を纏った少女に出会った。
周囲にあるのは、枯れた草や渇いた砂に何かの動物の死骸(白骨化し、ほとんど風化しかけている)ものしかなかったので、一体何をしているのだろうと声を掛けてみようとした矢先、
「こんなところで何をしているん?」
と、先手を打たれて質問されてしまった。
問われて、私は答えに詰まる。
なぜなら、現在の私の状況はあまり格好の良いものではなかったからだ。
つい先ほどまで、私は追い剥ぎに追われていた。
そして、どうにか命からがら逃げ延びた所だったのだ。
東部辺境は、人が住むには厳しい土地である。
火のエレメントが強く、土も強固で、風と水の要素がとても少ない。そんな場所であるから、作物が育つには実に過酷で、牧畜をするにはとても厳しく、ひいては街や村が発展する事は稀な、無人の荒野が大半を占めている。
特に、この辺りはそれが顕著で、多くの人はここら辺を『渇いた地』という、ありきたりな名前で呼んでいる。
風も吹かず、雨も降らず、じりじりと気が滅入るような強い日差し。それを浴びて火で炙った鉄板のように強い熱を帯びた堅固な岩肌。あるいは渇いた土。とても痩せた土地。
そんな土地で、ここに生きる人達はどうにかして生きている。厳しい土地であるから、沢山の努力を持って、頑張って生きている。
そんな人々の中に、私を襲った追い剥ぎも含まれていた。
彼らも、生きる事に必死な、東部辺境の人間なのだろう。
だが――
そもそも東部辺境は追い剥ぎに向かない場所だ。人の往来が少ないので、追い剥ぎで生計を立てるには、絶対的に獲物が足りない。
その上、私が今こうして途方に暮れている辺りは、東部辺境でも人の殆ど住まない『渇いた地』である、辺境の中でも、追い剥ぎに向かない場所だ。
こんな場所で追い剥ぎをするのは、阿呆と言える。
そして私は、そんな阿呆の前に現れた大阿呆だ。
暢気に馬に荷物を載せて荒野をテクテク歩いていた所、突然の襲撃を受けて急いで逃げ出したが、追い剥ぎは異様に執念深く(けれど、それも当然だろう。彼らにしてみたら鴨狩りに来て、丸々太った家鴨を見つけたようなものだ)馬と積み荷を犠牲にして、どうにか撒いたという時に、この襤褸を纏った少女と出会ったのだ。
そうした事情を説明すると、彼女は腹を抱えて笑い出した。
「ぷぷっ。お姉さんって鈍くさいね」
そう言われて。
不承不承ながら、私は肯定する。
今更振り返ってみると、確かに私の行動は鈍くさかった。危険な土地を旅しているのだから、追い剥ぎに襲撃される可能性も考慮して、荷物を最小限にし、即座に馬で逃げられるようにしていれば、こんな事にはならなかっただろう。
私は、実に危機感のない旅人だった。
それを思えば、逃げ延びる事が出来たのは僥倖と言えるだろう。
ともあれ。
こうして、我が身の恥を晒した以上、少女にも色々と語って貰わねば私の気が済まない。私は襤褸を纏った少女に、私がぶつけられた質問を返した。
ここで何をしているのか。
それは、身の上話をしながらも、かなり気になっていた事だった。
この辺りには、何もない。
本当に何もない荒野に、何も持たない少女が、一人でポツンと立っている。
私とて、それは同じような状況であるが、私の場合は『野盗に襲われた』という、立派な大義名分がある。荷物を全て捨てて、逃げ延びたという事情がある。
ならば。
この荒野に一人たたずむ少女にも、何か理由がある筈だ。
「……えーとね」
私が聞くと、少女は何もない荒野を見回した。その仕草は、誰かに聞かれるのではないかと、警戒するような動きだ。
こんな場所で、何に警戒しているのか。
私が不思議に思っていると、彼女は私にしゃがむように指示をした。従うと、耳元に口を寄せて、囁く。
「ここでね、たたってるの」
低い、とても昏い声だった。
そして、意味も読み取れなかった。『たたっている』とは、どういう意味なのか。私は少女に聞き返す。
すると、なぜか少女は照れくさそうに笑って、誤魔化すように次のように続けた。
「私ね。口減らしされたんだって」
少女が私に語ったのは、東方辺境でよく見られる、過酷な現実だ。
