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迷い船  作者: きんもぐら
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からっぽ


 タケさん。

 彼の名前だ。手際よく手当をしてくれたばかりか、甚兵衛を貸してくれた。俺の衣服はあちこち破れており、しかもベタベタと何かがついてとても汚かった。せっかく手当てしたのにバイ菌が入っては意味がないと言ってわざわざ甚兵衛を持ってきてくれたのだ。逃げるのに必死だったから洋服にまで気が回らなかった。もうこれらはダメだろうか。とりあえず、捨てるのは忍びないため、来ていた衣服は自分の手元に置いた。

 タケさんは、前髪で顔がほとんど見えない。髪が長いのだ。肩まである髪を結ぶでもなくそのまま垂らしている。着物をきていて、動きやすいように裾を上げて腰帯にひっかけてるから白いステテコが見えていた。

 

「本当に助かりました」

「船が突っ込んできたときはどうしようかと思ったよ」

 

 小鬼が賢明に片づけているおかげでだいぶ綺麗になっていた。


「すいません、ここタケさんの部屋だったんですか」

「まさか、まさか。ここはエンジン室に近い場所だ。自分の部屋より大事な場所だからすっ飛んできたんだ」


 一歩間違えたらこの船も沈むところだったのか。

 今一度謝罪をしたが、タケさんは笑うだけだ。


「運がいいんだな」

「そうでしょうか」

「あんな船でここまで辿り着いたんだろ?すげぇじゃねえか」


 本当なら、俺はあのじいさんに謀られて、死んでいたのかも知れない。


「この船はどこへ向かってるんでしょうか。実は、帰りたくて」


 ほう、帰りたいのかいとタケさんは聞き返す。

 俺は、はいと答える。


「この船の行き先を決めてんのはお偉いさんだ。そいつに聞いてみちゃぁどうだい?」

「その方はどこにいるんでしょうか?」


 タケさんは、まだ穴が埋まっていない破損個所から外を見て指さした。

 それは、屋形船から見ていたたくさん部屋がある先の三日月形の先端。

 

「変わりもんだが、まぁいい人だ」

「教えてくれてありがとうございます。俺、相談してみます」

「そういや、あんたどこから来たんだい?名前は?」

 

 俺は。


 言葉に詰まってしまった。

 どうしてって、だって。

 そういえば、なんであんな船にいたのか。

 自分がどこから来て、どんな名前だったか。

 覚えていなかったからだ。


「あれ、あれおかしいな」


 唇は震え、呼吸は浅くなり指先が震えてきた。

 思い出そうにも頭ん中は空っぽでなんにもない。

 すぐに思い出せるのは、あのじいさんのおぞましい顔くらいだった。

 このままじゃ怪しい奴だと思われて海に投げ出されるんじゃないだろうか。

 両手で頭を抱えた。


 

「まぁあんた。落ち着きなって。色々あって混乱しちまってんだろ」


 肩をとんと叩かれハッとした。確かにそうだ。知らないうちに船に乗っており、更には、会話が出来ない老人に騙されかけて死ぬとこだった。だいぶ思考がぐちゃぐちゃになっている。今まで経験したことのない緊張感に体が強張っているのに気付いた。


「自分もここの片付けと状況確認をせにゃならん。その間ここで休んでちゃくれないかい?終わったら連れてってやらぁ」


 タケさんは壁側に俺を運んでくれた。


「小鬼に群がられたらこいつを見せびらかせばいい。すぐにどっか行くからよ」


 そう言って頭につけていたタオルを渡された。

 タケさんの額に角が生えていた。

 あぁこの人、人間じゃないのか。

 俺はただそう思った。


 

 先ほどまでの緊張が嘘のようになくなり、しばらく呆けてしまっていた。

 目に映るのは、小鬼達とタケさん。

 小鬼達は屋形船の中を確認してせっせと使えそうなものを運び出しては、部屋の隅に乱雑に置いていく。

 大方終わった後、タケさんの出番だった。

 タケさんも相当力持ちのようで、遊覧船に刺さって引っかかっていたらしい屋形船を強引に外し、海へと流した。

 呆気なくその船は暗闇に消えていった。

 自分で行動しなければ、あの船もろとも海に漂っていたか、先にくたばっていたかだっただろう。

 よくもまぁ動けたもんだ。

 

 さて、これからどうしたものか。

 自分がどんな人間かは、わかる。どんな性格で何が好きなのか。


 だが、名前とどこから来たのかが思い出せない。

 どこで生まれて、どういう友人がいて、自分が何をしていたのか。

 腕を組んでうんうん唸っていれば、粗方作業が終わったのか、タケさんが声をかけてくれた。


「痛むかい?」

「それもありますが、自分の名前を思い出そうとしていたんです。どうにも朧気で。どこに帰りたいのかも、思い出せない」

「そいつは困ったな。帰してやりたくても、どこに行くかわからんのじゃぁお偉いさんに相談もできねぇ」

「適当なとこに下ろしてもらって、生きていくのもありかと考えたんですがね、身分がわからないんじゃ、どうしていいか」


 タケさんは、俺の足元に群がってきていた小鬼を足で蹴散らしながら頭を掻く。


「どうだろう。思い出すまで、ここに置いてもらうのは」


 俺は、ポカンとした。


「いいんですか?見ず知らずの、しかも外から入り込んだやつを」

「置いてもらえるかどうかは聞かなきゃわからんが、まぁでも」


 いけるんじゃないかなぁと言いながらタケさんは俺を見て何度か頷いた。

 これはありがたい提案だ。正直、このまま船を下ろされたらどうなるかわからない。

 俺は、食い気味に図々しくもタケさんにお願いをした。


「是非ともそうさせてほしい。そのお偉いさんとやらに会いたいです」

「善は急げだな。この船の状態も報告しなきゃだし」


 タケさんは歩けない俺を配慮して、お姫様抱っこをしてくれた。


「タケさん、雑に扱ってくれて構わないので。これはちょっと」

「なんでだい」

「男がお姫様抱っこはちょっと」


 タケさんは豪快に笑ったが、運び方を変える気はないようだ。


 タケさんが歩き出すと小鬼たちは察したのか、彼の行き先にある扉を開けた。

 重い扉のようで、ぎぃっとゆっくりと開く。

 その先は廊下なのだろうか。足元に行灯が等間隔に並んでる。

 奥まで見えない。目を細めてもなにをしても、ぼんやりとしか見えない。


「暗いですね」

「あんた、目が悪いのかい?」


 目が悪い?どうなんだろうか。いや、単純に暗くて見づらいだけだろうと、思っていたが違うみたいだ。タケさんを見上げれば先ほどよりも目鼻立ちがはっきりと見えた。


「ふむ、どうやら悪いらしい。タケさんの顔がさっきよりはっきり見えます」

「ははっこんな間近で見られるのは、ちぃと照れくさいな」


 にっと笑った顔が、男前だった。

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