108.ダーシャの意外な予知
「さて、じゃあそろそろ行くぞ」
グール達を撃退後、シンフォニアの故郷であるフォルティンの里で数日過ごしたゲイン達が、再び東方にあるドワーフが棲む『雲上大石林』を目指し旅を再開する。旅支度を終えたリーファの言葉を聞き、シンフォニアの幼馴染みのマリエルが目を赤くして言う。
「シーちゃん、気を付けてね……」
シンフォニアは彼女を優しく抱きしめ答える。
「うん。ありがと、マーちゃん……」
彼女の目も赤い。同じく涙目の母親サラも声を詰まらせて言う。
「やっぱり行っちゃうのね。でもいつでも帰って来て。ママはずっと待ってるから」
「うん、ありがと、ママ……」
そう言って今度は母親と抱擁する。里の神父がゲインに言う。
「申し訳ありませんが、お婆様の熱が未だ下がりませんのでお見送りはできないとのことです……」
敬愛するルージュに叱責されずっと寝込んだままのお婆。ゲインが苦笑して言う。
「ああ、気にするな。早く元気になってくれと伝えてくれ」
「はい、かしこまりました」
神父が頭を下げる。ちなみにルージュは既に王都レーガルトへ帰還した。魔王軍が暴れる今のこの国で、守りの要であるルージュが何日も王都を空けることはできない。文句たらたらの彼女をゲインは苦笑しながら見送った。
「あ、あの、シンフォニア。気を付けて。幸運を祈っていますわ……」
そう声を掛けて来たのは先輩僧侶ラスティア。恥ずかしいのか紫の髪で半分顔を隠しながら小さな声で言う。無論その後ろには後輩のゼリア。シンフォニアが笑顔で答える。
「は、はひぃ!! 頑張りましゅー!!」
それを聞いてからラスティアはその後ろにいるゲインの元へ行き顔を真っ赤にして言う。
「あの、ゲイン様。ゲイン様もまた来て下さりますわよね……?」
里にたくさんいる女僧侶。ゲインは目の前の女が誰なのか分からないまま答える。
「ん? あー、まあそのうちにな……」
シンフォニアと話をしていたので彼女の友達だろうと簡単に考えていたゲイン。だが急にラスティアが自分の手を握り、目を輝かせながら言うのを見て適当に答えたことを後悔した。
「う、嬉しいですわ!! わたくし、ゲイン様のお帰りをずっと待っています!! 魔王との戦いで傷ついたゲイン様をわたしくしが癒して差し上げますわ!!」
「は?」
「へ?」
「ひゃい!?」
その言葉にシンフォニアやマルシェ、ゼリアなどが驚いて固まる。いい加減出発したいリーファがダルそうな声で皆に言う。
「おい、いい加減にしろ。さっさと行くぞ。早く船に乗らなきゃならないし、遅れると日が暮れるぞ!!」
「お、おう。分かった。それじゃあな!!」
ゲインはそこから逃げるようにリーファの元へと歩き出す。
「ああん、ゲイン様っ!!」
僧侶にあるまじき色っぽい声でその名を口にするラスティア。涙で一杯のマリエルに母親のサラ。皆が見送る中、ゲイン達は里で教えてもらったフォルティン川の船着き場へと向かった。
里を出てすぐにマルシェが言う。
「船旅って初めてですね! なんだか楽しみ」
目的地である『雲上大石林』だが、実はここからフォルティン川を下ってショートカットできることが判明。早速里で船の手配をして貰った。ゲインが言う。
「そうだな。ところで誰が船の操縦ができるのか?」
「え?」
「はい?」
「ふひゃー!!」
再び皆が信じられないような顔でゲインを見つめる。リーファが言う。
「お前ができるんじゃないのか、ゲイン?」
皆からそのような視線を受けゲインが首を振って答える。
「いや、やったことねえ! って言うか、お前がうんうん頷きながら船の説明受けてたじゃねえか!!」
リーファは自分と共に説明を受けたゲインを指差し言い返す。
「お前だって一緒に居たろ!! なんだ今更、お前船の操縦もできないって言うのか!?」
「わ、分かんねえわ!! やったことねえし。ただ……」
「ただ、なんだ?」
そう尋ねるリーファにゲインが背を向けて答える。
「な、何でもねえ!! とりあえず行くぞ」
「この詐欺ゴリラめ……」
リーファもむっとした顔で歩き出す。それ以上に不安そうな顔のシンフォニアとマルシェがふたりの後に続く。
フォルティンの里から少し谷の方へ下って歩く。草原や木々の間を歩き、鳥の鳴き声が響く長閑な風景に皆の心も癒える。涼しげな風が心地良い。そんな一行の前に岩に座るひとりの女性が現れた。
「げっ……」
最初にそれに気付いたゲインが声を上げる。
「あっ」
「え? ダーシャさん!?」
それは水の都ウォーターフォールの大導士であるエルフのダーシャ。白銀の髪に帽子を被り背にした白マントを風に靡かせ、スリットの入った色っぽい足を組んでこちらに手を振っている。ゲインが小声で言う。
