118.恋煩い
フレンジと黒は後からやって来た警備兵達によって縄で縛り上げられた。そして外に居た仲間も金髪の魔法使いの少女に敗れたと聞き、ようやく全面的敗北を認めた。レイモンドが縛られたふたりに言う。
「これからしっかり取り調べをする。すべて吐いて貰うぞ!!」
それに顔を背ける黒。だがフレンジは何を思ったのか、ゲインの方に向けて頭を床に擦り付けた。
「フ、フレンジ様……!?」
その行動に驚く黒。そして言った。
「私を弟子にして欲しいでおじゃる、とフレンジ様が仰っているでおじゃる……、って、ええっ!?」
意外過ぎる言葉に黒自身が驚く。口を開けていた聞いていたゲインが言う。
「何言ってんだ、こいつ!? それより口がきけんのか?」
黒が答える。
「そう、フレンジ様は話すことができないのでおじゃる。だから幼少の頃からひたすら剣を振りここまで強くなったでおじゃる……」
「それが魔剣に魅入られて鍛錬を怠ったか」
フレンジが下を向きながら小さく頷く。ゲインが言う。
「俺達は魔王を倒す旅をしている。だから弟子とかそう言ったのは無理だが、もしお前がちゃんと改心してこれからやり直すというのならばまた会いに来てやる」
それを聞いたフレンジが顔を上げ目に涙をためて頷く。黒がため息交じりに言う。
「分かったでおじゃる。これからはこの街を守るために自分の力を使うでおじゃる、とフレンジ様が仰っているでおじゃる。はあ……」
レイモンドが言う。
「その前にきちんと犯した罪を償って貰う。背後にいる者の名も吐いて貰うぞ。さあ、連れて行け!!」
「はっ!!」
縄に縛られたふたり。そのまま警備兵に連れられて行く。
ちなみにこの後数年間の牢獄生活を終えフレンジは、レイモンド商会の護衛として取り立てられる。対照的に黒は投獄後、秘密を守るために舌を噛んで自害する道を選んだ。
「さて、ゴリ族のお方。大変感謝致します」
警備兵がフレンジ達を連れて行った後に、レイモンド夫妻が深々と頭を下げてゲインに感謝した。ゲインが言う。
「いや、別に大したことはしてねえ。どちらにしろ俺はそこのチェルシーに会いたいと思っていたんでな」
娘を呼び捨てにするゴリ族の男にやや戸惑うレイモンド。堪らず尋ねる。
「助けて頂いたことには大変感謝しておりますが、その、娘とは一体どのようなご関係で? なぜ娘に会いたがっているのでしょうか?」
チェルシーが言う。
「私知っているわ。このゴリラ、ゲイン様の名を騙って前に面会を申し込んできたの……、ごほっごほっ」
咳き込む娘の背中を母親が優しく撫でる。レイモンドが眉間に皺を寄せて言う。
「それは一体どういうことでしょうか。ゲイン様の捜索でやって来たのでしょうか? 目的によっては我々も……」
「やっぱり分からねえのかな、この顔じゃ。花も忘れちまったようだし……」
(え?)
その言葉を聞いたチェルシーの心臓がドキンと鼓動する。
(花? あの白い花を持って来てくれたのって、まさかこのゴリラなの……??)
混乱するチェルシー。ゲインの前に立つレイモンドに妻が近付いて言う。
「ねえ、あなた。私、どうもこの方がゲインさんに思えて仕方ないの。雰囲気と言うかその所作と言うか」
「ば、馬鹿なことを言うんじゃない。ゲインさんはゴリ族ではないぞ」
「分かっているけど、でも……」
レイモンドの妻がゲインをじっと見つめる。ベッドの上のチェルシーがゲインに言う。
「ね、ねえ、あなた。本当に……」
そう言い掛けたチェルシーの言葉を遮ってゲインが言う。
「分かった。ちょっと待ってろ。仕方ねえから……」
ゲインはそう言って壊れたドアの出入り口から出て隣の部屋へと向かう。そして周りに誰もいないことを確認してから懐に入れてあった青い小瓶を取り出す。
(こんな物が効くとは思えんが仕方ねえ……)
それはダーシャがくれた『魔王の呪いを解く薬』と記載された怪しげな薬。上手くいけばゴリラ化が治る可能性がある。ゲインは小鬢の蓋を取ると一気にそれを喉に流し込んだ。
(うがっ!? 不味っ!!!!)
