116.レイモンド商会を襲う赤い服
真夜中の王都レーガルト。
星が瞬く美しい新月の夜、王立墓地にやって来た黒ローブに黒眼鏡をかけた初老の男に従者が言った。
「ルゼクト様、それでは始めます」
「うむ」
彼らの前には墓より掘り出された兵士の遺体。まだ埋められて数日のものから完全に白骨化したものまで数体。従者がその遺体に何かの《《粉》》をゆっくりとまぶしていく。それをじっと見つめる魔法団長ルゼクト。そして変化が起こり始める。
「ウッ、ウググッ……」
まずは息絶えたはずの遺体がゆっくりと動き出す。続いて骨だけだった骸骨にゆっくりと肉が盛り始める。ここまでは想定通り。ルゼクトがその生きる屍を凝視する。
「ウガッ、がガガガッ……」
立ち上がった生きる屍達。それを確認した従者が命令を下す。
「跪け、我らを崇めよ!!」
「ガッ、ガガッ……」
生きる屍達はそんな声には耳を貸さず、目の前にいる生者に向かって襲い掛かる。ルゼクトが『ちっ』と舌打ちしてから魔法を唱える。
「……主、女神ウェスタの名の下にかの敵を焼き尽くせ。火炎」
ルゼクトの指から静かに放たれる赤き火炎。それは今二度目の生を与えられた生きる屍達をゆっくりと焼いて行く。
「ガガガッ、ゴガガッ……」
成す術なく魔法団長の業火に焼かれる生きる屍。暗き墓地の空に死肉の焦げる異臭が舞い上がる。ルゼクトが言う。
「失敗か。やはり生きる屍の自我発現はまだ無理か……」
「残念です。もう一歩の所なんですが」
一緒に居た従者も悔しそうな表情を浮かべる。
「仕方ないでしょう。誰も成し遂げられなかった禁術、いえ崇高な儀式。《《あのお方》》の復活まで我々が駒となって働きましょう」
「はっ」
そう言って頭を下げる従者。そこへ別の黒ローブの男がやって来て報告する。
「ルゼクト様。ご報告が」
「何でしょう?」
儀式を終え、冷たい夜風にローブのフードを被り直したルゼクトが尋ねる。黒ローブが言う。
「はい。フレンジ様が間もなくリバールへ到着されるとのことです」
「リバール? ああ、あの『外道ゲイン』を崇拝する愚かなレイモンド商会がある街ですね。確かそこの娘が目的でしたよね?」
「はっ。愚かな妄想を捨てない限り、我々の粛清が下されます」
「うむ。まあそれも仕方ないでしょう。世の浄化の為。粛清後に問題があれば教えてください。私が《《揉み消します》》から」
「御意」
黒ローブの男はそう返事するとその場を立ち去る。ルゼクトが灰になった生きる屍達を踏みつけて言う。
「さあ、色々忙しくなりそうです。この老骨はいつになったら休めるのでしょうね。くくくっ……」
そう言いながらルゼクトはひとり低い声で笑った。
「さあ、では出発しようか」
リバールの街を発つ朝、リーダーであるリーファが集まった皆に言った。マルシェが答える。
「はい、行きましょう!」
「……」
無表情のゲイン。それに気付いたシンフォニアが尋ねる。
「あのぉ~、ゲインしゃん? どうかしたんでしゅかぁ~??」
ゲインが首を振って答える。
「いや、何でもない。さ、行くぞ」
「はい!」
そう言って歩き出すゲインの目には、港に建つレイモンド商会の大きな建物が映っている。リーファが尋ねる。
「それで『雲上大石林』まではあとどのくらいなんだ?」
「そうだな。ここから少し先にある峠から見えると思うが、あと一週間程度かな」
「一週間……」
意外と長い距離を思いリーファが暗い顔をする。マルシェが言う。
「一週間なんてすぐですよ! さあ、行きましょう!!」
「あ、ああ……」
リーファはマルシェに腕を引っ張られ渋々歩き出す。ゲインは再度レイモンド商会の建物を見てから皆の後に続いて歩き出した。
それより少し後。ゲイン達が旅立ったとは別の方角から、赤い服を着た一団が現れる。
剣を携えたたくさんの戦士や魔法使い僧侶と言った構成だが、一般の冒険者にしては皆が着る真っ赤な服が異質に映る。その中央で一振りの長剣を腰に携えた男に、部下の者が伝える。
「フレンジ様、あれがリバールでございます」
フレンジと呼ばれた男。茶色の髪に腰に付けた異質の剣が目立つ男。明らかに周りの者達とは別格である。フレンジの隣に添うようにいる黒装束の男が答える。
「分かった。あそこにゲインを敬うレイモンド商会があるのでおじゃるな?」
「はっ。港にある一番大きな建物。あれがレイモンドの商家で、その中に目的のチェルシーがおります」
部下の話を聞いたフレンジが無言で頷く。隣にいる黒装束の男が尋ねる。
「それで重要なのだが、そのチェルシーって子は可愛いのでおじゃるか?」
ガン!!!
「痛っ!!」
フレンジが無言で『黒』と呼ばれる黒装束男の頭を殴る。黒が頭を下げて言う。
「申し訳ないでごじゃる。フレンジ様ならそう言うと思って……」
ガン!!!
