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龍糞拾い

りゅうふんひろい【龍糞拾い】東部辺境の職業。▽龍の棲む山に入って、糞を拾って売る事を差す。都市部の『泥ヒバリ』や『純粋拾い』と同じスカベンジャーの一種。龍を避けなければならない為、危険度は高い。




 ――私は百科事典を編纂している。

 が、私の編纂する事典における東部辺境の項目があまりにも味気なかったので、何かいいネタはないものかと旅に出た。そうして、帝国東部辺境を旅していた時、名もない村で一人の少女と知り合った。

 妙に気が合ったので少し雑談をしてみたら、彼女が語るところによると、この村は龍の糞を拾って生計を立てているという。

「その、糞という言い方は止めてください。我々はアレを龍の落とし物と呼んでいます。糞というのは、どうしても汚いイメージが付きまとうので宜しくない」

 龍の糞という言葉を発すると少女――シオデは、苦々しい顔で私に抗議をしてきた。

 何でも、最近は龍糞拾いをする若者が少なくなって来て、後継者不足が深刻なのだという。そもそも、彼女の村では働き手となる若者が少ないという根本的な問題もあった。とにかく人手が足りないのだ。そうした事情がある所為で、彼女は少しでも龍糞拾いのイメージアップを図りたく、私に言葉狩りを仕掛けてきたらしい。

「シオデ! 今夜の糞拾いの準備は終わったっぺか!」

「もー! ばーちゃんてばさ! ちゃんと終わっとるっぺ! それよりも、そげんきたねぇ言葉遣いすんなって言ってるべ!」

 もっとも、そういう繊細な心配りをしているのは、彼女一人だけであるようだ。

 他の大人達は、みんな龍糞の事を『糞』と普通に呼んでいる。彼女が幾ら注意しても『糞は糞だべ』と頑として曲げない。その姿は、最近の物わかりが良いオトナ達とは一線を画して、実に頼もしい。

「だーかーらー、アレは龍の落とし物つってんだべさ!」

 シオデは、必死に私やオトナ達に抗議する。

 だが、その意見は却下させてもらう事にした。

 私は私が表現することに口出しされる事が大嫌いであるし、我が一族の信条にも『言葉狩りに屈するな』という金言がある。

 そもそも言葉狩りというものは、所詮は一時の対処に過ぎず、言葉の裏に潜む問題を解決したいのであれば、その言葉が侮蔑を持って話される状況をどうにかしないと、根本的な問題は解決しない。それなのに、表現の部分だけを刈り取ったところで、新しい侮蔑語、差別語が生まれるだけだ。

 何よりもシオデの語る『龍の落とし物』という表現が気にくわなかった。確かに糞は落とし物には違いないが、文脈を追わず、それ単体だと落とし物だけで糞と理解するのは少し分かりにくい。それだと涙や涎、それに×××××や×××××だって落とし物ではないか。

 なので、ここでもわかりやすく『糞』としっかり明記させて頂く。

 そんな訳で。

 シオデの抗議は無視する事にして、話を龍糞拾いに戻す。

 龍糞拾いは、龍の糞を拾う仕事である。

 これに対して、一部の人は『なぜ糞なのか。龍は他にももっと良い物を、例えば金銀財宝を蓄えて居るではないか。それを盗んでくれば、もっと儲かるのではないか』と言うかも知れない。

「それは素人さんの発言ですね。龍は実に強欲な生き物です。自分の巣に蓄えた金貨の一枚でも無くなると、発狂して暴れ狂います。そんな事をすれば村に被害が出る。なによりも、我々は泥棒ではありませんし」

 胸を張って、シオデは言う。

 龍糞拾いのプライドなのだろう。

 そういう風に。

 龍糞拾いは、龍の糞だけを巣穴から持ち出し、それを売って生活する。その為には、近くに龍が棲んでいないといけない。人間の菊門からは、龍の糞は出てこない。龍の糞が生産されるためには、龍の菊門が必要なのだ。

 幸い、シオデが住む村の近くには龍の棲む山があり、龍が棲んでいる。

 龍が棲んでいるという事は、そこには龍の菊門がある。

 一部の不自然な化け物を除けば、菊門さえあれば、そこから糞が安定供給される手はずになっているので、名も無き村は龍の糞によって生計を立てる事ができた。

 もっとも、龍糞拾いは危険な仕事だ。

 シオデの村の近くに住む龍は、アリスという可愛い名前が付けられた暴龍だ。

 火のエレメントを大量に宿し、鱗は鋼鉄化してどんな武器でも通らず、強烈な魔術的内燃機関を搭載し、巨大な翼で飛び立って遠くの村々を襲撃しては金銀財宝を強奪する。百年ほど前に一度だけ、当時の辺境伯が討伐を試みたが、それは凄惨な失敗に終わった。

