119.ゲイン、公開質問を受ける。
魔界とか異界とか呼ばれ人々から畏怖される場所。その忌むべき大地でその魔族は、悠久とも思える時間を体が引き裂かれるような激痛と戦っていた。
「もうダメだ。これ以上は耐えられない……」
白目をむき口からは泡が溢れ出す。とても『魔王』を名乗っているとは思えない憫然たる姿。禁呪と呼ばれ、魔界ですらその理を逸脱した『魔王強化』の儀式。長い魔界の歴史の中でもその成功例はほとんどない。
駆け出しの魔王たる自分では不可能だったかとサーフェルが意識を失いかけた時、それはついに降臨して来た。
――俺の力を貸してやる。勇者をぶっ殺せ!!
サーフェルの頭に響く低く怨念すら感じさせる声。同時に体が軽くなり意識がはっきりとしてくる。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
ひとり立ちあがったサーフェル。
全身から溢れる力。まるでこれまでの自分が消えてしまったような感覚。だが頭は驚くほどすっきりしている。
「勇者ゲインっ!!! この俺様がぶっ殺してやるぞおおおお!!!!!!」
右手を大きく上げ咆哮するサーフェル。
その姿はもはやこれまでの彼とは違い、荒々しくそしてより野望に満ちた者へと変貌していた。
「ゲインさん、この度は本当にありがとうございました」
その日の夜、勇者パーティを夕食に誘ったレイモンドが、改めて娘を救ってくれたことについて感謝の言葉を述べた。
レイモンド商会の広く煌びやかな食堂、テーブルに並べられた豪華な料理。いつもなら目の色を変えてそれを見つめるリーファ達だったが、今日は全く別の『もの』をじっと見つめていた。マルシェが小声でシンフォニアに言う。
「ねえ、シンフォニアさん! 何だか全然知らない人が座っているようで変な感じがしますね!」
マルシェやシンフォニアの視線の先には人間に戻ったゲイン。これまでのゴリ面もある意味イケメンだったが、それとはまた違ったいい男である。シンフォニアが言う。
「うんうん、でもゲインしゃん、と~っても渋オジでイケおじでぇ~、すっごく素敵ですぅ~、ふにゃにゃぁ~」
ゲインだったら何でもいいのか、とマルシェが内心ツッコむ。とは言え確かに今のゲインは短めの黒髪にすらっとした頬、鋭い眼光は幾つもの死線を乗り越えてきたものであり、ある種男の色気すら感じさせる。マルシェがため息をつきながら言う。
「でも昔のゲインさんって一体何をしていたのでしょうね。ここのお嬢さんともお知り合いのようですし……」
ゲインに助けられたレイモンド令嬢チェルシーは、食事が始まってからずっとゲインの隣に座りべったりくっついている。シンフォニアが言う。
「え~? 知り合いと言うかぁ、今日助けて懐かれちゃったんじゃないんですかぁ~??」
「そうなのかな……、どちらにしろどうしてゲインさんの周りにはどうして、こう魅力的な女性ばかり集まって来るんでしょうね……」
マルシェが知っているだけでも数え切れないほど様々な女性が現れている。もちろん隣のシンフォニアやその隣のリーファもそれに当たる。シンフォニアが答える。
「うう~ん、だってゲインしゃん、本当に素敵だもん。イケメンなのに可愛いし~、不器用なのに優しいしぃ~、それにとーっても強いでしょ? こんな男の人、そんなにいないんだよぉ~、ふきゃー、恥ずかしいですぅ~!!」
シンフォニアは自分で言っておきながら自分で恥ずかしがる。マルシェもそれは理解できる。間違いなく魅力的な人だ。
「マルシェちゃんも、大きくなったら~、ゲインしゃんみたいになれるといいねぇ~」
「へ? あ、はい……」
そう自分は男。いくら女性の服を着てもここでは男。決して彼の隣に立つことはない。マルシェは小さくため息をつきながら並べられた豪華な料理を口にする。
(あの姿、私の記憶が間違いなければ昔会っているはず……)
そんなふたりとは対照的に、リーファは黙ったまま別の意味でゲインを見つめていた。広い背中、黒い髪、空のような包容力。幼少期に脳裏に刻み込まれたそれとどうしても重なる。
