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海に宿る月  作者: 天帆出
6/14

06

 空から降ってくるかのような蝉の声が湾の上で反響し合い、さらにやかましくなる夏半ば。

 いつもどおりの朝。いつもどおりの海。一通りの家事を済ませて佐和子が外に出れば道路を挟んだ向かいの海で、村で一番だろうと言われる働き者のヨシ婆が今日も背を丸めて網を縫っていた。

 いつもどおりに声をかけ挨拶の二言三言交わした後に自転車を走らせる。淡い水色のワンピースの背中がじんわりと汗ばみ、首筋を流れる数本の髪が汗でうなじに絡みつく。

 今夜空では天の川を挟んで牽牛と織姫の伝説が蘇る。

 七夕の話を聞いていた少年の様子ではもしかしたらまともに七夕の飾りなど見たことがないのかもしれない。

 ――都会では七夕の飾りなんかせんのやろうか――

 あまりにも奇妙すぎる謎。

 子供の頃幼稚園にでも通っていればそこで経験の一つもするだろうし、ちょっとした街中なら駅や公園、公共の場所でそうした飾りの一つくらいあるものだ。

 もしかしたら……そうしたものと縁の無い生活だったのかもしれない……

 そう思えば同情の一つも感じずにはいられない。

 堤防にちょこんと頬杖をついていた彼を思い出せば夏の盛りだというのに焼けた様子もない華奢な白い顔。

 ――病気か何かでずっと世間から離れた暮らしでもしとったとか?――

 昨夜一晩、佐和子はササを飾りながら考えていた。

 ――ううん、もし病気やったとしても……

 顔を横に振り想いなおす。

 病気やったんならなおさら、家族がそういう季節の行事やらしてみせたろうとか思うもんやないやろか? 入院しとったんなら病院が療養の息抜きに、て何かしらしてくれるやろうし。


 緩やかなカーブを曲がって堤防越しに聞こえてくる海遊びの子供達の喚声。その声を正面から受け止めるように道路に背を向け堤防に小さく腰掛けている白いシャツの背中。佐和子がキキッと自転車を停めた音に笑顔で振り向く、ここ数日ですっかり馴染んだ顔。

「やあ」

 堤防脇に自転車を預けるように倒し唇の端を歪めて苦笑いする。

 ――『やあ』て! 『やあ』て何その挨拶はー――

 耳馴染みの無い挨拶に心の中が沸騰しそうな勢いで顔が赤らむ。

 ――気障!――

「何? どうしたの? 今日は何か気分でも悪い?」

 自分の挨拶が佐和子を戸惑わせていることなど気付かないで少年はぐっと弓なりに背中を倒し顔を近づけにっこりと笑う。

「ううん、別に……」まぁええわ、正面から見つめてくる視線をかわしながら気を取り直し少年から少し距離を空けて堤防に腰掛けた。

 何気に腰掛けたものの、とりたて交わす会話も思いつかないまま海側に投げ出した足を所在なげに宙でぶらぶらと泳がせる。潮騒と子供達の遊ぶ声が背中から刺さるほどに鳴き喚くセミの声が二人の頭上でぶつかり、降り注ぐ。

「ふぅん」

 突然破られた沈黙に慌てて少年を振り向いた。

「今日は佐和子の方から僕の隣に来てくれるんだ」

「そ、そういうわけじゃないけど!」

 焦って何と返事したものか、解らないまま口が走る。

「そもそも、最初に私の居た場所に後から割り込んできたのはあんたでしょう、別に隣に座りたくて座ってるわけじゃないけど! だけどあんたが居るからって私がここに座っちゃいけないなんてことあるわけないじゃない」

