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海に宿る月  作者: 天帆出
4/14

04

「あんたは地元の子ぉやないんやろ?」

 佐和子の気持ちを知ってか知らずか、少年は爽やかにただ一言だけ答え返した。

「うん」

 しばらくは続く返事を待っていた佐和子だったが、拍子抜けしたようにまたうな垂れる。

 普通なら、そう聞かれれば「うん」の後に、どこそこの村の親の里帰りについてきただの大阪だか東京だか、どこから来ているだの程度の答えはついてくるだろう。自分の住んでいる村か隣り合わせた辺りの村の親戚でこのように同い年らしい子供なら夏の祭りやこの海水浴場で一度か二度は見ているはずだし、子供達というものは初めて知った同士でも随分と簡単に友達になれる。一度友達となれば村を越えて湾を越えて、各家々に呼び合い花火などして短い夏を謳歌しあうもので、近隣の村に夏だけ遠くの街からやってくる子供であっても、大概顔は知っているものだ。

 うな垂れながら記憶の糸を辿るが佐和子の頭には、この、細面で華奢な少年の姿がまるで現れない。と、いうことはこの夏初めてこの辺りに来た子供だということになる。

「それで? どこの子ぉなん?」

 拍子抜けた気持ちをダラダラと引きずるようなかったるい調子の声で問い続ける。

「あっち」少年はゆっくりと海の向こうを指差した。

「あっち…て、海の向こうは九州やよ?」

 突拍子もない返事にあっけにとられるが、すぐに思い返して言い直した。

「あぁ、あっちやったら、先の方の湾かなぁ小浦とか四石とか……?」

「うん、まぁその辺」

 曖昧な返事。『なんや、よう判らん子ぉやなぁ』想いながら佐和子は少年に対して気持ち悪さをちらりと感じた。海に向けて垂らしていた足をくるりと回し堤防を越えさせ道路に下ろす。

「私、もう帰らないけん」

 すぐ脇に置いてあった自転車に飛び乗るとその後姿にまた爽やかなハスキーボイスの声が降ってきた。

「明日も来るよね? ここ。毎日来てるもんね、佐和子」

「え?」一瞬の間を置いて振り向き、けれどそこには既に少年の姿は無かった。堤防を越えてテトラポットの下にでも入ったかと思ったが、ざわざわと胸をなで下ろす奇妙な感触がそこに足を運ぶのを躊躇わせた。


 ざわざわと……


 ざわざわと……


 それは夜の闇の中「ざぷんざぷん」と繰り返す筏と船のこすれる音にとても似て。

 ――きっと、私が自転車の鍵を開けてる間に堤防を越えて海に入ってしまったのよ

 もしくは

 ――あの湾の急カーブの向こうに走って帰ってしまったんだわ――

 でも、何故?

 確かに、少年は佐和子の事を知っていた。「佐和子」とその名を呼びかけた。

 そして

『毎日きてるんでしょ?』

 佐和子がその場所に毎日やってきて海で泳ぐ幼馴染らを日がな眺め続けていたことも知っていた。

 何もかも、見知らぬ少年に見透かされていたようで気味の悪い夜だった。

「だけど……」

 きっと、あの子は知らないわ。私が毎日見ていたのは幼馴染達の泳ぎなんかじゃなくて……

 一つだけ、自分の本当の気持ちが知られずにいたと思える安心が、ようやく彼女を眠りに誘った。


 翌朝、母親が出勤した後適当に掃除や宿題など済ませた佐和子は家の前に出て海に向って叫ぶ。

「ヨシばあちゃぁーん」

 船付きの筏の上で麦わら帽子をかぶり朝から網縫いをしていたヨシ婆はその声に振り返り「おぉ佐和ちゃんかぁおはようぅ」と返す。

「あんなぁ、夕べお母さんが買ぉてきた水羊羹があるけん、よかったら食べてぇやぁ」

 筏の橋を決して渡ろうとはせずにその堤防の上に水羊羹を乗せた皿を置く。

「ありがとなぁ」

 佐和子がこの橋を渡ることは決してないだろう。それをよく知るヨシ婆は手を休め、よっこらしょと腰を上げた。佐和子の笑う堤防の側までおっとりと歩きやって来て

「いつもありがとうなぁ」

 にこにこと皿を受け取りながら笑う。

「ええんよ、ばぁちゃんにはいつも畑のもん貰うとるし。おかげで私の小遣いもかなりええことになっとるけん」

 老婆が更に笑う。

「そぉかぁそぉかぁ、やったら、今夜もうちの南瓜でも持って行き。ナスもええ頃にできとるけん」

 最後にありがとうよ、と笑い残しヨシ婆は羊羹の乗った皿を片手に筏へ戻った。

 本当ならこんな世間話も許されない忙しさの婆さんだ。朝の早いうちに嫁と一緒に山畑の手入れなどして次に桟橋に降りてくる。嫁が家の片付けだの昼餉や夕餉の支度などしている間に網縫いを片付けてしまわなければいけない。船は夜半過ぎに出て朝前に戻る。

 筏によっこらしょ、と緩い動作で再び座りまた黙々と網に向う。その後姿を見送っていつもの道を海なりに自転車をこぐ。昼にはまだ早いこの時間、あの湾ではもう皆が泳ぎに興じていることだろう。朝の支度と片付けを終わらせてからそこへ向う佐和子はいつも皆と一歩出遅れる。よしんば、足並みがそろったとて一緒に遊ぶわけでもないのだが。


 堤防はそのちょうど上にそびえる林が木陰を作り、そこに山から甘い香りを連れて下りてくる風と海面をなぞりながら走り抜けてくる潮の香りを含んだ風が適当に心地よい。自転車をセメントの塊に寄りかからせ「よいしょっ」とその上に腰掛海ではしゃぐ皆を遠目に見おろす。

 視線はやがて子供達の塊る浅瀬から離れ自分の村に向う湾のとっさき、そして沖合いに流れてゆく。

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