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くじらの唄  作者: 音夢
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8.納谷 忠司(なや ただし 45歳)

「お疲れさまでした、お先に失礼しますー」

 ピッと腕のデバイスをかざして退勤する。

 

 いつものように近所のスーパーに寄り、まずはお酒コーナーで350mlの6缶入り発泡酒をカゴに入れるとズシリとした重みがハンドルから伝わる。

 そのまま、弁当コーナーに行き赤い30%引と貼られている弁当と朝ごはん用のおにぎりを適当に選んで帰宅する。


 町の金型工場でエンジニアとして働き、安アパートで割引弁当を食べ、安い発泡酒で流すだけのルーティン。


 慣れた手つきでプシュとプルタブを上げて元に戻す。

 こうやって毎日を生きてどれくらいになるだろうか?大学の頃に夢見て立ち上げた事業はあっという間にこの発泡酒の泡のように消えてしまった。


“バーチャル世界は人を助けるようになる。“


 そう信じて研究室で仮想世界の研究に没頭していた、大切な恋人もいた、俺の話す青臭い夢をいつも笑顔で聞いてくれた。

 

 現実世界よりも仮想世界に入り浸り、友人と呼べる人がいないわけではいが、どこか自分とは違う次元にいるような曖昧な感じの物だった。

 世間の思う回答通りに生きて、対応できないとあいつはダメだと離れていく不明瞭で細い繋がり。

 

 だからか、ゼロとイチの世界のようにわかりやすい世界観がとても楽しかった。

 研究に没頭しすぎてろくに睡眠と食事も取らない日が多かったな、と思い返しながらビールをぐいっと流し込みながら弁当の端に入っているポテトサラダを食べる、君の得意料理だったなぁ。


 たまたま、研究室の前を通りかかった時に俺が中でぶっ倒れているのを発見してくれた。大丈夫だよと言うのと同時にぐぅぅぅ~と腹の虫にさえぎられ、慌てて自分のお弁当のポテトサラダを俺の口にいきなりねじ込んだからか、一瞬三途の川がチラ見えしたけど……。


 それからというもの、君は毎日ひょこっと2つのお弁当と共に現れ、あの時の事を思い出しては大笑いしていたな。人ってあんなにデカい音がでるんだねって。


 あまり人と関わるのが得意ではなかった俺を「外の世界もね、とても素敵なんだよ。」と手を引っ張ってくれた。

 曖昧な世界が、単色だと思っていた世界は虹よりも多くの色と温かさであふれているのを思い出した。


 積極的に人と関わることになってからは、教授からの評価もよくなり、進められて学生起業構想プロジェクトに参加した。

 研究していたものに多数の支援者が表れて信頼のおける友人たちと会社を立ち上げることにした。

 

 順風満帆だと勘違いしていたし、俺はなんでもできると勝手に思い込んでいた。

 実際はただの裸の王様だった。


 支援金は友だと思った人たちにすべて持ち逃げされ、プロジェクトデータは他社に流されていて特許申請も出したもの勝ちとなり、水をかけた綿あめのように一瞬にしてすべてが溶けて流れていった。


 俺はすべてを信じられなくなりどうでもよくなって大学院を辞め恋人にも告げず行方をくらました。


 苦くて、青く若い愚かな自分。世界は単色に戻り信用していたゼロイチの世界も失った。

 もう、どうでもよかった。


 雨の中ただ公園のベンチにうなだれていたところ、おっちゃんがたまたま通りかかった。寒そうだな!おれん家に飲み行くぞにぃちゃん!とネコみたいに首根っこをつかまれて強制連行された。


 どうでもいい、どうせ一夜限りだろうとすべて暴露した。


 そんな俺の話をおっちゃんはバカだなとあざ笑う事もなく、ただただ聞いてくれた。

 今夜は泊って行けよとおっちゃんに引き留められた、おばちゃんも嫌な顔せず心の中に踏み込まずそっと見守ってくれていた。そうやって、おっちゃんと毎晩飲んで、おばちゃんの優しさに触れていく内になんとなく頑張ろうと思えるようにまでになった。


 恩返しがしたいと悩んでいたときに、おっちゃんの工場は人手が足りないと洩らしていたので履歴書をもって行ったら、社長だったのには驚いてあうやくスライディング土下座をするところだった。

 過去に戻って気軽におっちゃんって呼んでいた自分を殴りたい。


 いつも古風なキセルから煙を吐き出し、がははっと笑いながらバシンバシンと背中を叩く強い手。

 おばちゃんはいつもニコニコしながら、そっと俺の好物のポテトサラダを多めに盛ってくれる温かい手。


 あの時、君が「外の世界もね、とても素敵なんだよ」と手を引っ張ってくれてから時間がかかったけど、やっと気が付けたのかもな。

 仕事も安定し、安アパートで暮らせるようにまでなり、今ではおっちゃんの工場で金型のエンジニアをしながら便利そうなシステムを作成しては導入している。


 入退勤と給与形態をウェアラブルデバイスで一括管理したりと何だかんだシステムの世界をまだ楽しんでいるし、今は俺の頼りない手でプログラミングを打ち込むことが身近の人達みんなの助けになっているのがうれしい。


 さて、次は受注システムへ組み込むAIに取り組むかなっと、ホログラムタブレットを表示し指をスイスイと動かしていたら、テレビから君の名前が聞こえて顔をあげた。


『それでは、カグラコーポレーションの創業者である神楽かなえさんにご登場いただきます。』

読んでいただきありがとうございます!


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