(どうなっているんだ? あ、そうだ。聞いてみればいい)
リーファは隣に座るシンフォニアに小さな声でそれについて尋ねた。
「なあ、シンフォニア。ちょっと教えて欲しいんだが」
「なにかな~? リーファちゃん??」
にっこり笑ってリーファを見つめるシンフォニア。
「なあ、勇者スティングの髪の色って黒色だよな……?」
一瞬きょとんとしたリーファが少し笑って答える。
「え~、違うよ~!! スティングさんの髪の色は赤だよ~!!」
「!!」
それを聞いたリーファの体が固まる。
「そ、そうなのか!? じゃあ勇者パーティで黒髪って言ったら誰になるんだ??」
シンフォニアが指を唇に当てながら考え、答える。
「剣士ゲインさん、かな?」
何となく分かっていた。
勇者パーティの残りの男と言えば剣士ゲインのみ。そんな当たり前の質問をどうしてしたのかリーファ自身分からない。
ただそれ以上深く考えるのは止めた。自分が憧れたのは勇者。その勇者は今もこの胸の中で生きている。例えそれが誰であろうと。
「それより、あの娘の病気はもう治ったのか?」
話題を変えたリーファ。チェルシーを見ながらシンフォニアに尋ねる。
「う~ん、多分そうなんでしょうね~。と~ってもお元気そうに見えるしぃ~、顔色もいいし~、楽しそうだし~」
そう言いながらゲインにべったりくっつくチェルシーを少し怖い目つきで睨むシンフォニア。リーファが言う。
「どうせあいつのことだ。我々の知らない間に変な薬でも飲ませたのだろう」
「おえぇ、うおぇ……」
飲ませたのではなく自分で飲んだ。違う薬の話だが、あれ以来ゲインはずっと吐き気に苦しまれている。体調が悪そうな彼を心配そうな顔で見つめるレイモンドが言う。
「ゲインさん、大丈夫でしょうか」
「あ、ああ……、なんとか。吐き気が止まらなくて……、折角ご馳走を用意してくれたのにバナナぐらいしか食べられなくて悪いな……」
ゲインの目の前に置かれた山盛りのバナナを見ながらレイモンドが言う。
「いえ。体調が優れないときはバナナのような果物が一番ですよ」
「ああ、そうだな……」
そう言ってバナナを口にするゲイン。
(いや、体調が優れていてもバナナばかり食べてんだろ、お前は!!)
そんなゲインを見ながらリーファがツッコむ。レイモンドが尋ねる。
「それで本当にもう明日には発たれてしまうんですか?」
やや寂しそうな顔。レイモンドの妻も同様に言う。
「本当ですよ。こうしてまたお越し頂いたのに、もうちょっとゆっくりして行かれては如何でしょうか」
「そうにも中々いかなくてな。気持ちは有り難いが、魔王が復活して早めにドワーフの里へ行かなきゃならねえんだ」
「ドワーフの里? それはまた『雲上大石林』行かれると?」
前回スティング達とも立ち寄ったここリバール。その後に同じように『雲上大石林』へ向かっている。ゲインが答える。
「ああ、そうだ。ちょっと用事があってな」
「そうですか。ドワーフの里には今後の戦に必要なものがあると聞きます。お気をつけて。それでどうやって行かれるんでしょうか」
「どうやって? 歩いて行くつもりだが……」
それを聞いたレイモンドが手を叩いて言う。
「そうですか! ならばうちの商会の馬車を用意させましょう。せめてもの感謝の気持ちです。是非使ってください!!」
「おお! それは有り難い!! 感謝します!!」
真っ先に喜んだのがリーファ。いい加減歩き旅に疲れて来ていたようだ。それを聞いていたチェルシーが話題を変えるように顔を赤くしてゲインに尋ねる。
「ゲイン様、私もひとつ質問があります」
皆の視線がチェルシーに集まる。レイモンド夫妻は元気になった娘の姿を見て本当に嬉しそうな顔をする。だがその赤髪の少女の質問に皆が固まった。
「質問? なんだ?」
「はい。ゲイン様はご結婚されているのでしょうか」
「……は?」
誰もが想像しなかった質問。シンフォニアとマルシェが思う。
(え、ええ!? な、何を急に!?)