極めて生産性の低い土地に暮らしていると、作物の不出来、雨量の不足、続く日照りなどの影響が致命的な事になりやすい。食料生産能力が低いと余剰食糧を溜める事が出来ず、常にギリギリの暮らしを余儀なくされるから、突然のアクシデントに対応する力が無い。
だから、余力のない土地では――。
そうした時に、口減らしを行う。全員が飢え死にするぐらいなら、一人の口を減らす事で、どうにか他の人間を生かす。そうやって、不作の年を乗り切るのだ。
多くの場合、口減らしにされるのは、老人。次に子ども。
「ばあちゃんは、前の年に口減らしされた。ばあちゃん、足腰が弱っていたから、きっと長くは無かったけど、看取る余裕なんてなかったし、だから、口減らしにされたんだって。私も手伝ってばあちゃんを運んだんよ。あん時は、自分がここに来るなんて思ってもなかった。けど、二年も雨が降らんかったし――。弟も居たけど、あれはウチの跡取りだからね。ま、しかたがないって奴だ」
予感はあったのだと少女は語った。
前年から、極度に雨量は減っていた。
その所為で、細々と育てていた作物(蕎麦等の、乾燥に強くやせた土地でも育つ、強い作物)も立ち枯れた。辺りに生える草の根を囓り、地面を掘って僅かな水を啜り、少女の一家は命を繋いでいた。
そんな生活を、ずっと続けていたという。
「でも、とーさんてば、絶対に移住しようとしないんだよね。ま、ばーちゃんが絶対移住しないって根を張って、オラをここさに捨てていけって感じで口減らししたから――後に引けなくなってたんだろうなぁ、って」
そうして、暮らしの限界が来て、少女は口減らしされたという。
辛かっただろう。
私が同情の意を示すと、少女はカラカラ笑った。
「別に大して辛くないよ? それが辛いって言うのなら、生まれてきてずっと辛い事しかなかったよ。それに少なくとも私は納得していた……というか、諦めていた。ああ、こりゃだめだなー、仕方ないなー、って。ばあちゃんがやったみたいに、私が食べる分を分けてあげないと、みんな死んじゃうなー、って」
そうして、少女は口減らしを受け入れたと、私に語った。
しばらく、私は言葉がなかった。
少女も、それ以上、言葉を紡がなかった。
私達は、この渇いた地で、無言で見つめ合っていた。
やがて。
私は、少女に提案した。
道連れにならないか、と。
すると、少女は吃驚したという顔をした。
「……こんな荒野で一人寂しく死ぬのなら、一緒に死のうってお誘いってこと?」
違う、と私は首を振る。
私の提案した道連れは、同行者という意味だ。
二人で協力し、この荒野を抜けだそう。
二人で一緒に生き延びよう。
そういう提案だ。
私は、少女の手を握った。
ザラザラとした荒れた手だ。
この荒野に生まれて、必死に生きて、死のうとしている小さな手を、私はしっかりと掴んだ。
すると。
少女は、虚を突かれたという顔をして「……参ったなー」と頭を抱えて、困り始めた。
「酷いよ。もう少し。もう少し。もう少しだけお姉さんが早く来てくれれば、こんなに困る事は無かったのに……こんなんじゃ、私は……」
そう言いながら少女は、何故か頭を抱えて苦しみだした。
少女の不可解な反応に、どういう事か分からずに戸惑っていると、地平線に向こうから、渇いた地には不釣り合いな、驟雨のように重く湿った音が聞こえてくる。
蹄の音だ。
追い剥ぎの乗る馬が鳴らす蹄の音で間違いないだろう。
私は、苦しむ少女の手を取って、何処かに隠れようとする。だが、この荒野では隠れる場所なんて何もない。
こんな事なら、モグラから穴掘りの術でも習っておけば良かったか。そんな後悔をしている間に、蹄の音は瞬く間に近づいてくる。
やがて。
私達がまごまごしているうちに、追い剥ぎ達はあっさりと追いついた。
「見つけたぞ。小賢しい真似をしやがって」
リーダーは、浅黒い肌をした壮年の男。それに僅かにあどけなさの残る、日焼けした青年が付き従う。彼らは、私が捨てた荷馬を連れていた。
野盗達は、鈍く光る剣を突きつけて「観念しろ」と宣告する。
私は、追い剥ぎから守るように少女を背に隠す。すると、その行動が注意を引いたのか、追い剥ぎ達は「なんだ、仲間が居たのか」と、少女に気が付いてしまった。