 結構やんちゃな龍なのだ。

「そんな龍の領域に入るのですから、並大抵の危険ではありません。数年に一回は、落とし物拾いが龍の餌食になるのです。あ、で、でも大丈夫ですよ! 何も知らない新人さんでも、私たちが一人前になるまで万全のサポートをしますから! 皆で楽しく働ける、アットホームな職場です!」

 余談であるが、数年に一回は命を落とす人間の半分は、未熟な新人であるという。

 ともあれ。

 そんな危険な龍の巣窟へと、彼女達は侵入する。

 入念にアリスの動向をチェックして、遠くへ略奪に向かっている時を狙い、龍の居ぬ間に何とやらと、大胆不敵に潜り込む。

 この時、山に入る龍糞拾いは全員女性に限られる。

 その理由は、アリスは乱暴ながらも繊細な龍だからだと、シオデは私に教えてくれた。

「アリスは男嫌いなんですよ。ほんの少しでも男の匂いがしたら駄目なんです。だから、山に入るのは女と決まっているんです。そうでないと大変な事になります。二十年前、男が山に入った事があったそうです。その時、アリスは暴れ狂い、村にも被害が出ました。だから、アリスの棲む山に男は入ってはいけないのです」

 男子禁制。

 それが龍糞拾いのもっとも重要なルールなのだという。

 他にも、龍を興奮させる匂いをさせてはいけない。山に入る前は、肉や匂いの強いモノを断ち、前日は水と山に自生する野草以外は食べてはいけない。入山時は身体を清めた後、龍の鼻を誤魔化すための特別な化粧(材料には龍糞が混ざっている)をしなくてはいけない。特別な、龍糞拾い専用の衣装を着ないといけない。入山前の一週間は、男と接触してはいけない。男と交わったら、一年は入山してはいけない。

 このように、龍糞拾いには様々なタブーが設定されている。

 だが、それも仕方が無い。

 全ては龍を怒らせない為。

 糞を安全に持って帰る為。

 村が末永く栄えるためだ。

「面倒でも、生きて帰るためには必要な事です。なんと言っても相手は龍なのですから。対策が足りない事はあっても、し過ぎという事はありません」

 龍が略奪に向かった事を確認すると、あらかじめ準備を整えていたシオデ達は五人から六人で山に入る。

 それ以上少ないと、持って帰れる糞の量が少ないし、一これより多いと目立ってしまい、龍以外の怪物の注意を引いてしまう。

 だから、彼女達は五、六人で山に分け入る。

 その道程は、とても危険だ。

 龍の住む山というのは火と地のエレメントが強く、有毒ガスがあちこちから吹き上がる活火山だ。道は険しく、地面は剣山のように尖った岩肌がむき出しで、道もかろうじて存在する獣道しかない。そんな危険な山道を、転落の危険に怯えながら、彼女達は中腹にある巣穴を目指す。

 そうして進む彼女達を、時折、怪物の類が襲う。

 山は龍の縄張りだ。

 だから、普段なら龍の気配に怯えて他の怪物が出現する事はないのだけれど、龍が山を留守にしている時、不在を狙って山に侵入してくる怪物と鉢合わせになる事が、稀にあるという。

