106.ゴリラ、舞う。
「帰って来たんだ、討伐隊……」
皆は陥落寸前だった里の中を疾風迅雷の如く駆け巡り、押し寄せて来るグール達を軽々と斬り倒していくゴリラを見て思った。その姿はまさに鬼神。朱に染まった剣で斬られたグールは赤く燃え上がり灰となって崩れていく。
「主、女神マリアの名の下にその敵を浄化せよ。回復……」
ザン!!!!
「え?」
まだ戦っていた僧侶が攻撃の回復魔法を唱えると同時に、草の様に狩られるグール達。返り血ならぬ『返り体液』を浴び、血走った眼をしたゲインが叫ぶ。
「俺が全部狩るっ!!! うおおおおおおおお!!!!!!!」
叫びながら戦場を駆ける姿は、まるで殺戮を愛する修羅のよう。死霊レイスを殲滅しそのまま馬に乗り徹夜で戻って来たゲインだが、剣を振れば振るほどその強さは増していく。
「あのゴリラも確かシンフォニアの仲間だったわよね」
ゲインが単騎暴れまくる姿を遠くから見ていたラスティアが後輩のゼリアに尋ねる。ふたりはシンフォニアの幸福の雨により既に回復していたが、目の前で繰り広げられるあまりにも非日常的な光景に蹲ったまま動けなくなってしまっていた。ゼリアが答える。
「はい、同じパーティだったはず……」
「そう」
ラスティアは小さく頷きながら言う。
「ああ言うのを『勇者』って言うのかな……」
「え、勇者?」
ゼリアは先輩のその言葉を思わず繰り返す。ラスティアが言う。
「そう。だってこんな最悪な状況なのに彼を見ていると『大丈夫』って思えちゃうんだもん。彼がいるだけで安心と言うか、絶対何とかなるというか、そんな気持ちにさせてくれるの」
「先輩……」
ゼリアもゲインの強さを再び目の当たりにし、近い気持ちを感じていた。だがラスティアのそれは自分の感情以上のものを感じる。
「グールマスターってすごく強いでしょ」
「はい……」
「まだグールだっていっぱい残っているでしょ」
「はい……」
ラスティアは少し泥のついた紫の長髪をかき上げながら言う。
「なのにさ、どうして彼はあんなに楽しそうなのかしら」
「ラスティア先輩……」
人は到底理解できない存在に触れた時、恐れ怖がると同時に魅入られる。ラスティアが俯きながら言う。
「シンフォニアに嘘の詠唱なんて教えなきゃよかった……」
「……」
ゼリアも下を向き黙り込む。
「ファンケル様にね、私、すごく憧れていて。いや憧れと言うよりは恋だったのかもしれない。だから彼が興味を持つシンフォニアが許せなかった。潰してやると思ったの」
「先輩……」
ゼリアもそれは知っていた。感じ取っていた。
「でもこうして本物を見てしまうと、それがつまらないメッキだったんだって気付いちゃったわ。だってファンケル様、さっき魔物と会話していたでしょ。今回のことをまるで知っていたようだし、様子が変だったもの……」
無言のゼリア。そんな彼女にラスティアが言う。
「私、謝るわ」
「先輩……」
「この戦いが終わったらきちんとシンフォニアに謝罪する。それが今私にできること」
「はい、先輩」
ラスティアは目の前で剣を振りながら駆ける勇者の姿を見て、自分を苦しめて来たどろどろした感情がなんだかとても小さくてつまらないものに思えるようになって来た。
「さーて、残りはお前だけだ。とっとと消えて貰おうか」
里に押し寄せたグールを全て叩き斬ったゲイン。最後に残ったグールマスターの前に剣を突き立てて言う。グールマスターが少し後退して尋ねる。
「おマエはレイスにやられたはずじゃ……」
「あー、あのお化け野郎な。叩き斬った」
グールマスターはそれが嘘ではないことはすぐに分かった。何よりゴリラが目の前にいることがその証拠。そして今の自分では勝てない相手だということももう理解している。
「見逃してクレ。もうサトには近付かナイ……」
「じゃあひとつ聞く。今回の襲撃の計画を立てたのは誰だ?」
グールマスターは即答した。
「ファンケルと言う男……」
ゲインは剣を収めると里の方へ歩き出しながら言った。
「分かった。もう二度とここへ来るなよ」
グールマスターの目に映るゲインの無防備な後ろ姿。これほどの強者を食せば格段に強くなるのは間違いない。食屍鬼としての本能が蠢き始める。
(オレが殺して、喰う!!!!!)
