1.神楽 詩音(かぐら しおん 19歳)
きれいなくじらの唄声が聴こえた。
最初は何がなんだったのか理解が追い付かなかった。
「音」というものを初めて聞いたからだ。
わたしの世界はいつも静寂に包まれていた。
ずっと、あるのは体に伝わる振動とホログラムパネルに浮かび上がる文字によるオトやコトバ。それらを文字として認識はできたが、文字として見えないモノの音はわからなかった。
それなのに、音を知らなかった私の世界に突如現れた唄。
頭の中では、どうしてそれが唄だと思ったのかはわからないけども、早まる鼓動が、心がそうだと確信していた。
幼かったあの日、どこからともなく空から降り注ぐくじらの唄声を聞いてから、私の世界に春の風が吹き込むように広がった。
あの空のどこかに行けば音が聞こえるのだろうか。音を拾うことのないこの耳で聴けるのだろうか?
時を経て今はとても、便利な世の中になった、音のない世界の人でも今はAIによってスマホ、ウェラブルに内蔵されたモーションセンサー、ホログラムレンズでカイワができてしまう。
相手が話したコトバを文字としてレンズに流れ、私の手のモーションが声や文字となり相手に伝わる。
だからカイワに困ったことはなかった。
世界を見渡せば、AI、VR、ARのおかげでみんなレンズをつけて今ココでない場所を視て、イヤホンで今ココでない音を聴いている。
毎朝乗る電車はどんな音をしているんだろうか?一定間隔に伝わるこの振動の音はどういうものなのだろうか?
後ろからの車に気が付かなくて、よくクラクションを鳴らされる。
わたしの知っているクラクション音はいつもレンズに表示される、
[クラクションー周辺注意ー]
という文字でしかなかった。
初めて車の免許でクラクションを鳴らした時の振動で、わたしの中にあった[クラクション]がただの文字から手のひらをブルブルと振動する響きに変わった。
この世界にどれだけの音があふれているのだろうか?
映画のBGMもわたしは[♪~]という表記でしか知らない。
エンディングで流れるのは一体どんなメロディーなのだろう?字幕に映し出される歌詞しかわたしは知らない。
あのくじらの唄をまた聞きたいな。
いつものように、ぼーっと空を眺めながら考えていたら、ふいに肩をトントンと優しい振動が伝わってきた。振り向くと、頬に指がぷにっとうまった。
う……こんないたずらを未だにするのは、幼馴染の神守 響。
ケタケタと笑いながら響は口をゆっくりと動かしつつ手や指を動かした。
―なに してたんだ?―
いたずらっ子の顔のまま聞いてくる響。
響は私とは違って音が聞こえるのにも関わらず、手でわたしと会話をしてくれる。
AIが発展してからもっと楽に話せるのに、どうして?と聞いたら
―だって じぶんじしんの コトバで つたえたいじゃんー
ニカッと笑って返された。
まだAIが普及してなかった頃は、母親以外と話すことはなかった、だって誰も手話がわからなかったから。
響だけは、違った。毎日、毎日覚えてきた手話を披露してくれた。
とても、変な子だと幼い私は思っていた。
でも、向き合って話しているのはとても心地がよかった。AIが発展した後も彼と母親だけはいまだに手話で伝えてくれる。
わたしも手を動かして伝えた。
―くじらのうたが きこえないか みてたのー
響も空を見上げてからこちらと目を合わせてから手を動かす。
―よくいってたね その くじらの うた おれもききたいな―
こういう、響の人を否定せずに話をしてくれるところを昔から尊敬している。
―きいたことがないっていったら あたりまえなんだけど このよのものではないのかなって おもう とても きれいな うたなのー
響はいたずら顔からふっと優しい笑顔を見せた。
―おれも きいてみたいな このよのものとはおもえない うたってやつを―
普通なら馬鹿にするような事も、響だけは受け入れて聞いてくれる。ちょっと変だけども。
母親と響以外の世界はとても悲しみが多かった。
耳が聞こえなくても口の動きでなんとなく言っていることはわかっていた。
キコエナイなんてカワイソウ
オ母サンも大変ネェ
普通ジャナクてカワイソウ
ドウセきこえナイッテ
聞こえなくても見えている言葉にたくさん傷ついた。
そんな時にあなたは境界線を引くこともなく対等でいてくれた、その優しさに救われた。
ふっとそんなことを思い出しながら話していたら、響が
―くじらといえば このちけっともらったから れぽーとあけ いかない?-
水族館のチケットを2枚見せてくれた。
OKの手の動きをみて、親指をぐっと出し、ニカッとまぶしい笑顔を向けてくれる。
しかし、そのお日様みたいに明るい笑顔はずるい、少しドキッとしてしまった。