134.新魔王誕生
魔獣ヒュドラの前に立ちはだかったゴリ族の男。
仲間はいるようだがほんの数名。たったこれだけでレーガルト騎士団の二部隊を軽く捻り潰した恐るべき魔獣に挑もうとしているのか。ファーレンが言う。
「あ、あなたは一体……、危険なので逃げてく……」
「良かった。まだ息はあるようだな」
少しだけ顔を後ろに向けそう笑顔になるゴリ族の男。周りは倒れた騎士団員達の山。圧倒的圧を放ちこの場の王者でいるヒュドラを前になぜ笑っていられるのか。ファーレンが大声で言う。
「騎士団の命令です。危険ですから早く逃げて下さい!!!」
この時になってようやくファーレンは、腕の中にいる父ボーガンが弱々しく腕を上げていることに気付いた。ゴリ族の男、ゲインが苦笑気味に言う。
「よお、ボーガンの爺さん。随分久しぶりに会ったのに、どうしたんだ? 死にそうじゃねえか」
「!!」
ファーレンはその言葉を聞き鳥肌が立った。父ボーガンの知り合い。つまり目の前の男は父が『レーガルト騎士団最強の男』だと知って声を掛けている。ボーガンが答える。
「馬鹿言え。ちょっと休んでいるだけだ……」
あれほど虫の息だったボーガンが笑っている。彼は会った瞬間に規格外のその男の正体に気付いていた。
「……回復」
「あっ……」
後方から掛かる回復魔法。とても優しく温かい。まるで天才僧侶と呼ばれたルージュのような柔らかな魔法。振り返ったファーレンが言う。
「あ、ありがとうございます。どなたか存じませんが感謝します……」
それはピンク色の髪をした女性。そしてファーレンはその女性の髪に無色透明で七色に光る花を見て唖然とした。
(あ、あれは僧侶の悲哀花!? しかもまさかダイアモンドフラワー??)
天才僧侶ルージュですら金色の花。それを上回る逸材だというのか。更にその隣に立つ金色の髪の少女を見てさらに驚く。
(彼女の肩に止まっているのは、まさか魔子……??)
魔導書でしか見聞きしたことのない魔子。しかしそのひしひしと放出される魔力は恐ろしいほど深く強い。ゲインが前を向いたまま言う。
「動けるようになったのなら下がってな。邪魔だ」
「き、貴様!! なんて言葉を!! 我々が誰だか知ってるのか!!!」
ゲインの言葉に怒りを表したファーレン。だがすぐにボーガンが息子を宥める。
「下がるぞ」
「え? 父上、そうは言ってもたったひとりじゃいくら何でも……」
ボーガンがファーレンの腕を掴んで後退しながら言う。
「勇者が下がれと言ったんだ。黙って従え」
「父上……」
意味が分からなかった。
歳は取ったがあの最強と称えられた父親が戦においてこれほど相手を信用するとは。勇者とは一体?
だが彼らの戦いを見てファーレンの考えが一変する。ゲインが言う。
「行くぞ」
その言葉で彼の仲間達が瞬時に戦闘態勢に入る。
「グウオオオオオオオオ!!!!」
ヒュドラが咆哮しながら九つの頭で攻撃を開始しる。
(危ない!!!)
佇立したままのゴリ族の男。だが微動だにしない。ヒュドラの鋭い牙が彼に迫る。
ガン!!!!
どこから来たのだろうか。一瞬でゴリ族とヒュドラの間に入った鎧の仲間が盾を持ってヒュドラの攻撃を受け止めた。
(すごい……、あんなに小柄なのに一体どこにそんな力が……)
見た目は背も低い小柄なタンク。だが見上げるような巨体のヒュドラの攻撃を受けてもびくともしない。
(!!)
