102.こっちにはゲインさんがいるんだよ。
「う、うがあぁああーーーっ……」
森の奥に佇む朽ちた古城。その漆黒の闇が広がる城内、広大なダンスホールの間で精神混乱を受けた討伐隊のメンバーが奇声を上げながら床をのたうち回る。
「うが、うが、うが……」
頭を両手で押さえ床に倒れる冒険者。
白目になり口から泡を吹いて苦しむ僧侶。
対グール戦を想定し物理攻撃メインで編成された部隊は、実体のない死霊の襲撃になす術なく崩壊しようとしていた。
「滾るじゃねえか……」
最悪の状況。そんな中でもゲインはまるでそれを楽しむかのように不敵な笑みを浮かべ前へと出る。
「ゲインさん……」
盾を構えたマルシェが不安そうにゲインの名を口にする。
「お前は大丈夫か?」
ゲインが心配して尋ねる。マルシェは頭部の横に手を当て答える。
「リボンがありますから。精神混乱は平気のようです!!」
青の守護リボン。シェルバーンから託された特定の異常状態を防ぐレアアイテム。早速役に立ったようだ。更にマルシェは手にした短刀を見せて言う。
「これ、フォルティンの里で買った短刀なんですけど、女神マリアの祝福を受けたものだと聞いています。これなら死霊も斬れるかと」
ゲインはマルシェが持つ短刀から神聖な力を感じ答える。
「なるほど。さすが『僧侶の里』だな。それなら行けるだろう。だが気を付けろよ」
「は、はい……」
とは言え死霊悪霊が大の苦手なマルシェ。暗闇に浮かぶ彼らを見て自然と体が震える。マルシェが尋ねる。
「ゲインさんは……」
「俺か? 俺はあいつをやる」
その目の先にはひと際強い霊力を放つ襤褸ローブを纏った死霊レイス。今回数多の死霊達を操る敵の司令官。奴を倒さなければこっちがやられる。
「でも、ゲインさんは……」
多少の属性攻撃は掛かっている。だけどそれほど強力なものではなく、レイスにどこまで通じるかは不明だ。そんなマルシェの不安を感じ取ったのか、ゲインが振り返って言う。
「大丈夫だ。俺に任せろ」
「はい!」
マルシェは自然とそれに答えた。自分の杞憂が無駄であったと不思議と思えた。
「うがぁああ……」
魔法結界を張っていた上級神父が発狂しながら倒れる。同時に消える結界。暗闇。攻撃も魔法も使えない者達が震えながら持つ弱々しい松明だけの灯り。最大の防御壁を失った皆に死の恐怖が襲い掛かる。
「慌てないで!! 意識のある人でここを守りましょう!!」
そんな不安を打ち消すかのようにマルシェが短刀を持って皆を鼓舞する。修道士のひとりが顔を青くして言う。
「だ、だけど、この状態で一体何が……」
「敵を倒します」
マルシェの強い言葉にやや驚きながら修道士が尋ねる。
「俺達だけで、あ、あんな奴に勝てると思うか??」
圧倒的に上級神父や魔法使いの数が足らない。味方の半数以上は精神混乱で戦闘不能。闇夜から湧くように現れる死霊達。何ひとつ勝利への道が見えない。マルシェが言う。
「勝てますよ」
「だ、だってよ、敵はあんなに……」
そう話す男の言葉を遮るようにマルシェが言う。
「こっちにはゲインさんがいますから」
マルシェはそうひとこと言うと皆を守るように短刀を死霊達に向けた。
「貴様がゴリ族の男か」
死霊レイスは自分に向かって立つゴリラに向かって尋ねる。
「ああ、そうだ。俺のこと知ってるのか?」
ゲインが意外そうな顔をして尋ね返す。
「知っている。グールを斬りまくったそうだな」
「なるほどね。てめえらグルだったって訳か」
レイスの顔に悍ましき笑みが浮かび、そして大きな声で言う。
