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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Eye know you

別に言うほどのモンじゃないですが、人を殺す表現があるのでそういうの苦手な方は読まないでもいいです

男はぬるくなったコーヒーの缶を握りしめながら、ベッドに横たわる少女を虚ろな目で見つめていた。少女は白く艶やかな肌を晒し、その美しさは言葉に言い表せないほどであった。安らかな吐息を立てる彼女の傍にいる男は、彼女の頭に刺さるプラグと、それが繋がっている機器をうらめしく思った。無垢な美しさに似つかわしくない硬質的な機械類は、彼女の脳髄を調べ、病原を探している。そのことに本来は感謝すべきだと男は理解していた。しかし、こんなことで彼女は、自分の妹は助かるのだろうかと怒りにも似た気持ちが巻き起こっていた。

 妹が不調を訴えたのは2カ月ほど前である。受験前の不安が響いたのだろうと、両親も、また兄である男も深い心配はしていなかった。実際、その不調は間もなくして嘘のように消え去ったようだった。妹に聞いても「なんのこと?」と返してくるので、男はそれを無理に掘り返そうとも思わず、放置していた。しかし、『それ』が再び発症した。頭痛と共に自分が自分でなくなるような感覚に襲われると、妹は診察の時に言っていた。精神的な問題があると思え、男は都心の名の知れた精神科医に相談することにした。

人々が電脳化をし始めた時代から幾分か経っていても、人の意識や精神というものの問題は健在だった。電脳による脳内ネットワーク干渉で人の心が壊される事案も発生しており、過去以前よりももっとデリケートな問題として社会的な話題に上っている。

その医師に妹を見せると、まず一言「わからない」と絶望的な答えを出した。

「簡易的な精神浸入を行いましたが、問題が起きている部分が見えないんです。私からすれば妹さんは『至って健康な精神状態』だ」

「おかしいでしょう、そんなの」

「ええ、インターフェイスの故障も見当たりません。だから、彼女がどうしてそのような状況に陥ってるのかわからないんですよ。本格的な検証を行うために私もそれ用の機器を準備しておきます。妹さんは入院になりますが、よろしいですね」

「わかりました」

 わからないとは言われたが、ただちに死に至る病でないことを伝えられた。

微妙な安心感だけ残して、妹は今このようにプラグに繋がれた状態で眠っているのだ。しかも、それを聞いた時よりも妹の状態は悪くなっている。起きている間は死んだように動かないか、錯乱状態で叫びだすといった具合だ。日常生活もままならなかった。対策としては、彼女の意識の深くを調べることであったが、人の意識の深層に潜り込むことは非常に危険が伴うため、医師はタイミングを計り続けた。

自分と相手の脳内ネットワークを強制的にリンクさせ、問題の箇所を発見するために表層的な意識よりも深く、つまり無意識に浸入する技術。医師はそれを『ダイブ』と呼び、それを行うための巨大な装置を、外観から『チェア』と呼んだ。

チェアは全体が黒色で統一されており、さまざまな機械類が組み合わされた土台の上にソファーのようなゆったりとした曲線を描く大きな椅子が二つ並んでいる。椅子の周りには『シェル』と呼ばれるプロテクタが展開されていて、座った際にそれが椅子全体を包み込むように閉じ、内側ではディスプレイが搭載され外側と通信ができるようになっている。

「二つ座るとこがありますよね。左側に妹さんを座らせて、右側に私が座ります。私の意識と彼女の意識をリンクさせ、深層に入り込みます。そこで彼女の問題を見つけ出しますが、その段階でもしリンクの切断などがあった場合、私も彼女も助かりません。身体は生きてるでしょうが、心は死にます。私はそういうことがあっても自分が死ぬだけなんで大丈夫ですが、彼女はそうもいかないでしょう。こういうことがありますよ、了承してくれますかって書類あるんでサインお願いしますね」

 両親はしばらく悩んだようだが、それでしか治ることはないと医師に言われたため、震える手でサインをした。男にも了承の意思を聞かれたが、頷くことしかできなかった。

 患者衣に身を包んだ妹は麻酔をかけられ、眠りに落ちている。右側のチェアに座らせると、心なしか安心したような表情を見せた。医師はそれを確認すると左側のチェアに座り、目を閉じた。男と両親もいる別室で控えていた看護師が、チェアの起動を始める。青いライトでぼんやりと照らされたチェアがカチカチと音を立て、駆動する。同時にシェルが閉じられ、まるで卵の殻のような形になった。中にいる医師と妹の様子は、その部屋からディスプレイで確認できた。

 男と両親はその様子を固唾を飲んで見守っていたが、特にそこから変化が見えず、不安になって隣で数値を確認している看護師に聞いた。

「これは、大丈夫なんですか?」

「ダイブには成功しています。しかし、そこからです。そこからが問題なんです。電脳には普通ハッキングを防ぐための精神防壁が作られています。それの一時無効化をここで行うのですが、万一それが失敗すると、意識に浸入できなかったり、浸入したとしても戻ってこれない場合もあるのです。そして、無効化している際に外部からの攻撃が無いかも監視しなければなりません。気が抜けないですよ、一瞬も」

