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9 マリーゴールド

マリーゴールドの花言葉「嫉妬」

令嬢はレイと親しげに話すメイドのエマに、レイは令嬢の幼馴染ケントに、そしてアリサはレイと打ち解けている令嬢に、それぞれ嫉妬心を抱く。そんな中レイの誕生日を迎え、令嬢は自らの気持ちを込めた詩を彼に贈る。

 十一月十四日 日曜日


 十一月の風は、もう冬の匂いを運んできています。

 曇った窓の向こうで、枯葉が静かに踊っている。

 明日はレイの誕生日。

 いつも彼には助けてもらっているので

 感謝の気持ちを込めて、何か贈り物をしたいと思います。

 でも、何をあげたら彼は喜んでくれるのでしょう。

 彼の好みを私は知らない。

 分かっているのは、本が好きだということだけ。

 それなら――。

 でも、こんな私が彼に贈り物だなんて、迷惑ではないかしら。

  



私は朝からずっと、本棚と睨めっこをしている。 

童話、詩集、小説――。

彼にはどの本が響くだろうか。

小説ならミステリー? 

それとも、恋愛ものかしら。


私は机の上の童話集に手を伸ばす。

濃紺に金の箔押し。

レイから借りた、古い異国の童話集。数カ月前に借りたまま、返す機会を失っていた。

いや、本当は――

彼の持ち物を少しでも長く、この手元に置いておきたかったのかもしれない。


栞の頁を開く。

私が贈ったハナミズキの押し花。

この栞を見るたび、私は勘違いしそうになる。

丁寧に処理された白い花びら、彼を想って選んだロイヤルブルーのリボン、栞の裏に書かれた、あの日の日付。

それらを栞という形で残し、大切にしてくれている。

「ずるい人……」

栞を指でなぞりながら、気づけば声が漏れていた。


栞の頁には、童話の一節が綴られていて。

それが私に向けられた言葉のような気がして、何度も何度も読み返した。

思い違いかもしれない。

でも、もし彼が私のために選んでくれた言葉なのだとしたら――。


胸の奥がじんわりと温かくなる。

私は思い立って、一冊の詩集を手に取った。

私が好きな、イリサ・タラッサの詩集。

この詩集は恋や幸福、希望、祈り。

そういった詩が多く綴られている。


この詩集を彼にプレゼントしよう。

私の想いを込めた詩の頁に、このハナミズキの栞を挟んで。

本を返すついでに渡してしまえば、きっと恥ずかしくないだろう。

私は童話集と詩集を重ね、それを胸に抱きしめた。



十一月十五日。

レイの誕生日は、朝から静かに雨が降っていた。

本を渡すなら、彼が執務室にいる時間がいいだろう。

レイはいつも規則正しく、決まった時間に紅茶を淹れ、決まった時間に掃除をし、決まった時間に事務作業をする。


彼が執務室にいる時間は、午後二時頃から夕食の準備が始まる夕方まで。

その間にこの本を渡しにいこう。

少し、名残惜しそうに本を眺める。


十時十分。

部屋のドアをやさしく叩く音と、柔らかなレイの声。

「お嬢様。ケント様がお見えになっております。本日は雨ですので、応接室にお通ししてよろしいでしょうか?」

「……ええ、お願いします」


ケントはいつも、連絡もせずにやってくる。

私が外出しないことなど、彼はお見通しなのだ。

普段なら庭のティーテーブルでお茶をするのだが、生憎の雨でそれは叶わなかった。

私は支度をし、応接室へ急ぐ。

「ケントさん……今日はどうしたの?」

「よう。元気だったか? 今日は、俺の誕生日に出席してくれたお礼と、これ」

ケントは可愛らしい白猫が描かれた丸い缶を取り出す。

「これ、ステラに似てると思ってさ。中身は紅茶なんだけど、お前紅茶好きだろ?」

「まあ、可愛い。ありがとう、ケントさん」

ステラそっくりの子猫の絵。

微かに香る、アールグレイ。

でも私の意識は、ケントの言った「誕生日」という言葉に引きずられていた。


誕生日のダンスパーティー。

その前日の、あの夜の記憶が鮮やかに蘇る。

甘くて幻想的な、月明かりのワルツ。

そして、星々をまき散らしながら舞った、熱く激しいタンゴ。

手袋を外した無防備な手のぬくもり。

すべてを溶かしてしまう視線、低く響く艶やかな声。

彼への想いに気づいてしまったあの夜は、今もなお、鮮明に焼き付いて離れない。