「運が悪いと、そういう事が起こるんです。たまーにですけどね。その時は、必死になって逃げます」

 逃げる理由は、とても簡単。

 捕まれば、殺される。あるいはとって食われるからだ。

 こういう時の怪物は、龍の不在を好機と捉え、大胆不敵に縄張りに侵入する、悪知恵と実力を兼ね備えた極めて凶悪な連中ばかりだ。

 畑の収穫物を盗むゴブリンやコボルトとは訳が違う。村人が対応できる範囲を優に超えている。

 抵抗するだけ、無駄なのだ。

 だから、彼女達は必死に逃げる。

「でも、心配いりませんよ。今まで、道で出会った怪物に殺された女は一人も居ません。私の姉さんもマスティコラに襲われましたが、ちゃんと命は助かってます」

 そんな風に、明るい調子でシオデが語っていると、顔面が半分爛れてしまっている隻腕白髪の女性が、いい匂いをさせたお茶を持って現れた

「こらっ! なにしてんだシオデ! 学者先生にお茶もださんで!」

「ね、ねーちゃ! い、いま、オレが大切な話を……」

「申し訳ありませんね。なにぶん、妹は礼儀作法も知らない田舎者でして」

 私が恐縮していると、シオデの姉は「ホホホ」と笑いながらシオデの頭をバシバシ叩き、部屋を出ていった。

 あの顔の爛れは、マスティコラの毒によるものだろう。アレの毒はびらん性で、触れれば皮膚を爛れさせる。まだ若いのに白髪になっているのは『生き餌』にされる時、拷問を受けたからに間違いない。人間に対する悪意を具現化させたような怪物であるマスティコラは、捕まえた人間に対して、そういう事を行い、悲鳴を上げさせて更なる犠牲者を呼び寄せようとする。腕がないのは、襲撃の時に引きちぎられたのか、化膿して切断したのか。そんな所だろう。

 そんな怪物からシオデの姉が生き延びられたのは、間違いなく僥倖だった筈だ。

 そうしたことを踏まえた上で。

 私はシオデに視線を送った。

 すると、彼女はゴホンと咳払いをした。

「……は、話が脱線しました。本題に入ります」

 私は、鷹揚に頷いた。

 そういう事で。

 危険な道中を抜けたら、ようやく龍糞拾い達は一息吐く。

 龍の巣には、如何に恐れ知らずの怪物でも絶対に近づかないからだ。アリスが不在の時に限れば、龍の巣穴は山で一番安全だ。怪物達も、巣穴には近づかない。

 巣に辿り着いたら、龍糞拾い達は便所を目指す。

「他の龍の事までは知りませんが、少なくともアリスは同じ場所で落とし物をするんです。そこを私たちはトイレと呼んでいます。いえ、便所ではなくて、あくまでトイレですからね。場所、ですか? 流石にそれは企業秘密です。あ、でも、貴方が私たちの仲間になるというのなら、ちゃんと教えて上げますよ?」

 お仲間への、龍糞拾いへの勧誘を私は丁重に断った。

 私には、私の仕事がある。

 帝国百科事典を編纂し続けるという、生涯の仕事があるのだ。

 そう言うと、シオデは少し驚いた顔をしながらも「そうですね。お互いに頑張りましょう」と、言ってくれた。

 何となく、私たちは妙に気恥ずかしくなり、照れ隠しにシオデの姉が入れてくれたお茶を、わざとらしく音を立てながら啜る。

 お茶は、干し草のような渇いた香りがした。

 この辺りで取れる野草を使っているのだろうか、癖が強く、鋭い苦みがするけれど、とても美味しい。

「これ、美味しいんですよ。苦手だって言う人も居ますけど」

 私は『美味しい』の部分で、大いに頷いた。

 しばらく、私達はお茶の話で盛り上がる。この茶葉『司教草』についてのメモも取り、脱線しながらも有意義な時間を過ごした。

 ともあれ。

 脱線しがちな話を元に戻すと――

 そうして、アリスの便所に辿り着いた彼女達は、糞の選別に入る。

 詳しい事は企業秘密の壁に阻まれてしまったが、糞にも上物下物があるそうだ。持って帰れる量に限界がある以上、できるだけ上物を持って帰りたいのが人情という物。だから、急ぎながらも、選別はしっかりと行う。

「それに、選別中は、ちょっと良い事もあるんです」

 古来より、人は龍殺しに憧れを抱いた。

 龍は世界で最も強い生き物であるからだ。それを殺すと言うことは、自らの強さの証明に繋がる。

 魔龍アマルダを屠った古代の英雄バッケ。名も無き多頭龍を狩った蛮族の勇者クラースリャ・イルバ。そして銀王龍ヨルンを殺し、中原の新たな支配者となった不死なる皇帝エマニエル・ヴァン・カミーロ。

 歴史上、龍を殺した人間は三人確認されているが、彼らは間違いなく英雄になった。龍が所有していた財宝と名誉を手に入れ、龍殺し達は伝説となった。

 だから、人は龍に挑む。

 だが、龍という生き物は途方もなく強大で、簡単に勝てるものではない。たいていの英雄志願者は自殺志願者と同義語で、身の程知らずは龍の胃袋に収まると相場が決まっている。