そんな見事なタンクの動きに見惚れていたファーレンは、背後から放出される規格外の魔力に背筋を凍らせる。
「これは……」
振り返った目に映るのは金色の髪を逆立て、魔法の杖を前に詠唱を唱える少女。仲間を信頼しているのか、全く怯える様子もなく詠唱に全集中している。
「火炎の槍!!!」
「閃光の槍!!!」
「風廻の衝撃!!!」
(え、脳内詠唱?? いや一度詠唱しただけでこれだけの魔法を同時に!?)
リーファの周囲に発現する様々な色の魔法陣。そのすべての魔法陣から他属性の魔法が一斉にヒュドラへと放たれる。
ドン、ドドドドオン!!!!!!!
マルシェの防御に攻めあぐねていたヒュドラが、魔法の連続攻撃を受ける。叫び、咆哮するヒュドラ。この時点で九つあった頭は既に残りひとつ。だが破壊と同時に再生を始めるヒュドラの頭。
(ダメだ!! 残りも潰さなきゃまた振り出しに……)
そう心で思ったファーレンの目に、そのゴリ族の男が天高く跳躍する姿が映った。
――綺麗だ
その光景を彼は一生忘れることができなかった。後に騎士団長となり国を率いることになる彼が後世に語った言葉である。
真っ赤なオーラを身に纏い天高く跳躍したその男は、持っていた赤き剣で残ったヒュドラの頭を真上から地面に向かって斬り落とした。
ドオオオオオン!!!!!
ヒュドラは声も上げられずに真っ二つに切断された。
地面に降り立つと同時に赤き炎で燃え上がるヒュドラ。暴れれば国を滅ぼすとされる上級魔獣ヒュドラをたった数分で沈めた者達。呆然とそれを見つめながらファーレンが父に言う。
「あの者達は一体……」
ボーガンが笑いながら答える。
「言っただろ。あれが勇者だって」
「勇者……」
ファーレンは体が震えた。圧倒的強さを誇る者達。その振舞い、オーラ。すべてが想像以上である。ヒュドラを一刀両断にしたゲインが剣を収め、歩いて来る。
「大丈夫かい?」
ボーガンが立ち上がって答える。
「ああ、お前の所の僧侶に治して貰ったよ」
そう言ってゲインとがっしりと握手をするボーガン。その後ろでは顔を赤らめて喜ぶシンフォニアの姿。ボーガンが言う。
「以前にも増して強くなったな」
「まあ、そうかな。色々あったんでな」
「それが今のお前のパーティか?」
「ああ」
「スティングの頃に……」
そこまで口にしたボーガンの言葉を遮るようにゲインが大きな声で言う。
「ああーーー!!! そうそう、そっちのはあんたの息子か??」
そう言ってゲインがボーガンの隣にいるファーレンを見つめる。ボーガンは一瞬戸惑ったがすぐに頷いて答える。
「ああ、愚息のファーレンだ。よろしく頼む」
ゲインが手を差し出して言う。
「ゲインだ。よろしく」
「あ、はい」
ファーレンはゲインの手を握って思う。
(すごい硬くて分厚い手……)
全てが想像以上の男。そのゲインが皆に言う。
「俺の今の仲間だ。よろしくな」
そう言ってリーファ達を紹介する。リーファがゲインに尋ねる。
「なあ、この爺さんが今の騎士団長なのか?」
「リ、リーファちゃん!?」
その言葉に驚くシンフォニア。ボーガンが笑って答える。
「ああ、このジジイが騎士団長だぞ。お嬢さん」
「うむ、そうか。どうぞよろしく」
「ああ、よろしく」
そう言って握手をするふたり。シンフォニアもマルシェもハラハラしながらその光景を見つめた。
「……なるほど。それほど魔物の動きが活発になっていたのか」
先にルージュから聞いてはいたが、改めて騎士団長の口から聞いたゲインが真剣な表情で言う。ボーガンが言う。
「そういうことだ。ゲイン、お前も魔物鎮圧に手を貸してくれ」
「無論だ。たださっきも話したが魔王がどこに居るのかが分からない。何か心当たりはないか?」
腕を組んで考えたボーガンが答える。
「残念だが俺じゃ分からん。なにせあのヒュドラですら全滅しかかったんだ。それ以上の魔王など会ったら死んでるわ」
その言葉に皆が苦笑する。ファーレンが尋ねる。
「あの、ゲインさん……」
「ん、なんだ?」
ファーレンが真剣な顔で言う。
「ゲインさんは勇者なんですか?」
それに小さく頷いて答える。
「ああ」
「ちょっと待った! 私も勇者だぞ! 魔法勇者リーファだ!!」
抜け駆けは許さぬとばかりにリーファが大きな声で言う。ゲインが頭に手をやり笑って言う。
「ああ、そうだったな! 俺とお前が勇者だ」
「勇者がふたり。そりゃ強い訳だ。あはははっ!!」
ボーガンが腹に手を当てて笑う。
たった数時間。副団長ファーレンが勇者パーティと過ごした時間。だがその濃厚で熱い時間は、この先の彼の人生を豊かにそして有益なものとなった。
王都に向かったゲイン達。その背中を見てファーレンは無意識に頭を下げていた。
(団長が、ルゼクト団長が亡くなっただと……!!)