何処まで、私は不用意なのか。
私は、少女を庇おうとした。
だが、壮年の追い剥ぎは容赦なく、剣の腹で私を殴った。私は悲鳴を上げて、荒れ野に倒れ伏す。
追い剥ぎと少女を遮る物は、何も無くなってしまった。
「なんだ。まだガキじゃ――」
そう言いながら、追い剥ぎは少女の顔を覗き込んだ。
だが、なぜか言葉を失って、そのまま凍り付く。それを怪訝に思った青年の追い剥ぎも少女の顔を覗き込んだ。
すると彼は真っ青になり、甲高い声で絶叫する。
「な、なんで、なんで、姉さんが――ッ!!」
彼らの悲鳴を聞きながら、私は意識を失った。
どれくらい時間が経過したのか。
私は荒野で目を覚ます。
傍には私の荷馬と、二人の追い剥ぎの死体。彼らの乗っていた馬。それに、白骨化し、ほとんど風化しかけている何かの動物の死骸。
私が身を起こすと、風化した死骸が完全に崩れ落ちた。
その刹那、死骸と、いつのまにか消えた少女の面影が、なぜか重なる。
ふと、私はある死霊の話を思い出した。
親よりも早く死んだ子どもに、天国の門は開かない。
だから、そんな子ども達は死霊となって荒野に住み、他人を死に誘う。そうする事で仲間を増やし、寂しさを紛らわせるという。
私は、なんとなく直感する。
あの亡骸は、口減らしに荒野に捨てられた少女のものだったのだろう。彼女はそれを依り代にして、あのような形で迷い出た。
迷い出た亡霊の少女は、寂しさを紛らわせるために、他人を死に誘おうとする。だが、彼女が死んだのは、人など滅多に通らない荒野。渇いた地。
だから、彼女は死んだ後も独りぼっちで、道連れを待ち続けていたのだろう。
そんな折。
ようやく私が通りかかった。
だが、ようやく通りかかった間抜けは、余計なおまけも連れていた。
それは、人など滅多に通らない荒野で、ずっと野盗をしていた一家で、偶然にも少女を捨てた父と弟だった。彼らは、少女を捨てた後、生活に困り、追い剥ぎに身を落としていたのだ。
捨てられた者と捨てた者。
その二者が、私と介して偶然にも再会してしまった。
ならば。
恐らく彼女は、最初、私を連れて逝こうとしていたのだ。
『祟っているの』
思い返せば、少女は最初に言っていた。
けれど、途中で心変わりして、私の代わりに、追い剥ぎに身を持ち崩した父と弟を連れて行ったのだろう。――そこまで推理してから、なぜか、私は置いてけぼりを食らった子どものような心持ちになってしまった。
悲しさか、悔しさか、よく分からない感情がわき出してきて、私は泣き出してしまう。涙が滂沱のように溢れ、渇いた地にボロボロと落ちた。
渇いた地に染みこんだ涙は、土を黒く湿らせた。だが、それはほんの一瞬で、すぐにそれは元通りの『渇いた地』になってしまった。
そうして、しばらく涙して――。
私は安定を取り戻す。
連れて行ったのが、父と弟が一緒なら、きっと少女も寂しくはないだろう。
私は、近くに落ちていた板きれを拾い、追い剥ぎに身を落とした少女の父と弟、それに少女の残骸を埋葬した。
祈りを捧げ、出発しようとした時、墓の上に浅黒い肌をした壮年の男と、あどけなさの残る青年が立っている。襤褸を纏った少女の、父と弟だった。
彼らは、追い剥ぎだった時の、鬼のような顔つきは消え果て、とても優しそうな顔で、私に向かって頭を下げた。
礼を言われるようなことは何もしていないのだけれど――。
私は返礼して、出発した。
それ以来、一人でいると隣に気配を感じたり、視線を感じたりする事が多くなった。
どうやら少女は約束通り、私の道連れとなったらしい。
ならば、あの時、父の弟を呪い殺したのは何だったのだろうか。
もしかして。
あれは、仲間を増やすためでは無く、私を助けるための行動だったのか。
だったら。
少しだけ――。
私は嬉しい、かもしれない。
かわいたち【渇いた地】東部辺境に偏在する生産性のない土地の総称。▽火と地のエレメントが強く、環境に適応した一部の生き物を除き、生命が全く存在しない。▽極めて過酷な環境であるため、ここで暮らす人々は少なく、一部では口減らしのような風習が今も残る。