「見守ることしかできないのか……」

「先生は、この分野では名医と呼ばれています。きっと成功しますから、祈ってください」

 神や仏の存在を信じないとしても、この時ばかりは必死に祈った。それ以外に出来ることなどなかったのだから。

 チェア起動開始から2時間後、青いライトが緑に変わった。

「なにかあったんですか!?」

「先生がダイブから戻ったみたいです。妹さんと先生の数値に問題は見当たりませんね、成功したようです」

「よかった……」

 看護師たちが妹を慎重にチェアから抱きかかえ、担架に乗せた。医師の方にも看護師が行き、汗をふくタオルを渡したが、医師の表情は暗く見えた。

 休憩もしないまま医師は家族全員を呼んだ。汗がにじむ額をタオルで拭きながら、「失礼」と間を置いた上で重々しく話し始めた。

「…………多少語弊があるかもしれませんが、素直に言わせていただきます………………彼女の意識にダイブすると、まず表層的な意識、自己の部分に浸入しました……しかしそこには何の問題もありません……ここは以前と同じです……そして、深層部分、無意識下に浸入しました…………しかし、そこには無意識がなかったのです……同じように、自己の部分が広がっていたのです……複製されたかのように、そこには彼女の自己が存在していました…………あり得ないことです……自己が『乱造』されることなど……さらに奥深くに入っても、彼女の無意識は見つかりませんでした……ただただ、彼女の自己が詰まっていたのです…………私は、仮説を立てました……電脳の何かの不具合によって、本来一つのカテゴリである自己が、まったく同じ形の自己として、しかもそれぞれが別のものだと主張しながら複製されていったのです…………言うなれば、『自己無限複製症』……それにより、彼女の無意識はどこにも無い状態になり、覚醒状態での彼女の意識は、一体なんなのか、それぞれが主張し合い心を壊すことになったのだと……こんなことは恐ろしいことだ………本来の自己もどこにあるのかわからないのです……もしかしたら、表層的な意識でさえ、複製されたコピーでしかないのかもしれないのです…………彼女は、彼女である要素を失っている…………」

「馬鹿な!!」

 父親が立ち上がる。ぶるぶると震え、拳を握りしめた。

「そんな馬鹿なことあってたまるものか!! 不具合だと!? 電脳に問題だと!!」

「親父、落ち着けよ」

「バカヤローッ、落ち着いていられるかっ……」

 男は、不思議と怒りが湧いてこなかった。あまりにリアルではない問題に直面したからか、既にそこから逃避していたのか。

 医師が残念そうな顔を隠さずに言った。

「手は尽くします。これはもはやこの病院だけで治まっていい話じゃない……なんとしてもこの事態を解決する手段を探さねば……」

「当然だろう!!」

 父親が医師の胸倉を掴んだ。そして拳を振り上げ、睨みつけた。医師は父親の顔を目をそらさずに見返した。

「親父!!」

「す、すまなかった……」

 手を離すと、医師は「仕方ない」とつぶやいた。仕方ない、この言葉は男の頭の中を廻り廻った。どうしようもないのだ。妹は助からないかもしれない。しかし、それは仕方のないことなのだ。自分の力が及ばないことに絶望しながら、男は涙を流した。

 それから、妹は常に睡眠状態になった。覚醒している状態では、最早何をするのかもわからない。自己が複製されていく可能性も孕んでいたが、妹が苦しむ姿を見るよりはマシだと思った。世界的な権威が集まって会議が開かれると話を聞いたが、それで解決することはないだろうと男は感じていた。ダイブとは何よりも有効な手段であり、それで解決しなければ、それは『不治の病』と言ってもおかしくはないのだ。

 ある夜、男は看護師たちの目を盗んで妹のいる病室に忍びこんだ。息を殺しながら、妹のベッドに近づくと、普段と変わらぬ、ただ眠っているだけの妹の姿がそこにあった。『自己無限複製症』などというわけのわからない病気になっているとは思えなかった。男は震える手で妹の髪を撫でた。白い肌に差した赤みを眺めながら、男は「仕方ない」とつぶやいて、妹の首を絞めた。力を一杯に込めて、首を絞めた。

 ビクン、と妹の手が動いたが、男は力をゆるめなかった。「仕方ない」「仕方ないんだ」「許せ」「こうするしかない」、そんな台詞を並べながら、男は涙を流した。すると、男の頭に電流が走ったような感覚が起きた。はっとして妹を見ると、目を開きこちらを見ている妹の顔がそこにあった。だが、表情はとても穏やかで、微笑んでいるように見えた。そして口が弱々しく動いた。

「ありがとう」

 男は反射的に手を離した。しかし、妹は既に事切れていた。プラグが挿されたままの、美しく柔らかな死体がそこにあるだけだった。

「……、ちくしょう…ちくしょう……」

 大粒の涙を零し、男は妹の手を握った。まだ温かい。もしかしたら、今すぐに看護師を呼べば息を吹き返すかもしれない。しかし―――――――――――――――――

「仕方ない」

 仕方ない。男はそうつぶやいて妹の手を握り続けた。だんだんと、冷たくなっていくのを肌で感じながら。


機械化された脳はどんなはたらきをするのかなあっていう作品です

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― 新着の感想 ―
[一言] 多重人格のビリーミリガンがクロスオーバーしました。彼の場合は人格が順番に出てきていましたが、本作品の彼女の場合はバーゲンセールの人だかりになっている状態なんですよね。 最後の「ありがとう」に…
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