再び殴られる黒。渋々フレンジに謝罪し、今度は皆に大声で言う。
「それではこれよりレイモンド商会へ《《交渉》》に参るでおじゃる。交渉決裂の際には、皆の者、容赦なく敵を斬り捨てよ!! と、フレンジ様が仰っているのでおじゃる」
「おおっ!!」
赤い服を着た一同が片手を上げてそれに応える。
『スティング信仰』。大罪人ゲインを目の敵にし、ゲインを敬う者達を粛清と称して攻撃を加える過激な集団。当初はスティングの功績を語るだけの集まりであったが、いつの間にかこのような物騒な集団へと変化していた。
そしてそのバックに居るのが王都レーガルトにいる魔法団長ルゼクトであり、少々の出来事はすべて彼によって揉み消されていた。
「では行くでおじゃる」
フレンジの横にいる黒が皆に号令を出す。赤服の一団がゆっくりと川辺の街リバールへと動き始めた。
その集団は異様さで目立っていた。
リバールの街中へとやって来たフレンジ率いる『スティング信仰』の一団。真っすぐに港で一番大きなレイモンド商会の建物の前へとやって来ると、皆がそれを睨みつけるように見上げた。
異様な空気。陽気で明るい雰囲気漂うリバールの街に緊張が走る。通報を受け、駆け付けた街の治安部隊が赤服に尋ねる。
「何だね、君達は?」
赤服のひとりが答える。
「我々はレイモンド商会に用事があるだけだ」
そう言って再びその建物を見つめる。
「これは一体何の騒ぎなんだ??」
そこへレイモンド商会の警備兵が出て来て尋ねる。赤服の中央にいた茶髪のフレンジが前に出て、その傍にいる黒が尋ねる。
「我々は交渉に来たでおじゃる。レイモンド商会並びに、チェルシー嬢が行っている『大罪人ゲインの捜索の中止』を即座に求めるのでおじゃる、とこちらのフレンジ様が仰っているでおじゃる」
警備兵の目つきが真剣になる。
「何を言っているんだ、お前達は?」
そう言う間にもレイモンド商会の建物から応援の警備兵が次々と出て来る。黒が言う。
「もう一度言う。これは交渉でおじゃる。お前達が行っているくだらぬ捜索を止めよと、ここにいるフレンジ様がまた仰っているのでごじゃる」
警備兵達が剣を抜いて答える。
「なぜそのような愚言を聞かなければならぬのだ? 我々はお嬢様のことを思ってやっている。お前らなどにとやかく言われる筋合いはない!!」
陽気な街に不似合いの緊張した睨み合いに、街の人達の大勢駆け付けて一触即発の空気が漂う。
「どうしたと言うのだ!!」
そこへレイモンド商会から身なりの良い紳士が現れる。隣には剣を携えたレイモンド私兵団長。警備兵が言う。
「あ、旦那様!! こいつらがゲイン様捜索を止めろと言って来て……」
現れたのはチェルシーの父、レイモンド氏。この街で強い影響力を持つ男だ。フレンジの隣にいた黒がレイモンドに言う。
「あんたがレイモンドさんでおじゃるか? 我々は交渉に来た。すぐに『ゲイン捜索』を中止するでおじゃる」
「……何を言っている?」
レイモンドはあからさまに不服そうな表情で言う。
「我々は娘の為に《《英雄》》ゲインを探している。それのどこが悪いのだ?」
その言葉にある意味タガが外れた赤服の一団が皆戦闘態勢を取る。黒が再度尋ねる。
「止めないのでおじゃるか?」
「くだらぬ。お前らに用事はない。帰ってくれ」
黒がふうとため息をついてから言う。
「分かった。交渉決裂でおじゃるな。これより血の粛清が始まるでおじゃると、こちらのフレンジ様が仰っているでおじゃる」
フレンジはゆっくりと腰に付けた長剣を抜く。真っ黒な刀身。見ているだけで禍々しさを感じる。レイモンドの私兵団長が同じく剣を抜き前へ出る。
「旦那様は建物内へ。ここは我等にお任せを」
「うむ。気を付けてな」
レイモンドはそう言い残すと建物へと戻って行く。抜刀し剣を向ける警備兵らを見て黒が言う。
「では、静粛を始めるでおじゃる」
レイモンド警備兵対、赤服の対決が始まった。
「はあ、はあ、はあ……、急げ、急げ!!!」
リバールを出たゲイン達一行。街道を歩いていると、後方からやって来た急ぎ街道を走る男に気付き足を止める。
「おい、どうしたんだ?」
ゲインが声を掛ける。男はリバールの街の方角からやって来たようだ。大量の汗を流しゼイゼイと肩で息をしている。男が答える。
「はあはあ、大変なんだ。いきなりやって来た変な赤服の一団が、レイモンド商会に殴り込みをかけみんなやられちまったんだ!! 俺は早く領主様に伝えなきゃなんねえ。じゃあな!!」
男は街道をそのまま勢いよく走り去る。ゲインの顔が怒りに染まる。リーファが言う。
「ゲイン」
「分かってる。戻るぞ、リバールに」
新勇者パーティ一行は、急ぎ来た道を駆け出した。