突然の問いかけ。今度は皆の視線がゲインに集まる。
「いや。していない」
それは何となくみんな分かっていた。チェルシーの追撃が続く。
「お付き合いしている方とはいらっしゃるのですか?」
(!!)
シンフォニアとマルシェが手に汗をかきながらゲインを見つめる。
(ど、独身だとは何となく分かっていたけど、お付き合いしている女性はどうなのかな!? こ、こんなこと聞けないし、お嬢さんナイス!!)
マルシェがじっとゲインを見つめる。傍に居るシンフォニアからも熱気が発せられる。考えていることは同じのよう。ゲインが頭を掻きながら答える。
「いねえよ」
(うぉし!!!!)
その場にいた女性数名が心の中でガッツポーズをする。
(よし!! ボクにもまだチャンスはあるってことですね!!!)
(あれ~!? 確かゲインしゃん、私にプロポーズしたはずじゃなかったんでしゅかぁ~?? ふにゃ~……)
(ふん! ゴリラだから当然だろう!!)
「じゃあ、私、ここで待っています。ゲイン様が魔王を倒して帰って来るのを」
チェルシーの言葉にゲインが答える。
「それはお前の勝手だが、俺はそう言う女は作らないつもりだ」
「!!」
驚く一同。チェルシーが尋ねる。
「どうしてですか? どうして作らないんですか?」
「んー、まあ。俺は魔王を倒しに行く訳で、言ってみればいつ死んでもおかしくない状況で、そんな奴が誰かを好きになったりしちゃいけねえんだ」
ゲインの頭には見事勇者となり、その後魔王の呪いでこの世から去って行った赤髪の男の顔が浮かぶ。誰も悲しませたくない。そんな思いがゲインの心にずっとあった。
「馬鹿じゃないのか、お前は」
そんな静まり返った空気の中、その金髪の少女のひと言が皆の耳に響いた。声の主はもちろんリーファ。立ち上がって言う。
「なんでお前が死ぬ前提で話をしているんだ? 死ななきゃいいんだろ? 無事に魔王を倒してその後ジジイになるまで元気に生きればいいだけの話じゃないか」
少しの静寂。そして至るところから笑いが起きた。
「ぷっ、その通りですよ~!! ゲインしゃん!!」
「くすくすくす、リーファさんの言う通り!!」
「そうですね。誰もがそう願っています。そしてゲインさん、あなたも無事に帰って来ますよ」
最後はレイモンドがそう笑顔で言い皆が頷く。
「そうか……、そうだよな」
ゲインも頷いて答える。
「悪りぃ、どうも俺が間違っていたようだ。たくさんの仲間がいる。みんなと協力して元気なジジイになるか!! うぉ、うぇ……」
そう張り切って行ったゲインだが急に吐き気が強くなり口を押える。リーファが言う。
「汚い奴だな!! 食事中だぞ。まったく……」
「悪い!! ちょっとトイレ……」
ゲインが口を押さえながら食堂を出る。残された皆が苦笑しながら食事の続きを始める。チェルシーが思う。
(はあ、ライバルは多いようですね)
そんな視線で皆を見ていると、ドアの奥からその男の声が響いて来た。
「いや~、全部吐いたらすっきりしたぜ!! 悪りぃな、待たせちまって!!」
「え!?」
「えええーーーーーーーっ!!!!」
胃の中の物すべて吐き出してすっきりした顔になったゲイン。だがそこに立っていたのは少し前のゴリ面のゲインであった。リーファが叫ぶ。
「お、お前!! またゴリラになってるぞ!!!」
「え? ええっ!? マジかよ!!!」
ゲインは自分の腕、そして顔に手をやりゴリラに戻ってしまったことに気付く。
(全部吐いちまったから、薬が切れたんだ……)
じっとこちらを見つめるレイモンド夫妻やチェルシーの視線を感じながら、ゲインはなぜか可笑しくなってきてひとり大きな声を上げて笑い出した。