「うん」

 捲くし立てるような口調に少しも驚く様子を見せず柔らかく答える。

「うん、って……解ってるの? ここは私の場所だったのに、あんたのせいでこの何日か、ちっとも落ち着いて……」

 ――やだ、こんなこと言いたいわけじゃないのに――

 ちょっとずつ、後悔しながら口走る言葉がだんだんと文句になっていく。

 ふと、彼がどんな表情でこの文句を聞いているのか気になって瞳だけが横に動いた。と、同時に頬に柔らかい甘い緑が触れた。

「……何?」

「うん、これ、佐和子が昨日ササの話をしてくれたから」

 掌の長さほどの小さな枝に5〜6枚の細長い葉がそよそよと風になびいている。

「ササ?七夕の?」

「うん、でも僕ササに飾るものなんて何もないから……これだけ、これだけでも七夕ってできるかなぁ」

 はにかむように、少年の白い頬が薄く染まる。釣られて佐和子もカァーッと耳まで赤くなってしまう。

「……できるんじゃない……?」

「そうかな?」

「うん、あぁ、そうだ、良かったら夕方でもうちに来さいや、うちの飾りわけてあげてもええしお供えもちょっとで良かったらお裾分けできるけん」

「佐和子の家に?」

「せや、うちにおいで。折り紙もようけ余っとるけん、これに合ぅたこんまい飾り作ってもええし」

 少年のかざす小さなササに手を触れる。と、同時に少年の細い指が重なる。慌てて手を引っ込めて、また早口になってしまう。

「うん、あんまり遅い時間やなかったら、夕方過ぎくらいやったらそっちに帰るバスもまだあるし」

 少年が柔らかく微笑みながらその様子をずっと見つめている。

「ちょっとやったら花火の一つもやれると思うんよ、何やったら近所の子ら誘ぉて紹介したってもええし……」

 ようやく落ち着いて覗き込むように少年に振り返る。

 目と目が合う。

「な? そぅしぃ?」

「うん、ありがとう」

「じゃ、うち、場所解るやろか? そこのバス停から乗ったら三つ目の停留所で福浦いう所やけん、そこで降りてそのまんまバスの進む町の方に向って歩いてってな、何もない荒れた庭に百日紅の木が二本、白いのと赤いのが並んである家やから」

「サルスベリ?」

「うん、小さい花がたくさん集まって手毬みたいにまぁるくなったんが幾つも木になっとるんよ。木の幹は縦に茶色い縞がすっと入っててのっぺりしたつるんつるんの木」

 こんな、こんなと両掌で丸を作り花の形を説明する。

「あの辺で紅白の百日紅植えとるの、うちだけやからきっとすぐ解る思うよ。それで解らんかったら近所の人にでも聞けばええけん、やから……」

「ありがとう」

 話し続ける佐和子をやんわりと制して少年が口を挟んだ。

「でも……」手に持っていたササを佐和子の目の前に差し出し

「これは佐和子にと思って……よかったら一緒に飾ってやってもらえないかな」

「私に?」

「うん、僕から、佐和子に」

 差し出されたササをおずおずと受け取りながら佐和子は少年を見つめる。少年も佐和子の目を見つめながら「ありがとう」と囁いた。

「ありがとう、て……貰ぉて、ありがとう言うんはこっちやわ……」

 吸い込まれるように見つめる少年の瞳から視線を逸らすことができない。

「ううん、誘ってくれて。だから、ありがとう」

 微笑んだかと思うと少年が身を翻し道へ降りた。

「ありがとう、佐和子」

 そのまま振り向くことなく緩いカーブの向こうに白い背中は消えてしまった。

「百日紅やから、白と赤の二本の百日紅がうちの目印やから、ほんとによかったらおいでよね!」

 もう足音も聞こえない。堤防の上に立ち上がり手渡された小さなササを頭の上で大きく振り回しながらカーブで消え行く道の向こうに、大きく叫んだ。そして、もう見えない少年の背中を十分に見送りながらササを眺め思った。

「これも、飾ったげよう。もしかして本当に来たらきっと喜ぶやろぅけん……」

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