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迷い船  作者: きんもぐら
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いい人なんだかわからない恩人


 床に転がった俺を男は引きずった。タケさんはもう助けようともしてくれない。

 みっともなく両腕を万歳していれば、不意に足を離されてごんと地面に踵から落ちた。

 とんでもなく痛い。痛みに耐えてると、男は瓢箪(ひょうたん)を持ってきた。ポン、とコルクを抜いて逆さにする。すると中身が入っていたのか水が俺の足に落ちてくる。むわっと香る酒の匂い。びちゃびちゃと足を濡らされる。せっかく巻かれた包帯が酒でぐちゃぐちゃだ。気持ち悪さに眉を顰めると、男は瓢箪に蓋をした。


「タケ、連れてけ」


 すっと立ち上がり俺の傍に膝をつくタケさん。


「気が変わらんうちにお(いとま)しよう。さ、立って」

「え」

「大丈夫、もう痛くないはずだ」


 恐る恐る足裏で畳を踏みしめれば、あれだけ痛かったのが、まったく痛みを感じない。気のせいかと思ってもう一度踏みしめたが、痛くない。ならばと立ち上がろうとすれば煙草の男に怒鳴られた。


「試すんなら廊下でやれ!畳に酒が染み込んだらどうすんだ、ばかたれ!」


 なんて理不尽。あれだけ俺の足に酒を溢したのに。畳をよく見ると、濡れていなかった。器用にも足の包帯にだけかけてたということか。


「は、はい」

「タケ、そいつに適当に割り振ったら、船の被害の詳細を教えろ。後、次の船着き場の場所の確認だ」

「わかった」

「いいか、小僧。満足いく仕事せんかったら船から放り出すからな」

 

 俺は何度も頭を立てに振った。

 部屋を出るには、タケさんに抱えてもらうしかなかった俺は、おとなしく運ばれた。


 ぱたんと襖を閉めた後、タケさんに下ろしてもらった。今度は立てると分かったからそのまま足だけを下ろしてもらう。

 何歩か歩いてみた。うん、痛くない。歩き回るたびにぴしゃぴしゃと水たまりができる。


「まったく痛くない。痛覚をなくしたんですか?」

「傷を治療したんだ、もう傷跡もないはずだ」


 俺は床にどしんと座り、包帯を解いていく。気持ちが急いてしまっているせいか、ぐちゃぐちゃになっていく。ええぇいと靴下を脱ぐように滑らせれば、包帯はするんと脱げた。足裏を見ればあれだけ酷い怪我をしていた足が、綺麗に治っているではないか。もう片方の足も包帯を脱いだ。こちらも傷はない。


「凄い。お酒で傷が治るなんて」

「何言ってんだい、あれはただの酒じゃねぇ。貴重な、何とかの滝の酒だ。滝の水が全部酒でな、怪我に効くんだと」


 そういった話をお伽話か何かで聞いたことがあるような。どういった話だったか。

 そもそもそんなものが実在することに驚いていた。


「何おったまげてんだい。小鬼には驚かなかったのに」

「屋形船でとんでもないもん見てきたからでしょうかね、小鬼に驚かないのは」


 濡れた床を見ていれば、襖を開けてくれていた小鬼が、身の丈以上の大きな雑巾を持ってきて床を拭こうとしてくれていた。

 俺からしたらたいしたことない面積だが、彼らからしたら大変だろう。


「俺が汚してしまったんです。俺がやってもいいですか?」


 小鬼達は俺を見上げて、なにやら話し合った後、雑巾を一枚貸してくれた。それを半分に折り、汚れた床を木目に沿って拭いていく。後ろから見ていたタケさんは、関心していた。


「随分とまぁ丁寧じゃねぇか。逃げた給仕連中なんざ雑巾丸めたまま拭いてたぜ」

「はぁ。なんででしょうかね、慣れとでも言うんでしょうか。こういう廊下」



拭いたことがある。それは、どこの建物の廊下だろうか。拭いたことがあるという映像が浮かんできたのに、それがどこだったか思い出そうとすると靄がかかってしまった。


 

