斜陽(とある企業の株主総会)
PC部門からの撤退は、第五代会長の時代だが、これは仕方ない事だった。
一時は未来の主要家電とまで言われたPC部門も、安いパーツを使えば、新興国の名もない企業ですら組み立てられるようになった今、利益を生み出す余地などなかったからだ。
第七代会長による、白物家電(冷蔵庫や洗濯機)からの撤退も時代の流れだろう。
収益も薄く、最後はスクラップまで責任を持たなければならないとあっては、配当を求める株主の理解も得られなかった。
電池部門の売却は第八代会長の時代。
リチウム・イオン電池は当初、収益の柱になるのではと期待されたが、円高で国際競争に敗れた。
無論わが社も工場の大型化や機械化率の向上、さらには国内生産をあきらめ、南米などへ工場移転と努力はしたものの、最後は他国に売却することになった。
そしてついにテレビ部門からの撤退が始まったのは、創業者一族である第十代会長の時代だ。
会長自ら「苦渋の決断」と述べたように、テレビはかってわが社の看板商品。
この部門だけは死守したかったのだが、赤字が膨らんだ。
今にして思えば、クロス・ライセンスに対する認識の甘さが命取りだったのではと思う。
事なかれ主義が生んだ結果が、撤退につながったのだ。
その後、半導体部門の売却、スマホと携帯からの撤退、LED照明やブルーレイ部門の売却など、撤退に続く撤退の中で、毎年のように会長が代わり、ハーバード大・MBA取得者、有名タレント、はてはカリスマ主婦と、様々な人材が立て直しに挑んだが、ことごとく失敗。
勿論、一般社員はリストラに次ぐリストラで激減。
膨大な退職金の捻出のための資産売却。
企業規模の縮小により、東証一部から大証二部への鞍替えを余儀なくされた。
そんな中、登場したのがアルバイトを経て正社員となった、この俺。
日給6,400円で雇われた男が、かっては世界に名を馳せた企業のトップに上り詰めたのだ。
俺は、新社屋・食堂に集まった十数人の株主達に向かって深々と礼をすると、
これからの我が社の戦略と、柱となる事業について説明をした。
「これからの我が社を支える収益部門は・・・」
俺はアルバイト二人に垂れ幕を掲げさせた。
それを見て三、四人の株主がザワついたが、それは想定の範囲内。
『たこ焼き・チェーン、電タコ!』
そう、円高に左右されない飲食業への転換こそが、俺が出した結論だったのだ。
無論、たこ焼きチェーンといえども、ライバルは多い。
当面の相手は元・世界有数の自動車会社が転進したGT(豪タコ)チェーンだろう。
「ぜったいに勝ち抜きますからね・・・」
俺はギュっと唇を噛んで、創業者に誓った。
( おしまい )
この物語はフィクションです。