103.食屍鬼グールの襲撃
ゲイン達討伐隊が里を出た日の夜、シンフォニアの部屋には静かな時間が流れていた。黙って翌日の準備をするリーファ。ひと通り準備を終えると『疲れたから先に寝る』と言って布団に潜り込んだ。コトリも机の上に行き羽を休める。
ベッドの上に座ったシンフォニアのピンク髪を、幼なじみのマリエルが優しく梳きながら言う。
「本当にシーちゃんの髪って綺麗よね」
「そ、そうかなぁ~? 嬉しいよぉ~!!」
鏡に映った自分とマリエルの顔を見てシンフォニアが微笑む。マリエルが彼女の髪を結う緑色の茎を見ながら言う。
「蕾が大きくなっているような気がするね。もうすぐ咲くのかな?」
僧侶の悲哀花、本当に咲かすことができれば上級僧侶の仲間入りである。シンフォニアが苦笑しながら言う。
「難しいよぉ~、王都でもルージュ様ぐらいしかいないんだし~、ふにゅぅ~……」
つけているだけで眩暈がするほどの強力なもの。慣れてきたとは言えこの先本当に咲くかどうかなど分からない。
「でも凄いよなあ、シーちゃん。ここって『僧侶の里』なんて言われているけど、誰も僧侶の悲哀花なんてつけていない訳だし」
その種自体が貴重な僧侶の悲哀花。王都でもほんの一握りの者しか所有していない。シンフォニアが小さく頷きながら答える。
「うん。私はとっても運が良かったよぉ。ゲインしゃん達に拾って貰って……」
そう話すシンフォニアの顔が一瞬曇る。マリエルが突然驚いた顔になって言う。
「シ、シーちゃん!? どうしたの??」
「え? なに?」
マリエルの言葉の意味が分からないシンフォニア。
「涙……」
「あっ……」
そう言われたシンフォニアが手で目をこする。同時に頬を流れ落ちる涙。我慢しようと思うと却って溢れ出て来る。シンフォニアが言う。
「ゲインしゃんがいないとね、不安で、怖くて……、私も頑張らなきゃいけないのに……」
マリエルが大粒の涙を流しながら顔を押えるシンフォニアを優しく抱きしめて言う。
「大丈夫。ゲインさんとっても強いから、きっとすぐに帰って来るよ」
「うん……」
マリエルはシンフォニアの震える体を優しく撫でながら言う。
「さ、もう寝よ。明日の朝起きたらゲインさん帰って来てるかもね」
「そうだね。うん、寝よ。ふにゅぅ~……」
シンフォニアは何度もマリエルに頭を撫でられながらゲインの帰還を願い、一緒の布団で眠りについた。だがそんな吉報とは真逆の知らせでふたりは叩き起こされることとなる。
カンカンカンカーーーーーーン!!!!
「ひゃっ!? な、なに!!??」
翌朝未明、東の空がうっすらと明るくなり始めた頃、突如フォルティンの里に敵襲を告げる鐘の音が響き渡った。まだ状況が掴めないマリエルとシンフォニア。そこへ慌ててドアを開けやって来た母親のサラが血相を変えて言う。
「起きて!! グールの大軍が攻めて来たの!! すぐ大聖堂へ逃げるわよ!!!」
「!!」
寝惚け眼だったふたりの頭はその言葉で一気に目が覚めた。窓の外から聞こえる里の人が逃げる音。
「ふわわ~ぁ、一体どうしたんだ? こんな時間に……」
ぐっすり眠っていたリーファがようやく目を覚ます。シンフォニアがグール襲撃を告げるとリーファが目をこすりながら言う。
「よかろう。この魔法勇者リーファ様が焼き尽くしてやる」
眠そうな顔なので全く迫力がないリーファの言葉を苦笑いしながら聞きつつ、シンフォニアが母親に言う。
「ママはマリエルと一緒に逃げて。私はリーファちゃんと一緒に戦うから」
「え? で、でも……」
娘の言葉に不安そうな顔になるサラ。
「だって私、大聖堂に入れないし、それに勇者パーティだから!」
「シンフォニア……」
サラは娘の硬い意志を感じそれ以上何も言えなくなってしまった。マリエルが言う。
「シーちゃん、大丈夫なの?? 無理せずに一緒に……」
そう言うマリエルをシンフォニアが優しく抱きしめ言う。
「大丈夫。ここで逃げたらゲインしゃんに怒られちゃうよから!」
「シーちゃん……」
マリエルは彼女の心の中に『ゲイン』と言う存在があればきっと大丈夫なんだと不思議に思えた。マリエルが言う。
「分かったわ。先に大聖堂に行っているからまた後で絶対会おうね」
「うん。マーちゃんは怪我人が出たら治療をお願いね」
「了解!」
そうマリエルは答えると支度をし、サラと共に家を出て行く。リーファが言う。
「さーて、行くぞ。シンフォニア」
「はいーっ!!」
魔法の杖と僧侶の杖を手に、ふたりの勇者パーティはグールの大軍が攻め寄せて来る里の前線へと向かう。
「……主、女神マリアの名の下にその敵を浄化せよ。回復!!!」
夜明け前の薄暗い里。周囲を木の柵で囲い守りを固めた僧侶の里に、その悍ましいグールの大軍は奇声を上げながら進軍して来た。上級神父が叫ぶ。
「戦える者は前へ!! 怪我をしたら後退、治療を受けよ!!!」
里に残った僧侶や修道士、それに討伐隊に参加しなかった冒険者も駆り出されて応戦する。