苦いというか臭いというか。下水道に捨てられたネズミの死骸とアンデッドが燃えるような強烈な味。解呪薬と言うよりこの不味さで死んでしまいそうな薬である。
「うおっ、ううぇ……」
あまりの強烈な味と匂いに思わずゲインが嘔吐する。飲んだ瞬間から始まる不快感と脱力感。吐き気が止まらない。
(やっべ、これ毒じゃねえか……、あ、俺には毒は効かねえから純粋に不味いだけか……)
そうひとり苦笑しながら波のようにやって来る不快感と吐き気に耐えるゲイン。そして数回吐いてようやく持ち直したゲインが顔を上げ大きく息を吐いてから、初めてその異変に気付いた。
「あれ?」
窓ガラスに映った自分の顔。そして体毛のない手を見て言う。
「うわっ!? これって、まさか成功したのか!!!!」
ゲインは窓ガラスに近付いてまじまじと自分の顔を見つめる。毛のない顔。すらっとした頬。それはまさに魔王討伐を成し遂げた頃の剣士ゲインの顔。
「ちょっと老けてはいるが、マジで俺じゃん!!!」
あまり期待していなかったダーシャの薬。まさか本当に治るとは思ってもいなかった。
「よし!」
ゲインは部屋を出て隣のチェルシー達が待つ部屋へと戻る。
「あっ」
入った瞬間に浴びる歓喜の視線。
夫人は手を口に当て、レイモンドは驚きで震え、そして娘のチェルシーはもう気付いていたかのようにぼろぼろと涙を流して言う。
「ゲイン様ああああああ!!!!」
起き上りベッドから飛び出してゲインに抱き着くチェルシー。ゲインもそれを優しく抱きしめ返して言う。
「久しぶりだな、チェルシー。びっくりするほど美人になって驚いたぞ」
「ゲイン様ぁ、ゲイン様ぁ……」
チェルシーは頭の整理がまだつかず思うように言葉が出ない。ゲインが言う。
「病気になったんだって? 大丈夫なのか?」
そう言われたチェルシーが自身のある変化に気付いて言う。
「あれ? なんだか体が軽い!? 全然苦しくない……」
「チェルシー? それは本当か??」
父親であるレイモンドも娘の傍に聞いて何度も尋ねる。
「うん。胸の苦しさが取れたというか、すっきりしたというか、とても清々しい気持ちなの」
食が細かったせいで痩せてはいるが、先程までの青白い顔とは別人のように血行の良い肌色になっている。母親がチェルシーの顔をじっと見て言う。
「ねえ、まさかあなた『恋煩い』だったんじゃないの?」
「恋煩い??」
チェルシーが両手を顔に当ててその言葉を繰り返す。
「そう、ずっと誰かを恋焦がれて病気の様になってしまうこと。だって今のあなたってとても健康そうよ……」
「確かに。昔の、子供の頃の様に元気じゃないか!!」
ゲインの脳裏に初めてチェルシーに森で会った頃の真っ赤なおかっぱが思い出される。チェルシーが顔を真っ赤にして言う。
「そ、そんな、恥ずかしい……」
そう言いながらもぴったりとゲインに寄り添うように立つチェルシー。ゲインが言う。
「まあ、よく分からねえけど役に立ったのなら良かったぜ」
そう話すゲインにレイモンドが改めて感謝する。
「ゲインさん、また助けて貰って本当に感謝します。娘との約束を守ってこの街に戻って来てくれたこと、大変感激しました」
「いや、まあ、その……」
リバールへは偶然立ち寄っただけのこと。さすがのゲインもそんな野暮なことは言えない。レイモンドが言う。
「また旅をされているようで、あ、そうだ。今晩はぜひうちに泊まって行ってください。お礼もしなければならないですし。そうそう、お仲間の方もいらっしゃるようですので是非ご一緒に」
「え、ああ、そうだな……」
ゲインは少し迷ったが人からの感謝をあまり無碍にするのも良くないと思い頷いて答える。
「じゃあ、ちょっと呼んで来るから待っていてくれ。あ、あと俺があのゲインだってことはここだけの内緒な」
「え? あ、はい。分かりました」
ゲインは自分が壊したドアの出入り口から足早に部屋を出て、外で待っているリーファ達の所へ駆けていく。
「おーい、リーファ!!」
名前を呼ばれたリーファが振り返る。無表情。首を傾げてゲインを見てから再びシンフォニアと話しを始める。ゲインが言う。
「おい、どうしたリーファ? シンフォニア、マルシェ、戦いは大丈夫だったのか?」
赤服の一団を全て縛り上げた一行。ようやく落ち着いたところにその見たことのない黒髪の男がやって来た。リーファが言う。
「誰だ、お前? シンフォニア、知り合いか?」
シンフォニアが首を左右に揺らしながら答える。
「ふへ~、私も知らないですぅ~、どちら様でしょうかぁ~??」
マルシェは黙ったままゲインをじっと見つめている。
「あ、そうか。俺、戻ってるんだ!! 俺だよ、ゲイン。ゲインだって!!」
「は?」
「へ?」
「ふぁい!?」
三人が固まってゲインを見つめる。暫しの静寂。マルシェが叫ぶ。
「えええええっ!!!! ゲインさんなんですか!!!!!」
「わっ、う、うるせえって!! 俺だって!!」
続いてシンフォニア。
「ふぎゃーーーーーーっ!!!! ゲインしゃんなんですか!!!! ふぎゃふぎゃふぎゃーーーーーっ!!!!」
こちらも負けじと大音量。マルシェが頬を赤くして言う。
「うそ、凄く素敵……」
続いて口から出ようとした『痺れちゃう』と言う言葉を急ぎ飲み込んでゲインを見つめる。
「カ、カッコいいですぅ~!!! イケおじ、渋オジなんですぅ~!!! ふぎゃーーーーっ!!!!」
シンフォニアは両手を顔に当ててくるくる回りながら感動を表す。戸惑うゲインが言う。
「ちょ、ちょっと大袈裟だぞ……、まあ驚くのは無理もないが……、うっ、ううぇ〜」
またしても気持ち悪くて吐き出すゲイン。
「きゃ〜!! 汚いですぅ〜!!」
「う、うわっ!? 何やってるんですか!! ゲインさん!?」
嘔吐するゲインを見て騒ぎ出すシンフォニアとマルシェ。薬の副作用かずっと吐き気が止まらない。
(なにか既視感がある。いや、私は間違いなくこの男を知っている……)
そんな騒ぐふたりとは対照的にリーダーであるリーファは、目の前の男が子供の頃に見たあの人物に重なって見えることに心から戸惑っていた。