「おーい、大丈夫か?」

「え、ああ……ごめんなさい。少し考え事をしていて」

ケントの前だというのに、私は彼のことで頭がいっぱいになってしまう。

ケントはいつものように、仕事や趣味の話を私に聞かせた。

私は頷きながら、それでもケントの話はほとんど耳を通り抜けて、どこかへいってしまった。

ケントの話を遮らないようにレイがそっと紅茶を届けに来たその瞬間から、私はもう、彼のことしか考えられなくなっていたから。


「じゃあ、俺はそろそろ行くわ」

「ええ。お土産、ありがとう。大切にいただくわね」

ケントはいつもふらっと現れて、でも決して長居はしない。

お土産を渡し、ひと通り近況報告をしたらすぐに帰ってしまう。

その距離感が、私には心地良い。


ケントを玄関まで見送る。

彼は以前から、堅苦しいのは苦手だからと執事の見送りを拒むので、レイには構わないように言ってある。

私は応接室の片づけをことづけるためにレイのもとへ向かった。

食堂で昼食の用意をしているレイと――エマ。

何故か胸の奥がざわめく。


エマは大人っぽくて、上品で、レイと並んでいるとまるで恋人同士のようだ。

二人とも自然な笑顔で、和やかに何かを話している。

この空間に、私の居場所はないように思えてならなかった。

なんとなく声を掛けられなくて、私はそっとドアを閉めた。


応接室のティーカップ。

これくらい、レイに頼まなくても自分で片付けられる。

私はカップを手に取り銀のトレイに乗せる。

カップの中に一滴、涙が零れて落ちた。


レイとエマ。似合いの一対。

私はただの――お嬢様。


まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、私の肺には空気が満ちる一方で。

それを、吐き出すことができなかった。

苦しくて、倒れるように頽れる。

払った手がトレイを弾き、テーブルから落ちたカップが二つに割れた。

吸う事しかできない息は次第に私の意識を蝕んでゆく。


――ああ、このまま私は、死ぬのかもしれない。

そう思った。

でも、そんなときでさえ、私は彼のことを考えてしまう。

私が死んだら、彼は悲しんでくれるだろうか。

涙を流してくれるだろうか。

「愛していた」と、言ってくれるだろうか――。


もしそうなら、このまま死んでしまうのも悪くないと思ってしまった。

けれど私の身体は正直で、生きるための術を必死に摸索する。

カーペットに爪を立て、テーブルの脚を掴み、呼吸を取り戻そうと足掻く。

そうしているうち、いつの間にか吐くことを思い出した私は床に這いつくばったまま、笑いとも涙とも分からない嗚咽に喘いだ。


彼への想いを口にすることも、逃げ出すことも叶わない。

そんな私を、誰かが嘲笑っているような気がした。

脳裏にエマの顔がちらつく。

彼女は嗤って、こちらをじっと見つめている。

私との差を見せつけるように、レイの横で彼女は幸せそうな表情を浮かべている。

執事と、メイド。

隣にいたって不自然ではない。でも――。

彼の横に他の女性がいるのを見るのは、このうえなく辛い。


二つに割れたカップに目を向ける。

二輪の花の間で裂けたそれは、私とレイが隣に立つ未来などありはしないと、静かに暗示しているかのようだった。



午後二時三十分。

私は本を胸に抱き、迷っていた。

レイに本を渡しに行きたい。

でも、彼とエマの姿が頭から離れない。

私からのプレゼントなど、彼を困らせてしまうだけなのではないか。

そう思うと、身体が鉛のように重くて動かない。


けれど、今日は彼の誕生日。

年に一度の大切な日。

だから渡すなら今日でなくては意味がない。

本を持ったまま私は、部屋の中を行ったり来たりする。

ようやく覚悟を決めたのは、それから十五分後のことだった。


執務室の前。

私は深呼吸をする。

彼に借りていた童話集と、プレゼントの詩集。

栞を挟んだ頁には、私の祈りを託した一節の詩。

口にすることの許されない私の想いを、この詩が彼に届けてくれる。

彼がもし私の気持ちに気づいたら――。


言い訳は用意できていた。

ただ、ひとこと。

「私の好きな詩なの」と微笑むだけ。

“私の気持ち”ではなく、あくまで“私の好きな詩”なのだ。

これなら私は、罪にはならないでしょう?