「なんでこんなにグールがいるんだ? 今あいつらの拠点を攻めてるんじゃないのかよ……」
地を覆いつくすような数のグール。これまで何度も襲撃されたが今回が最も数が多い。討伐隊を結成しグール討伐に向かったはずなのに何故なのかと皆が首を傾げる。だが幸運にも里にはこのふたりが残っていた。
「シンフォニア、行くぞ」
「はい!!」
前線に現れた金髪の少女とピンク髪の僧侶。苦戦する里の者に言う。
「退いてろ。お前ら」
「な、なんだと……、!?」
その言葉にむっとする僧侶達だったが、小鳥を肩に乗せた彼女から発せられる圧倒的な魔力を前に自然とその道を開ける。
「悍ましい食屍鬼め。これで滅せよ」
金髪の少女リーファは持っていた魔法の杖を高々と掲げ魔法を詠唱する。
「……主、女神ウェスタの名の下にかの敵を蹂躙せよ。業火の嵐!!!!」
ゴオオオオオオオオ……
青き業火。炎の魔法としてはまだ認知されていない群青色の業火。皆がすぐに先のグール襲撃の際に放たれた強力な魔法であることを思い出す。
「あの子、この間の……」
「まだ里にいてくれたんだ!!」
過去にない規模のグール襲撃。悲壮感漂う里にあってリーファの青き炎は皆の心に戦う勇気を与えた。シンフォニアもフードの付いたローブを羽織い回復や攻撃に駆け回る。圧倒的数の敵に強力な魔法を撃ちこみながらリーファが思う。
(里は私が守る。だから心配するな、ゲイン……)
託された里の守備。リーファが全力でグールを焼き尽くしていく。
「……主、女神マリアの名の下にその敵を浄化せよ。回復!!」
里の前線の一角。防衛に駆り出された僧侶のラスティアとゼリアも必死にグールの侵攻を食い止めていた。ゼリアが言う。
「どうしてこんなにやって来るんですか、先輩……」
「し、知らないですわ!! くっ……」
魔法使いが放つ攻撃魔法と違い、僧侶が浄化に用いる回復は対象が一体ずつとなる。つまり攻撃は可能だが効率が非常に悪い。その上完全に浄化しきれないととどめを刺すことができず、仲間の遺体を食すことであっと言う間に回復してしまう大群のグールには相性があまり良くない。
(これは一体どういうことなんだ!! 約束が違うではないか、マスター殿!!!!)
そんな里の窮地を大聖堂の上層から見ていた上級神父ファンケルが唇を噛みながら思う。今回の作戦は自分の気に入らない奴らを森の古城へ誘き出し、それを殲滅。グールの為に里の攻撃も少しだけ容認したが、これほどの規模とは言っていない。
(今の里では防ぎきれん。くそっ、何を考えている……)
ファンケルが仕方なしに自分も里の防衛に行こうとしたその時、そのあり得ない光景を目にし体が固まる。
「え、おいおい……、何だあれ……、あんなの聞いてないぞ……」
ファンケルはそのグールの群れの後方に現れたその『招かざる客』を見て力なくその場に座り込んだ。
(くそっ、敵の数が多すぎるぞ!!!)
里の前線で魔法を連発していたリーファが内心苛つく。群青の業火は確実にグールを焼き切っているが、どうしてもすべてに対応できない。
「うわあああ!!!!」
やがて崩される防衛ライン。木の柵を破壊し、ぞろぞろとグールが里の中へと侵入する。広範囲攻撃が苦手な僧侶や修道士が応戦するが、反撃を受け倒れる者も出始める。リーファが思う。
(敵の動きを止められれば……、あ、そうだ!!)
そんな彼女にとある魔法の記憶が蘇る。唱えたことのない魔法。でも彼女にはなぜか上手く行く自信があった。
「水の領域、開放……」
「ピピーっ!!」
水魔法。これまでリーファには縁のなかった魔法だが、なぜか不思議と体にしっくりくる。リーファがゆっくりと両手を斜め下におろし自身の魔力を強く開放する。同時に周囲に実体のない水が広がり、グール達の動きを止め始める。
(よし! 上手く行ったぞ!!)
水の領域。これに掛かった者は動きが封じ込まれ、術者との強さが大きければ大きいほどその効果が高まる。周囲にいた里の者が驚いて声を上げる。
「グ、グールの動きが止まったぞ!! 今だ!! 攻撃っ!!!!!」
突然石像のように動かなくなったグール達。魔子を得て強力な魔法を操るリーファとの実力差は歴然としていた。まさに魔法勇者リーファの独壇場。彼女は勇者パーティの魔法使いとして十分な実力をつけ始めていた。
リーファの活躍により里側の優勢が続く。だがそんな状況がその魔物の登場で一変した。
ズンズン、ズン……
水の領域で動けなくなった防衛ラインを、その魔物はゆっくりとこちらに向かって歩いて来ていた。それを見たリーファが戸惑う。
(なんで? あいつの動きが止められない……)
ゆっくりではある。だが他のグールと違いこちらへと歩み寄って来る。
(おマエ達はミナゴロシだ……)
「!!」
そのくすんだ緑褐色の見上げるような大柄のグールは、驚くべきことに皆の前で言葉を発した。低知能なグール。会話ができることイコール上位種を意味する。新たな敵の出現にそこにいた者すべてが凍り付いた。