 そんな英雄の成れの果ては、いつかは必ず菊門を通過する訳で、龍のトイレには英雄の装備が眠っていたりするとシオデは語った。

「やっぱ、龍を倒そうって考える人達だけあって、良い物を装備しているんですよ。この間、村の男衆が街に行って、魔術屋に装備を持ち込んだら、結構な値段が付きました」

 嬉しそうにシオデは言った。

 糞に紛れた勇者達の装備は、龍糞拾いにとって、ちょっとしたボーナスなのだろう。

 そんな風に。

 彼女達はアリスの便所で一生懸命働いて、龍が戻ってくる前に下山する。

 そうして、安全に帰れれば全く問題ないけれど、たまにアクシデントが起こる事がある。想定よりも早く、龍が帰ってきた時などだ。

「今まで、七回ありました。その内、五回は隠れてやり過ごす事が出来ましたが、二回は龍に見つかって非常に不味い事になりました。その内一回は、母が食べられている隙に、皆で逃げました。もう一回は、新人さんが食べられている隙に逃げました。私は、この仕事を八歳の時から十年間続けていますが、本当に危険だったのは、その二回だけです」

 十分な準備と細心の注意を払って行っても、龍糞拾いは危険な仕事だと言えるだろう。

 それでも、彼女達が龍糞拾いをするには訳がある。

 この名も無き村には、他にまともな産業が無いからだ。

「龍は、全てを奪います。家屋も畑も家畜も、人の命ですら――」

 古来より龍と生活圏が被る事が多かったドワーフ達は、岩山に洞窟を掘った。龍が入ってこられない大きさの穴を掘り、我が身と財産を防衛した。

 ドワーフと同じく龍が好む環境に生きるコボルト達は、龍に服従する道を選んだ。龍の中でも話の分かるのを選んで、それに従属して生き延びた。

 だが、名も無き村に住む人間達は、龍から隠れ住む岩山がなかったし、アリスは全く話の分からない龍だった。かつて中原を支配した銀王龍ヨルンは、とても話の分かる龍で、あらゆる種族を支配したが、そうした対話の精神をアリスは持っていなかった。

「火のエレメントが強いので凄い短気なんですよ。若い龍なんです」

 溜め息交じりにシオデは語る。

 そんな彼らが選択したのが、土中の村だ。

 龍から身を守るために、人々は乾いた地面に穴を掘って土中に村を築いた。岩が掘れないなら、土を掘れ。そういう精神で村を作ったのだという。

 けれど、岩を掘るのに比べて、土を掘るのは安定しない。

 どうにか掘った空間も狭く、日もささず、牧畜や農業などできる筈も無い。

 だから、村人は生きるために、貴重な魔法の触媒として、あるいは貴重な薬として、高値で取り引きされる龍糞を拾うようになった。龍糞は村にとっての貴重な資源――外貨獲得の手段なのだ。

「ただ、私は思うんです」

 そこまで言って、前言を翻すように彼女はこんな事を私に話す。

「この『渇いた地』には鉱脈も何も無いんですよ。ドワーフもコボルトも住んでいないぐらい、それどころか、餌さえあればどんな場所でも繁殖する筈のゴブリンすらいないぐらいですからね。畑を作ろうにも土が悪いし、牧草も育ちませんから畜産も出来ません。男の人は龍がいるから何も出来ないと言いますが、きっと龍が居なくても、この土地には何も無いんです」

 諦めるような言葉と裏腹に、シオデの眼には力があった。

「だから、私は龍を全力で利用するんです。今回も、龍の落とし物をたくさん拾ってきます。そうして、村のみんなと倖せになるんです」

 強い意志がその眼に宿っている。

 渇いた地に生きる少女は力強くそう結ぶと、龍糞拾いの仲間達と共に、龍が留守にしている山へと消えていった――




りゅうふんひろい【龍糞拾い】帝国東部辺境の『渇いた地』に存在する職業。▽龍の棲む山に不在の時を見計らって分け入り、その糞を拾いに行く彼女らは、その仕事故に『龍糞拾い』と呼称される。▽男の匂いを嗅ぐと、その山の龍は酷く興奮するので龍糞拾いは例外なく女性だ。▽都市部における『泥ヒバリ』や『純粋拾い』と同じスカベンジャーの一種であるが、都市部の類似する職業と異なり、その危険度は極めて高い。龍の棲む山は極めて険しく、当然のように龍に襲われる可能性もあるからだ。それでも『渇いた地』で龍糞拾いをする女が減らないのは、他に産業が存在しない事と、魔術触媒として有用な龍の糞が高く売れるからである。今日も龍糞拾い達は、龍を畏れながら龍の落とし物を拾いに山へ向かう。

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