祈るように瞼を閉じる。

覚悟を決め、ドアを三回、ゆっくり叩いた。


中からレイの返事が聞こえて、私は恐る恐るドアを開く。

「……お嬢様」

レイはすっと立ち上がり一礼した。

「あの……お邪魔じゃなかったかしら?」

「もちろんでございます。いかがなさいましたか?」

やさしい微笑み。

これは、執事としての仮面の微笑。

私に向けられるその眼差しも声も、すべては私という個ではなく、身分に対して与えられたもの。

それでも、私は愛してしまった。


どうしようもなく切なくなって、本を持つ手に力がこもる。

私はそれをゆっくりと、彼の前に差し出した。

「これ……借りていた本。返すのが遅くなってしまってごめんなさい。それと……これ、もしよかったら、お暇なときに。私の好きな詩集なの」

彼は受け取った本を大事に抱え、手のひらでやさしく表紙を撫でた。

私が触れた本がいま、貴方の手の中にある。

それだけで、胸の奥がきゅっと小さく音を立てた。


「お誕生日おめでとう」

そのひと言は、何故か言えなかった。

照れ臭かったのか、それとも何かを恐れていたのか。

ただ、彼は言葉にしなくても分かってくれる。

そんな気がした。


部屋へ戻ると、目の前で勢いよくドアが開き、中からアリサが出てくる。

「アリサさん……私に何か、ご用ですか?」

「あ……お、お姉様。少し……相談があって尋ねたんだけど、いなかったから……。でも、やっぱりもういいの。じゃあね」

アリサはどこか慌てた様子で、そそくさと自室に戻っていった。

部屋へ入り、机の上に原稿を広げようとして、私はふと違和を感じた。


机の上。

毎日欠かさず書いている日記。

部屋を出る前、確かに閉じたはずだった。

けれどその日記は開かれていて、レイへの気持ちを赤裸々に綴った文が目の前に曝されている。

何故――。

もしかしたら、アリサが?


