眼球屋
がんきゅうや【眼球屋】魔術触媒としての眼球を専門に扱う職業。▽触媒屋の一種。怪物の眼球などを主に扱っている。
東部辺境にも大きな街はある。
八代前の辺境泊が東夷迎撃の為に築いた要塞都市であるとか、希少鉱石の取れる鉱山都市だとか、北海沿いに点在する海洋貿易を行う交易都市とか、そういう代替不可能な性質の施設は、帝国中枢から離れた辺境部であろうとも、大規模な生活圏を形成している。
このミクラスも、そんな都市の一つ。
都市の産業は魔法だ。
三百年ほど前、中央を追われた『追放者』という異名を持つ、ミスラスという名の賢者が塔を築き、それを慕う弟子達が住み着いた。
次第にミクラスと同じように、様々な理由から中央から追放された魔法使い達が集まってきて、この土地は、そういった魔法使い達の受け皿となった。
こうして、三百年間緩やかに発展し続けたのが、このミクラスという街だ。
だから、この街の構成人口の八割が魔法使いか、魔法使いの為に働く人間となっている。ミクラスの産業は魔法。魔法使いという特殊技能者によって、この街は成り立っている。
全てが魔法の為に存在する都市。
だから、街の作りも独特だ。
この規模の都市ならば、当たり前のようにある大通りが存在しない。道は全て小路であり、それマス目状に広がっている。
実に規則正しそうだが、何気に道の広さは全て一定ではなく、一区画の長さも微妙に異なるという。噂によれば、これらの道の長さは数秘術によって決められていて、街全体が一つの魔術書になっており、都市設計者でもあるミクラスが、秘伝を暗号化して都市に刻み込んだ等と言われている。
ミスラスが専門としていたのは物質の変換。特に卑金属を貴金属に変える術を生涯に亘って求め続けていたという。追放された理由も、皇帝エマニエルに『卑金属を黄金に変える研究』の破棄を迫られた事によると伝えられている。
そんな訳で、この街の地図は帝国中の錬金術師達にこぞって読まれているらしい。もっとも、今のところ、ミクラスの秘術を見つけ出した人は誰も居ないそうだ。
ともあれ。
そんな魔法都市であるミクラスには、特殊な店が沢山ある。
眼球屋も、そんなミクラスに存在する、ミクラスならではの専門店の一つだ。
「どんな眼でも取り扱うよ。それが俺の商売だからね」
精悍な顔つきをした壮年の店主はそう言いながら、店内を案内してくれた。店は、木造平屋の簡素な作りで、置かれているのは、眼球を入れたガラス瓶と、それを置くための棚だけで、装飾品や調度品の類いは全くない。
男と眼球しか、店にはなかった。
それしか興味が無いのだと、店主は笑った。
そうして、店主は私に商品の説明をしてくれる。
「これはバジリスクの眼球だ。石化の毒が残っていて、視線の毒を外に逃がさないよう処理された瓶の中に入っている。魔法の触媒として有用だから、土木や暗殺関係の仕事に就いている魔法使いがよく買っていていく。値段は三ソリンと八シシカだ。その棚のがグリフィンの眼球だな。弓も使う魔法使いが、狙撃なんかする時に触媒で使う奴だ。これが大量に売れる時は、領主同士が小競り合いを始める時だ。値段は十二シシカ。手頃だろ。こっちは竜の眼球。入荷は少ないし値段も高いが、入れば一月もしないうちに売れてしまう。実用で買う人もいるが、インテリアとして買う人が大半だね。中には珍味として買いたいって変人もいる。遠方から、わざわざ買いに来る貴族なんかに多いね。これは五〇ソリンもする。でも、買う奴はポンと買うんだ。うん? 龍のはあるかって? 流石にそんなものはないね。たまに売りに来るのはいるけど、大半が竜のだよ。分かってて売りに来るのも入れば、竜と龍の区別が付かない莫迦もいる、酷いのになるとトカゲの眼球を龍と偽って売りに来るのもいるね。もしも本物が手には入ったらって? そんなの値段が付けられない。俺がずっと死蔵するよ。眼と同じ大きさをした宝石の何百倍もの価値があるんだからね。まあ、手に入る訳が無いけれど。そんな非現実的な話は置いておいて、こっちの海竜の眼球を見てくれよ。これは北の海で……」
彼は、眼球の用途と必要とされる状況、それに値段を私に詳しく解説してくれた。
それを私はウンウンと鳩のように頷きながら、必死にメモに取る。やはり、実学が豊富な人間の話というのは、聞いていてとても面白い。
そうして、眼球屋の話を熱心に聞いていると、扉に取り付けられている呼び鈴がカランカランと鳴った。
振り返ると、一人のみすぼらしい姿をした少女が立っている。
「買いに来たのかい?」
眼球屋が尋ねると、少女はフルフルと首を振った。
「なら、売りに来たのか?」
少女は頷く。
それを見て、私は、この眼球屋に掲げられていた看板を思い出した。
『眼球。売ります買います』
眼球屋の看板には、そんな文言が踊っていた。
ならば、私は幸運にも眼球屋の仕入れの現場に遭遇したという事か。
私は眼球屋に買い取りも取材して良いかと尋ねると、彼は「売り客が許可すれば、俺は気にしないよ」と言ってくれた。
売り客の少女は、私の提案に難色を示していたが、何枚かのフォリス銅貨をジャラジャラさせると態度を軟化させ、たったの三フォリスで交渉成立と相成った。
その時、少し気になる事があった。交渉の時、少女は言葉を発さない。どうやら、彼女は唖であるらしい。
