5.かぐら しおん(5さい)
古いアパートから団地というところに引っ越した。
前のところと違って、ここはあちこちに人がいる、引っ越しのトラックに揺られながらそう思った。
窓にぴたりと頬をつけて少しひんやりとしたガラスとぶるぶると伝わる振動、体に張り付くシートベルトはガタゴトと揺れるたびピーンピーンと引っ張る感触を楽しんでいた。
ママに肩をトントンと優しく叩かれる、どうやら目的地についたらしい。
今日からここが新しいおうちよ、とママが手を動かして伝えてくれた。
お引越ししたらお隣さんにあいさつするのよと教えられ一緒についておいでママの片手には紙袋ともう片方の手で私の手をぎゅっと握ってくれた。
人に会うのは好きではない、音は聞こえないけど人の目はみんな同じだったから。カワイソウ。大変ネ。という目で見てくる。
大人たちの言っていることがよくわからなかったので、
―なに いってるの?―
と、言っていた事を聞こうとすると、ママはいつも少し悲しそうな顔を見せてからすぐに微笑んだ。
―なんでもないよー
と、手を動かす。
大人の口を見るとみな同じ動きをしている。
カワイソウ。
大変ネ。
この口の動きは悲しい言葉なんだと思った。この動きをするときに大人は必ずチラッとこちらに目を向けてから言うので、私の事を言っているのだと知っていた。
そして、子供も大人と同じように口を動かすのである。
私は悲しい言葉を向けられて、ママにはいつも少し悲しい顔をさせてしまう。
私はいない方が幸せなのではないだろうか、引っ越しの荷物でいらなくなったゴミと同じようにいらない子なのではないか。
ママの悲しい顔をみたくなくて、いつも後ろに隠れていた、帰ろうよと言いたいのを我慢してスカートの裾をぎゅっと握りしめて少しでも早く終わりますようにと祈る。
わからないフリをして笑うようにしたらいいんだとどこかであきらめていた。
あの口の動きがみたくなくて、足元を見ていたがまだ終わらないので、周りを見ることにしてみた。
そこで、ひょこっと部屋の角から男の子が見ているのに気が付いた。と思ったらしゅっと引っ込んでしまった。
少ししてまた男の子がブルーのランドセルを背負って近づいて何かを言っている。
けども、何を言っているのかわからない。
でも、カワイソウ。大変ネ。の口の動きではなかった。初めての口の動きにどうしたらいいのかわからなくてきょとんとしていた。
男の子のニコニコとしていた顔が徐々に黒くしょんぼりとしていく、さらにどうしていいのかわからなくなり、どんより黒くなったと思ったら急にかーっと赤くなった男の子は部屋の中に走って戻って行ってしまった。
家に帰ってからママにひびきくんはランドセルがかっこいいでしょと見せてくれたということを教えてくれた。
そうなんだ、でもいつか他の大人のようにひびきくんの口が動いてしまうと思うと少し悲しくなった。
翌日、お絵描きをしているとママが肩をトントンとしてきたので、どうしたのだろう?と思って上を見上げた。
―ひびきくんが あそぼうって いってくれているよー
何を言っているのかわからなかった、するとママの後ろに誰かいるのに気が付いて、びっくりした。
ひびきくんがどうしているの?
いっしょにあそぶ?
わたしはカワイソウ大変ネな子なのに?
混乱していると、ひびきくんがトトトッと近づいて、私の顔と絵を交互にみてから、絵を指さしてから彼自身を指さしてからぐりぐりと空中に円を描いた。
もしかして、いっしょにおえかきしようってこと?
恐る恐るクレヨンを差し出してみると、ひびきくんはパァァっと太陽みたいな笑顔になってちょこんと隣に座って一緒にお絵描きをしてくれた。
初めて、カワイソウ大変ネと言わなかった人がいた。
口の動きではなく、がんばって自分なりに手を動かして伝えてくれる人がいる。
じーっと見ていたら、ひびきくんはこちらを見てへへっと笑い、じわりと心の中が温かくなるのを感じながら一緒に笑った。
2つのニコニコ笑顔が静かに机に向かって絵を描いていた。
読んでいただきありがとうございます!
ブクマ、感想、評価は作者の励みになりますので、よろしければどうぞページ下部をぽちっと!何卒!何卒ぉぉぉおお!