いいえ。

疑うのはやめよう。

私の勘違いで、もしかしたら日記を閉じ忘れていただけかもしれない。

ああ、でももし、これをアリサが見てしまっていたら――。


底知れぬ不安が私に襲い掛かる。

なにか、恐ろしいことが起きてしまうような、そんな気がした。




 十一月十五日(月) 雨


 本日は、ケント様がお嬢様を訪ねていらっしゃった。

 一時間ほどでお帰りになられたが、

 その一時間が、私には途方もなく長いもののように感じた。

 応接室の前を通るたび、愉しげに笑うお嬢様とケント様の声。

 醜い感情が腹の底で蠢いているような気がした。

 しかし、それも午後になれば幾分か晴れたように思えた。

 お嬢様が私のために詩集をお持ちになったのだ。

 気持ちが穏やかに凪いだ。けれど――。

 栞の頁を開いた瞬間、私の胸は荒々しく波立った。

 これは私の勘違いでも、妄想でもない。

 そう思うには十分すぎるほどの確信が、私にはあった。




応接室。

私は静かに入室し、影のようにそっとカップを差し出す。

紅茶はケント様のお好きなキーモンをお出しした。 

しかし、私は歓談されるお嬢様の穏やかな表情を見た瞬間、心が乱れ、その乱れは指先にまで影響してしまった。

僅かに揺れた指先がカップに触れ、カチャリと小さな音を立てる。

幸い、お話しに夢中で気づいておられないようだ。


聞いてはいけない。

見てはいけない。

私はただ、貴女に付き従う名もなき影なのだから。

けれど私の足は、自分の欲望に忠実だった。

応接室の前を通るため、配膳室と執務室を無意味に行ったり来たりと繰り返す。

応接室の前ではほんの僅かに歩調を緩め、耳をそばだててしまう自分がいた。

いまの私は、まるで執事失格だ。


お嬢様は私を信頼してくださっている。

私の感情は、行為は、そのお心に背くもの。

強く拳を握りしめ、その手の中に感情を押し込んだ。


私は食堂へ向かい、エマとともに昼食のセッティングを行う。

カトラリーの配置は僅かな傾きも許されず、ナプキンの折り目はまるで彫刻のように美しく、そしてお嬢様のお好みに合わせて右手側にティースプーンをそっと添える。

その傍らで、エマはテーブル中央の花を整えていた。

鮮やかな黄色とオレンジのマリーゴールドは、それだけで食堂の雰囲気を明るくしてくれる。


「今日はお嬢様、食が進まれるといいですね」

お嬢様のお席から花が美しく見えるよう、エマは細部にまで手を抜かない。

エマを雇ってよかった。彼女のようにお嬢様を心から大切に思ってくれる人がいるのは安心だ。

「ええ……このところあまり、召し上がっていないようでしたからね」

テーブルセッティングを終え、私はサイドボードで最終確認を行う。

ソースの滴りを拭い、器の縁に塵ひとつないよう入念に見る。

今日も完璧な美しさと静けさを、お嬢様に。



午後二時三十分。

私は執務室でひとり、帳簿をつけていた。

そのとき、ふとドアの向こうに人の気配を感じる。

しかし、一向に部屋へ入ってくる様子はない。

不思議に思いながらも、私は目の前の帳簿に集中した。


少しして、ドアを三回、ゆっくりと叩く音がする。

緊張と戸惑いが交じり合った音。

この叩き方をするのはただおひとり。

「どうぞ」という声が、少し柔らかくなる。

「あの……お邪魔じゃなかったかしら?」

お嬢様は遠慮がちに中へ入ってこられる。

その両手には、本が二冊。

一冊は見覚えがあった。

私がお嬢様にお貸しした、古い童話集。


彼女は私に童話集を返すと、ついでのようにもう一冊を差し出す。

「私の好きな詩集なの」

私は、本当はこの詩集が本題で、童話集の返却の方が“ついで”なのではないかと推察した。

詩集を持つ彼女の手が、あまりに可愛らしく震えていたから。

「ありがとうございます。お嬢様」

彼女は何も言わなかった。

しかし、私にはこれが誕生日のプレゼントのように思えた。

受け取った本に手のひらを滑らせる。


深い緑の表紙。

イリサ・タラッサ――聞きなじみのない名だ。

私も詩集はよく嗜むが、この著者には覚えがなかった。

しかし、彼女の心を動かしたものだ。

きっと、とても繊細で美しい詩なのだろう。



午後十時五分。

静かな執務室。

私は返された本を棚に戻し、ふと机の上の詩集を手に取った。

何気なく頁を捲る。

そこに、ひとつの栞が挟まっていた。


お嬢様の感謝のしるし、ハナミズキ。

その想いを留めておきたくて拵えた、世界にたったひとつの栞。

そして、その頁に記された詩の一節。


 『祈りの灯』


 夜の帳が降りるころ

 私はそっと窓辺に灯をともす

 誰にも気づかれぬよう、ちいさな灯

 けれどそれは、確かにあなたを想う光


 言葉にならぬ想いは湯気立つ紅茶に溶け

 カップの縁を指先がなぞるたび

 あなたのぬくもりが心をよぎる


 本のページをめくるたび

 私はそこに、あなたの声を探す

 目で追う文字の裏に、