もっとも、それは珍しい事ではない。
下層民は、非常に栄養状態の悪い生活をし、病気になっても医者にかかれない。だから、運の良い子で無いと大抵は、どこかを病んでいる。
この子は、偶々、唖だったという事だ。
ともあれ。
そうして、当事者達の許可を取り付け、私は眼球売りの現場に居座る。
「それで、ブツは?」
眼球屋は、カウンター越しに少女に問いかける。
すると少女は髪をかき上げて、自分の左目を指差した。
私は――思わずメモをする手を止める。
だが、眼球屋は特に驚いた様子も無く「ふむ」と、一つ頷いて、少女の右目を覗き込み――査定をし始めた。
「傷は無し。匂いも普通。眼病の形跡も無し……か。ま、良品だな。だが、若い割に、だいぶ煤で濁っているなぁ。なあ、アンタの仕事、煙突掃除だろ?」
眼球屋が問いかけると、少女はこくんと頷いた。
「だろうな。これだけ煤が染みこんでいるのは煙突掃除以外にあり得ない。ところで、その煙突は普通の家のか? それとも魔法使いの錬金施設か?」
普通の家のところで、少女は頷く。
だが、眼球屋は難しい顔をしたまま「念のため、味見させてもらってもいいか?」と問うた。少女はしばらくキョトンとしていたが、眼球屋が自分の舌を指差すと、その意図が分かって顔を赤らめる。
「錬金施設の煤は魔法の残り香が漂っている。俺はプロだから、舐めればそれが分かるんでね。ただ、嫌なら良いぜ。その場合は、少し査定額が下がるだけだ」
しばらくして、少女は首肯した。
許可を貰った眼球屋は、少女の右目を無遠慮に舌で舐める。
ピチャピチャという水音がした。
少女は顔を真っ赤にしながら、それに耐える。眼球屋はしばらく少女の眼球を舐め続けていたが、やがて「うん。間違いないな。普通の煤だ」と納得した。
それから、少し眼球屋が質問をして、査定は終了する。
「この眼球なら一ソリンまでなら出そう」
その値段に、私は愕然とした。
一ソリンなど私が実家に居るときの、一週間の書籍代と同じではないか。眼球屋全体の値段で言っても、バジリスクの眼球より安く、グリフィンの眼球の二倍弱程度。右目を失う代償としては、あまりにも安すぎる。
少なくとも、私ならば絶対に受け入れない。
だが、眼球を売りに来た少女は、嬉しそうに頷いた。
「それじゃ、少し痛いが我慢してくれ」
眼球屋は、眼の周りに真っ黒い軟膏を塗りたくった。聞くと、それは眼球屋に伝わる秘伝の薬らしい。
「痛みを抑えて化膿を防ぐ、魔法の薬さ」
そう言いながら、眼球屋は少女の頭を押さえつけると、その眼窩に突っ込んだ。激痛からか、あるいは眼球を喪失する絶望からか、少女は口をパクパクさせる。
私は、少女が唖である事に感謝した。
もし、眼を抉られる時の悲鳴を聞いてしまったら、人間が眼球を抉られる時の悲痛な叫びを聞いてしまったら、当分は夢見が悪くなっていただろう。
しばらくして。
眼球屋は少女から右の眼球を抜き出した。眼底と繋がっている視神経が伸びていたので、小さなはさみでぷつんと切ると、少女は糸を切られた操り人形のように、力なくカウンターに突っ伏す。
ショックで気を失ってしまったのだ。
眼球屋は、そんな少女を放置して、摘出したばかりの眼球をガラス瓶に詰める作業をしていた。
やがて。
眼球屋に手当されて少女は意識を回復させると、一ソリンを受け取って店を出た。途中で片目になった少女は、何度も眼球屋と私に対して頭を下げ、貧民街へと帰っていた。
彼女にとって、これは良い取り引きだったらしい。
眼球屋は、ついさっきまで少女の眼窩に収まっていた眼球をカウンターの上に置くと、私に対する説明を再開する。
「これは、人間の眼球だ。入荷数が多いので値段はあまり高くない。だが、視覚共有の魔法を使うときに触媒として有用だったり、様々な魔眼の材料になったりという事で供給過多になる事は滅多に無い。だから、値段は安定していて一ソリン。知り合いの業者からは、一個あたり十シシカで買い取ってるが、貧民達が売りに来たとき、売値と同額で買い取っている。さっきのは、俺なりの慈善事業なんだ」
照れくさそうに眼球屋は語った。
とんでもない慈善事業もあったものだと私は呆れたが、その一方で、唖の貧民が一ソリンを稼ぐ事の大変さも、私は知識として理解している。
だが、彼女は、片目を代償に得た金で、何を得ようとしているのだろう。
実に、やりきれない話だ。
だが、世の中とはそんなモノなんだろう。
私は、テーブルの上に置かれた少女の目を見る。
えぐり取られた少女の右眼は、無機質に私を見つめ返してきた。
がんきゅうや【眼球屋】あらゆる生き物の眼球を専門に扱う眼球専門店。▽その用途は魔法の触媒としてが主である為、魔法都市ミクラスなどの魔法産業が発達した都市で営業している。▽眼球の用途は触媒が主であるが、観賞用や食用としても売り買いされる事がある。▽主な用途は触媒なので、扱う眼球は怪物に片寄る。特に、視線に魔力を宿す怪物や視覚の良い怪物が重宝される。バジリスクやコカトリス、カトプレバス、グリフィン、ヒポグリフ、ハーピィが売れ筋であるという。竜の眼球も人気商品だ。▽眼球屋は、人間の眼球も取り扱っている。当然、買い取りも行っていて、ミクラスの貧民の中には、貧しさから自身の片目を売りに来る者も少なからず存在する。