その悲報を聞いた白銀の髪の男、ヴァーゼルは眩暈がするほど動揺していた。有能な自分に相応しい強力な兵を預けると言っていたルゼクト。その約束が果たされる前に帰らぬ人となってしまった。
そんなヴァーゼルの元に、黒いローブを着た人物が訪れる。
「ヴァーゼル様。これはルゼクト団長からお預かりした物です」
そう言って砂のようなものが入った袋を手渡した。首を傾げるヴァーゼル。堪らず尋ねる。
「何なのだ、これは?」
「ルゼクト団長からのお言葉を伝えます。『この粉を新月の夜に天高く撒け。その場所は……』
ヴァーゼルが黙ってそれを聞く。
「『王立墓地』です」
ヴァーゼルは無言で頷きその袋を受け取る。
そして迎えた新月の夜。
黒いローブを纏った白銀の髪の男ヴァーゼルが、レーガルトにある王立墓地にひとりやって来た。真っ暗な夜。虫の鳴き声だけが闇夜に響く深淵の闇。ヴァーゼルは騎士団、それも幹部以上が埋葬されているエリアに立ちひとりつぶやく。
「この行為が一体何を意味するのか分からない。だがルゼクト団長は約束を必ず守る男。私のことを思って、死してなおこのような配慮をしてくれたのだろう」
ヴァーゼルは今は亡き魔法団長に祈りを捧げる。そして袋開け、中に入っている白い粉を手で掴むと天に向かって投げるように撒き始めた。
(私は、私が再びっ!!!!!)
ヴァーゼルの夢。それは再び騎士団長に返り咲き、皆の憧れであり続けること。民から慕われ、部下から尊敬され、そして想いを寄せるルージュと一緒の時を過ごす。そんな華やかな日々を思い描いていた。だがそんな妄想が音を立てて崩れていく。
「え?」
すぐに異変を感じ取ったヴァーゼル。
何も居ないはずの地面がもくもくと動き始め、信じられないことに『何か』がそこから現れた。
「な、なんだ、これは……!?」
それは鎧を纏った兵士。だが一見して分かる命無き生きる屍。それが墓地のあちこちの地面から這い出して来た。顔を真っ青にしたヴァーゼルが恐怖に駆られながら言う。
「わ、私は知らない!! こんなこと、私には関係ない!!!」
そう叫ぶとひとり逃げるように墓地から立ち去って行った。
そしてその白き粉は歴代騎士団長、更にはそこに隣接していたあの人物の埋葬地まで飛散していた。
ゴゴッ、ゴゴゴゴッ……
地面から這い出して来るその人物。十年ぶりの空気をしっかりと肺に入れ小さくつぶやく。
「すべてを破壊する……」
立ち上がった赤髪の男。
その足元にあった墓標にはこう刻まれていた。
【世界を救いし勇者スティングここに眠る……】
後に厄災と呼ばれる新たな魔王が、ここレーガルトの地に静かに誕生した。