「無視しろ。気付かぬふりをして通り過ぎるぞ……」
そう言って視線を落として歩き出すゲインにマルシェが言う。
「な、なに言ってるんですか! ダーシャさんがお見えで……」
「ゲインちゃ~ん!!」
そんな会話も無視してダーシャが浮遊魔法で浮き上がりゲインに抱き着く。
「わ、や、やめろって!! このロリババア!!!」
「やだ~、ゲインちゃんったら照れちゃって~」
抱き合うふたりを見てシンフォニアとマルシェがむっとして言う。
「ひ、昼間から何してるんですか!! ゲインさん!!」
「ゲインしゃ~ん、やっぱりダーシャ様のことがぁ~……」
まとわりつくダーシャを引きはがしたゲインが言う。
「違うって言ってるだろ!! って言うかお前、なんでこんな所にいるんだ? 神殿に居なくていいのかよ!!」
ウォーターフォールの大導師であるダーシャ。長いこと留守にしていて先日戻ったばかりのはず。ダーシャが面倒臭そうな顔で言う。
「えー、ちょっとお散歩してるだけだよ~。あそこ息苦しいし、虫ウザいし~」
「……」
ゲインがため息をつきながら脱力する。エルフの『ちょっとお散歩』は一体どのくらいの時間なのか想像もつかない。ゲインが尋ねる。
「で、一体何の用だ? まさか意味もなく現れたんじゃねえだろ?」
ダーシャが少し真面目な顔で答える。
「え、意味もなく現れたんだけど」
「おい、てめえ!!」
「きゃっ!! 冗談よ、冗談~」
怒るゲインから笑いながら逃げるダーシャ。そしてシンフォニア達の方を見て意味あり気な笑みを浮かべて言う。
「ちょっとだけゲインちゃん、借りるね~」
そう言ってゲインの腕を組み、皆から少し離れる。ゲインが小声で言う。
「なんだよ。どうしたって言うんだ?」
道から少し外れた草原の上、ダーシャはようやく真剣な表情になって言う。
「見えちゃってね。久しぶりに……」
予知能力を持つダーシャ。その未来の光景は閃きと共に不意にやって来る。ゲインも真剣な表情で言う。
「あまり良くない未来か?」
「そうね……、そうは思いたくないんだけど……」
ゲインが小さく頷いて尋ねる。
「でも俺に知らせたい内容なんだろ?」
「うん。実はね、ゲインちゃんが魔王っぽい敵と戦っている姿が見えたの」
「魔王と、俺が? 誰だ、サーフェルか?」
ダーシャが首を振って答える。
「相手は分からない。もやがかかっていて見えないの。それより……」
ゲインがダーシャの言葉を黙って聞く。
「それよりさ、どうしてかは知らないけどゲインちゃんがぼろぼろ涙を流しながら剣を振っているの」
「涙……、俺がか?」
意外な言葉に驚くゲイン。
「そうなの。ゲインちゃん、敵を斬る時一切情けを掛けないって言うか、斬ること自体楽しんでいるでしょ? だから違和感がすごくてさ……」
「おいおい、俺を一体何だと思ってんだ」
「斬るの好きでしょ?」
「好きだ」
「ほら、やっぱそうじゃん」
「まあ、否定はしねえが、それでも妙だな。泣きながら斬るって……」
「そういうこと。よく分かんないけど伝えたからね」
「ああ、分かった。ありがとう」
「あ、そうそう。あとこれ渡しとくよ」
ダーシャはそう言うとポケットの中から小さな青色の小瓶を取り出して渡す。
「何だ、これ?」
そう尋ねるゲインにダーシャが答える。
「神殿の倉庫の整理をしていたら出て来たんだけど、昔の文字で『魔王の呪いを解く薬』って書いてあるんだよ」
「マジか? 俺のゴリラが治るのか?」
そう言いながらゲインは小瓶に入った液体を軽く揺らす。
「さあ、分かんないねえ。随分昔のものだし」
エルフが言う『昔』と言う言葉。一体どれ程古いものなのか想像もつかない。ゲインが言う。
「ルージュに飲ませてやってくれ。あいつの方が俺より大変だ」
魔王の呪いで歳を取らなくなってしまったルージュ。ある意味ゴリラ化を楽しんでいるゲインより深刻だ。ダーシャが言う。
「行って来たさあ。でも『怖いからゲインで先に試して』って言われちゃったよ」
「なんだそれ……」
「とりあえず持って行きなよ。さて、じゃあこれであたしは行くね」
「え、ああ。ありがとな」
ダーシャは浮遊魔法で浮かびゲインの言葉に投げキッスで応えると、そのまま手を振って空の向こうへと消えて行った。
(俺が泣きながら剣を振るだと……)
腕を組み難しそうな顔で皆の所へ戻るゲイン。それを当然の如くマルシェ達が問い詰める。
「ゲインさん!! 一体何の話をしていたんですか!!」
「ふたりだけでずるいのー、羨ましいのぉ!! ふぎゃー!!!」
「え? いや、別に大したことは……」
アドリブが苦手なゲイン。どうやってこの場を胡麻化そうかと引きつった顔で考え始めた。