ザン!!!!
(なぬ!?)
グールマスターが振り上げた右腕。それが音を立てて地面に落ちると同時に体全体が燃えるような熱さに包まれた。
「ギャアアアア!!!!!」
グールマスターは脳天から一刀両断にされ、最後の断末魔を上げながら灰となって消えて行った。
「討伐終了」
ゲインが地面に剣を突き刺し、ふうと大きく息を吐く。そして周りに広がる開花したフォルティン花を見て思わず笑顔になって言う。
「綺麗な花じゃねえか。『笑顔になる花』だっけか? なあ、シンフォニア!!」
「はい~、ゲインしゃん!!」
マリエルに肩を支えられこちらにやって来るシンフォニアは、それに満面の笑みで応えた。
その日の午後、女神マリア大聖殿に集まったゲイン達に里を代表してお婆から感謝の言葉が述べられた。
「グール撃退の功、里の代表者として感謝致す」
白髪の最高権力者。曲がった腰を更に曲げてゲイン達に感謝の意を示す。一番後ろで下を向いたままのシンフォニア。リーファが何か言おうとしたのを遮ってゲインが尋ねる。
「それはいい。勇者パーティとして当然のことをしたまで。だがひとつはっきりさせておかなきゃならなえ。おい、そこのインチキ神父!! こっちへ来い!!!」
(ひぃ!!)
聖堂の隅で小さく目立たないようにしていた神父ファンケルが体をビクッとしてそれに反応する。苦笑いしながら皆の前にやって来たファンケルが小さな声で言う。
「な、なんでしょうか。どんな御用で……」
「自分で言え」
ファンケルをじっと睨みつけるゲインの鋭い眼光。その圧に耐えられなくなったファンケルが冗談っぽく言う。
「い、一体何のことでしょう?? この私もグール達と戦って、ほら、こんなにまだ酷い傷が残っていて……」
「レイスを捕らえてある。自分で言わねえのならあいつをここに連れて来てすべて話させるぞ」
「!!」
辛うじて醜い笑みを浮かべていたファンケルの顔が一瞬で引きつる。意味の分からない会話にお婆が尋ねる。
「一体何の話をしておる? ファンケルよ、お主何かしたのか?」
「い、いいえ!! そんなことは……」
ゲインが腕を組んで言う。
「そうかい、話さねえのなら今ここにレイスを連れて来てすべてを……」
「わ、悪かった!!!!」
「!?」
突然ファンケルが床に頭を擦り付け土下座して謝り始める。
「ま、魔物に脅されて、私は仕方なく……」
ファンケルは今回無茶な討伐隊を編成しこれを敵に壊滅させ、更に里を少しだけ襲う計画だったことを白状した。
「なんと、何と愚かなことを……」
細かったお婆の目がカッと大きく見開き土下座するファンケルを睨みつける。ファンケルが言う。
「私も怖くて怖くて仕方なしに……、信じてくれるでしょう。普段の私の真面目な奉仕活動を思えば……」
「それは確かに否定はせぬが……」
そう言い掛けたお婆の言葉を遮るようにシンフォニアの先輩僧侶ラスティアが声を上げる。
「嘘です!! 神父ファンケルは嘘を言っています!!!!」
「ラ、ラスティア!? 何を急に……」
ファンケルの顔から玉のような汗が流れる。ラスティアが前に出てファンケルを指差しながら言う。
「神父ファンケルは甘言を弄し、若い女僧侶を次から次へと自室へ呼び弄びました。言うことを聞かない子に対しては先輩から苛めるようけしかけ……、それで無理やり……ううっ……」
ラスティアは話しながら思わず涙が溢れる。
「先輩……」
傍に来たゼリアがラスティアの背中を支え寄り添う。ラスティアが顔を上げて言う。
「シンフォニア。ごめんなさい!! 私は神父ファンケルとあなたのことを嫉妬し、いい加減な詠唱を教えたわ。魔法が使えなくて当然。あれは全部私のせいなの!!」
「ラ、ラスティア先輩……」