  

 タケさんに連れられた先は、大部屋だった。

 たくさんの生き物が、床に散らかった食器や配膳をあっちに寄せたり、こっちに寄せたりを繰り返し、ぐちゃぐちゃな布団を押し入れにしまおうとしては雪崩のごとく出てきたり。

 俺からしたら、何をしたいのかさっぱりわからない光景が広がっていた。


「ここは逃げ出した人間達が担当してた一部だ。主に部屋の清掃をやってくれててな。あいつら、人の話はきかねぇくせに一応は仕事をしてくれてね。ただ、ここにいる誰もあいつらの業務が出来ねぇんだ」

「それは、お困りですね」


 足元で雑巾を丸めて蹴鞠(けまり)をする小さな丸っこい生き物がはしゃいでいた。なんという生き物だろうか。毛むくじゃらで、毛が赤い。んで、手足が生えている。なんだろう。


「仕事熱心なんだがね、ちょいと遊び心が勝っちまう」

「わかりますよ。俺も雑巾丸めて野球してました」

「ここでは教えないようにしてくれよ?」

「ここを、片付ければいいんですか?」

「あぁ次の船着き場までに客室を空けにゃならん」


 まぁ片付けくらいなら、何とかなりそうか。

 俺は、部屋全体を確認した。


 散らかった宴会用の食器、お膳、酒瓶。

 零れた料理、散らかった布団、シーツ、浴衣。

 その布団の山でふざけている人。肌の色が俺と明らかに違う。彼らも鬼なんだろうか。

 心なしか、酔っぱらっているように見える。飲んだな、さては。


 俺は盛大な溜息をついた。


「お手上げかい?最終手段は、海に捨てて買い直す気でいるんだ。やれるところまででいいさ」


 買う?見た感じ、かなり良い食器が使われている。布団だってふんわりしているし、散らばっている浴衣もいい生地だ。それを、海に?


「もったいない!」

「いやでも」

「こんなに散らかってる部屋なんて見たことないから、作業量を考えたら疲れただけです」


 俺はまず、近場にあった脱ぎ散らかされた浴衣やらタオルを集める。

 その様子に気付いた周りの生き物たちは一斉に俺を見てきた。


「給仕が、帰ってきたのか?」

「なんだ。…じゃあこれはやらなくていいのか」


 その言い方に、ちょっとばかしカチンときた。

 俺はある程度拾った洗濯物を部屋の端に置き、彼らを見渡した。


「俺が掃除を始めたからと言って皆さんがやらなくていい理由はありません」

「んだと、このひょろひょろ野郎。女みてぇな面しやがって」

「それ、関係ないでしょ」


 酔っ払っていた鬼が俺の発言が気に食わなかったのかずかずかと近寄ってくる。タケさんは、俺に近寄ってきた鬼の襟首を掴んだ。


「た、タケさん」

「いちゃもんつけんじゃねぇ。兄さんの言うとおり、お前達がやらん理由はねぇ。ここはお前達の持ち場なんだ」

「急に俺達に言われても、一回も、一回もだぞタケさん。この部屋を元通りにするなんてしたことねぇ。あの人間達が好き勝手して、いなくなったんじゃねぇか」


 何やら事情がありそうだ。

 タケさんもそれ以上は言えず、彼を離す。

 

「すまんな。やる気はあるんだが、やり方を知らなくて」

「誰かが教えないんですか」

「教えられてこなかったんだ。俺も船の修理以外はからっきしでな、全部人間達に任せてた」


 つまりは、皆今回が初めての業務ということか。

 俺は足元で遊んでいる丸い生き物に雑巾を当てられた。

 君達も、やる気満々ということでいいんだよね?

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