「そうよ。そしてここにいるお前達全員が死ぬのだから教えてやろう!!!」
暗きホールに響くレイスの甲高い声。辛うじて意識を保っていた討伐隊のメンバーが、その身が竦むような声を耳にする。
「お前達が信じて来た上級神父のファンケル、奴こそが今回の首謀者!! これはお前達討伐隊をここで全滅させるために仕組まれた罠よ!!!」
「!!」
討伐隊のメンバーから血の気が消える。何とか必死に生き延びていつか反撃をと考えていた皆の体から力が抜けていく。
「嘘だろ……、ファンケル様がそんなこと……」
その実力と狡猾な政治力から先輩神父を抜き、実質お婆に次ぐ力を手に入れたファンケル。里を守るべき指導者が実は里の敵であったという事実に皆が驚愕する。
「そんなのデタラメだ!! 俺達を騙すために言ってるに違いない!!!」
僧侶のひとりがレイスに向かって言う。
「デタラメ? そう思うなら思えばよい。だがこれより里にグールの大軍が押し寄せる算段だ。攻撃の主力のお前達が抜けた里に、さてどれだけ耐えられるかな?」
「そ、そんなことが……」
レイスの話はどこまで本当なのか分からない。だがその言葉はここにいる皆の心をへし折るには十分過ぎる内容であった。
「もうダメだ……、里にいる奴にグールの相手なんてできないぞ……」
ここにいるメンバーこそ『対グール戦』に編成された特攻部隊。今里にグールの襲撃があればひとたまりもないだろう。
「立って!!」
そこへ鎧を着たマルシェの声が響いた。
「立って!! 立って戦うんです!! ボク達がここを抜け一刻も早く里に戻らなきゃいけないんでしょ!!」
冒険者が泣きそうな顔で言う。
「だけど、だけどよ!! あんな奴らに勝てると思うのか!!!」
周りには数多の死霊達。精神混乱《今ヒューズ》を受け倒れ苦しむ仲間。動ける仲間も少なく、その多くが対物理戦を得意とする者達。
「勝てますよ、絶対」
マルシェはそう答えるとレイスに対峙するゲインの背中を見つめた。
「なるほどねえ。あのインチキ神父がグルだったか」
ゲインはレイスに向かって言う。
「そう。その通り。どうだ、絶望したか? 死の恐怖を感じたか? 怖いか怖いか? 貴様らの恐怖こそが最高のスパイス。僧侶達の御霊が最高の味へと昇華する!!」
魂を狩る死霊。一般の人間より聖職者の魂。その中でも死の恐怖に怯えた魂ほどより美味となる。ゲインが耳をほじくりながら言う。
「あー、大体分かったよ。てめえら外道がやりそうなことだ」
「貴様、この状況で恐怖を感じぬのか?」
ゲインがダルそうな顔で答える。
「感じる訳ねえだろ。俺より弱ぇ奴にどうして恐怖を感じるんだ?」
レイスの体から更に邪悪な覇気が放たれる。
「ゴリラの分際でよく言う。何者かは知らぬが貴様にこの私が斬れると?」
「斬れるさ。俺の体が滾っててよぉ。てめえを斬る為にここへ来たんだ……」
ゲインが剣を構えて答える。レイスが言う。
「ふっ、多少の手練れではあるようだが、知らぬのか? 貴様の剣では私は斬れぬことを!!」
「やって見りゃわかるさ!!!」
その瞬間、ゲインの体がその場から消える。
ドォフ……
薄暗いホール。一瞬でレイスの懐に飛び込んだゲインはまるで瞬間移動したかのように見えた。
(斬れねえか……)
ゲインの剣がレイスの体に当たり止まる。属性付与された剣。ルージュのような強力な魔法ならば対抗できたかもしれないが、残念ながらここにそれほどの使い手はいない。レイスが笑いながら言う。
「ほら、ダメでしょ? あなたは私に勝てないですよ」
ドン!!!!