 あなたのやさしい眼差しが浮かぶ


 静かな夜にただひとつ

 私を灯してくれるのは

 あなたの言葉―あなたの存在

 まるで迷い鳥の空に差す、まるい月のように


 だから私は、今日も灯をともす

 あなたに気づいてほしくて

 この窓のむこう、あなたの空のどこかに

 きっと届くと信じながら


読んだ瞬間、胸の奥から何かが込み上げる。

どうしても声になりそうなそれを、咄嗟に片手で口を覆って堪える。

その意味を私は、否応なく理解してしまった。


震える指先で栞をそっと撫でる。

この詩も、この栞も、偶然などではない。

私が、そうだったから。


あのとき彼女に貸した童話集。

私の想いを閉じ込めた頁に、そっとこの栞を挟んだ。

あのときの私と、同じではないのか。

「……貴女は……」

それ以上、言葉にできず、ただ静かにページを閉じた。


この想いを受け取ってしまえば、私はもう、後には戻れなくなる。

しかし、知らぬふりをするのはあまりにも酷だ。

私は、どうしたらいい――。

問うても、答えが返ってくることはない。

静かな執務室に、心臓の音だけが煩く響く。



翌日、私はいつものようにお嬢様方へ朝のご挨拶に伺う。

お嬢様の部屋の前で、ドアをノックしようと伸ばした手が僅かに強張った。

大丈夫。

普段通りに優しく微笑み、静かにご挨拶申し上げる。

それだけでいい。

私が、最も得意としてきたことだ。

自分に言い聞かせるように、何度も心の中で呟く。


もしお嬢様が昨日の詩のことを追求されたら、私はなんと答えるだろう。

ただ穏やかに「素敵な詩でした」と、そんなありきたりな台詞を言ってしまえばいいのだろうか。

“貴女の気持ちに気づいています”とは、口が裂けても言えない。

しかし、最も言ってしまいたい言葉でもある。

その気持ちに応えることを許されない私は、彼女をいたずらに苦しめるような無責任な男になり下がりたくはない。


小さく息を吐き、静かにドアを叩く。

「おはようございます、お嬢様。昨晩はよくお休みになれましたか?」

窓の外を眺めていた彼女の肩が小さく跳ねる。

振り向いた彼女の視線は、宙を蛇行しながらゆっくりと私へ向けられた。

「おはよう、レイ。あの……良い朝ね。よく晴れて。今日はお庭を散策したら気持ちが良さそうだわ。そうだ、午後のお茶は外のティーテーブルでいただこうかしら……」


お嬢様はお気づきだろうか。

緊張を悟られぬよう言葉数が増えてしまう、ご自身のその癖を。

私があの栞のページを読んだか、気になっておいでなのだろう。

しかし私は、貴女のその癖に気づかぬふりをして答えよう。

「それはようございました。では、午後の紅茶はお庭へお持ちいたします」

お嬢様は少し安堵したご様子で目を伏せられた。

緊張したときの声の震え、そして緊張の糸がふっと解けたときの睫毛の揺れ。

愛おしさが口をついて出そうになる。

私はきゅっと唇を結び、深く一礼した。

 

続いて私は、アリサお嬢様のお部屋へ向かう。

「おはようございます、アリサお嬢様」

朝に弱い彼女は、私がご挨拶に伺うといつも寝間着姿でいらっしゃる。

けれど今日は彼女お気に入りの黄色いワンピースをお召しになり、御髪も整えられていた。

頭の上でぴんと張った大ぶりのリボンが、彼女の気位の高さを象徴している。

「おはよう。今日はオレンジジュースをいただける?」

「かしこましました」


アリサお嬢様はお目覚めに紅茶ではなく、オレンジやカシスなどのジュースをお召し上がりになる。

グラスにオレンジジュースを注ぐ私を、彼女は静かに眺めていた。

「お待たせいたしました」

グラスを受け取った彼女はそれをひとくち含み、ちらりと私に視線を向ける。

「ねえ、あなたとお姉様って……」

言いかけて、彼女は口をつぐんだ。

視線が僅かに揺れる。


ジュースをもうひとくち飲み下し、彼女は小さくかぶりを振った。

「……やっぱり何でもないわ。そんなわけないもの」

「では、失礼いたします」

ドアを開ける私の背後で、彼女は小さく呟いた。

「では、これはお姉様の――……」

聞こえるか聞こえないかの、微かな呟き。

それが私の耳を確かに掠めていった。


“お姉様の片思い”


アリサお嬢様は気づいておられる。

私は心の中で、声にならない悲鳴をあげた。

――お嬢様、どうか。

どうかもう、その健気な瞳で私をお見つめになりませんよう。

その視線は破滅を呼ぶ行路となり、その微笑みは崩壊を迎え入れるかいなとなる。

アリサお嬢様の部屋を出たところで、お嬢様が私室から出てこられた。

私に気づくと、彼女は微かに瞼を細め、弓なりの瞳がやさしく揺れた。


嗚呼、けれど――。

私はこの微笑みを責めることなどできはしない。

破滅がまっすぐに貴女のもとへ向かうなら、私はすべてを差し出してでも貴女を守ると誓おう。

それが私の忠誠。

それが私の――愛。

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