シンフォニアが初めて知る事実に思わず手を口に当てる。
「何を言ってるんだ、ラスティア!!! 馬鹿なことを言うんじゃない!!!」
先程まで泣きそうな顔をしていたファンケルが急に立ち上がり、自分を侮辱したラスティアに鬼のような形相で怒鳴りつける。一瞬怯んだラスティアだが、シンフォニアのを顔を見て負けずに言い返す。
「嘘なんかじゃありませんわ!! ここにいる、そして失意のうちにここを去った女僧侶達に話を聞けばはっきりしますわ!!!」
「な、何を……、まだそんなこと……」
「黙れ、ファンケル!!!」
そんなやり取りを辟易した顔で聞いていたお婆が一喝する。黙り込むファンケルにお婆が言う。
「お前の調べはこれからじっくりやる。今回の計画のこと、それからこれまでのことすべて。よいな」
「は、はい……」
ファンケルはがっくりと両膝を床につき、崩れるように蹲った。
「婆さん、ひとつ頼みがある」
ファンケルをきつく叱ったお婆にゲインが言う。
「何じゃ?」
お婆はゲインを見上げて尋ねる。
「うちの僧侶、シンフォニアの名誉を回復してくれ」
「ゲインしゃん……」
皆の後ろでそれを聞いたシンフォニアが顔を上げてゲインを見つめる。
「当然だろ。あいつは騙されて魔法が使えなかった訳だし、今はルージュよりも上位のダイアモンドフラワーを開花させた逸材。勘違いでつけられた『不適合者』なんて汚名は返上されるべきだ」
「当然だな。うちの最高の僧侶にその様なくだらない二つ名は要らない」
リーダーであるリーファもゲインの意見に賛成する。
「わ、私もそう思います!! シーちゃんは凄い僧侶なんです!!」
シンフォニアと一緒に居た幼なじみのマリエルも勇気を振り絞ってお婆に進言する。じっと考えるお婆。そして言った。
「……ならぬ」
「は?」
その言葉にゲイン達が唖然とする。
「一度『不適合者』の烙印を押された者は二度とこれを覆すことはできぬ。これは里が始まって以来の掟。不可侵な決まり事なのじゃ」
「くだらねえ」
心の底からそう思ったゲインがぶっきらぼうに言う。ゲインを睨みつけるお婆が言う。
「どういう意味じゃ?」
「くだらねえと言ったんだ。くだらなくて反吐が出る。じゃあ俺がこの里をぶっ潰してやろうか? 全部破壊して新しい里を作る。それなら文句ねえだろ??」
「き、貴様。里の恩人ではあるが何たる傲慢な発言!!! 事によってはタタじゃ済まぬぞ!!!!」
お婆の激怒。里の者にとってこれほど恐ろしいことはない。
「ゲ、ゲインしゃん。私はもういいですから……」
堪りかねたシンフォニアがゲインに近付いて言う。
「いいや良くねえ!! お前を悲しませる奴は俺がぶん殴ってやる」
「貴様っ、何たる暴言!! 許さぬぞ!!!!」
怒りの頂点に達したお婆が里の者に何かを命じようとした時、聖堂内をひとりの神父が慌てて駆けて来て言う。
「お、お婆様。大変です!!」
「黙れ、今それどころじゃない!!!」
だが神父は食い下がって言う。
「レ、レーガルトからの援軍が来ました!!!」
「レーガルト? ああ、なんじゃ今頃……」
お婆はグール襲撃に際し王都レーガルトに援軍を依頼していたことを思い出す。神父がガタガタと震えながら言う。
「い、いえ、その、やって来たのが……」
「あ~ら、久しぶりねえ~、みんな!!」
「え?」
「あ」
「はひ!?」
聖堂の入り口に立ったひとりの女性。スタイル抜群で、首辺りまでの青のミディアムヘアに金色の花。元勇者パーティの天才僧侶と呼ばた現国防大臣。
「ル、ルージュ様!!??」
お婆は想像外の人物の登場に呆然とする。
無論ゲインを始めシンフォニアやリーファ、そして初対面となるマルシェも驚きながらその人物を見つめた。