「ぐはっ!!!」
ゲインの全身に加えられるまるで大きな壁で殴られたような圧力。思わずそのまま後方へと吹き飛ばされる。レイスが素早く移動し追撃を行う。
「さあ、どうしたんでしょう!? 先程の威勢は!!!」
ドンドンドンドン!!!!!
ゲインに打ち込まれる目に見えない圧力の攻撃。魔法か霊術か。絶え間ない攻撃にゲインが防戦一方となる。
「ゲインさん!!」
思わずマルシェの声がホールに響く。
「ほ、ほら、やっぱりダメなんだ……、俺達ここで死ぬんだ……」
討伐隊から漏れる弱気な言葉。ここまで皆の希望になって来たゴリ族の男でもやはり敵わない。改めて絶望と死の恐怖が皆を押し潰す。
「さて、もう飽きました。私のご馳走は恐怖に怯えた後ろの聖職者達なんですよ」
レイスはそう言って軽く右手を上げるとそこに大きな鎌を発現させた。
「『御霊斬りの鎌』。一瞬で魂と肉体を断ち切る私の愛用品です。あなたのようにずっと平然としている魂は美味くありませんが、まあいいでしょう」
「滾るぜぇ……」
口から血を流したゲインが小さくつぶやく。
「何か言いました?」
レイスが不思議そうな声で尋ねる。
「滾る滾る滾るぅ!!! 斬れねえ敵を斬ったら、ああ、くっそ気持ちいいじゃねえか……」
「愚かなサルめ……」
レイスが大鎌を振り上げ断魂の構えを取る。
(あ、あれは……)
悪寒に襲われながらも悪霊と戦っていたマルシェの目に、前方で戦うゲインの周りに発せられた赤いオーラが映る。マルシェが興奮気味に思う。
(見れる見れる見れる!!! ゲインさんの『矛』が!!!!)
マルシェが身をぶるっと震わせて横目でゲインを負う。
(この力、ずっと前から感じていた内から湧き出る力……)
ゲインは自身の周りを覆う赤いオーラを感じながら思う。
(すべてを叩き斬るこの赤い力。ああ、いいぜ。くっそ滾りやがる……)
やがてオーラはゲインが持つ剣へと集まり、刀身を朱に染め上げる。この段階になってようやくレイスがその異常に気付く。
「貴様、何をしている? なんだその赤いもやは……??」
大鎌を構えたレイスが何かの危険を感じたのか動きが止まる。ゲインが答える。
「詳しいことは知らねえ。だがこれではっきりするんだよ。属性付与なんざ無くてもな……」
ザン!!!!!
(え?)
消えたと思ったゲインの体が一瞬で目の前に現れる。
刹那。レイスの脳天から一気に下へと感じる熱い衝撃。スローモーションの様に視界に入るゲインが剣を振り下ろす映像。
――斬られた
レイスはようやくその事実に気付いた。
「ああ、熱い……、ががっ、なんだこの灼ける様な、熱さは……」
脳天から真下に下ろされたゲインの剣がレイスを一刀両断にする。あまりに速く一瞬の出来事だったため、しばらくレイスの感覚は残ったままだった。そんな死霊にゲインが言う。
「赤き閃光。今確信した。俺にはすべてのものが斬れるんだってよ」
相手を舐めて掛かっていたのは自分だった。ファンケルの策略が功を奏し、圧倒的有利な状況の中で相手を見くびっていたのは自分の方だった。
レイスの意識が消える。同時に切断された体も霧のように消えて行き、ホール、いや古城中に潜ませていた悪霊死霊達も塵のように消滅した。
「い、いなくなった!? 悪霊が、いなくなったぞ……??」
恐怖に怯えながら剣を持っていた冒険者が震えた声で言う。床に倒れていた者達も順に意識を取り戻していく。修道士が信じられないような顔で言う。
「勝ったのか、俺達……」
兜を脱いだマルシェが笑顔でそれに答える。
「だから言ったでしょ。こっちにはゲインさんがいるって」
男の目には涙が溢れ、やがてそう教えてくれたマルシェの顔がはっきり見えなくなるほどぼろぼろと涙が流れた。